小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

LFJ2024 パスカル・アモワイエル『私がフランツ・リストに会った日』

2024-05-12 08:30:35 | クラシック音楽
5月3日から5月5日まで開催されたラ・フォル・ジュルネ2024は11公演を鑑賞。初めて聴く演奏家も多く、今年も新鮮な音楽祭だった。強く印象に残ったもののひとつが、221席の《カンタービレ》で行われたパスカル・アモワイエルの『私がフランツ・リストに出会った日』で、脚本・芝居・ピアノをピアニスト本人が担当する。
勝手に鳴りだすメトロノームを何度も止めようとして失敗し、聴衆の笑いを引き出す冒頭部から、アモワイエルの役者ぶりは洗練されていた。想像してたよりずっとプロの俳優っぽい。リストを語る音楽劇かと思いきや、ピアニストは自分自身のことも饒舌に語りだす。若い頃の自分はリストになるためなら何でもやった。ピアノの練習だけなく髪型も真似した。それを諦めたおかげでこんなにいい男になりました、と飄々と語ると、また客席から笑いが起こる。「子供の頃からみんなを驚かせるのが好きで、将来はマジシャンになると思っていました。ミュージシャンになりましたけど」

少年リストが父親のスパルタ教育を受けながら、皇帝やセレブたちの前で天才少年ぶりを披露する件は、アモワイエルがリストになり切ってモーツァルト「バター付きパン」(こんな曲があることを初めて知った)「トルコ行進曲」を拙い感じで弾いた。「気難しい巨匠にも陽気な青年時代があったのです」名教師ツェルニーのところへ連れられていくと、「早く弾きすぎる」癖を治すために、メトロノームとともに練習することを義務付けられる。この時の、メトロノームとともに語られるアモワイエルの早口言葉はちょっとした名人芸だった。

45分間の中で、父の死、貴族令嬢との失恋、ショパンの音楽への驚愕、宗教世界への憧憬などがピアニストの演奏とともに見事に語られた。リストの曲を弾くアモワイエルに「あっ」と驚いた。『巡礼の年 第一年《スイス》からオーベルマンの谷』『伝説から《水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ》』が神懸かり的な演奏で、アモワイエルがリストの孫弟子であるシフラの弟子で、いわゆる曾孫弟子であることを思い知らされた。いよいよリストを弾くという段になって、このピアニストの天辺の才能にびっくりしたのだ。リストが僧門へ入っていったこと、神からの啓示を受けていたこと…あの演奏が説得力のすべてだった。

こんなに弾けるのに、なぜわざわざ演劇をやるのだ? とアモワイエルという人物への謎が深まった。後半もどんどん凄いことをやった。モーツァルトの真似をして、ピアノに頭を向けて仰向けに寝ながら手を交差して「きらきら星」を弾いた。「これはプロの技だから良い子は真似しないようにね」さらにワーグナー/リスト「イゾルデの愛の死」をオーケストラのように弾き、リストの影響を受けた後世の作曲家たちの魅惑的な曲を次々と弾いた。「オペラのトランスクリプションを奏でることで、辺鄙な田舎へも名作のオペラを伝えることが出来たのです」ラヴェル、ラフマニノフ、スクリャービン、オスカー・ピーターソン…「彼らはリストがいなかったらこんな曲を書いたでしょうか…」その様子を見て、わけのわからない涙が出る。ピアニストは魔術師で、「リサイタル」を発明したリストを再現していた。

ラストが見事だった。「リストは35歳で人前で弾くことをやめ、瞑想と作曲に没頭しました。それが正しい選択だったことは間違いないと私たちは知っています」
作曲家としてはどんどん枯淡の境地に進み、音がほとんど少なくなった『子守歌』が演奏されるが、そこにはかつての超絶技巧の面影もない。

アモワイエルは人の好さそうな外貌で、勿体ぶったところがなく、役者としては剽軽で芸達者で、音楽性は驚くほど深遠だった。知る限り、世界でも5本の指に入るリストの名手だ。さらにそこを超える。芸術的概念の大転換がこの芝居にはあった。「リストはピアニストであることをやめた」という衝撃を、ピアニスト自身が伝える。王侯貴族からほめそやされ、多くのファンをもつ演奏家が隠遁する。それはどんなに思い切った決断であったか。

アモワイエルは劇中とエンディングで二度手品をした。最初の手品は、リストの肖像が表紙にプリントされた楽譜をたたくと紙吹雪が舞い上がり、次の瞬間に楽譜がすべて白紙になるというもので、最後のやつは、ハンカチが赤い花になる古典的なものだった。
「マジシャンでなくてミュージシャンになりましたけど、皆さんの前でマジシャンになることを諦めきれないのです」というアモワイエルのいたずらな声が聞こえたような気がした。演奏家が作曲家の曲を弾くとはどういう行為か、哲学的な真理を見せられた音楽劇だった。




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