gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

ケネス・クラーク「ザ・ヌード」を読む 4 メルケル母さん

2017-09-09 13:32:40 | 日記
A.ケネス・クラーク「ザ・ヌード」を読む 4
 日本に生まれ育ったぼくたちは、西洋と東洋、ヨーロッパ白人文明vs.日本伝統大和文化という2項対立で考えてしまうのだが、固有の日本文化といっても古代・中世・近世のそれぞれが中国や外国の文化的影響を吸収し変形してきたわけで、それは西洋についても同じようなことがある。ただぼくたちは、西洋の文化をまずキリスト教というものから成り立つと教えられるので、すべては十字架のキリストの神から始まっていると考えてしまうのだが、よく注意してみると、キリスト教が始まったのは西暦紀元以後である。それ以前はイエスの出現も聖書も当然ないわけだから、キリスト教とは別の文化があったということを知識としては知っている。古代ギリシャのヘレニズム文化。だが、具体的にそれがどういうものか、日本人はあまり考えたことはない。ギリシャ神話にも神様ゼウス(ラテン語名ユピテル、英語名ジュピター・なぜか木星)がいるのだが、キリスト教の唯一神とはえらく違って、自分勝手で好色で無節操な、ひどく人間的な神様である。そこに美しい女神ウェヌスが登場する。
 クラークの裸体論は、まず男性の裸像としてのアポロンをとりあげて論じ、次に女性の裸像の典型としてヴィーナスをとりあげている。英語でヴィーナスは、ローマ神話の愛と美の女神ウェヌスVenusのことで、本来は囲まれた菜園を司る神だったが、やがてギリシャ神話におけるアプロディテと同一視されて、愛と美の女神になった。一般には半裸或いは全裸の美女の姿で表される。ウェヌスに帰せられる神話の元のアプロディテは、ウゥルカーヌスの妻だが、マールス、メルクリウス、アドーニス、アンキセスたちとのロマンスが伝えられている。このうちのアンキセスとの間の子アイネイアースはローマ建国の祖にして、ガイウス・ユリウス・カエサルの属するユリウス氏族の祖とされた。ここからカエサルはウェヌスを祖神として、彼女を祀る為の壮麗な神殿を奉献したという。 また、カエサルの祖神として軍神ともされた。
ラテン語でウェヌスは金星を指し、これはギリシャでアプロディテが金星を司るとされたことに由る。また、ラテン語で金曜日はdies Veneris(ウェヌスの日)であり、多くのロマンス諸語で金曜日はウェヌスに由来する。近世以降は女性名にも使われるようにもなった。また、マールスが「戦争」「武勇」「男性」「火星」を象徴するのに対してウェヌスは「愛」「女性」「金星」の象徴として用いられることも多い。性別記号で女性は「♀」と表記されるが、本来はウェヌスを意味する記号だという。
それがルネサンス以降、女性の美を象徴する画像や彫刻の代名詞としてヴィーナスが、広く知られるようになった。

「プラトンはその『饗宴』の中で来客のひとりに、ヴィーナスには彼流のよび方で言うなら天界のヴィーナスと俗世のヴィーナスの二種があると主張させている。後年に与えられた肩書きで言うなら、「天上のヴィーナス」(Venus Coelestis)と「自然のヴィーナス」(Venus Naturalis)がいるわけである。ふと口にしたこの喩えは、人生に深く根ざした感情を象徴的に表わしているため、その後も決して忘れられることがなかった。中世とルネッサンスの哲学ではそれが自明な根本命題となって、女性裸体の存在理由を正当化している。