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鉄腕アトムと想像力

2014-09-17 20:18:17 | 日記
A.宇宙人の想像力について
 朝目が覚めるときに、急にもうろうとした頭に妙なアイディアが浮かぶことがある。たいがいは起きて日常的な意識が戻ると、どうってことない話だが、昨朝のはこんなことだった。人間はこの世に実際にあるものの形を見て、そこからもう一段空想をたくましくする。架空の動物や架空の町を思い描くことができるが、それらはみな現実の動物や建物や風景からある形を抽出して、そこに想像力で何かをつけ加えたり変形したりすることで、ありえないものまで形象化することができる。たとえば宇宙人とか、幽霊とか、他の惑星の世界とか、いろんなものを想像する。でも、それはみな元は現実のどこかかから持ってきたものだ。
 SFの初期、火星人とか宇宙船とか、タイムマシーンとか、いろんなアイディアが出てきて、それを絵にすると子どもは、そういうものがどこかにほんとにあるのかもしれないと夢をかきたてる。でも、たいていは誰かが何かをもとに作り上げたものだ。たとえば火星人は、巨大なタコのような姿をしていたし、恐竜は誰も見たこともないが、残った骨や爬虫類などからたぶんこんな姿をしていただろうと想像して描かれる。UFOやネッシーなども子どもの夢に現れるが、現実の動物園にいるわけではない。
 しかし、ロボットはいまや現実に人間が作りだして、存在している。でも、人間と同じような生物として生きているわけではなく、どこまでも精密な機械なのだが、それが現実の世界を多少変えるところまでいずれは来るのかもしれない。そういうことを50年も前に、文章ではなく絵で作りだしたのは、やはり凄いことである。

 1955年頃に、講談社の「少年」で連載されていた手塚治虫の「鉄腕アトム」を、小学生になったばかりのぼくは、毎月夢中で読んでいた。その頃はまだテレビが家庭にはなく、駅前の街頭で野球やプロレスの中継を見るぐらいしかなかった。日本でテレビ放送(地上波)が始まったのが1953年2月(NHK、民放は同年8月の日本テレビ)で、モノクロの映像も昼間は中断されて朝と夜しか放映がなかったから、子どもが見る楽しみはやはり雑誌に載るマンガだった。映画館でアニメ映画が出たのはディズニーの「白雪姫」「バンビ」くらいからで、日本製長編アニメ映画の最初が「白蛇伝」だった。もっと後になって日本製のTVアニメが最初に作られたのが「鉄腕アトム」だったと思う。
 マンガ「鉄腕アトム」は、その絵の躍動する動きと美しさが映画的で、実際手塚治虫は映画から多くのヒントを得ていたという。その後の手塚治虫は、ものすごい勢いで少年マンガを描き続け日本のマンガを世界的な表現手段に成長させたことは、いまさら言うまでもない。リアルタイムで「鉄腕アトム」を読んでいたぼくだが、その後多くのマンガを読んで育ったにもかかわらず、「鉄腕アトム」を再び読み返すことはなかった。今度、あらためて読んでみたら、なかなか発見するところが多かった。
 ぼくが今でも強く印象に残っている宇宙人は、「鉄腕アトム」に出てきた得体の知れない卵のような宇宙船の中にいた生物だ。普通の宇宙人は、人間や動物の変形したような姿をしていて、手があったり足があったり、昆虫みたいだったりするのだが、この「火星隊長の巻」1954の宇宙人は、そういうものではなく、ヒトデかクラゲみたいな不思議な姿をしていた。裏返すと真ん中に手があって原子力銃を撃ったりする。手塚治虫は医学博士で、子どもの頃から生物に興味があって顕微鏡を覗いていた人なので、そのマンガには生物のもつミクロな生命体みたいなイメージがよく出てくる。一方で、アトムをはじめロボットはお腹のふたを開けると、金属で作られた臓器ならぬ機械類が詰まっていて、ミニ原子炉で動いている。アトムを作った天馬博士やお茶の水博士が研究しているのは大きな工場のようなところで、巨大な機械装置がところ狭しと並んでいた。ぼくは単行本の「鉄腕アトム」の表紙の裏に描いてあった、機械工場をよく真似して描いた。
 金属機械のイメージは、「科学の力」を象徴するように見えたが、それは今からすれば原子力発電所のような巨大な装置で、コンピューターが小型化する以前の工業化社会の技術を示していた。コンピューターが微少なものにならなければアトムのような小型ロボットなどありえないのだが、そこはマンガの力でどうにでもなる。



