小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

シャルル・デュトワ×新日本フィル(6/11)

2024-06-20 14:22:49 | クラシック音楽
6/8のトリフォニーホールでの演奏会が高い評価を得ていたデュトワ&新日本フィルの共演。6/8と同様6/11のサントリーも売り切れとなり、上階には補助席も出ていた。87歳のマエストロは颯爽と指揮台に上り、ハイドン『交響曲第104番 ニ長調《ロンドン》』から優美なサウンドがホールに溢れ出した。ハイドン最後の交響曲は古典美からはみ出すような妖艶さもあり、アンダンテ楽章はモーツァルトオペラの色っぽい女声のアリアを聴いている心地がした。器楽演奏から「人の声」の気配を感じたのは実は1楽章のアダージョ~アレグロ楽章からで、合奏が合唱のように聴こえ、「これはなんだろう」と神秘的な感慨に包まれた。個人的にハイドンには強い思い入れを持つことが難しい。19世紀後半から20世紀初頭のエモーショナルな煮込み料理のような音楽が好みの自分にとって、ハイドンはあまりに端正で明晰すぎるのだ。ところが、デュトワが新日本フィルから引き出す世界には、色も艶も「愛の切なさ」のようなものもあり、まさにオペラ的だった。ハイドンは生前にマリオネット劇も含むオペラを多数書いたが、多くが散逸したり真偽不明だったりして残っていない。性格的に品行方正すぎてオペラのいかがわしさと絆を持てなかったハイドンの「裏側」が浮き彫りにされていたように思った。

30分のハイドンの後に休憩があり、その後に1時間のストラヴィンスキーとラヴェル。オケの編成上、後半が長くなるのは仕方ない。ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ(1911年原典版)』が神がかっており、ヴェルベットのような弦に、個性的な管楽器が正確に乗り、迫力の打楽器、チェレスタ、ハープが宝石のように音楽を飾る。この演奏会のためにピアニストの阪田知樹さんがオケに加わったのも贅沢この上なかった。フォーキン振付の『ペトルーシュカ』は日本でもロシアでも何度か観ているが、ピットのサウンドからはこのような完璧な音楽を聴くことは稀だ。この夜は格別で、精緻に演奏されればされるほど、ストラヴィンスキーの過激な「遊戯性」が明らかになった。藁人形ペトルーシュカの少ない脳みそが書いたような、子供の落書きのようなメロディがいくつも書き込まれているのだ(いくつかはロシア民謡を思わせる)。「ペトルーシュカの部屋」では3つの管楽器が、追いかけっこをするように単純なメロディを奏で、そこにはヒロイズムも深遠さもないのに、ひどく心を揺さぶられる。不器用なペトルーシュカは人間に憧れるボロ人形で、バレリーナの人形に恋をし、強者であるムーア人に打ちのめされ、最後は魂だけの存在になって天空に吸い込まれていく。この物語はストラヴィンスキーが眠っているときに夢で見た話で、そのプロットを使ってバレエ・リュスのために曲を書いた。現実と夢、大人と子供、人間と人形を往復するようなイマジネーションが潜んでいる。文明の外にある不思議言語を使って、圧政と権力の恐怖も描き出してみせた。

5日間のリハーサルを重ねたというデュトワとオケの「共作」で、奇妙なことにペトルーシュカの最中、ほとんど客席から指揮者を見ることがなかった。デュトワの気配を感じつつ、一人一人の奏者の姿に釘付けになり、特に緊張度の高い管楽器群の活躍には目を奪われた。指揮者の統率力が音楽を完成させているのは明らかだが、見方を変えれば指揮者は影武者であり、そう感じられることが大変未来的に感じられ、嬉しくなった。「謝肉祭の夕方」が演奏されるあたりでは、ペトルーシュカを聴きながらひたすら涙しているおかしな自分がいた。

偉大な指揮者というのは紛れもなく存在するが、実際に鳴らすのはオーケストラで、指揮者とオケは一心同体で価値を発揮する。デュトワの指揮は「あなたがいなければ私はダンスを踊ることが出来ないのです」と、オケ全員に手を差し伸べているような指揮だった。長いキャリアの中で様々な経験をした芸術家が、最終的に到達した境地というものを感じずにはいられなかった。

