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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

女優列伝Ⅰ 千石規子3  AIのポジティヴ  

2017-07-07 19:06:23 | 日記
A.女優列伝Ⅰ 千石規子
 次に行くつもりが、ふと前に見た「家の履歴書」キネマ旬報社、の「男優・女優篇」に千石規子さんのインタビューが載っているのを発見したので、あと一回千石さんの回を追加することにした。この人の生まれる前のことから話が始まるが、祖父が地主をしていた小河内村は奥多摩のダム建設で水没したのだけれど、大きな祖父の家は残ってその長男の父は、早稲田を出て氷川で教師をしているときに親が決めた千石さんの母と結婚して、実家の隣に建ててもらった家で4人子供を作ったが、女系で継承するという家の方針で跡が継げず、「子どもの教育のため」という理由で東京に引っ越し、そこで千石さん(本名は礼子)が生まれた。

「三歳の一年だけだから記憶はかすかだけど、広い家でしたよ。二階を貸して。傍にある教会に、なぜか親父は私だけを連れてったの。だから私が最初に覚えた歌は賛美歌なのよ。きらきらと星よ星 キラキラとなぜ光る 道に迷った旅人たちを荒野の中で守るため……。七十年以上たった今もはっきり覚えてるわ。
 私の目で、父と母がまぁまぁ夫婦として仲が良かったのは、ここにいた時だけ。一年後に移った神山(同区)の平屋では、母は毎日内職してました。柔道着の刺し子が一番お金になるって、夜なべして。それと母の親戚が心配して時々食料を運んでくれました。
 父親?なーんにもしてませんよ。新し物好きだから、キリスト教だって富ヶ谷でおしまい。この頃は浅草の木馬館に通って安来節を観ちゃあ、「イヤーッ」てなこと言って嬉しがってる始末よ(笑)。
 足が弱った祖母、両親、兄三人、姉、礼子さん、乳飲み子の弟。一年後、いよいよ一家の流転が始まった。

 ここからがひどい!
 引っ越しの日は映画のワンシーンみたいだから覚えてるの。たぶん松陰神社の前あたりだったと思うんだけど、わずかばかりの荷物を積んだ大八車を止めて休んでたの。父が次の家を探しに行く間「ここで待ってろ」と言ったんじゃないかしら。でも行き先が決まってたとは限らないの。当時は家の軒先に「貸間」って書いた木札がブランブランしてて、その場で借りられちゃうような時代ですから。」斎藤明美『家の履歴書―男優・女優篇』キネマ旬報社、2011.pp.36-38.

 父が働かないため生活が苦しく、内職の母の苦労を減らそうと礼子さんは刑事の叔父の家に預けられて育つ。

「叔父の急死で礼子さんは実家へ。最後の三軒茶屋の長屋で小学校四年から結婚するまで九年間を過ごす。兄二人が結核で亡くなり、残る母と姉は独立。礼子さんは父に言われて、兄たちの職場にお金の無心の手紙を届けたという。友達が遊ぶ小学校の校庭で、貧しい人に配るお米をもらうために並ばされたことも父への憎悪を強めた。そして母の着物が底をつくような生活の中で、祖母は父からやさしい言葉一つかけられずに死んだ。
 礼子さんは何とか母親を助けようと、小学校を卒業すると、東宝の有楽座でドアガールなどをして働き、一年後に新宿ムーラン・ルージュで踊り子になった。

「子どもの教育のため」に奥多摩を出たなんて、笑わせるわよね。それで自分は何してたかって言うと、近所の碁会所でパッチンパッチン。キリスト教の次はマルクス、西田哲学、トルストイ、そんなのばっかり。つまり“酔って”んだよね。弱い人なんですよ。
「貴様」って言葉知ってる?もう私、頭にこびりついてる。さすがに私達子供はぶたなかったけど、母のことは二言目に「貴様ッ」って張り倒して、奴隷扱いでしたよ。

 踊り子になって二年目、十五歳の夏、千石さん(文芸部が命名)は大量の血を吐いた。自分も兄達のように死ぬと思ったという。

 奥多摩の父の実家で一か月静養させてもらって完治したんです。皆さん親切にしてくれました。もう代も変わって、父の母親がいじめられたような空気はなかったですね。

 ムーランに復帰すると、文芸部に一人の青年が入ってきた。「この人と結婚するかもしれない」、千石さんは直感したという。六歳上のご主人・森栄晃氏である。昭和十六年結婚。二人は中野のアパートへ。

 結婚したのは十九歳だけど、十六くらいから、舞台稽古で遅くなると、近いから中野に行っちゃうもん(笑)。
 中野駅から一分とかかんない所だったの。最初は陽の当たらない四畳半。一年ほどして南側の六畳に移ったの。廊下に共同の流しがあって、一銭入れるとお湯が出るの。結婚して買ったのは小さな箪笥くらい。そこは家具を貸してくれるのね。ガスストーブ五十銭とか。家賃は三円だった。
 
