小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

2018-12-13 14:40:41 | クラシック音楽
イーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタルをサントリーホールで聴く(12/8)。
生のポゴレリッチを初めて聴いたのは2005年で、不調と伝えられていた時期から回復しつつある来日(6年ぶり)だった。最後のラフマニノフのソナタ2番が終わったのは21時40分くらいだったと記憶している。タールのように暗く重い音色で、テンポは別の宇宙にいるかのような遅さだった。その来日からポゴレリッチのすべての東京での公演を聴いているが、明らかにピアニストの中でも変化が起こっている。基底の部分では、恐らく何も変わっていない…彼は常に勇敢で、ポリシーを譲らない演奏家だ。一方で、表現そのものは年々刷新され、活発な新陳代謝を行っている。新しい響きの探究があり、テンポの試みがあり、思想の成熟が感じられる。外から見て憶測する芸術家の人生と、実際とは大いに違うのだろう。聴衆は芸術家の中に神秘を見ようとするあまり、存在しないものまで勝手に想像してしまう。ポゴレリッチは特に、そうした誤解と長年闘ってきた。

前半のリストのロ短調ソナタは、ゆったりとしたテンポで「ドアをノックするように」始まった。自己陶酔的なところがまったくなく、厳密で冷静で、決然としたリストだ。ロマン派的なものの定義がポゴレリッチは独特で、ショパンもリストも、ポゴレリッチを聴いた後ではどの演奏家のテンポも「せわしなく」聴こえてしまうことがある。ポゴレリッチは先を急がず、しかるべき和音を鳴らし、きわめて優雅に音楽を運んでいく。彼をエキセントリックだ、と解釈することが心からナンセンスに思えた。時間をかけて準備された正しい解釈があり、大きな手から放たれる音楽はオーケストラにも比肩するスケールだった。

唐突に聞こえるかもしれないが、ポゴレリッチの音楽には宗教的な精神を感じる。彼の演奏の勇敢なアプローチには、英雄というよりも殉教者の精神を感じるのだ。ショパンコンクール落選時から、独特の「アベレージではない」演奏スタイルが奇矯と誤解され、一部の聴き手からはエゴイスティックとも中傷された。楽譜にはない「ピアニスティックな慣習」をすべて洗い流し、真っ白な素地から音楽を始めるポゴレリッチの方法は、ある種の聴衆や評論家にとっては異質だったのだろう。
しかし、ただでさえ戦いの場であるリサイタルという状況で、なぜそんな危険を背負う必要があったのか? ピアニストの内側に真実の確信があったからで、自分が到達した「正しい音楽」を丸腰で(ピアニストはつねに丸腰だが)伝えることで聴衆に何かを気づかせ、世界をよりよいものにしたかったのだ。あれほどまでの演奏技術があれば、どんなことだって出来る。ポゴレリッチは自分自身とは何者かをつきつめ、本物のアーティストである道を選んだ。その強靭な信念には、神的なものとのつながりを感じる。

リストのロ短調ソナタは、ブルックナーのシンフォニーに似ていると思った。神への日々の問いかけがあり、神からの答えがある。忍耐強い心の作業の繰り返しで、苦痛以外の抜け道がない。苦痛の報酬ではなく、苦痛そのものが美しい…という達観の境地が聴こえる。リストの遺品は、僧服2着とハンカチ7枚だったという話を読んだことがある。ピアニストとしての華々しい前半の人生のあと、リストは真の生き方を渇望していた。ポゴレリッチのリストは、死の危険すれすれまで接近する。芸術は危険な賭けであり、全人類のための冒険なのだ。ポゴレリッチの長年の生き方を思い、みずから十字架にかけられることを予想して、「不動のもの」を表そうとしてきた軌跡を思った。まさしくその姿勢こそが、自分がこのピアニストに魅かれる理由であった。

後半のシューマン『交響的練習曲』は、表題にふさわしいシンフォニックな打鍵で、最初の変奏の始まりから終わりまでひとつの物語が込められていたように思う。シューマンもまた苦痛の中で光をみつけようとし、音楽にその手段を求めた。メランコリックな短調のモティーフは、重い十字架を背負って歩く聖人の足取りを想像させた。メロディアスなラインの中に、前衛的な和声がいくつも透けて見える。ポゴレリッチはオーケストラの中からいくつかの楽器を引き抜くように、二つの象徴的な音を次々と見つけ出していく。暗闇の中で、ネオンのように二つの色彩が浮かび上がるイメージだ。それがどのような魔法によって可能なのか、全く想像がつかなかった。このピアニストは正真正銘の天才なのだ。
遺作変奏付きのヴァージョンは、終わりに向かって解決していこうとするこの曲の性格をよりはっきりと浮き彫りにした。シューマンは、人生の果てに明るい結末を夢見ていたのだ。ベートーヴェンの第九のように、楽想は歓喜に向かって高まっていく。陰湿な夏から、成就の秋へと季節が明るく変わっていく景色が見えた。現実のシューマンが、そのような楽観を夢見ていながら、自ら精神病院に入り、閉ざされた場所で晩年の2年を過ごしたことを思うと胸が掻き毟られる。ポゴレリッチは、作曲家の秘められた心の作業をすべて明るみに出し、「公平化」する。精神の世界の、いかなる不平等も認めないピアニストの高潔な姿勢が伝わってきた。コンサートはほぼ定時に終了し、アンコールはなし。本物の巨匠の演奏に、割れるような喝采が寄せられた。

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