太古より、肉体的欲望という人間につきまとい悩ます非理性的本性は、イメージに救いを求めて来た。 そしてこれらのイメージに形式を与え、それによってヴィーナスを低俗なものから天上的なものへ高めることがヨーロッパ芸術のつねに立ち還る目標のひとつとなって来た。目的の実現に用いられた手段は、シンメトリー、計量、ならびに従属関係の原理であり、そのどれもが個々の芸術家の個人的情感に洗練を加えた。とはいえ、女体に関する何からの抽象的概念が地中海人の胸に最初から宿っていなかったら、ヴィーナスの純化など起こり得なかったであろう。先史時代の婦人に関するイメージには二種類あって、そのひとつ、旧石器時代の洞穴から出たふくらんだ小像では、単なる豊饒の象徴と言えるまでに女の属性が強調されている。もうひとつのキクラデス群島の大理石人形では、本来不規則な人体に幾何学的な統制がすでに加えられている。プラトンの例に習うなら、これらを植物的ヴィーナスと結晶的ヴィーナスとよぶこともできるであろう。この二つの概念は以後けして完全に消滅することはない。しかし芸術が法則の適用を伴うものである以上、二つのヴィーナスを区別する相違は、きわめてわずかなものである。そして相互にまったく似ていない場合でも、相手の性格を幾分か帯びている。「思索とその永遠性との透明な海から生まれ出た」ボッティチェルリのヴィーナスも、研ぎすまされ、緊張した官能をひめているし、植物的豊饒を象徴する豊角(コルヌコピア)のごときルーベンスのヴィーナスも、なおイデアの世界に憧れを寄せている。プラトンは彼が言う二人の女神を母と娘だとしたが、ルネッサンスの哲学者たちはもっと鋭敏に感覚を働かせて、ふたりが双生児であると認知した。
  十七世紀以後、女性裸体像は男性のそれよりもノーマルで魅惑的な主題のように考えられている。だが本来はそうでなかった。ギリシャに紀元前六世紀の作とされる女性裸体像はなく、五世紀にもなおきわめて稀である。このように少なかったことについては、宗教的理由と共に社会的理由があった。アポロンの裸形は波の特性の一部をなしていたのに対し、アフロディテは衣をまとっていなければならぬとする古い儀式の伝統と禁忌が、明らかに存在していたからである。彼女が海から生まれたとかキプロス島から到来したとかいう伝承には、真実が含まれている。なぜなら、はだかのヴォーナスとは東方的な概念であって、初めてギリシャ美術に現われた際、彼女は自分の出生を明示する形状をとっていたのである。ミュンヒェンの青銅鏡の柄をなす人物は、エジプト人のように直立して細く、後に古典的ヴィーナスを構成するはずの曲線的体系を何ら暗示するところがない。紀元前四世紀になってもなお、はだかのヴィーナスは東方の信仰と厄介に結びついていたし、プラクシテレスのモデルだったフリュネーが聖職者側の不満の対象となったのも、道徳的な理由というよりは、彼女の肉体美が異端への誘因となると思われたためである。社会的に見ても、同じような強い拘束があった。若い男が体育のため衣をとって素裸になり、またふだんでも短い衣しか着けていなかったのに対して、ギリシャン女たちは頭から足まで重々しく衣をまとって歩き、家事だけにいそしむのが慣わしとなっていた。ただスパルタ人だけは例外であった。スパルタの女たちは太腿を人目に曝したり体育競技の試合に出たりして、他のギリシャ人の顰蹙を買った。ヴァティカン所蔵の女性競争者は、きっとスパルタ人にちがいない。われわれはまたピンダロスの頌詩(オード)やプラトンの対話篇であのように熱烈に讃美されたギリシャ生活の独特の慣習、つまりふたりの青年の間に交わされる愛は異性間の愛よりも高貴であり自然であるとする慣習を、無視することができない。