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統合医療日記

ここでの統合医療とは単に西洋医学と東洋医学の統合ではなく、病気を肉体と精神と社会及び自然環境の4視点から見ていきます。

私の高橋信次研究その⑦三大魔の中で一番多い慈悲魔

2023-01-02 11:46:22 | ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)

慈悲魔:日本で最も多いい悪魔

さて三つ目で最も多くの人がやられている悪魔それは慈悲魔です。

慈悲魔というのは相手に必要以上の情けをかけることです。

宗教的には慈悲の瞑想というのがあり、信次先生の心経にも

「大宇宙体は意識の当体にして、意識の中心は心なり、心は慈悲と愛の塊にして当体意識は不二なることを悟るべし」とあります、

しかしその信次先生が良く話していたのが慈悲魔についてです。

とにかく信次先生はレベルが高いので、四無量心の副作用も話していたのではないでしょうか。

慈悲心のつもりで、何でも自分が悪いは危険です。自己をなくしていく危険が有ります。

下手をすると精神科入院となることも有ります。

自己を無くしてしまうと魔が入ってきて益々マインドコントロールされた状態になります。

まだ悟りが薄い状態で慈悲を持ちすぎると他者に利用されるか、自分が不幸になります。

反省は良いけど後悔はあまり続けるべきではありません。

ましてや、自責となるとそれはもう病気の世界になります。

自分の心の器の大きさを知る

自分をよく理解していない人が禅定や瞑想をするのは危険です。

正しく見、正しく聞き、正しく生きるなどが出来ずに瞑想は危険です。

八正道でも正しく定にいるは最後の言葉です。中道という言葉も十分理解しておかなければなりません。

嫌な人は嫌!というのが私たちの実情ではないでしょうか。

そういうう人はまずは心理学や精神医学を学ぶことから始めた方が無難です。

 

森田療法の言うあるがままの心も大切です。自分の今の心に正直に生きなければやがて心身の病気になります。

それではあなたの正直度や慈悲魔憑依の危険度チェックをしてみましょう。

下記の問診票をチェックしてみてください。ハイが2点、どちらでないが1点、いいえが0点で、

合計を上のマスに入れてください。

合計点が12点以上はやや危険、18点は自分をただしく見つめる必要が有ります。

詳しく述べられませんが、参考までにこの表のアイアムOKユアーOKのところを目指すようにして下さい。

 

それでは次回は慈悲魔に続き「霊道病」について述べて行きたいと思います。

 

 

 

 

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私の高橋信次研究その⑥この世の3大魔(色魔・睡魔・慈悲魔)

2022-12-18 23:47:15 | ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)

