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静かに終わった20世紀の演劇?

2014-12-04 13:14:21 | 日記
A.国政選挙と日本経済の可能性について、ね?
 衆議院選挙が始まったのに、世間の表の風景はいっこうに無関心に見える。実際、誰も選挙のことなど話題にもしない。その結果、いちはやくメディアが流す予測は、自民圧勝、単独で国会3分の2を制して安倍自民党が長期政権になると言いはじめた。集団的自衛権行使容認も特定秘密保護法も中韓との外交問題も、そして憲法問題も阿部首相の思惑通り、この選挙の争点にはならず、野党をさらに弱体化しておいて国民に支持されたと、あとはさらに好き放題の暴走を始めることは目に見えている。
 それにしても、国民は相変わらず「別に政治など誰がやってもたいして変わらない」と思っている人は投票に行かず、他方で、あの期待外れの民主党政権に比べれば、安倍さんは少なくとも景気を良くして企業は儲かっているというし、これから庶民の生活もよくなるだろうと、知り合いに頼まれたから投票に行って自公に入れるのだとすると、もうこの国は近いうちに自壊して終わるのかもしれない。選挙の表の争点は、消費税10%上げの延期と経済再建つまりアベノミクスの評価だというが、この時間稼ぎは、アベノミクスによる日本経済の見通しをどうみるかにかかわっている。ある経済学者の意見が昨日の新聞に載っていた。

小林慶一郎 慶応大学教授「財政再建への具体的な道筋とは」
「景気に配慮して消費増税が先送りされ、その判断について国民に信を問おうと、衆院選が行われます。まずは先送りの判断の是非がポイントでしょう。
 財政再建という長期的な問題への対応を、目先の景気に基づいて決めてよかったのか。仮にそれはよいとしても、7~9月期の国内総生産(GDP)の1次速報で判断してよかったのか。1次速報では成長率は年率マイナス1.6%でしたが、統計のクセを考えると今後、上方修正の可能性があります。
 消費増税の先送りについては野党各党もほぼ同意しています。それでは財政再建はどうするのか。財政再建の旗はおろさないと言った安倍首相は、どこまで強い決意を示すのか。野田政権時代に社会保障と税の一体改革をやろうと言っていた民主党を中心に、同じような改革を進める勢力を結集できるのか。むしろ増税反対論が野党で強まるのか。注目しています。
 消費税率を10%に上げても財政再建はできません。10%への増税の後、歳入の増加をどう進めるのか、どの分野で歳出を削るのか。見通しを示すよう、有権者は各党に問うべきです。
 財政再建は実は、アベノミクスの「第1の矢」である大胆な金融緩和と密接な関係があります。現在、日本銀行はマネーを潤沢に供給するため、政府が発行する国債をほとんど無制限に買っている状態です。この政策をやめようとすると、マネーの供給量を減らすために、国債の買い入れをやめる、さらに保有している国債を売るという状態に、日銀はなります。
 そうした時に、市場参加者が財政再建を信用していれば、日銀に代わって国債を買うでしょう。それなら軟着陸できます。しかし国債を買う人がいなければ、国債価格は暴落して金利が急騰します。それを避けるために日銀が買い続ければ、今度は通貨の信認が失われてハイパーインフレが起きます。
 財政再建が国民や市場に信用されない限り、「第1の矢」の出口はないわけです。
 アベノミクスで意外だったのは、円安による景気刺激効果が小さいことです。日本経済が製造業で稼ぐモデルから、過去の海外への投資から得られる収益で生きるような成熟した債権国に変りつつあるということでしょう。円高だと、国際的に比較した場合に日本人の賃金が高くなるので国内の仕事は減りますが、国全体としての購買力は高まります。円安になれば外貨建てで見ると賃下げするのと同じですから、仕事はたくさん生まれます。国民全体が貧しくなって、仕事を分け合うという構図です。
 しかし、いったん海外に出た生産が国内に戻るには時間がかかります。それまでは円安のマイナス面ばかりが目に付き、批判が起きます。痛みを感じている人に、どこまで痛み止めを与えるのか。所得の低い人への手当てをどう手厚くするのか。再分配政策にどう目配りするのかを考えなければなりません。
 「第1の矢」でデフレから脱却すれば、経済は持続的によくなるというわけではありません。それは時間稼ぎです。規制改革で産業の構造をもっと強くしなければなりません。企業統治改革で企業に生産性の向上を促し、経済全体の生産性を上げることも必要です。成長戦略の具体案も各党は示すべきです。(聞き手 論説委員・子棟勇一)」朝日新聞2014年12月3日、朝刊「オピニオン」欄。