最後のラヴェル『ダフニスとクロエ』は「夜明け」から素晴らしい色彩感で、音から湿度や「粘菌」のように飛び交う微粒子を感じた。原作は2~3世紀にギリシア語圏で書かれたラブストーリーで、時間の枠を超えた世界に憧れていたラヴェルの創造性が爆発的に発揮されている。名曲と呼ばれるものの何割かは、バレエ音楽なのだ。デュトワにとってフランスものは朝飯前であり、ペトルーシュカの不協和音の後ではひたすら艶麗な音楽で、デュトワも踊るような柔らかい動きだった。各セクションはいずれも精緻を究め、特にフルート首席の野津さんの活躍が目覚ましく、曲終わりでデュトワが指揮台に上らせるほど。コンマスのチェさんはハイドンから、ストラヴィンスキー、ラヴェル、すべての曲でデュトワから感謝の抱擁を受け、指揮台の高いところからコンマスをぎゅっと胸に抱きしめる指揮者のツーショットは、まるで母と赤子のよう(!)だった。ソロ・カーテンコールにはデュトワは現れず、チェさんが代わりに挨拶された。現れないのは「主役はオケですから」の指揮者の意図だと思ったが、後半は流石にハードでお疲れだったらしい。オーケストラサウンドの頂点を聴いた伝説の夜だった。





読響×ユライ・ヴァルチュハ マーラー『交響曲第3番』

2024-05-23 16:12:16 | クラシック音楽
今年4月に首席客演指揮者に就任したユライ・ヴァルチュハと読響のマーラー3番。この5月は日フィル×カーチュン・ウォンのマーラー9番、東響×ノットの「大地の歌」と、マーラーの演奏を聴く機会が重なったが、どの指揮者も全く違う、三者三様のマーラーだった。マーラーのシンフォニーは3の倍数番号が特に好きな自分にとっても有難い月だったが、初夏の自然が最も美しい5月にマーラーは本当にぴったりだと思った。3番は特に「マーラーの田園交響曲」とも当時呼ばれた曲で(マーラー自身はそれに対して含蓄のある答えをしている)、あの有名な小さな山小屋で作曲された大曲である。マーラーはあの狭い作曲部屋の中で夏の間、鳥の声を聴き、刻一刻と表情を変える太陽の光を見、雨や風や木の葉の音を聴いていた。山小屋は告解の空間にも見える。祈りを捧げ、苦悩を語り、神から与えられた霊感に感謝しながら完成した曲だと実感した。

ヴァルチュハは長大な1楽章からとても丁寧に音楽を作り、読響の食いつきも真剣だった。金管いじめ(!)ではないかと思うのはマーラーの全交響曲について感じることだが、緊張感に満ちたすべての瞬間を読響の金管奏者たちは誠意を込めてこなしていた。マーラーが「夏が行進してくる(バッカスの行進)」と書いていた標題の楽章で、地球が最も美しく天国的なムードになる5月から6月にかけての、夏の夜の夢のようなパノラマが広がっていくような心地がした。マーラーが自然の中に幻視していた神々の饗宴がオーケストラによって繰り広げられた。この楽章だけで40分はかけられていたと思う。

頭でっかちな1楽章の後には、小さなメヌエット楽章が続き、なぜかこの楽章がマーラーのあらゆる曲の中でも最も好きなもののひとつなのだが、「野の花々が私に語ること」という標題もあるこの曲は、やはり愛らしく美しかった。マーラーは野の花の可憐さや無防備さ、子供のような無邪気さに「存在」の理想を思い描いていたのではないか。あるいは、こういう女性が好きだったのかも知れない。ワーグナーの『パルジファル』の花たちのように、複数で華やかにさんざめく若い娘たちの姿も思い浮かんだ。弦楽器の甲高い音は面白く、まるでリハーサルで間違って出した音をそのままピンでとめて曲にしたような感じ。ヴァルチュハの指揮にはユーモアも感じられた。

4楽章でアルトソロを歌ったエリザベス・デションは神々しく、ニーチェのテキストの深遠さが神秘的な声によって歌われた。声量が格別大きいわけではないが、質感が並外れて素晴らしく、慈愛の波動に溢れている。ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』でこの曲が流れる場面も思い出した。サントリーホールで起こるすべてのことを是認し、祝福しているような表情は「まるで女神のようだ」と思った。5楽章では、それまで長い時間オーケストラの音を静かに聴いていた東京少年少女合唱隊が立ち上がり、国立音楽大学の女声合唱と、デションとともに弾むような歌声を聴かせた。

