統合医療日記

ここでの統合医療とは単に西洋医学と東洋医学の統合ではなく、病気を肉体と精神と社会及び自然環境の4視点から見ていきます。

高橋信次と統合医療(最終章2)

2017-09-22 21:29:50 | ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)

いざ東京へ

さて、無事医師国家試験にも合格してとりあえずは大学の内分泌内科に入局しました。しかしながら卒業試験のときに、インスピレーションに従い東京に行くべき時を考えていました。東京に出た偉大な人が高橋信次であることは既に分かっていました。しかし当時は厳しい医局のノルマが有りました。このままではずっと東京には行けないと思い、入局して半年後に教授に退局覚悟で教授に「東京に行きたいので行かせてください」と言ってしまいました。さんざん叱られましたが、「出来ないなら退局して行きます」という私に根尽きて「それなら他の先生の手前も有るので、川崎の百合丘というところに病院が友人がいるので、そこの病院に大学からの出向ということで行きなさい」との許可を得たのです。

 

救急病院と森田療法と療術

7月か8月頃病院の官舎に住み、そこを拠点にして動きました。しかし、信次先生も忙しくなかなかあえませんでした。病院も救急があり、私も忙しく日々が過ぎてゆきました。そこで今度は病院長にまた我がままを言い研究日と称して、高円寺の古閑義之先生の自宅で森田療法を学ぶ日を貰いました。古閑義之先生は森田療法の第一人者で、慈恵医大の後聖マリアンナ大学の学長をしていました。森田療法は知らない人も多いと思いますが、当時世界的にも知られた日本発の有名な精神療法の一つです。夜の9時に外来もしくは入院、私はそれを手伝っていました。しかしながら東京の偉大な人には会えずとりあえずは、信次先生の弟子にはあえました。小金井の波場先生や巣鴨の電気治療の療術師、阿佐ヶ谷の太極拳の先生のところに通いました。東京では信次先生にはなかなか得ませんでしたが、その代わり色々なことを東京で勉強することが出来ました。

 

人工ラドン温泉

その中で療術師が多くいました。信次先生は西洋医学よりも療術に興味が有ったようです。巣鴨の療術の先生とは長い付き合いでしたが、「ガンには微量放射線が効くんだよ」とよく言っていました。1976年の事ですから。今から考えればこれは本当にすごい言葉でした。というのは微量放射線にはガンなどの色々な病気に良いホルミシルス効果が有ると世界で初めて1982年に発表したのが、アメリカのラッキー博士ですが、私は療術師より既に5年早く聞いて知っていたのです。その後私は彼が伊豆で人工ラドン温泉の治療的なことをしているという事で

 


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