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三浦つとむ「芸術論」8でおわり。官僚の愚!

2019-03-31 13:30:46 | 日記
A.潮の変わり目がどこだったか?
 三浦つとむ『芸術とはどういうものか?』を読んでみたのだが、このへんで次にいこうと思う。とりあえず、区切りとして感じたことは、この本が書かれた1965年は、日本の思想的潮流が大きく変わった転換点だったのかもしれない、ということだ。当時は「民科」(民主主義科学者協会)という組織があって、これはマルクス主義の立場にたち共産党を前衛とする運動を、学者科学者としてすすめる人びとで作られていた。三浦もそこに加わっていたが、1950年に出たスターリンの言語論を批判した言語学者時枝誠記を擁護したために、教条的なマルクス主義者たちの攻撃にさらされ、論文の掲載を拒否されたり共産党を除名されたりした。三浦はもともと大学には行っていない独学の人で、彼はこの孤立から独自の言語学・芸術学・哲学・マルクス学を構築した。
「戦後」と呼ばれる時代をどこまでにするかによるが、1950年代は冷戦構造を背景に、国内でも日米安保に頼る保守政権と、ソ連を盟主とする反米左翼が政治的にも思想的にも対立を深めていた。今ではとても考えられないが、ソ連の指導者スターリンがなにか発言すると、それがただちに世界の共産党の方針を左右し、左翼運動家は一生懸命「学習」してそれを支持しないと、「異端」「反革命」のレッテルを貼られて排除されるという状況が蔓延していた。このことの病理性は、政治運動一般にありうるだろうが、日本の戦後の場合は、なぜマルクス主義左翼が一定の力をもてたのかを考える時、敗けた戦争への人びとの記憶が強く働いていたことを抜きにできない。つまり戦争中のさまざまな悲劇的出来事を体験した圧倒多数の日本人は、戦後の時代をどう生きるかをゆっくり考える余裕はなく、とにかく生き延びるために働いた。少し生活の先が見えるようになった50年代に提示されていた未来へのプログラムが、「社会主義革命」だった。
  なにしろ戦前に唯一戦争に反対して獄中非転向を貫いたのは共産党だけだったし、世界のあっち側にはソ連を中心に東欧や中国など社会主義国がひろがって、新しい実験を進めている。日本も近いうちに社会主義革命が起こって、貧困や社会の矛盾が解決されるはずだ、という宣伝に心を奪われる人は少なくはなかった。それは大学生やインテリ層に多かったけれど、今よりはおおきな広がりがあった。しかし、ソ連が発する世界革命の方針は、各国の実情を無視していたし、スターリンが死ぬと大幅に変わった。日本の共産党はこの路線変更に振り回され、内部対立から次々と離反者を出し、1960年ごろには左翼の中心とはいえなくなっていた。左翼を信じていた人々も、社会主義よりも資本主義の経済成長のほうが生活の未来を明るくするかもしれないと思い始めた。それでもまだ、1960年代は思想的にマルクシズムが「あるべき未来」のプログラムでありえた、ということを三浦つとむの本は示している。それから半世紀以上が経って、これが日本の歴史のある特殊な時代の遺物のようにも思えるが、いまの左翼のあまりに無残な消滅は、使い古されたテクノロジー・イノヴェーションによる経済成長以外になんの選択肢もなく、日本人の「来たるべき未来像」を考えることすら放棄した現在を、逆照射するように思える。

