特に、雀蜂なら、大変である。誰が落とすか (大岡 信「 折々の歌 」岩波新書) 実際は、素人では、落とせません。その道プロが、防護服などで、完全装備して、退治しなくてはならない。それ程に、処理には、危険をともなうのである。
げに恐ろしきは 猛毒の針 夢 蔡
★ 約20年前である.。正確な日付けは、忘れたが、丁度、盆を過ぎた頃のことである。毎年のことであるが、この季節は、草刈に追われる。まだ、勤めを持っていたので、住まいの周りの宅地、畑地に生える雑草を、刈り払い機で、なぎ倒す作業は、月に一度ほどであった。◆ (今は、余裕があるから、「窓前の草を除かず」なんて言ってるけど) 草生すだ! 殆んど、暴力的に、場所によっては、腰上まで繁茂していた。朝から掛かり、2~3時間、やっと終わりに、近づいた。もう一息だ。残るは、生垣の奥隅である。手前、1m位まで、刈り込むと、ピラカサスの根元から、かなり太く成長したヤブカラシが、立ち上がっているのが見えた。刈り払い機の刃を、差し出すのは、無理で、左手を伸ばして、その根を引き抜いた。◆ その瞬間 激痛が、走った。人差指の爪と皮膚の間にかなり大型の蜂、羽を震わせて、針を立ている。なんと、目の前にバレー・ボールの程の、あの独特の模様の 巣 があるではないか。なんで、こんな所に!視覚的に記憶に残るのは、此処までである。必死で、縁先まで逃げた。この激痛!ハンマーで思いきり、指先を叩かれた感じである。あまりの痛さと、そのショックで、しばらく動くことが出来なかった。 ▼ 近くに救急病院で、手当てを受けた。医師は、アシナガバチ程度に刺されたものと、決めてかかり、軽い処置であった。その日は、痛みが少し残っていて、人差指全体は、腫れて、硬くなって、、曲がらなくなっていたが、あまり、深刻には考えなかった。しかし、翌朝である。目が覚めて、手を見る。、何んと、左手の指先と甲全体が、腫れ上がっているではないか。かかりつけの医院にいって、説明すると、内服薬を処方してくれたが、効き目は定かではなかった。◆ それから、2~3日、蜂の毒素は、左腕の肘まで及んだ。、手の平・甲全体は、グローブのように腫れあがり、指はまがらず、膨れ、クルマのハンドルを握ることはできなかった。腫れは、肘で止まったが、その後、治るのに約1ヶ月は掛かった。これが、顚末である。 ▼ TV・新聞で、雀蜂に刺されて死亡といったニュースが、報じられるが、実感の伴はない他人事であった。自分に、何が起こったか身をもって知ると、雀蜂とは、いかに、恐ろしい生物であることか。巣から出た一匹の蜂に刺されただけで、逃げ切れたのは、不幸中の幸いであった。、モドリ蜂( 採餌に出かけていた蜂が、巣の危険を察知して戻って、攻撃してくる )に、背後から首筋や肩を襲われていたら、どうなっていたか。手への一刺しで、酷く膨れ上がったことから想像すると、あの日の、処置は、間違っていてたので、もしかして、死んでいたかも。実感!
★ この時点で、危険極まりない雀蜂と言う 生物との共存は、ありえない。
雀蜂が、里山、農村部、郊外都市に下りてきて、巣を作る危険な状況を作り出したのは、、人間の開発と言う行為の結果である。山麓は、縦横に舗装道路が、走り、更に、その奥の林道も、しっかりと舗装されている。広大なゴルフ場が、いくつも在ある。どれ程の生物の生息地が、失われたことか。行動力のある生物が、里のほうへ、生息地を移すのは、自然の成り行きである。いま、私達は、開発の結果、見かけの便利さの、【 付け・附け 】を払われされている。
◆ 写真は、巣を、発見した夜に、懐中電灯を当て撮影した。光の反応した雀蜂が、顔を覗かせた。不気味な、恐ろしさを感じさせる。しかし、彼らは、光を失うと、行動しない。〔 紫外線に反応して活動する、と教えられた。) この後、強力スプレー式殺虫剤を吹きかけると、直径25センチ大の巣は、ひとたまりも無かった。これも、何回目かの経験であるが、自慢しては、駄目である。
☆ 【 メ ダ カ の 危 機 】へ つづく。