小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京芸術劇場『トスカ』

2017-10-31 01:22:32 | オペラ
全国共同制作プロジェクト『トスカ』の東京芸術劇場での上演を観た(10/29)。
このプロジェクトについては、夏に演出の河瀨直美さんにスカイプ・インタビューをさせていただいており、大きな期待をもっていた。観る前から、絶賛の評を書くスタンバイをしていたのだが、嘘を書くわけにはいかない。実際、終演後にお会いした複雑な表情のジャーナリストや評論家の方たちはどう思っていたのか…。笑顔で受付をしてくれたホールの皆さんを思うと、よいことを書きたいという思いも山々なのだ。
世界的な評価を得ている映画監督の河瀨直美さんが、オペラの演出をされるのは画期的なことだった。ローマ歌劇場でもソフィア・コッポラ演出の『椿姫』が話題になり、来年はキアラ・ムーティ演出の『マノン・レスコー』とともに日本でその舞台を観ることができる。古くはリリアーナ・カヴァーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』などもあったが、ロイヤルオペラ『マクベス』のフィリダ・ロイドや、過激演出のカロリーネ・グルーヴァーを数え上げても、まだまだ女性のオペラ演出家は少数派だ。河瀨さんが「女の物語」である『トスカ』を古代日本に似た設定で演出されると聞いたときは、嬉しく思ったのだ。

一幕で、左右に神社の鳥居のようなセットを見た時は興奮した。奥のスクリーンに霊山が映し出され、堂守がうやうやしげに山に拝んでいる姿を見た時は「やった!」と思ったのだ。トスカの信仰の物語を古代日本の自然崇拝に置き換える…という新しい試みは、一幕冒頭では成功していたと思う。世界の河瀨さんが日本のトスカを作り上げた…ということを、多くの人々に知って欲しいと思った。
最初の失望は、演出とは関係がないが…カヴァラドッシ(カバラ導師・万里生)役のテノール、アレクサンドル・バディアが、ひどく生気のない声で「妙なる調和」を歌ったことだった。海外のゲスト歌手は、ゲネプロで日本人歌手が全力で歌っているときも本番のために声を温存していることがあるが(つられて途中から本気を出す人もいる)、このテノール歌手の声を聴いて、ゲネプロなのかと思った。不調で変化球の歌唱をしているのかとも思ったが、そうでもないようだ。いつからかは分からないが、多分とうの昔に情熱を失ってしまったのだろう。ディクションも発声も演技も満足できなかった。通常、歌手についてこのような感想を書くことはない。

そのような相手役なので、トスカ(トス香)のルイザ・アルブレヒトヴァも頑張ってはいたが、自分の情熱と相手の演技が調和しないもどかしさがあったと思う。アルブレヒトヴァは経歴を見るとドイツ系のレパートリーがメインで、そのことを記者会見で質問したところ、トスカは既に3つのプロダクションで歌っており、自分なりの挑戦をしているという答えだった。理想のトスカとまではいかないが、発声も演技も頑張っていたと思う。

カヴァラドッシが今一つだった代わりに…スカルピア(須賀ルピオ)の三戸大久さんが誠実ないい演技をし、声楽家として筋の通った生きざまを見せた。スカルピアにも人間的な面がある、という演出の効果もあったのだろうが、オペラでもバレエでも結局はその人の本質というものは隠せない。声のひとつひとつが、胸に響いた。毎日真剣に積み上げてきた人の声だと思った。スカルピアのテ・デウムで一幕が終わったとき、この上演で一番の収穫は三戸さんなのではないかと予感した。