自分がオーケストラの取材を始めたのは2009年頃からで、それ以前の在京オケのライヴの演奏を知らない。評論家の方々やクラシック・ファンが語る「読響らしさ」というものを、なんとなく分かっているようで、実ははっきりと把握していない。カンブルランの首席指揮者延長の記者会見の折に、マエストロに「何が読響らしさで、変えたいところがあるとしたらどんな点ですか?」と質問したところ、すごい笑顔で「こんなに熱心で忠実なオーケストラに、変えて欲しいところなんてありませんよ」という答えが返ってきた。それが自分にとっての「読響らしさ」にも感じられた。洞察的で、温かい人間性があり、目の前のマエストロに対してつねに敬意を払っている。

ヴァルチュハの指揮というものを正確に言い当てることも難しい。まだ少ししか聴いていないし…思ったのは、指揮者もオーケストラもその共演に起こるケミカルによって、毎回生まれ変わるということで、このマーラー3番は指揮者とオーケストラの凄い一体化だった。指揮者が孤独な時間の中で楽譜から読み取ったどんな細部も、オケは忠実に再現しようとする。楽章ごとにバラバラな雰囲気をもつマーラー3番が、ひとつの身体のようにがっちりとした幹を持っていた。煉瓦を積み重ねるように力を合わせて作っていったのだろう。

6楽章はノイマイヤーのバレエを思い出さずにはいられない。2023年の来日公演では、なんと最前列センターでこの曲とともに踊られるバレエを観ることが出来た。ノイマイヤー自身もステージにいたその公演の残像を思い出しつつ、オペラグラスで読響の弦楽器の方々の表情を見ていたら、感極まった。生まれてから今までに与えられた色々な人の親切、愚かな自分を許してくれた寛大さ、親心などへの感謝がこみ上げた。マーラーの曲が、ここまで生きてこられた自分の奇跡を思い出させてくれた。こんなおかしな感想はないとも思うが、真に「愛が私に語りかけること」という楽章だった。

9番や「大地の歌」で聴こえるマーラーの成熟と、3番の豊潤さにはギャップを感じない。時系列で発展していく作風、ということとは別の成り行きがあると思った。アルマへの愛が5番を書かせたのは事実だと思うが、3番には既に巨大な愛が描かれ、2番にも愛は溢れている。9番、10番では愛の敗北が馬鹿正直に描かれるが、マーラーとは本質的に「愛の人」だったのだ。3番の作曲中には14歳年下の弟がピストル自殺していて、そんな凄惨な悲劇も音楽に昇華するしかなかったのだろう。自分が死ぬときは「私が死んだら、誰がシェーンベルクの面倒をみるんだ」と泣いた。愛とは無縁であるかのような堅物の音楽家として人生を生き、中身は愛しか詰まっていなかった。
読響がヴァルチュハとともにこつこつ積み上げていった音楽が6楽章にたどり着いたとき、この神秘的な癒しの感覚は奇跡としか言いようがない…と感じた。5月に聴いたコンサートの中でも格別の名演だった。





アスミク・グリゴリアン (5/17)

2024-05-20 16:18:46 | クラシック音楽
5/15のAプログラムのコンサートが大評判だったリトアニア出身のソプラノ歌手アスミク・グリゴリアンのBプログラム(東京文化会館)。オーケストラは東京フィル、指揮はアルメニア出身のカレン・ドゥルガリャン。バレリーナのようなまとめ髪とシンプルなデザインのロングドレスで現れたグリゴリアンは、ハイヒールを脱いでも175cmはありそうな美人で、横顔が少しザハロワに似ている。
ドヴォルザーク『ルサルカ』~「月に寄せる歌」から、大きな目を見開いてどこまでも澄んだ伸びやかな声を聴かせた。まるで星空や大海原を見るように客席を見つめているのだが、客席よりもっと遠い彼方を見ているようでもあった。オーケストラに埋もれない声とは、ただ声量のある声ではなく、音程が超正確で宝石のような輝きを持っている声なのだと実感。力んだところがまったくないのに、オケを突き抜けて天界に舞い上がっていく自然な美しい声だった。

