小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京・春・音楽祭『ラ・ボエーム』(演奏会形式)

2024-04-15 23:04:49 | オペラ
3月に始まった音楽祭も後半に入った4月中旬、東京春祭の演奏会形式『ラ・ボエーム』を鑑賞(4/14)。外は前の週から一転して初夏のような陽気で、ホールの中では寒いクリスマスのラブストーリーが演じられた。指揮は「プッチーニを最も親しい作曲家と感じる」と語るピエール・ジョルジョ・モランディ、オーケストラは東京交響楽団、合唱は東京オペラシンガーズと東京少年少女合唱隊。

冒頭から喧々諤々をはじめるロドルフォとマルチェッロは、テノールのステファン・ポップとバリトンのマルコ・カリア。体格のいいステファン・ポップは音楽が始まる前からわくわくとした微笑みを隠せず、その含みは、これから大好きな役を演じられる嬉しさと、「観客全員を驚かせてやるんだ」という自信だったと思う。初っ端から凄い声で、輝かしい美声を楽々とねぶり回している。オペラ好きのお客さんなら、いっぺんに大ファンになってしまったかも。すべては生まれつきの才能で、最初からスタートラインが違う才能の持ち主なのだと思った。画家役のマルコ・カリアも負けずにど真ん中のいい声を客席に向けてくる。コッリーネ役のバス、ボクダン・タロシュもショナール役のリヴュー・ホレンダーも勢いがいい。ベテランの風貌の4人の歌手が、元気いっぱいに若者を演じている様子がなんだかとても嬉しかった。
 その大騒ぎに、雷神のように怖い声を轟かせて大家のベノアが乱入してくる。バス・バリトンの畠山茂さんが、外国人歌手勢に負けない凄味のある歌を聴かせ、5人の歌手たちは面白げにからかったりからかわれたりする。ポップと畠山さんのからみが特に秀逸だった。

イタリアの若手ソプラノ、セレーネ・ザネッティがミミを歌い、役作りのために顔色を悪く見せるメイクをしていたが、物凄く精緻に役を作る歌手で「私の名はミミ」は絶品だった。演劇的に深く入り込んでいて、全く怖気づかず、高音域にいくにつれて複雑な色彩感を増していく。「美術品か宝飾品のような声だ」と咄嗟に思った。オパールや白蝶貝のようにゆらめいて、伸びやかなメロディの中にいくつもの聴かせどころを作っていく。非常に分析的に「声の美」を創り上げていて、知的であり純粋であり、プッチーニがミミという貧しい女性の中に見ていた聖母の姿が見えてくるようだった。

ロドルフォはミミが現れて嬉しくて嬉しくて仕方ない。ステファン・ポップは演技派で、少しやりすぎなくらいミミにのめりこんでいた。ミミのアリアの前にはロドルフォの『冷たい手を』があり、ここでのハイCは勢いよく噴出する温泉水か原油のようで…つまり無限大の豊かさを感じさせた。ミミとロドルフォがこんなに素晴らしいと、もう一幕で泣けてくる。一幕最後はデュエット半ばで舞台から去っていく二人だが、さっきまで聖母のようだったミミが「愛よ!」の重唱の高音では、獣っぽいほどムンムンした若い女性の刹那の声になっていたのに驚かされた。

二幕では東京オペラシンガーズと東京少年少女合唱隊が大活躍。少年少女たちは楽器や手袋のカラフルなアップリケを衣装に縫いつけていて、全員が難しいイタリア語を楽しそうに歌い上げ、手袋のついた服を着た一番小さな少年が大活躍をした。
ムゼッタはエチオピア生まれのイタリア人ソプラノ、マリアム・バッティスティッリが演じ、「ムゼッタのワルツ」を鮮やかに歌った。ムゼッタのパトロン役アルチンドロは、何と元ウィーン国立歌劇場総裁のイオアン・ホレンダーで、ホレンダー氏のみ譜面を必要としていたが、何とも贅沢な画面だった。

短い3幕では、ミミのパートが改めて難しい旋律を歌うことを思い知らされた。病魔に冒されて、ロドルフォともうまくいかなくなったミミの精神状態は、独特の譫妄的で寄る辺ないメロディーによって表される。プッチーニが世俗的な作曲家というのは全く嘘で、歌手にもオケにも最大限難しいことをさせる。ザネッティの実力の高さと、涙にむせぶロドルフォ=ポップの演技力に感心した。
4幕では、屋根裏部屋の若者4人が悪ふざけをして踊ったり格闘したりする。この場面は演出的にも大変よく作られていて、「演奏会形式」というものから完全に飛び出していた。
ロドルフォはミミを想い、マルチェッロはムゼッタを想い、それぞれ詩を書き画布に向かう。若い芸術家の愛は、恋人がインスピレーションの源だが、女の方は貧しさに負けずに生きるためにリアリストにならざるを得ない。
ミミが息絶える場面では、ミミとロドルフォの愛だけが正直で、よく語られる「ミミが子爵に見せる娼婦としての媚態」というのは全く思い浮かばなかった。

マエストロ・モランディの指揮姿は終始色々なことを語りかけてきて、指揮者の人生を見ているようで、それに応える東響のサウンドも機知に富んでいた。繊細でエレガントで、コンマスのニキティン氏の奏でる美音に何度も目が覚める思いがいた。この音楽祭、ワーグナーではN響が活躍し、この前日のブルックナー「ミサ曲第3番」では都響が名演を聴かせ、プッチーニは東響、読響の『エレクトラ』はこれから。まったく夢のような音楽祭で、特に今年は20周年記念ということもあり、演奏会形式オペラの充実度が並外れていた。
春祭が続けてきた演奏会形式オペラの「頂点」ともいえる名演で、温かいマエストロの心、真剣な東響、オペラシンガーズと少年少女合唱隊、贅沢なキャスティングの歌手たちが奇跡的なプッチーニを聴かせてくれた。ピンクの素敵な花束を渡され、息子さんのリヴュー・ホレンダー(ショナール役)とともにカーテンコールに登場したイオアン・ホレンダー氏が、なんとも言えない表情をしていた。実行委員長の鈴木幸一さんは、スタートした当時この音楽祭で舞台装置まで作りこむ計画をしていたというが、そのリスクを指摘し、演奏会形式で開催することをアドバイスしたのが、ホレンダー氏だったという。

声そのもの有難味というのも、オペラを取材しはじめた頃にはまだピンと来なかったが(演出に興味が集中していた)、客席にいて「命の源」を貰うようなものだとつくづく思った。春の音楽祭は幸せの上塗りの催しで、こちらからは永遠に何もお返しができないのに惜しみなく最高のものを聴かせてくれる。

ステファン・ポップはパヴァロッティの再来と呼ばれているらしく、「パヴァロッティは偉大すぎるだろう」という反論もあるそうだが、パヴァロッティでいいと思う。パヴァロッティにはどこかクールでスタイリッシュなところもあったが、ポップにもそういう素質があるような気がした。またすぐに聴きたいオペラ歌手。