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1950年代チャンバラ時代劇考 13 自由のわな

2019-07-04 01:19:40 | 日記
A.時代劇の終焉はいつ?
 改めて言うが、橋本治著『完本チャンバラ時代劇講座』という本は、1986年に世に出ている。今から33年前のこの年は、4月に当時まだソ連だったチェルノブイリ原発で事故が起こったことが記憶されるが、10月にはアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がレイキャビクで会談し、東欧社会主義国が崩壊の兆しを見せた時期。日本は6月に中曽根首相が「寝たふり解散」という衆参同日選挙をやって自民党300議席を獲得、4年を超える政権維持を固めた。そんなことはもう忘れられているが、このへんからいわゆる狂乱の「バブル経済」が進行したわけで、日本企業の株は高騰し、戦後日本が最も浮かれて「俺たちは世界第2の経済大国で、アメリカだって買ってしまうぞ」とうぬぼれた時代だ。それよりさらに20年以上昔、東映チャンバラ映画が最盛期だった1960年頃までに、毎週のように映画館に行ってチャンバラ映画を見ていた人は数多く、どこの町にも映画館があった時代を体験していた人は、日本人のマジョリティといってよかった。子ども時代にチャンバラごっこで遊んだ記憶のある世代は、第1次ベビーブーマー「団塊の世代」までで、その後は「ウルトラマン」や「戦隊シリーズ」などで「チャンバラ的名残り」が続いてはいたものの、時代劇特有の世界はテレビ時代劇というマンネリに移行し衰弱していった。
 その転換点を橋本さんは、東京オリンピックの年(1964年)にNHK大河ドラマとして放映された『赤穂浪士』が、チャンバラ時代劇の最後の完成形で、翌年の『太閤記』でもはや時代劇とは違ったものになったとしている。大佛次郎原作の『赤穂浪士』は、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」をなぞるのではなく、明治以後の近代日本への視線で描いた「新講談」「大衆小説」として定着した時代劇映像の決定版と考え、それが役割を終えて、高度成長時代の現代人のために背景設定だけ過去にした現代劇になったとみる。しかし、これはテレビドラマの話なので、映画の方ではどうかというと、これはまた、もはや誰も覚えていないある作品をもってくる。

 「時代劇の終焉を語る時が来ました。それは昭和三十八年(1963年)――東京オリンピックの前年の東映沢島忠監督作品『ひばりチエミのおしどり千両傘』です。ヘンなところでヘンな風な終り方をするんです、このチャンバラ映画というヤツは。
 時代劇の始まりが、近代になって「やっぱり今っていう時代は面白くない。だから“理想の江戸時代”を作ってしまおう」であるのなら、“今っていう時代が遂に面白い”ということになったら時代劇の“江戸時代”は終わるでしょう?そういうことなんです。
 
 『ひばりチエミのおしどり千両傘』は前の『ひばりチエミの弥次喜多道中』に続く“ひばりチエミ物”の第二弾ですが、もうこの二人は“町娘”ではありません。一方は大名のお姫様、一方は町育ちのその腰元です。おしとやかなお姫様が勿論美空ひばり、お転婆な腰元が勿論江利チエミです。お姫様は自分の日常に退屈している。そして、そのお姫様は御婚儀整って、お輿入れの旅に出る。ある宿場に泊って、そこではお祭りの日。江利チエミから町のお祭りのよさを聞かされていたお姫様は町へ忍び出る。勿論これは東映版の‟ローマの休日”です。美空ひばりがオードリー・ヘップバーンだけど、勿論ウィリアム・ワイラーの『ローマの休日』には江利チエミなんか出て来ない。『--おしどり千両傘』はじゃァどうなるのか?