その前に演奏された『ルサルカ』序曲から、指揮者のカレン・ドゥルガリャンが凄い存在感で「この人は只者ではない」とそのたたずまいを見て感じた。そんなに高齢には見えないのに椅子に座って指揮をするのだが、両手から導き出される音が妖しく、全体が微妙にずり下がっていて、あんな音を出す東フィルも初めて聴いた。ドヴォルザークのオーケストレーションがこんなに複雑な味わいを持っていたことにも驚いた。アルメニアの首都エルバン出身で、グリゴリアンもリトアニア出身だがアルメニアのルーツをもつ。このことが、この夜のコンサートのひとつの鍵のように思われた。

チャイコフスキーの弦楽のためのエレジー『イワン・サマーリンの思い出』も、サンクトペテルブルクのチャイコフスキーではなく、南端をイスラム諸国に囲まれた「ロシア」の雑味のあるサウンドだった。指揮者の動きは魔術師か妖術師のようで、彼の周りに怪しげな煙のようなものが立ち上がっているように見える。こんな指揮者がいたのだ。世界の思わぬ広がりに驚愕する思いだった。
美しいグリゴリアンが再び登場し『エフゲニー・オネーギン』のタチアーナの手紙の場「私は死んでも良いのです」を歌う。これが、オペラ本編を見ているようで、タチアーナになり切ったグリゴリアンは一秒ごとに表情をくるくる変え、怒りと恥じらい、恐れ、希望、そして苦痛に歪んだ哲学者のような顔をして、自由な心のはばたきのようなアリアを歌った。バレエの「オネーギン」でも泣いてしまう場面だが、オペラでも泣いてしまう。あの瞬間、グリゴリアンはタチヤーナになっていたのか? というよりチャイコフスキーになっていたのだ。チャイコフスキーは自分の恋の切なさをヒロインに歌わせ、恐らく泣きながらこの場面を書いた。ソプラノ歌手が作曲家を生きていた。

『スペードの女王』の「もうかれこれ真夜中…ああ、悲しみで疲れ切ってしまった」のあとに歌われた。アルメン・ティグラニアン作曲『歌劇《アヌッシュ》より"かつて柳の木があった"」は、プログラムで唯一初めて聴く曲だったが、アルメニアの吟遊詩人の伝統に強く影響を受けたというティグラニアンの曲を、グリゴリアンは頻繁にリサイタルで採り上げているという。先日のラ・フォル・ジュルネで聴いた地中海の伝統音楽を奏でた現代の吟遊詩人「アンサンブル・オブシディエンヌ」を思い出した。場所は少し異なるが、アルメニアはトルコ、イランに隣接し、北にはジョージアとアゼルバイジャンが位置している。あのあたりの土着音楽はユニークだ。音程の取り方が細かく、バッハ以降のヨーロッパの平均律に収まらない音も認識している。アルメニアはキリスト教を国家の宗教にした最古の国で、グレゴリオ聖歌ならぬアルメニア聖歌を聖典では歌うが、それはメリスマを多様したイランの詠唱にも似た無伴奏の歌なのだ。一方「アルメニアの民族音楽」でひも解くと、インドの音楽のような性格の音楽で、民族楽器ドゥドゥクが独特の哀愁を聴かせる。

それから、歌手と指揮者のルーツであるアルメニアについてしばし考える時間があった。彼らの音感はずば抜けていて、指揮者にはエキゾチックなものがごっそりと残っているが、グリゴリアンのほうは正統派のイタリアオペラのヒロインも演じられる。幼少期に耳にしたアルメニアの微分音いっぱいの揺らぎの音楽は、クラシックをやる耳には余計なものかも知れないが、逆に「12音律以外の音もたくさん知っているが、あえて12音律で歌う面白さ」を目覚めさせたのかも知れない。グリゴリアンのずば抜けた音程の良さ、天空へとまっすぐに突き抜けていく美声は「もともとの音程のバレットが膨大である」という豊かさから来ているのだと認識した。