おじさんの霊

信次先生が生存の時は、それに合わせたように色々な霊友が出てきました。

取り分け霊断預言者と言われる女性は確かに霊感があり、

ある日、私に向かって「先生お兄さんと思いますが、後ろに来ていますよ!」

彼女に言わせると「あまり良い所にはいない、寒くなり鳥肌が立ってきました!」

と言ってその腕を見せた。私は「私の兄は今鹿児島大学を出て豊橋に居ます。まだ生きています!」

と言って笑いました。彼女は「おかしいですね~お兄さんのようにみえますけどね~」と言って首を傾げた。

わたしは、しかし兄は死んでいないけど、あまり年が離れていない叔父がいたことを思い出しゾッとした。

叔父は35歳くらいに謎の焼死をしている。当時田舎で叔父は母屋の近くに独居していた。

兄が親戚とテニスをして骨折をし入院したので、母は私を置いて親戚に行っていた。

正月前で田舎の大きな家で一人でいるのも寂しく、私も親戚で寝泊まりすることにした。

その数日後、彼の住んでいる家が火事となり彼はその中で焼死した。

自殺はあり得ないが、当時お米のお金が100万ほどあったと思われ、強盗も疑われ警察がかなり調べたが、

真相は分からず事故死という事になった。

しかし強盗に遭い死んだのならば当然浮かばれず、当時あの世に目覚め霊媒体質になっていた私を頼り、

憑依してくる可能性は十分ある。

今から思えば霊断預言者に彼がなぜ死んだかを聞けばよかったが、暗い顔になった私を見て彼女はもう話を止めた。

父は13人兄弟の長男で13番目のこの叔父は、

長女の息子すなわち甥よりかなり若かった。

したがって長男の子の私にも年齢が近かったので、霊断預言者が私の兄と間違えたのは確かと思われた。

彼女の見ていたのは私の焼死した若い叔父なのである。

霊断預言者睡魔にやられる

三大魔の一つ、睡魔これは急に来る眠気あるいはあらぬ時に来る眠気という事であるが、本来は宗教用語である。

これは元来どいうう事かというと、釈迦が法を説くときに魔のついた人が心理を悟り、

憑依できなくなるのを恐れ強制的に、法を聞かせないように眠らせてしまう事である。

当時高橋信次先生の講演の時でも、多くの人は熱心に聞いていたが眠りこける人が続出した。

当時久しぶりに会った彼女に東京で講演会に行ったかどうか聞くと、

講演会に入ったが初めから終わりまで寝てしまったとのことであった。

一般的に巫女や霊媒者は色々な霊が出たり入ったり忙しい。

彼女は器が大きいので天使が入ればよいが、油断すると現在の心の状態で大悪魔に入られ豹変し、

とんでもない事になることがある。多くの新興宗教の教祖ははじめは良いが教団が大きくなり、

自信過剰になると悪魔が入り名誉や女やお金が好きになっていくのである。

光強ければ陰また強し

問題なのは悪魔も霊的能力が強く、人の心を読んだり未来の悪い事の予言はすることが出来るのである。

これで一般人は恐れおののき、信者となり寄付したり教団に尽くすことになるのである。

すなわち新興宗教が一つ出来上がるのである。

教祖ははじめは良いのですが、自信過剰となりだんだんと大悪魔に憑依され、

人々を誤った方向に導いてしまうのである。

霊能力があるからと言って、その人が人格的に優れている、悟っているという事ではない。

霊媒能力が高いという事で、すごくセルフコントロールを要求されるのである。

光が強ければその影も当然強くなる。油断すると大きな罪を犯すことになるのである。

大悪魔に憑依されないコツは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という分けである。

信次先生の講演の時もこのような人たちが多く来て、壇上に信次先生に引っ張り出されて大悪魔が引っ張り出されていた。

しかし除霊されても、正法を忘れると元の木阿弥にあるのである。

あえて言えないが信次先生の正法をパクリ教祖となった人も数多い。

後日彼女が外来に静脈注射に来た時に、

薬剤を入れながら私は心の中で彼女に「神から貰った大きな能力で自信過剰にならず法が説いていけますように」と祈った。

彼女はそれが聞こえたかのように私の顔を見て微笑した。

それから私は九州に帰省しもう彼女とは会うことがなかった。

 

慈悲魔に続く・・・

#高橋信次

#正法

#信仰宗教

#悪魔

 

 

 

 

 

 

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私の高橋信次研究その⑤研修医時代の霊的騒動、奇妙な仲間たち

2022-11-13 09:31:06 | ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)

さて、高橋信次研究その④の続きが半年以上にもなりました。

黒ニンニクづくりや日本ミツバチの飼育騒動で、どこまで話したか分からなくなりましたが、

断片的にもその⑤として継続して久しぶりに書きたいと思います。

外来で3回名前を読んでやっと注射に来た夫人

私が研修医のころ内科外来での面倒な仕事は研修医の仕事でした。

1、胃や大腸の透視検査

2、初診時問診係

3、そして外来での注射係です。

ある日私が外来での採血や注射に追われていた時、何回読んでも出てこない患者がいました。

外来も終わること最後に3回目呼んでこなければ医局に帰ろうと思っていました。

呼んでも来ないので帰ろうとしたとき、不気味と言っては失礼だが眼光の鋭い中年の夫人が出てきた。

早く終わろうと、私は彼女の腕を掴んで血管を探しました。

比較的大きな血管があったので、私は楽に確実に針を刺しゆっくりと静注していきました。

ところが何といつの間にか漏れているではありませんか!