B.「鉄腕アトム」を再読した
 いまオリジナルのマンガ「鉄腕アトム」を読んでみると、ずいぶんめちゃくちゃな物語である。毎回分量もストーリーも別々で、おもな登場人物だけは決まっているが、設定もテーマも共通していない。おそらく、当時の少年誌が新しく登場したマンガというメディアへの、子どもたちの人気に応えるために、手塚治虫を酷使して何でもいいから描かせようとして、手塚治虫も手当たり次第に話をひねり出して、前後の脈絡やストーリーのまとまりなどじっくり考慮する余裕がなかったものと思われる。それでも、「鉄腕アトム」がこれだけ活躍できたのは、そのSF的な想像力を絵にする筆力と、科学が未来を切り開く可能性への期待があったからだろう。やがてテレビアニメの時代が来て、「鉄腕アトム」は、「ららら科学の子」として高度経済成長の躍進に歩調を合わせる「明るい未来」に重ねられ伝説化した。
 しかし、原作「鉄腕アトム」の多くの物語に流れるのは、実はあんまり明るい話ではない。アトムはその出生からして不幸である。天才科学者天馬博士の愛する息子トビオが、交通事故で死んでしまい、嘆きに沈んだ天馬博士は科学省の総力を挙げて、トビオとそっくりのロボットを造り上げる。しかし、ロボットは人造人間であるから人間のように成長しない。博士はアトムを虐待して捨ててしまう。アトムはサーカスに売られて見世物になるのである。そこをお茶の水博士が救うのだが、それからのお話も、ロボットが人間からいじめられ差別される存在として、つねに可哀想なお話が底流に流れる。
 子どもの頃、ぼくは「鉄腕アトム」を読んでどこまでその悲哀を感じていたかをおぼえていないが、半世紀経って読んでみると、それぞれの場面は印象的な絵の中に記憶されていた。文庫本で復刊される際に、手塚治虫が当時を振り返って回想する2ページほどのマンガをつけ加えたものを見ると、当時あまりに忙しかったので、台詞とコマ割りだけ考えて書いた下書きを、他の漫画家に渡して背景などを描いてもらったという。つまり、鉄腕アトムは絵からまず描いたのではなく、先にコマの言葉ができていて、それを絵にしていったのだ。ふうん。石巻の高校生で「漫画少年」に投稿して注目された石森章太郎にも、手伝いアルバイトを頼もうと手塚が電報して東京に呼び、下原稿を渡して描いてもらったら背景も動きも手塚流に完成した絵が来て驚いたという。つまり、「鉄腕アトム」にはいろんな漫画家が手伝っていたのだ。
 それが昭和の30年代、それに続く椎名町「トキワ荘」の時代もいまやレジェンドであるが、ぼくはそのすごく近くで育った。懐かしい。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-06-29 23:51:40
書かれたのは、10年前ですが、見つけたので私の感想を書かせて頂きます。
漫画の鉄腕アトムの話は、懐かしいです。特に、この火星探検の巻のヒトデのような宇宙人は印象に残っています。また、部下のケチャップ大尉の偏見に苦しむアトムには悲哀を感じました。同じく火星に居るレンコーン大尉の妹のキャーペットの同行を許す訳には行かない隊長の立場に苦しむアトムにも。
私の場合は、アニメの前の実写版鉄腕アトムが、漫画と相まって懐かしいです。
実写でも火星探検の巻が一番好きです。流石に、宇宙人は、人間と同じような体型でしたが。
実写でも、アトムが偏見に苦しむ悲哀が描かれていました。
他の少年ヒーローには無い手塚先生ならではの設定だったと思います。
実写は特撮黎明期の作品だったので、漫画以上に、インパクトが有りました。後期のアトムの衣装が漫画と相当に違っていたのにも驚きました。漫画のアトムは、海水パンツのようなパンツにブーツでしたが、少年に、この格好をさせる訳にも行かず、レオタードのようなつなぎにタイツを穿き、ヘルメットを被りブーツを履いていました。
アトム役の少年は脚が長く、よく似合っていたと思いますが、小6だったので、後年「タイツ姿は恥かしかった」と言われています。
火星探検の巻では、実写のアトムも軍服を着ます。
これがまた、漫画とは全く違う軍服で、短い丈の飾緒のついたジャケットだけの軍服で、何と、ズボンは穿かず、下半身はタイツだけで、これも、漫画との違いに唖然としました。これは、実写アトムをスタイリッシュに見せる工夫だったと思います。
特撮黎明期の昭和サブカルチャーと言う訳ですが、これがかっこ良く、大変な人気となりました。スタイリッシュな軍服姿で、ロボットへの差別に悩む悲哀が、実写でうまく演出できていました。単に強いだけよりも、悲哀が共感を呼ぶ実写アトムでした。
手塚先生の作品は、実写でも悲哀を感じさせる社会派的な面もある物になっていたと思います。
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