 「分化ということは、綜合芸術でなくても起りうる。ジャズの演奏家がダンスの伴奏をいやがって、甘いムードの音楽ばかりやらされるのはかなわない。もっとつめたい自分の表現したいことを独立した音楽として演奏しようという気持ちになるのも、やはり一種の分化の出発点である。連歌の発句が独立して俳句になるとか、前句付の中で一句でも鑑賞の対象になりうるものを選んで川柳が生れるとか、既成の形式がそれこそ分裂して新しい芸術の形式が出現することも起りうるのである。けれども、これまでは独立して用いられた形式が綜合されるとか、これまでは綜合して用いられた形式が分化し独立するとかいう場合には、とくに『伝統を破壊するもの』として大きな問題にされる傾向があった。綜合芸術へ参加するときには、独立を放棄して他の芸術に屈従し隷属する邪道を進むものであるかのように解釈されたり、分化を目ざすときには、これまでの協力を放棄して独善的に異端の道を志すかのように解釈されたりした。もちろん、世にもてはやされようとして目さきの変わったものを追っていく、邪道とか異端とかいう非難のあてはまる芸術家もないではないが、誠実な芸術家が精進を重ねる中で新しい道を切り開こうと苦闘する場合にも、頭のかたい先入観念にとりつかれている人たちはいっしょくたにして非難したり嘲笑したりしたのである。しかも、イデオロギー的な立場からの反対だけでなく、物質的な利害関係から仲間や先輩や師匠などがこれを敵視し妨害することもあったのである。
 芸術の歴史は、芸術における「綜合性」を一面的に礼賛することのまちがいと、おろかさを教えている。未来の社会においては、人間が人間としての自由をとりもどし、個性がそののぞむ方向に十分に発揮できるとすれば、自分の表現したいことを思うがままに表現する独立した作品がきわめて豊富かつ多彩にあらわれると予想してさしつかえない。綜合か分化かではなく、綜合も分化もともに発展して、芸術の華は生活のあらゆる面に咲きほこるにちがいない。
 現在の社会では、芸術家にアマとプロという区別がある。プロは芸術の創造に全生活をささげることができるから、自分をきたえて能力を高めるのに必要な時間にもめぐまれているし、必要とする道具や機械も十分にそろっている。アマチュアにはこのような条件が欠けているから、意欲があり才能があってもプロの巨匠といわれる人たちをしのぐ仕事をすることはむずかしい。全体として見ればやはりアマよりプロのほうがすぐれた作品をつくり出しているわけである。
 未来の社会を社会科学的に考えていくと、一定の職業についてその仕事に対して生活費を受けとるということはなくなると見なければならない。どんな労働をする人でも同じように生活が保障され、労働のありかたと生活費とが無関係になり、一生それにしばられる職業というもの自体が姿を消すと見なければならない。人間が頭とからだを使って働くのは、自分のやりたいことをやるときには楽しいし、また健康のためにも欠かせないけれども、自分のやりたくないことをやらせられたのでは苦痛であるばかりか、健康のためにも有害である。社会の階級分裂が克服され、物質的な生産力が飛躍的に高まっていくと、人間一人の労働時間は非常に短くてすむことになる。それゆえプロの芸術家であっても、散歩やレクリエーションのつもりで一人前の労働をすることができる。反対に、アマの芸術家であっても、これまでの職業のほうの時間が非常に短くなって、プロと同じように芸術創造のための時間にめぐまれ、必要とする道具や機械も手に入ることになる。それゆえ、現在の芸術家に見られるアマとプロという区別は、職業としても作品の質的なちがいとしても未来の社会では消滅すると考えなければならない。」浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011.pp.249-252.

 ここに語られている未来社会は、いまから見れば空想のユートピアにみえるが、マルクスを信じる三浦つとむからすれば、きわめて現実的唯物論的未来なのである。『芸術とはどういうものか』を読むと、「戦後左翼」が人民大衆に向けてきわめて明るい、楽観的な未来像を提示し、自分でもそれを信じていたように思える。しかも、それは当時の文化状況の最先端、現代の映画や演劇や美術に目配りしながらそれらを横断し「綜合化」する視野をもっていたと思う。ただし、三浦にはまだストレートでナイーフなマルクス理論の理解がいたるところで顔を出し、現実政治の光と闇を凝視するリアリズムには欠けるような気がする。その点で、補足的に、三浦と同時代同世代の評論家・作家の花田清輝をちょっと参照してみたい。花田は京大生の若い時から政治に関わり、戦後はマルクス主義左翼の理論家として前衛芸術論や文化運動をリードし、多くの評論や小説を書いた人である。三浦とは対照的ともいえる、博識多彩・饒舌技巧の煮ても焼いても食えない曲者だった。でも、花田の文章については次回。



B.嘆くほかない
 もうじき新元号が発表され、天皇も替わって、なんとなく新しい時代がやってきたような気分を、メディアは大宣伝するだろうが、昭和が終わった時のえもいわれぬ感慨にくらべ、今回はなにもとくに変るわけではないようにみえ、しかし、何かが変わっているようでどこが変わっているのかよくみえない、といった曖昧さがある。ただ、かつてこの国を支えているのは、政治家でも企業経営者でもなく、優秀な国家官僚だと言われていたことがあった。政治家は選挙があるのでせいぜい4、5年先しかみておらず、企業経営者はもっと短期の利益しか考えないのに対し、官僚は国家百年を見すえて冷静な政策と行政実務に徹する態度と能力を持っているなどと言われた。中央官僚の供給源は、東京大学など一流トップ大学の成績上位者で、広い教養と識見を備えたエリートだと外からは思われていた。それは今でも多少はそう思う人もいるだろう。しかし、先頃ときどき表面化する官僚の目に余る愚劣な発言や行為は、もはや官僚が優秀どころか、人間として愚劣に劣化しているとしか思えない。これは安倍長期政権で促進されたのか?