理想美が生まれるのは情念の熱心な吟味検討からであり、したがってクオリティスの青年像に匹敵する女性像はないのである。初期の壺絵に見えるはだかの女の珍しい線画は、滑稽なほど非理想的であって、例えばベルリンの黒絵式壺でシャワー・バスをたのしんでいる女たちは、プラクシテレスのそれよりもサーバーの永遠な女性像に近い。紀元前五世紀も半ばになると、酒盃の女性像はもっと魅力的な存在となった。この女たちは、自分の肉体的魅力を財産としているレディであって、疑いもなく画家たちは彼女らを能うかぎり趣味よく快活に見せかけようとしている。とはいえ彼女らは清長の版画に見える日本の同業者と同様に、理想化されてはいない。偶然に生き残った小芸術のなかでこの点最も啓示的なのは、ルーブル美術館にあるテラコッタの人形であろう。これはもともと着物をきせるつもりだったので、作者の彫刻家は生の人体がもつ不完全で不規則な要素を少しも除去せずここに残した。紀元前五世紀のギリシャではごく卑しい職人すら、いかに意のままに観察し得、真実と物の実体とを把握し得たかを、この小像は語ってくれる。
  以上が、ヴィーナスに至る短くまとまりのない序章である。そこでは、生命力の証とか肉体的魅力への感覚が含まれているとは言え、究極的な形態の追求、つまりわれわれの定義でいう裸体像の基盤をなすものがまったく見られない。しかしながらテラコッタ人形が作られたと同じ時期に、一方でイシスの巫女と思われる裸体少女のブロンズ像がつくられていた。髪を束ねているこの巫女像はたしかに傑作であったにちがいない。というのも大理石による二つのレプリカが現存しているからで、そのうち《エスクィリーノのヴィーナス》の名で知られるローマの像の方は毀損が少なく、これに対してルーブルのトルソの方はより生気に溢れている。大理石に移す際、原作の統一性を失わなかった。現存する証拠から推して、これらの像からさして遠からぬ以前のどこかに、女性裸体像の創造者と見做さるべき、ある個性的な芸術家の作品が存在していたことは明らかである。だがそれだからといってエスクィリーノの少女が女性美の深化した概念を表わしているというわけではない。彼女は丈低く角ばっていて、骨盤はせり上がり、小さな乳房は互いに遠く離れ、今日なお地中海地方の田舎に行ったら見られそうな、ずんぐりした小さな百姓女である。マイヨールはこのような女性なら故郷バニュルスの町だけでも三百人は見られると言い張っていた。都会出身の彼女の優美な姉妹らは、その太い足首やさらに太い胴まわりに、優越的な微笑を投げたであろう。だが彼女はがっしりとして好ましく、緊密で、均衡がとれている。事実彼女の比例は単純な数学的尺度にもとづいて割り出されていて、その計量の単位は頭部にある。彼女の丈は七頭身あって、両乳房間が一単位分、乳房から臍までと、臍から腿のつけ根までがそれぞれ一単位の長さをもつ。こうした計量基準は、すでにデューラーについてみたように、誤解を招きやすい。それよりもっと大切なのは、女体の造形の本質的要素と呼び得るものを作者がここで発見している事実であろう。やがて乳房はもっと豊満な円弧を描くであろう。だが基本的にはこれが、十九世紀の末まで古典的な心をもった芸術家の人体観察を支配し、現代に至ってルノワールが新鮮な生命力を与えることとなる人体の建築なのである。」ケネス・クラーク『ザ・ヌード 理想的形態の研究』ちくま学芸文庫、高階秀爾・佐々木英也訳、2004.(原著1956)pp.122-130.