 小林氏が言うように、黒田日銀がやった大胆な金融緩和、つまり「第1の矢」は、次の「第2」「第3」を導かなければ、財政や雇用に致命的な痛みを与えるリスクがあった。アベノミクスは静かに冷え込んだ池に滝のようにマネーを流し込んで、投資と産業の活性化を呼び込む一持的なカンフル剤で、その原資は泡のごとき成長への期待でかき集める借金であり、再び短いバブルが来てもそのあとは恐ろしい破綻がくると思われる。そのときはもう安倍は辞めているから、憲法を早く変えて名を残したい、という権力者は過去も未来も考えていない。経済再建策や国民生活向上は結局、道具に過ぎないのだろう。



B.静かな演劇の再来
 このところ、扇田昭彦『日本の現代演劇』岩波書店をずっと読んできたのだが、前書きで書かれているように、60年代状況劇場に端を発するマイナーな小劇場演劇が、さまざまな作品と運動を展開しながら、80年代にメジャーな舞台で注目を浴び、この本は最後に90年代の「静かな演劇」に触れて終わっている。扇田氏が同伴者として見てきた芝居のうちでも、やはり60年代小劇場のところが最も思い入れも分量も多い。実は、日本の現代演劇というからには、歌舞伎や能、あるいは商業演劇は別としても、この小劇場系だけではなく、老舗の新劇や地方の演劇もしっかり活動はしていたので、そこに触れないのはもの足りない。とくに御三家(俳優座、文学座、民芸)の大手新劇団や劇団四季や雲などは、ひたすら批判の対象でしかない。だが、確かにそうなのかもしれない。 

「演劇・文化に実体以上のはなやかさと浮揚感を与えたバブルの祭りのあとの九〇年代には、当然、その反作用が生まれた。もっと演劇の基本に根ざした地点から演劇を再興し、再構築し、演劇の豊かさを回復しようという動きが出てきたのである。その動きは三つの流れに分けて考えられる。
 第一は、古典志向の流れである。これはすでに八〇年代から始まっていたが、新劇、商業演劇ばかりでなく、実験性の強いオリジナル路線をとってきた小劇場系の劇団も、シェイクスピア、チェーホフなどの古典劇を手がけるようになった。当時、シェイクスピア劇の上演ブームについて問われた蜷川幸雄がインタビューで、「オリジナルな作品が袋小路に入っているんだと思う。ひどく痩せ細ってきてる。その時に、古典に戻って、(中略)観念や演劇観そのものも含めて問い直すことをせざるを得ない。疲弊してるんだと思うよ、現在が」(「いまなぜかシェークスピア」)と語ったのは示唆的である。流山児祥構成・演出『流山児マクベス』(八八年初演)、川村毅潤色・演出『マクベスという名の男』(九〇年初演)、出口典雄演出『夏の夜の夢』(90年)、チェーホフやソーントン・ワイルダーの劇世界を軽妙に現代の日本に置き替えた、松本修(一九五五年~)主宰の演劇集団「MODE」(八九年結成)の『逃げ去る恋』(八九年)、『私が子どもだったころ』(九二年)などがここから生まれた。
 第二は、物語回帰の流れである。ウェルメイド路線もそのひとつで、英米のウェルメイド・プレイを上演する加藤健一事務所(八〇年結成)や、『12人の優しい日本人』(九〇年初演)など才気に富む上質の喜劇を送り出した劇作家・三谷幸喜(一九六一年~)が主宰した劇団「東京サンシャインボーイズ」(八三~九五年)はこの流れの中にある。
 物語回帰のもう一つの系譜は、「失われつつある物語の復権」を歌う劇団「新宿梁山泊」(八七年結成)である。状況劇場出身の演出家・金盾進(キムスジン:俳優としての名前は金守珍。一九五四年~)、俳優の六平直政、黒沼弘巳、黒テント出身の劇作家・鄭義信(チョンウイシン:一九五七年~)、女優・金久美子(キムクミジャ)らが作ったこの劇団は、六〇年代以降の小劇場演劇の直系である。彼らが九〇年に初演した鄭作、金演出の『人魚伝説』は、海を渡ってきた人々が作り出す「街の伝説」をわきたつエネルギーと叙情的なノスタルジア、強い物語性で描いた。この作品はその後、ドイツのエッセン(九一年)、上海(九二年)、韓国のソウル(九三年)でも上演された。在日韓国・朝鮮籍のスタッフ、俳優が日本人のメンバーと共同作業をするこの劇団は、日本の現代演劇における多元文化的な新しい流れを代表する。九四年、彼らは紫テントを新調し、しぶとく「アングラ演劇」をやり続けている。
 強い物語性と社会批判が同居する硬派の劇を作りつづける劇作家・坂手洋二(一九六二年~)が率いる劇団「燐光群」(八二年結成)も、「物語回帰」の流れに位置づけることができるだろう。八〇年代以降の小劇場演劇は、全体に歴史性と社会批判性が薄れ、日本の現実に正面から向かい合う姿勢が弱まった。だが、「転位・21」出身の坂手はそうした流れに抗して、『トーキョー裁判』(八八年)、『危険な話』(同)などを発表し、東京のゴミ問題に取り組んだ『ブレスレス』(九〇年)で第三十五回岸田戯曲賞を受賞した。その後も、マイノリティーとしての日本のレズビアンを描く『カムアウト』(八九年)、元クジラ捕りの兄弟の軌跡を描く『クジラの墓標』(九三年)、ラフカディオ・ハーンの生涯を追う『神々の国の首都』(同)など、意欲的な上演活動を展開している。」扇田昭彦『日本の現代演劇』岩波新書、1995.pp.241-243.