 「官僚劣化どこから? モラル喪失、差別的行為…新元号の発表が迫り、「新時代」を演出する政権の足元で、国政を支える官僚たちの暴走が目に余る。統計不正で揺れる厚生労働省の武田康祐元賃金課長は韓国・金浦空港で「韓国人は嫌い」と暴言を吐き、職員を蹴るなど大暴れ。日本年金機構世田谷年金事務所の葛西幸久所長は匿名でツイッターに「韓国人ひきょう」などと差別的投稿を繰り返していた。上が上なら下も下なのか。官僚たちの暴走はなぜやまないのか。(中山岳、大村歩)
 まずは今月十九日に韓国の金浦空港で起きたトラブルが記憶に新しい。私用で渡航していた厚労省の武田康祐賃金課長(当時)が空港職員に暴行したとして、現地の警察に現行犯で逮捕された。
 現地メデイアなどによると、搭乗口近くで職員が、武田氏から酒の臭いがしたとして搭乗を待つよう要請。すると同氏は英語で「韓国人は嫌いだ」とわめき、物を投げたり制止しようとした職員を蹴ったりするなどしたとされる。だがもっと驚かされるのは、逮捕された十九日、自身のフェイスブックに「なぜか警察に拘束されています。殴られてけがをしました。手錠をかけられ五人に抱えられ。変な国です」などと投稿したことだ。
 さらに二十日は「酔ってない。暴れたが相手には当たってない。韓国人が嫌いだと言ったのは政治的意図ではなく職員への怒り」と更新。釈放されて帰国した。厚労省は同日付の人事異動で官房付きとし事実上更迭した。
 ちなみに武田氏は、渡航前にも物議を醸していた。七日に最低賃金の全国一律化を目指す自民党議連の会合で、四月から外国人労働者受け入れ拡大の対象となる十四業種で一律化を目指す意向を突然、表明。直後に菅義偉官房長官が全面否定し、厚労省幹部が「労使で決めること」と釈明する事態になった。
 一体どんな人物か。賃金課長の前は、2015年から二年間、内閣官房一億総活躍推進室などにいた。そこで、安倍晋三首相が旗を振る「一億総活躍プラン」や「働き方改革実行計画」を策定。18年の厚労省の「総合職入省案内」にも登場し「安倍総理の強い想いを実現するため、厚労行政に深い経験・知識をもった厚労省の出身者と、新たな発想を持った他省庁の出身者が十分に議論し、実現可能かを厚労省の同僚と議論した」と語っていた。
 厚労省絡みなら、厚労相から委託を受けて年金行政をしている日本年金機構で今月下旬、発覚した「人種差別」も見過ごせない。世田谷年金事務所の葛西幸久所長(当時)が、匿名でツイッターに韓国人について「属国根性のひきょうな民族」「在日一掃、新規入国拒否」などのつぶやきを繰り返していた。野党議員については「いるだけで金もらえるタカリ集団」と投稿。発覚後、同氏も更迭された。
 暴走は差別的行為に限らない。今月中旬、さいたま市のJR武蔵浦和駅のエスカレーターで、女子高生のスカート内を盗撮したとして、農林水産省園芸作物課係長の池田秀一容疑者が埼玉県迷惑行為防止条例違反の疑いで現行犯逮捕され、釈放された。県警浦和署によると容疑を認めている。
 *デスクメモ:六年前、総務省から復興庁に出向していた元参事官によるツイッターヘイト事件は衝撃的だった。原発被災者らに「クソ左翼」と匿名で中傷していた。当時同省は勤務中のSNSを禁止したが、他省庁にはよそ事だった。だがあの時、すでにネトウヨは官僚の世界にまん延していた。(直)」東京新聞2019年3月30日朝刊26面特報欄。