後半には、ハチャトゥリアンの『スパルタクス』から「スパルタクスとフリーギアのアダージオ」が演奏され、歌をひとつはさんで演奏されたR・シュトラウス『サロメ』の「七つのヴェールの踊り」と双子の音楽に聴こえた。ハチャトゥリヤンとR・シュトラウスが同根の音楽に聴こえたのは、ユニークなアルメニアの指揮者が振ったからだ。古代を志向して、近代西洋の行き詰まりを突破しようとしたR・シュトラウスが、まったく違うエキゾチックな国へ創造力をワープさせたとしても不思議ではない。指揮のドゥルガリャンの生まれたエレバンはアルメニアの首都であり、世界最古の都市のひとつで、アルメニア語も世界最古の言語に属する。音楽家のDNAはそういう来歴を持っている。

グリゴリアンは理想のサロメで、その前に歌われた『エレクトラ』のクリソテミスのモノローグ「私は座っていることもできないし、飲んでいることもできない」も圧巻だったが、この過激なヒロインたちの見事な再現をR・シュトラウスが聴いたら何と言うか聞いてみたい気分になった。サロメのモノローグ「ああ! ヨカナーン、お前の唇に口づけをしたわ!」で歌われる異次元の勝利の歌は、20世紀の新しいオペラヒロインの表現であり、モデルとなったサロメは新約聖書の登場人物である。ロマン派の残骸が散らばる中、R・シュトラウスは能う限りの知力と才能を使って「20世紀に生き続ける音楽」を書こうとした。それ以前のオペラのヒロイン像では飽き足らず、欲望に対して主体的で、能動的な女性を描き出した。

「オペラは作曲家の女性論」というのが私の持論だったが、グリゴリアンのコンサートで「オペラのヒロインは、作曲家自身である」という認識に変わった。ルサルカとはドヴォルザークであり、タチヤーナとはチャイコフスキーであり、サロメとはR・シュトラウス自身のことなのだ。作曲家は男で、歌うのは女。だから、オペラの作曲家は永遠に自分の書いたヒロインになることは出来ない。純粋なサロメを歌い上げたグリゴリアンは、作曲家と「等しい」存在だ。演奏家が作曲家に等しくなる…「そんなことはあり得ない」と思っていたが、その奇跡を見た。作曲家も歌手も完璧に両性具有的な存在で、ひとつの想像界をともに生きている。

グリゴリアンはすごく若く見えたが、経歴からかなりのキャリアを積んだ人だと思って調べたら1981年生まれとあった(それでも若い)。世界中の歌劇場が喉から手が出るほど欲しいソプラノの一人だと思うが、彼女自身はスターになるつもりで歌を続けてきた人ではなく、オペラを創造することに心血を注いできた「地味な舞台人」だった。土台の大きさというか、幹の太さというか、凄くオペラに「根付いている」感じ。その前の週にROHのオペラシネマ『蝶々夫人』を見ていたせいか、彼女のたおやかなお辞儀や所作には日本女性的なものも感じた。色々な女性に変身できる人なのだ。今まで聴いた歌姫とはまったく違う印象を残していった稀有の歌手だった。













LFJ2024③ カンティクム・ノーヴム アンサンブル・オブシディエンヌ

2024-05-12 10:57:04 | クラシック音楽
ラ・フォル・ジュルネ2024のテーマは「オリジン」で、音楽のあらゆる原型をおさらいするという壮大なテーマだったので、採り上げられる作曲家も多岐にわたり、一瞬テーマのことを忘れる瞬間もあったが、このふたつの音楽グループは紛れもない「オリジン」だった。

カンティクム・ノーヴムは地中海沿岸の伝統楽器アンサンブルで「キリスト教世界と東洋世界が出会う地中海地方の音楽と、西欧の音楽を自在に融合させる器楽・声楽演奏」をする8人組だが、西洋的な要素よりもエキゾティックな色彩がだいぶ濃厚で、譜面にどう書いてあるのか想像できない、微分音をふんだんに駆使したメロディが奏でられる。それぞれのパートには「歌」「ウード」「カーヌーン」「ニッケルハルバ」「フィドーラ」「笛」「パーカッション」など記されている。紅一点の女性が優しい歌を歌い、男性たちの多くも歌うが、日本の「謡」にも通じる懐かしさがあり、楽器の響きには我々の遠い先祖たちが、もともと同じ大陸にいた痕跡(!)が感じられる。時を超えた音楽であり、この演奏会のタイトルの「Afsaneアフサネ」はペルシャ語で「伝説」という意味、ギターの先祖にあたるウードという楽器を広めたジルヤーブ(8世紀末~9世紀)の伝説を出発点にして組まれたプログラムであった。