ここから先はマーク・トウェインの『王子と乞食』との二本立てになって、江利チエミは身代りのお姫様。江利チエミの腰元には、好き合った仲の(でも喧嘩ばっかりしている)料理番の侍・安井昌二がいて、美空ひばりの方はどうなるのかなァ……と思っていると、股旅姿の水原弘が(それは勿論、彼が『黒い花びら』のオミズだから)自分は材木問屋の息子で山の木を仕入れる為に旅に出ているなんて言っているけれども、それは真っ赤な嘘で、実は彼こそが美空ひばり扮する“姫君様”の許婚の若殿であるに決まっている――ということになる(筈)。互いに相手が自分の許婚だということを知らないお姫様と若殿は、互いに身分を隠したまま恋仲になる。なったところへ、若君姫君の留守をいいことにお家乗っ取りを狙う一味が……、ということになる筈なんだけどもこれがそうはならないというところが、もう時代劇は終わってしまうという東京オリンピックの前の年。
 水原弘は、やっぱりただの材木問屋の若旦那だった。という訳で、美空ひばりのオードリー・ヘップバーンは泣く泣く“お城”へ帰って行く――。
 一方身替りとなってお姫様になっている江利チエミの腰元“おトシ”の方にはなんと、刺客がやって来る。やって来たのはどこからかというと、自分のところの大藩の若君とお前のところのような小藩の姫君とでは釣り合いが取れない、だによってお命頂戴という、お輿入れ先のハネ上がり分子が襲って来る。“危うし姫君!”で本当だったら大立ち回りになるところがそうはならないのは何故かというと、姫君付きの御家老が「ここでおトシが殺されれば姫君が偽物だということがバレなくてすむ。お家安泰だからいっそ殺してしまえ」とメチャクチャなことを言うから。それを聞いて頭に来たおトシの恋人の料理番の侍、「こんな非人間的な世界はまっぴらだ」と、おトシを助けた後、サッサと侍をやめてしまう。そうなった以上、おトシの方も腰元だのお姫様の身替りだのをやっている理由がない。本物のお姫様がお戻りになったのをいい汐に、彼女もサッサと奉公をやめてしまう。一人残された美空ひばりのお姫様はどうするのか?これもサッサとお姫様をやめてしまう(!)。
 ラストシーンは、深川木場の通りを挟んで立っている魚屋と材木屋。魚屋のカミさん、江利チエミは天秤棒を肩に威勢がいい。材木屋のカミさん、美空ひばりは道に水を撒いて甲斐甲斐しい。その水が江利チエミに引っかかった。「何しやがんでェ」と江利チエミ。「ベラ棒めェ!」と、こちらは元お姫様の美空ひばり。
 昔、庶民の幸福とは、出世することだった。お姫様になったり若殿様になることが庶民の夢だった。そして、そのかなわぬ夢のひっくり返しが、庶民の暮らしに憧れる不自由な若殿様であり、お姫様だった。でも今やそれはなくなった。お姫様は公然と、町の材木問屋のおカミさんになってしまうからというのが、この『ひばりチエミのおしどり千両傘』のラスト。
 勿論この映画は“ひばりチエミ”だから、二人の唄って踊るシーンはふんだんにある。彼女たちは唄えるから唄っているし、踊れるから踊っている。この映画の二人はもう「どうなるんだろう……」と現実を悲観して〽バラ色の青春は私たちで開くのよォ♬という、つかの間の夢を見る少女たちではないんですね。いつでも勝手に夢を見ることが出来て、その中ではいつでも唄って踊っていられる。だからこそ、いっそ不自由な金持ちの生活がいやだと思える。つまりもう、普通の人間は、架空の世界を必要としなくなってしまった。そんなものもういらないと言われたら、そんなつまらないものの乗っ取りを画策する悪人たちの存在理由もない。悪人がいなければ正義もない。ただ自由な自分達の現実があればいい――そのことが一番重要ということになってしまっていた。それが昭和の三十八年(1963年)。もう、“理想の時代である江戸時代”はいらないんです。いらないから時代劇は終った。それが今から二十二年前。
 じゃァその後、わたしたちは幸福になったのか?