 「人事権握る政権に忖度:内閣法制局長官 野党に侮辱発言 即おわび:高慢な「お上意識」表面化
 官邸のイエスマン増 進む「政治化」
 官僚の暴走は今に始まったことではない。少しさかのぼっても、森友・加計学園問題、財務省の公文書改ざん、財務次官セクハラなど数え切れない。だが、三月はあまりにも続く。
 政治評論家の森田実氏は、六日にあった参院予算委員会での内閣法制局・横畑裕介長官の発言が「官僚たちの堕落を示す事例でも特にひどい」とみる。
 委員会では、立憲民主党会派の小西洋之氏が「国会議員の質問は内閣に対する監督機能の表れ」という政府答弁があるのかと確認したのに対し、横畑氏が、「声を荒らげて発言することまで含むとは考えていない」と答えた。小西氏の質問姿勢を批判したことに野党側が反発。横畑氏はその後「おわびして撤回する」と陳謝した。
 「憲法の番人」である内閣法制局の長官とは思えない。「政権の番人ではないか」と批判も出た。森田氏は「国会議員を真っ向から侮辱し、注意されれば保身のため撤回する。モラル喪失と言うのも上品すぎるくらいの堕落だ。政権の番人ですらなく、ただのゴマすり、虎の威を借るキツネのようだ。安倍首相がすぐにクビにしないのもおかしい」と手厳しい。
 どうして官僚たちの「高慢と偏見」はここまで強まり、表面化するようになったのか。
 明治大の西川伸一教授(官僚分析)は「そもそも重要閣僚が絶対ありえないヘイト発言をする安倍政権下であり、しかもしれが倒れない。『なんだ大丈夫なのか』という空気が官僚に伝播するのは当たり前で、厚労相課長らのような意識の官僚や公務員は多いのかもしれない」と指摘する。
 1990年代から2000年代に続いた官僚バッシングを経験したことで、官僚の中には鬱々とした意識が滞留していった。だが、官僚主導から政治主導への政治改革をうたった民主党政権が失敗し、官僚バッシングが弱まる一方、安倍政権は長期政権化して行政全体が『お上化』した。「官僚も公僕意識がなくなり、以前の反動から、高慢なお上意識が表面化しているのだろう」と話す。
 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏も「官僚には怖いものがなくなった」と指摘する。「良くも悪くも、昔は自民党内に怖い族議員がいた。その意向が強い時代には官僚たちは首相案件の政策であっても、首相だけに忖度することはできなかった。今は族議員が弱くなり、自民党内も安倍一強体制なので『官邸の威光』を持ち出せば、センセイたちも黙ると官僚は高をくくっている。当然、世論の後押しが弱い野党議員など論外。国会を軽視し、その背後にいる国民も軽視する。だからこそ平気でデータや記録をねつ造する」と語る。
 今年二月に「官僚たちの冬~霞が関復活の処方箋」(小学館新書)を出した元財務官僚で明治大教授の田中英明氏(政治学)は「日本の官僚制度は、法律・制度上は政治的中立性が厳しく求められている英国型の公務員制度だが、実態は『政治化』が進んでいる。政治家との個人的コネクションによって出世する独・仏型の官僚制度に近くなってきた」と指摘する。
 官僚の政治化とは、文字通り政治家との距離が近く、その政治的影響を直接受けていることはもちろん、官僚や省庁が自身の利害を持ち、その追求を図っていることも含む。田中氏は、安倍政権下では、14年に設置された内閣人事局に代表される新たな幹部公務員の任免制度によって、政権への忖度がさらに進んでいるとみる。
 「国家公務員法が規定する通り、本来は公務員は政治的中立性を持ち、いい情報も悪い情報もすべて政治家に提供し、政治家が決断するという姿にすべきだが、首相官邸に異を唱えるような官僚は更迭されたりして、イエスマン化せざるを得ない。首相の側近官僚が分析を超えた政策決定に関与しているのも問題だ」として提言する。「幹部官僚を公募しつつ、政治家は間接的にしか関与できないオーストラリアの制度などを参考に改革すべきだ」
」東京新聞2019年3月30日朝刊27面こちら特報部欄。

 ぼくは、中央官庁の高級官僚という人に個人的に知り合いはいないし、話したこともないので、メディアの報道やテレビなどで見るだけなのだが、少なくとも20世紀のうちは、汚職や政治家がらみの事件で官僚が逮捕されるような事件はたまにあった。けれども、外国の空港で酔って暴行とか、駅で盗撮とか、匿名でヘイトスピーチとか、まともな常識ある大人ならばかばかしいはずの行為をする官僚公務員などいなかったと思う。要するに普通の社会人としてふさわしくない、問題のある人間が官僚になっているというわけで、国家公務員試験自体、あるいは大学教育自体が問題になってしまうほどの事態かも知れない。
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