曲はトルコのもの、シリアのもの、オスマン帝国の音楽が並び、西洋音楽に親しんだ耳には不快にも感じられるかも知れないが、個人的には好みのタイプで、こうした音楽に拒絶感を示す人は逆に「耳がよすぎる」のだろう。煙のようにたゆたうメロディは「香り」にも似て、音楽を香りに置換して楽しむというやり方で、すごく堪能した。実際に、彼らからはお香のようないい香りがしたのだ。演奏家たち、ふだんはどんなライフスタイルなのだろう。吟遊詩人の魂をもつ音楽家たちは、非文明的な生活をしているようにも見え、違う次元を生きている存在のようでもあった。

彼ら同様、もうひとつどうしても聴きたいグループがアンサンブル・オブシディエンヌで、ともに2019年の「ボヤージュ」がテーマの年に来日し、その年の1~2月にはナントの音楽祭でも演奏を聴いていた。カンティクム・ノーヴムもアンサンブル・オブシディエンヌも、遥か昔の音楽を奏でているが、西洋音楽ゴリゴリでないところが私に合っていると見立てていただいたのか、彼らに直接取材したり、レクチャーの司会を務めさせてもらったこともあった。
アンサンブル・オブシディエンヌはフランス中世の音楽をやる集団で、メンバーは5人だが、とにかく楽器が多い。一人で何種類もの楽器を担当するが、ずらりと並んだ管楽器にはとても珍しいものもあり、小さなシタール風の弦楽器も含め、タピスリーなどの古い図案を参考にして「どのような音が出るのかは分からないが」自分たちで制作して音を出すのだと教えてくれた。

「当時の恋歌は、まだ見ぬ貴婦人への憧れを詩人が歌うというものでした」とリーダーのリュドヴィック・モンテが語り、「野生のナイチンゲールを真似て歌います」「愛の喜び、楽しさ、安らぎ、そして勇気の歌」「とても愛しています」といったタイトルの歌が、これも採譜が難しそうな音程とリズムで歌われる。「追放または十字軍の歌」「アダン・ド・ラ・アル(13世紀の作曲家)の歌」「アルフォンソ10世の歌」などが続く。

アンサンブル・オブシディエンヌも、初めて聴いた瞬間が忘れられない。魂が反応し、海の底に沈んだものが浮き上がってきたような幻想的な感慨に包まれた。この日もみんなが現代の人には見えず、風のように軽やかに「すべての時代をトリップしている存在」に見えた。2019年には、ジャーナリストとアーティストが同じレストランで食事をしていたので、そこで通訳さんを交えて色々話をしたこともあったが、近くで見る音楽家たちは服装も独特で、現代的な欲とは無縁の妖精のような人々に見えたのだった。

アンサンブル・オブシディエンヌの古いフランスの歌は、ラ・フォル・ジュルネでしか聴けないもので、この音楽祭がフランスの歴史を伝えるものでもあることを考えさせられる。ある意味、フランス・プロモーション的な要素もあるのかも知れないが、そういう言葉を使うよりやはりもっとピュアな表現を選びたくなる。

ラ・フォル・ジュルネは日本では東京のみの開催になったが、一時期は金沢、新潟、鳥栖などでも開催されていた。ラ・フォル・ジュルネの名を冠した音楽祭になると、フランスのアーティストがメインになり、ある程度のコストがかかる。金沢に関しては、何年か前にルネ・マルタンは「彼らは我々の音楽祭からノウハウを学んで、彼ら独自のことをやるためらに別れた。セ・ラ・ヴィだね」と語っていた。政治的なことは分からないが、ラ・フォル・ジュルネとして開催するには、大変なことも多いのだろう。それゆえに、今回のこの二団体との再会は、大変貴重に感じられた。地中海とフランスの歴史を音楽で体感し、それがとてもユニバーサルなバイヴレーションを放っていることに改めて気づかされた。