 『ひばりチエミのおしどり千両傘』で、すましたお姫様をやっている美空ひばりはともかく、本当に水を得た魚のようにのびのびと唄い踊ってアッカンベェをしている江利チエミ。こんなに明るくこんなに魅力的だった人が、どうして二十年後にあんなにも寂しい孤独の死を迎えなければいけなかったのだろうか?そんなことがフッと思われて来る。
 この頃、江利チエミは既にあの東映ヤクザ映画最大のヒーロー、高倉健夫人ではあった。女は「もういい」と、さっさとドラマから降りた。男はやっと、道を踏みはずした自分のドラマ――ヤクザ映画に曙光を見出した。なんとも皮肉な二人でした。
 世の中は斯くして、一億総中流のスタートラインへつき、映画館は、その日常生活からはみ出してしまったものの個人的感慨を発散する場所となって行くのが、それから続く昭和の四十年代。
 さて、それではその昭和四十年代のヤクザ映画では何が描かれるのか?人間と人間の関係ですね――世の中からはみ出してしまって、ヤクザというところに身を置くより他になくなってしまった人間同士の。実に、昭和も四十年代になって初めて、人間というものはなかなか“みんな一緒に”はうまくなれないという重要なことがスクリーンで描かれるようになって来る。一緒になって走っていたその“みんな”が劇場から遠ざかって、みんなが一斉にそれぞれのバラバラな“タコ壺”の中にしかゴールを見出せないような――そんなことがまだ全然分れないような時期に、実は“みんな一緒に”というのは“夢”だったんだということが明らかになって来る。
 実は昭和十二年の『血煙高田馬場』で、息せき切って走っていたのは、阪東妻三郎の中山安兵衛だけではなかった。その後を、応援の旗指し物を掲げた長屋の連中も追っかけていた。追っかけていたのは騒々しい長屋の連中だけではなかった。「お父様、私がお慕いするのはあの方です」という、堀部弥兵衛の娘も、父や乳母と一緒になって走っていた。昭和三十年代の“みんな”は、既にここにいた。ただ違うのは、昭和三十年代の“みんな”は、まるで電車ごっこの子供達のように、一かたまりになって走っていた。そして、昭和三十年代のように“みんな”がまるでデモクラシーのダンスパーティーのように、手に手に得物を持って「このやろう!」とそれぞれに大立ち回りを繰り広げていたのとは違って、昭和十二年の“みんな”は、ただ一かたまりになって「安さん、頑張れ!」と遠巻きにして応援しているだけだった。昭和十二年の中山安兵衛は、昭和四十年代のヤクザ映画の主人公のように、単身、複数の敵に立ち向かって行った。ただ違うのは、ヤクザ映画の主人公には「わたしも御一緒に」という助っ人はいなかった、と。
チャンバラ映画は多分、あまりにも早く終わりすぎてしまったのだと、私は思います。
昭和十二年に飛び上がり躍り上がり跳ね上って刀を振り回す『血煙高田馬場』ノバンツマを見た子供達は、どれほどこの真似をしたかったでしょう。でも、それは無理だったんですね。チャンバラ映画で鍛えられたバンツマには、スイングジャズをバックにして刀を振り回すことが出来た。そしてそれを別にジャズというBGMを使わない、現実音しかない野原で再現することは出来ましたけれども、当時、それだけのリズム感を持っていた人間なんかはまだどこにもいなかった。それを自分で演じてみせたマキノ雅弘監督とバンツマがいても、なんでもごった煮になりうる映画界という新しい世界の中にしか、そういうリズム感はなかった。当時の日本で一番リズム感の発達していた人間は、ダンサーなんかではなくてバンツマだったんですね。ラジオからジャズという新しいリズムを持った音楽が毎日のように流れて来るようになるのは、進駐軍がやって来る戦後のことですね。その音をバックに使って、人間というものがどのように動きうるのかということが日常的に分るようになるのは、テレビが日本全国に普及する1960年代からですね。そのことによって日本の子供、若者のリズム感が“欧米並み”になった時、既にそのリズム感を生かして動けるような背景――チャンバラ映画というものはなくなっているんですね。」橋本治『完本チャンバラ時代劇講座』徳間書店1986、pp.399-402.