私はバツが悪いので彼女と四方山話をしながら、再度血管を選び注射を打ちました。

彼女はどうも宗教家のようで、私も高橋信次を学んでいたので彼女の話に興味がありました。

そして彼女は最後にこう言いました。

「今日は予言がありました。今日は特別な人に会うと」

「私は予言がされたとき、その予言の確実性を試すために、それを避けようとします」

「ですから、1回目呼ばれた時からいましたが、わざと出ませんでした。」

「そして3回目になり外来も終わろうとしていたので、この人に会うことが予言であると確認し出てきたのです」

といった話でした。

私が彼女の言う特別な人とは考えにくかったのですが、とりあえず何回か彼女と会い宗教についてお話をしました。

彼女はある大教団の霊断預言者で、「東京に出てきたときは会いに来てください」とのことでした。

「同じ名前が多いので分かりませんので、来られて呼び出すときは私の名に先生を付けなければ分かりません」とのことで、

かなり霊団の上の方の人だったようです。

奇妙なラボランチン

当時医局秘書のことをラボランチンと呼んでいました。

ある日私が医局にいるとある奇麗な他科の医局のラボランチンがやってきました。

「私は喘息なので喘息の本がお借り出来ないでしょうか」というのです。

まあ同じフロアーなので貸しても良いか!?と思い本を貸しました。

その後数日して「本を返したいので喫茶で待ちたい」と言ってきました。

私は素直に喫茶店に行き本を返してもらった後、彼女とお話をしました。

彼女は「実は私は喘息ではありません。本を借りるのは口実であなたに会ってお話をするため嘘をつきました」と話した。

先日の霊断預言者の件も有ったので、「おいおいまたかよ!」という感じで素直に彼女と宗教のお話、

特に高橋信次についてお話をしました。

恐らく彼女らは、または彼女たちの守護霊が私を通じて高橋信次の情報を聞かせたかったのだろうとその時思っていました。

彼女はどちらかというと密教系の過去世が多いようでインドでヨガなどをしていたようです。

私は高橋信次が偉大であることに当時かなりの確信を持っていましたので、

もっぱら高橋信次のことを彼女たちに話しました。

この世の3大魔(色魔・睡魔・慈悲魔)   続く

 

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私の高橋信次研究その④霊友との出会いと除霊

2022-02-13 12:09:52 | ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)