 結婚直後に開戦。千石さんは誘われて新派、苦楽座、移動演劇隊・桜隊へ。身重のため広島巡業に参加せず、かの桜隊の被爆を免れた。
 昭和十九年、夫の実家、台東区谷中の加納院へ。自院は空襲を免れたが、親しい本所の名刹が焼失したため院内の空いたお堂を提供して再建。だがそれを「乗っ取り」と曲解され、千石さんたちは寺を出る決意をする。
 終戦、長女誕生。舞台「人形の家」に出演中、衣笠貞之助監督に認められ、二十二年山田五十鈴主演の「女優」で映画デビュー。そして撮影所内で黒澤明監督の目にとまり、「酔いどれ天使」に抜擢。以後、黒澤作品に不可欠の女優となる。」斎藤明美『家の履歴書―男優・女優篇』キネマ旬報社、2011.pp.39-40.

 父への憎悪、母への同情、この人が踊り子から女優になる道を早く決めたのは、家庭のこととくに父のことが大きく影響したと想像される。

「母は八年前、九十六歳で亡くなりました。最後まで看護婦さんに「どうもありがとう」と言える人だった。
 父は逆。兄の家をすぐ出て、碁会所を開いてた女の人のところに潜り込んじゃったの。そこで指南役やって。母子を放ったらかして朝から晩までやってた芸が身を助けたんじゃないの。兄の話では、父は死ぬ一か月ほど前からその人の家で、ものすごくうなされるようになって、もう死にそうなのに、突然「ウワーッ」って起き上がると、素っ裸になって表へ飛び出しちゃうんだって。そういう最期だったらしいの。人間て因果応報って言うでしょう。自分が変なことすれば、それが全部自分に跳ね返ってきて、安楽には死ねないってこと。父はそういう生き方をしてきたのよ。
 「長靴をあげなかったこと後悔していませんか?」そう聞くと、千石さんはきっぱりと言った。
 してない。子どもの頃、あの人のためにどんな思いをしてきたか……。富ヶ谷で一緒に教会へ行った、あの時の父を最後にしたいの。(1999年12月16日号)」斎藤明美『家の履歴書―男優・女優篇』キネマ旬報社、2011.pp.43-44.

 親の資産で大学まで出て、インテリを気取っても家族のために働こうとせず、家の中では威張り散らして母を奴隷のように扱うDV夫の父を、礼子さんは絶対に許せない。こういう環境に育った娘は、男というものを基本的に信用できなくなる。しかし、外の世界はもっと違っているはずだ。早く父とは別の世界に行って、自分の力で生きたいと娘は思う。彼女はよい男に出会って19歳で結婚し、演劇の道にすすみチャンスに恵まれて映画の世界で活躍を始める。千石規子という女優の持つ、一種世の中に毅然として向き合う姿勢のもとにあるものをみた気がする。戦後、碁や尺八遊芸に明け暮れながら、社会党左派の支持者として空言を弄していた父に、因果応報と冷たい視線を投げ続けた娘は、その死も冷静に眺めている。なるほど。



B.AIによって幸福な社会が来ると思う楽観への疑問
 世の中を「批判」したり、強い者への不平不満を述べて悲観的に見る生き方は、要するに負け犬の遠吠えなのだと見做して、なんたってポジティヴに明るく生きるのが正解だ、という生き方が、いまの日本の比較的若い世代に広く浸透しているような気もする。それはすでに、あのバブリーな80年代に始まって、現在まで繋がってきているようにも思う。しかし、ぼくのような日本社会を長く生きてしまった人間から見ると、根底から「批判」するという態度自体を、まるで触れてはいけないタブーのように考える「明るい人たち」の根拠にする、近代的先端技術と競争原理への信仰は、21世紀の現実を少しも見ようとしない浅はかな落とし穴としか思えない。保守主義を標榜する佐伯啓思氏の考察は、ぼくとは違う立場だと思いつつも、いまやあまりにも愚かな状況への視線において、なぜか強く共感してしまう。