 美空ひばりと東映時代劇というテーマも、かなり重要かもしれないのだが、それは橋本さんもこういう形以外ではあまり触れていない。東映時代劇にはいわゆる「東映城のお姫様たち」と呼ばれた美人女優がいろいろいた(例えば花園ひろみ、丘さとみ、桜町弘子、大川恵子、長谷川裕美子などなど)のだが、どうもみな類型的な添え物的役柄しか与えられないので、ぼくらの印象は他社の個性的な人気女優に比べてみんな同じに凡庸に(“妖艶”を誇った小暮美千代さんは別として)映っている。その中で唯一、別格の主役や準主役を演じていたのが、若い女優・美空ひばりなのだった。彼女は常に、女優としてよりは少女の頃から偉大な歌手として世間に遇されたために、時代劇映画でのこの大活躍はあまり語られることが少ない。それはつまり、時代劇は男たちのヒーローを描くために作られて、女はあくまで主役にはならないものだったゆえに、若い美空ひばりは一方で「お姫様」を演じながら、他方で「男もどき」のべらんめえの「お転婆」として派手な立回りも演じていた。それができたのは東映では美空ひばりだけだったと思う。
盟友ともいうべき江利チエミも素晴らしいヴォーカリストであると同時に、演技者としても際立った才を示した人だった(三人娘として売り出したもうひとりの雪村いずみさんも飛び抜けた歌手・女優だったが、ここでは措く)が、やはり映画女優として語られることは少ない。東映時代劇は、基本的に男中心の世界であって、女はヒーローを陰で支え、ひそかに慕い申し上げるだけの役なのだった。その女子コンビが、男を蹴飛ばし乗り越える主役を務めた沢島忠監督のただならぬ作品、『ひばりチエミのおしどり千両傘』が、時代劇の終焉を告げる作品だとした橋本治の慧眼はなるほど、と思う。時代劇はここで終った。終わるべくして終ったのだが、早く終わりすぎた?のだろうか。



B.時代がどんどん不快な方向に流れている?
 「自由」は英語ではfreedomとliberalという2つの言葉の翻訳語だろう。Freedomも Liberalもそれぞれ歴史的に重い意味のある言葉だ。しかし、今の日本では必ずしももとの意味で理解されているとは言えないと思う。それは日本だけでのことではないが、翻訳を通すことでさらに怪しげな誤解が入り込む。「自由主義」ということになると、行為主体の自由意思を社会や国家が認めるかわりに、それによって生じる結果について「自己責任」という概念が出てくる。つまり、「あんたの好きなようにしても構わないけど、その結果は全部あんたのせいだから、自分で引き受けてね。おれたちは助けてあげないよ」という突き放しがひとつ。経済的行為の場合、どのような事業・活動をしてもいいが、そのリスクや失敗の責任はすべてあなたにあり、誰かに頼ってはいけないという論理になる。「新自由主義」というのは、それを徹底させて、利益を求める企業活動に法的な規制や介入を排する考えとすれば、弱肉強食の競争原理であり「勝者の優位」を肯定するといってもいい。
 しかし、政治的自由や思想的自由としてのリベラリズムは、人が何を価値とし、人生の意味をどのようなものと考えるかということにおいて、他者や国家に縛られないという自由であって、これは自分とは違った意見を認め、対話を通じて交流し理解する努力の上に実現すると考える点で、「競争原理」や「勝者の論理」を超えるものだ。だとすれば、今の日本で人々を息苦しくさせている底流にある「気分」は、どのように生きても「自由」だという言葉の裏に、その結果どんな境遇に陥って脱落しても、それはお前の無能、おまえの失敗であって、人のせいにはできないんだよ、という脅しであり、だから時代に適応して少しでも金を稼げるように努力するのが、当然だという理不尽な「自由主義」が疑われることなく浸透している。とすれば、人々は声をあげる気力も余裕も奪われて、未来に何の希望ももてない沈滞と衰弱のなかに置き去りにされる。競争の中で勝者になることのできる人間は、つねに少数であって、それは本人の能力や努力の結果ではなく、ほとんど生まれた境遇の禍福と偶然によるのかもしれない。