東京には行きたいと思いながら、私は厳しい研修でその余裕はありませんでした。

研修中の休みを利用してGLA青年部の研修会に2泊3日で参加したことが有ります。

米子市から東京に行くには伯備線というローカル線で岡山まで行き新幹線に乗り換えなければなりません。

私は研修会の数日前から咳が出るようになっていました。

風邪などあまり引かないのに夜中にも「コンコン、コンコン」と妙なひどい咳が続くのです。

研修会では相部屋で何人かずつ泊まるので「このままでは同部屋の人に迷惑がかかるな」と思い、

研修はあきらめて岡山から北九州の郷里に帰るか、それとも思い切って参加するか悩みました。

しかし、休みもめったに取れないし求道心も強かったため、思い切って東に進路を切りました。

何とか無事現地につき高橋信次先生の講話を聴くことができましたが、

新興宗教で憑依された参加者から動物霊を諭し除霊するのは迫力がありました。

また演技とは言えない過去世の霊言が次々と出てきてまるで2000年来の同窓会みたいな状況は異様な迫力がありました。

少なくともこの世の世界がすべてではなく、高次元の世界があり、この世の地位や名誉はとても魂を狂わす危険なものであると理解しました。

9時くらいに講演会は終わるのですが、そのあと部屋に帰り寝る準備をするとやはり心配していた咳が出始めました。

相部屋の私より数年くらい年上の青年が「それ風邪じゃありませんよ」と言って私の胸に右手を当てました。

しばらく集中してやがて左手を上にあげ掌に「ふっ!」と息をかける感じで終わりました。

「これは風邪なんかじゃありませんよ、来る前に行くかどうか悩まれましたね」

「それは信次先生の話を聞かせないために、悪霊が憑依したんですよ」

確かに信次先生の本を買っても本が読めない人がいたり、講演会場で睡魔に憑依され講演が聞けない人もいるとは聞いていたが、

自分も邪霊に憑依される程度の精神状態かと思いひどく落ち込みました。

当時私も医者ですし、地方大学の医学部とはいえ東大理Ⅱくらいの偏差値はありました。

でもその名誉やうぬぼれが霊魂のレベルを落とすという、いわば精神のカルチャーショックを強く受けました。

偉く落ち込んでいる私に気遣って「私も信次先生に会う前は精神がおかしくなって精神科を転々としました。

そのおかげでやっと信次先生に会うことが出来、心に平和を持つことが出来たのです」と言って私を励ましてくれました。

後から聞いたのですが彼は自分のギターを動かずにに手元に寄せることが出来るそうです。

とにかくそういった人が多く集まった研修会で、その後も彼とは長く手紙で意見交換しました。

東北まで遊びにこともありますが、皮肉にも恐らくBCGワクチンのB型肝炎からの肝硬変で、早世してしまいました。

彼が生きていたら私も早く悟れたかもしれません。

そのように、研修会や講演会でもただ物でない人が多く集まってきていました。

東京かどこかの信次先生の講演会で霊道現象が始まると、会場が異常な雰囲気になり隣の席の男性が突然立ち上がり、

異言をを喋りだしたのには驚きました。そんなのが会場のあちらこちらにありました。

「静かにしなさい!」の信次先生の一喝で会場は静まり返りました。

一時は50万人になったの会員!一体その後どうなったのでしょうか。

いまだに静まり返っています。

 

つづく・・・・

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私の高橋信次研究(その③苦しい進路変更)

2022-01-13 00:52:32 | ドクターKの宗教問答(悟りのための医学)

さて、高橋信次研究が中断気味ですが、今日は続きを書きたいと思います。

農学部の進学をあきらめて医学部に行くことにしましたが、第一希望を二期校の東京医科歯科大学にしました。シティボーイに成りたかったのです。

ところが学園紛争激しくこともあろうに東京大学医学部が入学中止になりました。

東大医学部受験生の600人が恐らく医科歯科大学を受けることになり到底私は合格しないと思いかなり落胆した覚えがります。

それでもシティボーイの夢あきらめず、横浜市立大学医学部は受験しました。当時は一期校と二期校間に私立大の医学部が受けられました。

ところが相部屋の6人は夫々、最悪京大医学部にするとか、名大医学部にするとかみな言っていました。

こんなのがいて36倍でしたので、これまた合格することができませんでした。

私は母子家庭でしたので、1浪以上はしたくありませんでした。

父を幼い時に失った子供は、母も死ぬかもしれないという強迫観念があり、早く自立しなければならないと思っていたからです。

そう言った事情で、最悪ことも考えて1期校の方の鳥取大学を滑り止めにしてこの年に何とか医学部に入りました。

この後の6年間の経験は時間の関係上省きますが、卒業試験に向けてすごくハードな勉強をしていた時に、

久しぶりに声が聞こえてきました。

医学部に入っても3年目で2割落ち、卒業試験で2割落第、国家試験で2割不合格です。

ですから、まともに卒業できたのは4割弱くらいでしょう。

そんな厳しい時に声が聞こえてきました。

 

「お前はそんなことをしている場合ではない」

「今東京に偉大な人が出た」

「すぐに会いに行け」

 

そんな感じでした。

無理やり医学部に行けといった霊が厳しく言ってきました。

試験を辞めて東京に行ったら間違いなく落第です。

行けるはずがありません。またとんでもないことを言ってきたなと思い無視しましたが、

その後同級生からそれが高橋信次先生であることを知りました。

何とか無事ストレートで医師になれましたが、研修が厳しくなかなか東京には行けませんでした。

しかし研修医のころ次々と不思議な霊的な人が自分の周りに表れ始めました。

 

つづく・・・

 

 

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