「加速するAI技術:迫られる「人間とは何か」 佐伯啓思 異論のススメ
 将棋界の藤井聡太四段の快進撃がついにとまった。とはいえ、29連勝とは大変な偉業である。
 もって生まれた天賦の才はあるのだろうが、彼は、AI(人工知能)の将棋ソフトを使って練習を重ねた、という。今後、AIによる訓練が標準化することは必定であろう。
 練習ならよいが、実際に、すでにAIと人間の棋士の対決は、ここ二年間、AIが勝っている。昨年には、囲碁で韓国人の世界トップ棋士相手にAIが4勝1敗で勝利した。前世紀末には、チェスでもAIは勝利している。現時点でいえば、この種の能力に関しては、AIは人間よりもはるかに上である。ゲームに限らず、将来、AIは人間の頭脳をはるかにしのぐ仕事をするだろう、とも思えてくる。
 今日のAIは、ビッグデータなる膨大なテータを用いて、ディープラーニングと呼ばれる自らの学習機能を持っているそうで、思わぬことを「考えだす」らしい。そこにまた、ある種の恐ろしさもあって、たとえば、囲碁での対決においてAIは一度だけ敗北したが、その時には、思わぬ「奇策」を考えだし、そのあげくに自滅していったそうである。
 これが囲碁であればよいが、仮にわれわれの日常生活に入り込んだAIが、あまりに独創的なことを考えだすとすれば、果たして、われわれ人間はそれについていけるのであろうか。
◎       ◎      ◎ 
 今日の科学・技術の展開は、イノベーションの速度の高度化というだけではなく、何か、根本的に新たな段階に突入しようとしているのではなかろうか。この20年ほどの脳科学や情報技術の展開の上にAIやロボット技術がはなばなしく進化した。生命科学の発展は、細胞や遺伝子レベルで、従来とは大きく異なった医療を可能としつつある。果たして、こうした技術の展開を、これまで同様の科学・技術の延長上において理解してもよいのだろうか。
 西洋の近代社会は、何といっても、合理的な科学と技術の先駆的な展開によって、世界において圧倒的な力と影響力をもった。20世紀にはいり、とりわけ戦後の冷戦体制のもとでは、米国がこの種の合理主義、科学主義、技術主義の旗を高くかかげ、それを世界市場と結びつけることで多大な利益をあげたわけである。
 もともと、近代の合理的科学は、人間という理性的主体が自然や世界を対象化し、そこに理論的で普遍的な法則を見いだし、その法則を利用して、人間が自然や世界(社会)を変えていった。人間はあくまで、この自然や世界の外から、これらに働きかけた。技術の力を使って、自然を管理し、社会を便利にするところに「進歩の思想」もうまれた。
 しかし、今日の脳科学にせよ、AIにせよ、生命科学にせよ、それが働きかける、もしくは分析する対象は人間自身なのである。AIも人間の頭脳の代替である。すくなくとも、それは、人間が、自らの外にある自然や世界(社会)に働きかけるものではない。ちょうど、フランケンシュタイン博士の生み出した怪物が、外界の自然や世界を作り替えるのではなく、いわば人間自身のシミュレーションであり、その技術的創造であるのと同様である。
 多くの技術者もエコノミストも、おそらくは、科学や技術の本質は何も変わらない、というであろう。あくまで主体は人間自身にあって、AIであれ、ロボットであれ、遺伝子技術であれ、それを使うのはわれわれだ、というのであろう。われわれが理性的にそれを使えば、それは、従来の技術同様、人間に大きな可能性と幸福をもたらすであろう、と。
◎       ◎      ◎ 
私は、これらの最新技術の可能性を否定する気は毛頭ないが、それでも、この新技術から超然として「人間」というものがありえるとは思えない。ただ便利にそれらを使えばよい、というものではないと思う。第一の理由は、人間は、確かに新たな技術を有効利用するが、また同時に他方では、「悪魔と取引する」ものだからである。物理学の発展が生み出した核融合技術をみればこれは明らかであろう。第二の理由は、もしもこれらの技術が高度に展開すれば、人間自身が、これらの技術に取り込まれてゆくだろうと想像されるからである。
 こうした先端技術は、こちらに人間という確たる「主体」があって、それが「客体」としての対象に働きかけるという近代の合理的科学の前提を大きく逸脱してしまった。ここでわれわれは、いやおうもなく「人間とは何か」という根源的な問いの前に立たされることになろう。
 こうなれば、科学と技術の発展が、自然や社会を支配する人間の力を増大させ、ほぼ自動的に人間の幸福を高める、などとはまったくいえない。近代社会の「進歩の思想」は崩壊するだろう。その時、われわれはそれらが、人間にとってどのような意味を持つかを問わざるを得なくなる。にもかからわず、それに対する答えを近代社会は準備できない。なぜなら、近代社会は科学・技術とその意味(価値)を切り離したからである。
 その結果、今日、こうした問いとはまったく無関係に、もっぱら、これが市場を拡大し、経済的利益を生み出すという期待だけでイノベーションが加速されているのだ。これは恐るべき事態というべきではなかろうか。いつか、人間同士の将棋で泣いたり笑ったりした時代がなつかしくなるのかも知れない。」朝日新聞2017年7月7日朝刊、15面オピニオン欄。

 自分の方が世界について、現代社会の現実についてよく解っているのだ、という「上から目線」で今の若い世代に、何かを教えてやろうなどと思って発言すれば、それは「あんたたち年寄りは、恵まれた時代に恵まれた地位や仕事を手にして、美味しい汁を吸ってきたからそんな偉そうなことを言ってるんでしょ。私たちがこれから生きる現実は、ポジティブに考えないと耐えられないほど厳しいんじゃないですか!」と、反論されるだろう。
 だからぼくは、「君たちはわかってない」という気はない。今の現実をリアルに生きているのは、ぼくではなく君たちなのだ、と考えて、さて年寄りには何ができるのかと考える。ぼくも今の現実をリアルに生きている一員なのだという場所で、何かを発言しようと思う。佐伯先生もたぶんそう考えているのかもしれない。
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