演出に明確な疑問を感じ始めたのは、二幕に入ってからだった。捕えられたカヴァラドッシが扉の向こうで拷問を受け、トスカがスカルピアの欲望の餌食となり、スリリングな駆け引きが行われるこの幕は、プッチーニがたくさんのことを演出家に託している。ホールオペラなので転換が難しいのは承知しているが、この幕で、演出らしい演出が見えなかった。スクリーンにえんえんと映し出される水疱や海底からみた海面の様子は、何を暗示しているのかわからないし(溺れる者が海から脱出しようとする暗示なのか)、それはあまりに長く続いた。カットも気になった。ナポレオンの勝利を聞きカヴァラドッシが「ヴィットーリア!」と歌い出すところは、その前のやり取りがごっそり抜けているので何に対して勝利を歌っているのか理解に苦しむ。スカルピアが完全な悪人でないという設定では、窮地に追い込まれたトスカが「歌に生き…」を歌う場面での切迫感にも欠ける。
古代日本、という設定はスカルピアの衣装などからもう無効になっていることは分かったが、トスカがどの瞬間に、何を使ってスカルピアを殺そうと思い立つのかは、プッチーニが演出家に託しているハイライトで、カルメンがどんなものでホセに殺されるか…ナイフか、割れたビンの切っ先か…と同じくらい重要なものだ。

トスカは、皿の横に置いてあるテーブルナイフをなんとなく見つけてスカルピアを殺すのだが、オペラグラスで見てもそれはバターナイフにしか見えず、女のトスカが食事に使う小さなナイフで大の男を殺せるとは、演劇的にも現実的にも可能だとは思わなかった。小さなナイフを振り上げて、スカルピアを刺した瞬間、スクリーンに打ち上げ花火がパーンパーンと映った。プッチーニがこれを望んでいるとは思えなかった…トスカが殺人を行うこの場面は、こういうことではなかったはずだ。

色々な違和感が重なったが、それでもオペラは「トスカ」だった。なんと、プッチーニは簡単に壊されない。その強靭に張り巡らされた「プッチーニの結界」には驚くばかりだったが、それはスカルピアの三戸さんをはじめとする、スポレッタの与儀巧さん、アンジェロッティの森雅史さん、堂守の三浦克次さん、シャルローネの高橋洋介さん、看守の原田勇雅さんらの真摯な演技の賜物だった。日本人のオペラ歌手は…今回は若手が多かったが…今やこんなにも立派なのだ。
カヴァラドッシのバディアは残念ながらミスキャストで、この先の公演で少しでもいい演技をしてくれることを祈るが「星は光りぬ」で気持ちは三段落ちし、トスカも彼に恋をしていないようだった。あのラスト近くのユニゾンが、まったくバラバラでちぐはぐに聴こえた。

東京フィルは素晴らしいプッチーニを奏で、細部に渡るまで洗練されていた。多少ボリュームが大きく感じられた箇所もあったが、客席をつぶして平土間にオケピを作っているのだから仕方がない。舞台の後ろにオケを持ってくるわけにもいかないし…起伏に富んだシンフォニックなサウンドで良かった。広上淳一さんの指揮は明快で、合唱にもわかりやすい動きで指示を出していた。時折陶酔するような動きでメロディアスなプッチーニを滔々と聴かせてくれたのもよかった。ある種の通俗性がプッチーニには必要なので、この指揮には異論はない。

プッチーニのリッチなスコアは、トスカのサンタンジェロ城からの転落に向かってピラミッドの先端のように研ぎ澄まされていく。あそこでトスカは「スカルピア、神の御前で!」と叫んで落ちていくのだ。自殺する自分も、罪を犯したスカルピアも、地獄に落ちる運命なので、私たちはそこで再び会う、という言葉である。
そのラストが、別の部分のトスカの歌の挿入によって、全く別のものになっていた。最後のアルブレヒトヴァの歌声は、録音であった。なるほど、コンヴィチュニーも譜面を変えるし、録音を使う……。
河瀨さんの映画では、自然光がとても美しい。自然な光を浴びた「演技を超えた」人々のありのままの表情は、観る者の胸を打つ。他の監督の映画では、すべてが人工的だ。河瀨さんは、窮屈な劇場の暗闇から「トスカ」を自然光の当たる場所へ出してあげたかったのだ。あるいは、そうして欲しいと強く薦める人がいたのかも知れない。
私は自然にはほとんど関心がなく、劇場の埃臭い緞帳や奈落や暗闇が好きなのだ…トスカや蝶々さんやミミがいる暗闇に深い安息を感じ、オペラの幽霊たちに癒されたいと思った。













イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

2017-10-28 01:40:02 | クラシック音楽
去る10月20日に行われたイーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタルは忘れ難い内容だった。ここのところ、毎年のように来日してくれるポゴレリッチだが、今年は特に大きな変化を感じた。極端に遅いテンポで前半だけで一時間半をかけることはなくなったし、鍵盤を力任せにぶっ叩くことも少なくなった。昔からのファンなので、このピアニストが何をやろうと肯定的な感想を持とうとしてきたが、やはり何度かは…不可解な演奏会もあった。しかし最近のポゴレリッチはだいぶ理解可能な音楽を奏でてくれるようになり、予定調和に収まるものではないが、非常に「音楽的」な演奏になっている。

雨続きで足元が悪い夜だったが、サントリーホールは結構埋まっている。消して安価なリサイタルではないのに、このエキセントリックなピアニストにたくさんの人たちが関心を持って要ることに嬉しい驚きを感じた。190cmの大柄なポゴレリッチはいつものように譜めくりの女性を伴って現れ、これもまたいつものように譜面をばさっと床に置いた。
一曲目のクレメンティ「ソナチネ ヘ長調Op.36-4」を聴いて「あっ」と思った。なんとも懐かしい曲である。ピアノ初心者が「ソナチネ・アルバム」で練習する曲で、私もこの曲をよく練習し、小学二年のときに発表会で弾いた。ポゴレリッチはグローブのような大きな手でこれを見事に演奏し、雅やかなオーケストラのようなサウンドを響かせた。
次のハイドン「ピアノ・ソナタ ニ長調Hob.ⅩⅥ:37」も懐かしい曲。これは小学六年生のときの発表会で弾いたことがある。右手のパッセージが左手に移るところで大変な苦労をした。ポゴレリッチは全く別の曲のように弾く。注意してみると、右手と左手に微妙な速度の揺らぎを加えていて、その絶妙なフラクタル感がオーケストラのような響きに繋がっていた。
しかし、なぜこの曲を弾くのか…鬼才ポゴレリッチも子供時代はこの曲から始めたのだろう。彼の心の中で、何か回帰のようなものが行われていたのかも知れない。
前半最後の曲はベートーヴェンの「熱情ソナタ」で、リストを弾くようなダイナミック超絶技巧だった。テクニカルな面での凄味を感じた。ポゴレリッチは本当に「うまい」のだ。技術面での水準が高く、それをいかようにも使える演奏家であることを再発見した。

そもそもなぜ自分はポゴレリッチのファンであったか…ショパンコンクールで型破りの演奏をして予選落ちをしたのに、そのことで逆に世界的な人気ピアニストになった。ロック・スピリットの持ち主で、80年代から90年代にかけてグラモフォンからリリースされたCDには彼でしか弾けないユニークな解釈の演奏がみっしり詰まっていた。22歳で、43歳の自分のピアノの先生と結婚した。彼の表現と人生のすべてが興味深く、注目せずにはいられなかったのだ。
ポゴレリッチはいつも平然としている。彼がステージで泡を食っている姿を一度も見たことがない。何かを諦めているようでもあり、達観したムードを漂わせているが、同時に非常にエレガントでもあった。2005年に久々に日本で復帰コンサートを行ったときは、火星の音楽のようだ…と思った。喜怒哀楽のカラフルなスペクトルの外にある、黒いタールのようなサウンドで、それは全く地球的ではなかったのだ。

後半のショパンの「バラード第3番」は魔術的で、つい数日前に同じサントリーでプレスラーがこれを弾いたことを思い出したが、同じ曲とは思えなかった。やはりショパンでは、ポゴレリッチの異形さがギラギラ光る。水の精オンディーヌへの憧れというより、ポゴレリッチ自身が旅人を迷わす水の魔王という雰囲気だった。どんなに激しい打鍵にも、裏側に恐ろしいほどの静寂を感じる。リストの『超絶技巧練習曲』からの3曲…第10番ヘ短調、第8番「狩」、第5番「鬼火」は、ポゴレリッチが世界でも指折りのヴィルトゥオーゾであり、リストの名人であることを証明する演奏だった。マルク=アンドレ・アムランも狂気のヴィルトゥオーゾだが、この二人はいい勝負だと思った。文学的な感興というより、鋭い詩の感覚があり、揺るぎない「ポゴレリッチ言語」を聴き取ったリストだった。