 「老後不安で投資をあおる不快さ:時代を読む  内山節
 政治の世界から流れてきた、老後は年金プラス二千万円が必要という報告書は、多くの人たちに不快感を与えたことだろう。本当に二千万円必要かどうかが問題なのではない。年金といっても受けとれる額はさまざまだし、住んでいる場所や暮らし方によっても、老後に必要な資金は変わる。そんなことは誰もが知っていることであり、自分の場合どうなのかは、それぞれ考えていることだろう。
 問題は老後の生活資金について、国が国民に指示を出すこと自体にある。しかも二千万円をためるために、貯金ではなく投資をせよというのだから、そういうことを指示して平気でいられる精神構造にはあきれてしまう。現在投資をしている人たちの約半数が、損失を出していることは無視するとしても、投資をするかどうかはそれぞれの考え方であり、国が指示することではない。
 私たちは誰もが自分たちの生きる世界をもっている。高齢になってからの生きる世界は、それまでの何十年間かによってつくりあげられた、かけがえのないものだ。そういうものに対する、最近の流行語で言えばリスペクト(敬意、尊重)がないのである。
 それはいまの政治に温かさがないことと結びついている。仮に年金だけでは多くの人たちが暮らせないのであれば、それでも何とかできるように、高齢者が働きやすい環境を整えたり、支え合える社会や社会保障のかたちを考えるのが政治の役割だろう。そうではなく、「年金だけでは足りないから投資をしろ」と言うだけなら、政治はいらない。
 この報告書の不快なもうひとつの理由は、人間をお金のために働き、お金をためる動物として扱っていることだ。若いうちから老後のために貯蓄をし、投資をおこなう。この発想からみえてくるのは、現役の人間も、老後を迎えた人々も、国民はお金だけで生きている動物だと見下す態度である。それぞれの人々が築き上げてきたかけがえのない人生に対するリスペクトが、あまりにも欠けている。
今日の日本の政治を覆っている最大の問題点は、尊重する精神の欠如なのである。何十年も生きてきた人間に対する敬意や尊重の欠落が、今回の報告書を生んだ。さまざまな規制を緩和して非正規雇用をふやしたのも、人間や労働に対する尊重のなさだった。沖縄の辺野古の基地建設では、沖縄の人たちの意思を尊重することなく、力で押し切る政治をすすめている。
現在の政府から、自然に対する尊敬の言葉を聞いたことはないし、原発事故が起きても原子力発電を推進しようとする姿勢からは、この社会で生きているすべてのものへの尊敬が感じられない。
日韓関係でも、韓国政府の対応の問題点はあるとしても、植民地化されることによって発生した韓国の人々の気持ちを、もう少し尊重する精神があったら、ここまで深刻化しなかったかもしれない。あるいはロシアの現実を尊重する精神がなかったから、北方四島をめぐる領土帰属交渉も、ロシアに冷たく拒否される結果を招いたのではなかったか。
国民一人一人の人生を尊重する精神をもたずに、老後不安を投資の活性化に利用しようとする。そのことに表れている国民や他者に対する尊重、敬意の欠如が、今日の傲慢な政治を生みだしている。私には、そう思えてならない。  (哲学者)」東京新聞2019年6月30日朝刊、5面社説・意見欄。

 これは実にまともな議論だと思う。しかし、自分は強者の側にいると思いこんでいる傲慢な人たちは、このような話を弱者を甘やかす空想的な議論だと一笑に附す可能性が高い。どっちが最終的に人間を幸福な未来に導くか?彼らは未来になど期待していない。いまどれだけ満足のいく快適な状態を得られるか、金銭と名誉で自分を飾ることには熱心でも、惨めな失敗者、愚かな敗残者など構っているひまはない。歴史を振り返れば、こういう自由主義が権力を握った場合、次に来る事態は悲劇的なものになる。
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