 いまは鄭義信、坂手洋二、平田オリザの書く芝居も、新国立小劇場でとり上げられるようになっている。ぼくも下北沢の「ザ・スズナリ」や駒場小劇場、あるいは吉祥寺などで何度か見ている。確かに、それ以前の絶叫型で跳ね回る演劇とはちがって、動きも科白の音量も小さい。日常性場面のドラマでありながら、そこに現れるテーマやメッセージはときに政治的で社会的な深度をもっている。なるほどと思った。

「第三の変化は、小劇場でよく見られる絶叫型の発声法やおおげさな芝居がかった演技を排し、日常を抑制したタッチでリアルに描く「静かな劇」の系譜である。劇作家の岩松了(一九五二年~)、「遊園地再生事業団」(九〇年結成)を主宰する宮沢章夫(一九五六年~)、劇団「青年団」(八二年結成)を率いる平田オリザ(一九六二年~)らの劇は、にぎやかな笑いとスピードで彩られた八〇年代の小劇場とは違う世界を作り出した。それはバブル崩壊後の不況でだれもが足元をみつめざるをえなくなった等身大の生活感覚に対応している。
 岩松了は劇団東京乾電池のために町内の人々の日常を淡々と描く「町内劇シリーズ」三部作(『お茶と説教』=八六年、『台所の灯』=八七年、『恋愛御法度』=八七年)を書いて反響を呼び、『蒲団と達磨』(八八年)で第三十三回岸田戯曲賞を受賞した。さらに彼は東京乾電池プロデュース公演『アイスクリームマン』(九二年初演)、「竹中直人の会」で作・演出した『こわれゆく男』(九三年)、『月光のつつしみ』(九四年)などで、なぞめいた緊迫感をたたえた異様な日常をコミカルな感覚で描いた。私の問いに対して、「今はおおげさなことをやるよりも、おおげさじゃない劇を書く方が攻撃的になれる。かつては唐十郎のような芝居が攻撃的になれるが、今は劇作術としては隠す方が攻撃的になれる」と語る岩松のことばは、劇作術の転換をよく物語っている。
 『ヒネミ』(九二年)で第二十七回岸田戯曲賞を受けた宮沢章夫は、九四年初演の『砂の国の遠い声』では砂漠を監視する男たちの日々を不気味なリアリティーで描き出した。
 『ソウル市民』(八九年)、『S高原から』(九一年)、『さよならだけが人生か』(九二年)、『東京ノート』(九四年)など平田オリザが作・演出する青年団の舞台では、俳優たちはごく日常的なせりふをささやくように語る。平田は演劇における主観的表現を後退させ、事物のリアリティーを優先させる。平田は書いている。
 「演劇はコップをコップとして見せることだけをすればいい。それが唯一、現代演劇に許された作為である。そこには主観は存在しない。もしくは主観は巧妙に隠される」(「演劇の無を求めて」)
 彼らより年長の世代で、六〇年代から「静かな劇」を作りつづけてきた劇作家に別役実と太田省吾がいる。この「静かな劇」の系譜について別役は、「長い視点で言うと、これは岸田國士など、近代劇の中の写生劇の伝統を汲むオーソドックスな演劇の流れだと思う」と語る。また太田は、「従来の劇的というものに疑問をもつ作り手が増えたためだ。ここから西洋型の演劇とは違う日本型の演劇が出てくるのではないか」と見る。
 いずれにしろ、六〇年代と九〇年代の劇作家たちをつなぐこの「静かな劇」の流れは、小劇場演劇の表現形態そのものに対する反省作用として注目に値する。」扇田昭彦『日本の現代演劇』岩波新書、1995.pp.243-246.

 シェイクスピアやチェーホフ作品の普遍性にいかに現代的な表現要素を加えるか、は世界的な流行でもあるが、蜷川流、流山児流、それに音楽劇的な井上ひさし流など、ある意味では百花繚乱のメジャー路線に対して、「静かな劇」の方向は、小劇場演劇がぐるっと一回りして、一度否定したはずの近代演劇のクラシック、スタニスラフスキー・システムとチェーホフに回帰するのかもしれない、とちょっと思った。
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