LFJ2024② ジャン=バティスト・ドゥルセ 小津安二郎の映画に寄せる即興演奏

2024-05-12 09:40:51 | クラシック音楽
2024年のラ・フォル・ジュルネは221席の小ホールでの名演が多かった。1992年生まれのピアニスト/作曲家ジャン=バティスト・ドゥルセによる演奏会も心に残る時間で、こちらは小津安二郎の1929年の二本のサイレント映画に即興演奏が乗せられるという試み。
ドゥルセはロン=ティボー・コンクールで4位(2019年)を得た演奏家。現代の「ピアノの詩人」とも呼ばれているらしいが、何よりこの演奏会のコンセプトが気に入った。フランス人に小津ファンは多いというが、サイレント映画まで愛しているシネフィルのピアニストがいること、選ばれた二つのフィルムが何とも人間味に溢れていることが喜ばしく思えた。

仏語通訳をともなったドゥルセがこの試みについて簡単に説明をする。耳に快い声で、満員の会場の空気もやわらいでいるのを感じた。『突貫小僧』のフィルムはだいぶ痛んでいて、台詞部分の文字の映像も見えづらい。不便なことが多い中、流れるようなピアノの即興演奏が聴き手の心にさまざまな模様を作り出した。子役の小僧(青木富夫)のやんちゃぶり、人さらい(斎藤達雄)の滑稽さ、子供が大人をたじたじにいじめる本末顛倒ぶりが面白い。悪さをたくらんだ大人が逆に子供にコテンパンにされ、おもちゃを買ってもらった小僧が得をして、小僧の仲間たちまでが人さらいに群がる。「おぢちゃん、でんでん虫の顔をしてよ」という小僧にこたえる人さらいの可笑しさ。小津映画の俳優は二枚目で、所作も外見もどこか洋風だ。

帰宅してから同じ映像をyoutubeで見つけて、まったくの無音で見ると何とも物足りないことに愕然とした。ドゥルセの即興は自然で、ラヴェルやドビュッシーの後期作品を主に連想させるもので、サイレントの映画にいたずらっぽい仕掛けを作り出していた。映画のサントラは「最後のいたずらが出来る」と坂本龍一さんが語っていたが、21世紀に活躍する若手ピアニストがこんな「風流」をやってみせることに惚れ惚れしてしまう。毎回即興なのか、ある程度筋書きは決まっているのか、多分両方の要素があるだろうが、まるで演奏が密やかな影であるかのように小津のストーリーがくっきり心に残ったのも驚くべきことだった。

次の『和製喧嘩友達』の前に、再びドゥルセが語り始めた。「今日ここにいられることが幸せです。ここに集まったみなさんを感じながら、即興を弾きます」。漂いつつ、心に杭を打つピアノで、香りも感じられるようで、かけひきのようなものもあった。「フランス人は恋の終わりに、どのように相手の心に爪痕を残すか、それしか考えていないから」と誰かから教えてもらったことを思い出した。

『和製喧嘩友達』も映像は古くて荒い。フランスの小津ファンは本当にマニアックなものを見つけてくる…と思いつつ、サイレント映画の奇妙な饒舌さに目を奪われる。貧しいトラック運転手の留吉(渡辺篤)と芳造(古谷久雄)の暮らしぶりは洋風で、雑然とした食卓にはリキュールやタバスコのような調味料が置いてあり、フォークとナイフを使って何かを食べている。これはアメリカ映画『喧嘩友達』の和製版で、オリジナルが1927年で小津の和製は二年後の1929年に作られている。身寄りのないお美津(浪花友子)を家に連れ込む場面で、何やら妖しい展開を想像してしまったが、女性への悪事はまったく行われず、ヒューマニスティックで泣けるラストが待っている。『突貫小僧』も『和製喧嘩友達』も、当時どちらもヒットしたらしいから、我が国もイノセントだったのだ。

パスカル・アモワイエルのリストの音楽劇と、このジャン=バティスト・ドゥルセの即興で、ピアニストは何をやってもいい時代が来ているんだと実感した。本来ピアニストは聴衆に語り掛ける存在で、「いよいよ本当に語りかけてきた」二つの演奏会を経験し、フランスの自由さが眩しく思えた。こういう新鮮さを教えてくれるのがラ・フォル・ジュルネの醍醐味でもある。演奏家と聴衆の相思相愛を実感し、小津のヒューマニズムを発見した45分間。