小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

新国立劇場『カルメン』

2018-12-06 13:26:42 | オペラ
新国の『カルメン』の千秋楽(12/4)を観た。このプロダクションを観るのは3回目くらい。それぞれインパクトのある主役が記憶に残っているが、今回は特に大きな驚きとともに観た。若いイタリア人メゾ・ソプラノのジンジャー・コスタ=ジャクソンが宿命の女を鮮やかに演じ切った。
 指揮はフランス人のジャン=リュック・タンゴーという初めて名前を聞く人で、プロフィールを見るとオペラ・コミックの指揮補を務めていたこともあったらしい。カルメンはまさに得意芸だろう。指揮台に乗ったかと思うとくるりとオケを向いて、凄まじいテンポで前奏曲を振り始めた。木管がハイテンションな叫びをあげ、オケ全体が動物的で興奮したサウンドをピットから放っていた。カルメンはそういえば、決して上品ではない話だったな…としみじみする。東フィルの切り札の多さに驚いた瞬間でもあった。

幕が開いて、美術の美しさと人物の配置の素晴らしさに感心した。鵜山仁さんの演出はひとつの「決定版」なのだと思った。群衆の動きは細やかで、兵隊たち、庶民たち、子供たち、物乞いが同時に色々なことを行っている。千秋楽のせいか、合唱が惜しみないパワーを発揮し、舞台が素晴らしい声で溢れた。一人一人が気を抜かずに真剣に歌っているのがわかる。新国立劇場合唱団の歌声には高貴なトーンがあり、これがイントロのオケの「俗な」感じと鮮やかなコントラストをなしていた。今年は海外招聘のオペラ公演が比較的少ない年だったが、この夜の新国合唱団は海外のどのオペラハウスの合唱より真摯で優れた声を聴かせた。大人だけでなくTOKYO FM少年合唱団がフランス語の歌詞でたくさんの歌を歌ってくれたのも嬉しかった。彼らは三幕でも大活躍した。

歌詞のとおり「青いスカートを履いた」清純なミカエラを砂川涼子さんが演じ、初日から素晴らしいと話題になっていたが、この日もパーフェクトだった。ムラがなく透明で、フランス語も美しい。そんなことより、命懸けの愛を身体中で表現するミカエラそのものをオペラで生きていたことに胸打たれた。舞台では、我々が思うほど簡単に歌手は嘘をつけない。無防備でピュアなミカエラは、砂川さんの生き方だと思った。底なしの優しさと善良さが歌われ、ホセとの二重唱も豊かだった。
ミカエラとホセの二重唱の前にカルメンが登場するのだが…舞台に飛び出してきた琥珀色の肌のジンジャー・コスタ=ジャクソンがあまりに美しいので、この人は本当に歌手なのだろうかと目を疑った。横から見ると首が白鳥のようにすっとしていて、バレリーナのようなのだ。顔立ちはミック・ジャガーの最初の妻ビアンカ・ジャガーに少し似ている。こういう美女の声はどんなものなのか…第一声で衝撃を受けた。
カルメンの最初の声で、ラストの死のシーンが見えた。宿命的な美声で、生まれつきの声に責任をもって歌っている歌手の努力が有難かった。録音で聴くマリア・カラスのドラマティックな低音部分をさらに低くしたスケールの大きな声で、アンティークな厳かさとミステリアスな華やかさがあり、厳粛で高貴で、物語に登場するどんな男性も叶わない「存在」を暗示している。もうスタートラインが違うのだ。
カルメンは自由を愛するギャンブラーで、究極のスリルを満たしてくれる出来事を待っている…ホセ誘惑のシーンも、異性を翻弄しているようで相手など眼中になく、無邪気なゲームにただ興じているようだった。「ハバネラ」でも「セギディーリャ」でも、基本のメロディに彼女のオリジナルな遊びを加えていて、入念な役作りをしていることがうかがえた。演劇的にもオペラ的にも、そうした役の発展のさせ方は正しいと思う。次から次へと魅了の瞬間を展開していくが、そのことでカルメンは果てしない孤独も表現していた。どんな刺激にも満足できない、どうしようもなく危険な女の姿があった。

ドン・ホセ役のオレグ・ドルゴフも、エスカミーリョ役のティモシー・レナーも好演で、「花の歌」にしても「闘牛士の歌」にしても、相当な鍛錬と度胸がなければ歌えない歌だと思った。男性歌手は脇役として素晴らしい演技をしたと思う。彼らは恋する人間の男で、カルメンは人間の女というより「運命」そのもので、どうにもこうにも等号でつなぐことが出来ない。ホセよりエスカミーリョが優れているという物語でもないのだ。
フラスキータを演じた日比野幸さん、メルセデスを演じた中島郁子さんはカルメンの存在感に遜色なく、エスカミーリョ登場のシーンでの絡みも愉快で、カルタの歌も華やかだった。一幕ではカルメンとの女同士の愛を思わせる演出もあり、その部分は初めて見た気もする。キャストに合わせたのだろうか。客席から見ると素晴らしいチームワークで、内側から喜びをもって取り組んでいることが伝わってくる。劇場は素晴らしい場所だと思った。

カルメンは謎の女で、メリメの原作とビゼーのオペラに触発されて、バレエでもプティ、アロンソ、マッツ・エックがカルメンを振り付けた。シルヴィ・ギエムが踊ったマッツ・エック版のカルメンは、獰猛な昆虫のような存在で、威嚇的でアニマル的だった。一方、ジジ・ジャンメールが踊るプティのカルメンは小鳥のようだ。カルメンとはブラック・ボックスであり、そこに演劇人は「正解」を求めて挑んでいく。鵜山カルメンの演劇的な正しさを何度も噛みしめ、オペラ演出とは人間の真実の姿をいくつもの数式で表していく仕事だと認識した。性や感情やその他さまざまなものを天秤にかけて、その偏りや傾きがしかるべき重力によって流れていく方向を書き留めていく。その「秤」となるものは、とても厳密で道徳的なものだ。カルメンはろくでなしの男女の話であると同時に、その真逆でもある。それぞれ異なるカルマの持ち主が、摩擦を起こしたり傷つけあったり、魅了したりされたりする。
カルメンがホセに殺されるのは必然で、あんなにも超然とした「宿命」に対して、男は触れることもどうすることも出来ないので息の根を止めるしかないのだった。闘牛士たちのパレードから、すごい勢いでラストシーンに吸引されていく時間があった。もう最初からカルメンが死ぬのが分かっているのだが、早く死を見たい…「あんたがくれた指輪」とカルメンが放り投げるときのジンジャーの声がすごかった。「私も苦しい!」と絶叫していた。息絶えたカルメンを見て、劇場とは本当に正しいことしか起こらない神聖な場所なのだと思った。

ジンジャー・コスタ=ジャクソンは思い返せばMETライブビューイングの『カヴァレリア・ルスティカーナ』でローラを演じていた歌手で、ヴェストブルック演じるサントゥッツァに対して意地悪ばかりをする悪役だったが(マクヴィカー演出はそういう内容だった)このカルメンでどういう歌手なのか知らしめてくれた。国際的なキャリアを歩み始めた若い逸材をキャスティングした劇場には「グッドタイミング!」と感謝するしかない。千秋楽でなければ、もう一度観たい舞台だった。









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