 ぼくは毎週一回スポーツクラブに行って、筋力トレーニングと6kmランニングをしているのだが、そこに来ている人を見ていて二種類あると思った。ひとつは、運動はそこそこ適当にやって、主目的は若いインストラクターや一緒に会員になっているお友達と、楽しくおしゃべりをすること、つまり暇つぶし派である。もうひとつは、自分の体型を維持し、年齢加齢に抗い自分の身体が表現する理想の自分を手に入れようと必死で汗をかく、ストイックな若き身体へのアガキ派である。肉体は負荷をかけて鍛えれば筋肉は盛り上がり、運動神経は鋭くなるが、何もせずに楽をして食べて寝ているだけでは余計な肉がつき、健康にも悪影響が出てくる、と思い込んでいる現代の有閑階級は、お金を払ってスポーツクラブで汗を流すわけだ。
 そこでぼくたちは、「望ましい身体」についての明確なイメージをもっている、とすればどんなものだろう?均整のとれた贅肉のない鍛えられたアスリートの姿は、「望ましい身体」のモデルだろうが、それも男性と女性ではどうも違いがある。そして「望ましい身体」を獲得しようとすれば、かなり努力してダイエットしなければならないのが現代なのだ。しかし、そんな無理をしてまで身体にこだわる必要はない、と思えば、むしろそのような「望ましい身体」を美術品として鑑賞し、さらにそのような身体をもつ人間を所有してしまえばいい、と考える権力者も出てくる。



B.長持ちのする政治家について
 政治家の価値は、科学者や職人技術者のようにある特殊な専門技能をもっているとか、役者やお笑い芸人のように人に見てもらってなんぼ、という評価では計れない。選挙に勝つにはそれなりの経歴や財力も必要だし、個性的なルックスや表現力も求められ、さらに道徳的な人格とか確固たる信念も求められる。そんな完璧な人間がいるわけもないから、政治家をめぐる愚劣なスキャンダルもときどき露わになる。そこで単純に、政治家の価値をどれだけ権力の座にいたかの長さで見る、というのもひとつの尺度になるかもしれない。
 歴史上有名な政治家でも、10年最高権力者の地位にいた人は多くない。リンカーンやケネディは途中で暗殺されてしまったし、レーニンやゲバラは志を遂げずに斃れ、後を継いだスターリンやカストロは長生きして権力をふるった。ヒトラーは首相になって独裁者を12年続けて破滅したが、国民は一時彼を英雄として持ち上げた。
大統領や首相は選挙で選ばれるから、国民に不人気なままでは次の選挙で落とされる。長期政権を維持して権力の座に留まるには、デモクラシーを制限するしかない、と考える権力者は強権政治に走る。北朝鮮やアラブの王国なら可能かもしれないが、いちおう民主的な選挙のもとで選ばれる政治のトップで、いま10年以上の長期政権を維持しているのは、ロシアのプーチンと、統一ドイツで2000年にCDU党首、2005年にSPD・緑の党と連立して首相になったアンゲラ・メルケルしかいない。まもなく行われるドイツ総選挙の結果次第では、メルケル政権の帰趨はわからなくなるが、東独出身で保守政党CDU(キリスト教民主同盟・バイエルンのDSUも含む)の幹部になったころは、先頃亡くなったヘルムート・コールの「鉄の娘」Eisernes Mädchenと呼ばれた彼女は、いまやドイツの母さんと呼ばれるまでになっている。

「共感で動く現実路線の「母」:多和田葉子のベルリン通信
 確かオバマが大統領になって間もない頃のことだった。ニューヨークの出版社からこんなメールが届いた。「私どものビルには銃を持って入れないことになったので、次回お越しの際にはピストルなどは自宅に置いてきてください」。何かの冗談かと思ったがそうではなく、アメリカが銃を持たない社会に変わろうとする最初で最後の徴候だった。政権が交代してからは、「次回お越しの際はまた銃をお持ちいただけます」というメールがいつ届くかと気が気でない。
 アメリカの大統領は自分一人で国を変えられそうな勇ましい演説をするわりに力がない。それとは対照的にドイツの首相アンゲラ・メルケルは黙ってどんどん国を変えていった。女性政治家は、強ければ鉄の女、魅力的だと娼婦、生真面目なら処女などステレオタイプの渾名を付けられ、なかなか微妙な表情が見えてこない。メルケルの場合、若い頃はコール首相のメートヒェン(女の子)と呼ばれていたが、いつからかムッティ(母さん)という政治家としては悪くない渾名が定着した。
 彼女の政権下でドイツは変わった。まず、半世紀以上も続いた一般兵役義務がなくなった。徴兵制は人権侵害なので反対者は昔から多かったが、冷戦が終わってもなかなか廃止されず、弟が中東の戦争に駆り出されて殺されるのではないかと私の友達などはいつも心配していた。
 徴兵制廃止が決まった2011年の3月、メルケルは福島原発事故のニュースを深刻に受け止め、脱原発を宣言した。そして15年には多数の難民を受け入れた。すべての原発をすぐに廃炉にすることも、すべての難民を受け入れることも難しいので、政策は現実的なバージョンに変ってはいったが、正義漢と共感につき動かされたメルケルの決断の速さは、右寄りの政治家たちを動揺させた。なにしろ彼女はドイツ最強の保守勢力であるキリスト教民主同盟の党首なのだ。
 今年になって更に驚きのパフォーマンスがあった。キリスト教民主同盟は昔から同性婚には絶対反対だった。メルケルは6月末にベルリンのゴーリキー劇場で行われた女性誌主催のイベントで聴衆からの「僕は一体いつになったらパートナーを夫と呼べるようになるんですか」という質問に対し、この問題を国会にかけることを約束し、夏休み前には多数決で同性婚の合法化が決まった。メルケル自身は反対票を入れたことを強調した。同性婚を認めなければ他の党に連立政権を断られるし、同性婚に賛成すれば自分の党に見放される。そんなジレンマの中でメルケルは権力を失いたくなかっただけなのか。それとも、すべての人に結婚する権利を与えたいと内心思っていたのか。どちらも本心で、一石二鳥を狙ったのではないかと私は思う。
 メルケルの父親は「赤い牧師」と呼ばれ、東独から西独に逃げる人の多かった1950年代半ばに、西独のハンブルクから東独に移住した。アンゲラは社会主義の中で育ち、物理学の博士号をとり、ドイツ統一によって西側社会を知った時にはすでに35歳だった。
 今月の総選挙での対立候補は社会民主党党首のシュルツだが、保守のメルケルにリベラルな左翼の役を奪われ、輪郭がぼやけがちだ。彼は欧州議会議長を務めていたので、庶民の生活感覚の分からないEUの幹部だと誤解されたくないのか、自分が大学進学に失敗してアル中になった話や、苦労して本屋の資格をとり、書店や出版社で働いていた経歴を好んで話す。学歴詐称が蔓延る政界で、彼のプロフィールには好感が持てるが、等身大過ぎて、どこか頼りない。
 メルケルは言論の自由を弾圧している国家と仲良くしすぎるという批判をよく受ける。しかし元共産圏やイスラム圏の政治家を頭ごなしに否定したり、下に見たりしないので、相手にも受け入れられ、対話が途切れない。潔白な民主主義者から見たら濁りのある外交かもしれないが、国の代表者が武器で脅し合うのでなく、話し合いを続けてくれた方が私たちは安心して暮らせる。」朝日新聞2017年9月8日朝刊30面、文化・文芸欄。

 女性政治家、という存在はもう珍しいものではないが、その実績と影響力の点で、先進国のトップではサッチャーとメルケルは歴史に残るだろう。大保守政党の党首で国家の方向を変えるような大きな仕事をしたのは、単に選挙に強かったとか有能だったとか、人格が優れていたとか、女だったからというわけではなく、泥にまみれる複雑な政治の世界で、やはり他の凡百の政治家にはない独自の姿勢と見識を、ここぞという場面で発揮したからだろう。しかし、これからメルケルがどうなるか、まだ現役だから評価は決まったわけではない。
 いずれにしてもわが日本のA首相は、長期政権を目指してやってきたわけだが、自らのぼろを出して黄信号がともって、これだけは悲願!の改憲を強行すれば、不名誉な最期を迎える可能性は高い。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ケネス・クラーク「ザ・ヌー... | トップ | ケネス・クラーク「ザ・ヌー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事