最後はラヴェルの「ラ・ヴァルス」で、このプログラムは見事に優等生的な曲順で、古典・ロマン派・印象派と続いていることに気づく。ラ・ヴァルスの始まりは、万物創生の混沌の泥を思わせる不穏な響きで、一瞬何の曲が始まるのかわからなくなったほどだった。ラヴェルの殺人的なグリッサンドが、拷問のように何度も繰り返され、ポゴレリッチの強靭な指の下の鍵盤たちが血みどろの悲鳴をあげていた。テンポは遅めだが、穏当といえば穏当。しかし、タッチの奇矯さにおいてこれは「ポゴレリッチ健在」とうならずにはいられなかった。まったく文学的ではない、贅肉のような形容詞を寄せ付けないドライアイスのような音楽…。
なんの拍子か、その平然とした演奏の裏側から「僕のお母さんはどこ!?」という小さな男の子の叫びが聴こえたような気がした。
まったく音楽とは関係ないようで、関係があった。クレメンティとハイドンは小さな少年が弾いていた曲であったはずだ。そこで、10歳か11歳で家族と離れてモスクワ音楽院に入学したポゴレリッチの少年時代、師アリスとの結婚、妻の死後長く続いた精神の病のことが大きな波のように覆いかぶさってきた。
「私は音楽のなかでお母さんを探しているのです」なんて、ポゴレリッチは間違っても言わないが、私はそれを感じた。

アンコールの二曲目は、ポゴレリッチがお気に入りのショパンのノクターンop.62-2で、いつも以上に秘めた悲劇性が脈打っていた。この日は彼のバースデイだったので、入口ではサプライズで「ハッピーバースデイ」を歌う内容のプリントが配られていたが、後ろの席のお客さんが「このショパンのあとでは、ハッピーバースデーはないほうがいいのでは?」と話していて、私もそう思った。
ワゴンでケーキが運ばれてきて、やはり予定通りみんなで大合唱をした瞬間、ポゴレリッチの顔が薔薇色に染まり嬉しそうな微笑みがこぼれた。そうか、これでいいのだ。人は愛されるために生まれてきた…天秤座は「愛される」という意味の星座なのだ。ポゴレリッチもまた、大勢のお客さんに愛されていた。






キャスリーン・バトル Something to Sing About

2017-10-21 21:56:57 | クラシック音楽
キャスリーン・バトルの14年ぶりの来日リサイタルをサントリーホールで聴いた(10/19)。バトルといえばまだ田舎の学生だった頃、洋酒のCMで美しい歌声と女神のような姿に魅了された伝説のディーバ。第一線での活動を退いてからだいぶ経ち、再びライヴで彼女の歌声を聴けるとは思わなかった。
遅刻をしてしまったので、楽しみにしていたヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」は聴けず。ホールの扉越しにシューベルトの「糸をつむぐグレートヒェン」が聴こえてきたが、ブランクを感じさせない朗々たる美声で、聴衆も熱狂しているのが伝わってきた。
メンデルスゾーン「新しい恋」から中で聴く。69歳(!)のバトルは緋色のドレスに金色のローブをまとい、その表情には少女のような清らかさがあった。姿を見た瞬間「あっ」と思った。醜いしわのひとつもなく、タイトにまとめた髪の毛の額は清々しく乙女のような気配が漂っている。

バトルの声について「声量に欠ける」という評をよく見るが、この夜の彼女の声に「足りない」という思うことはなかった。恐らくサントリーホールのアコースティックも味方につけていたのだろうが…澄み切ったソプラノはホールをのびのびと旋回し、龍のごとく舞い上がって天空へ伸びて行った。若々しく自由自在で、歌手自身、復帰のために万全の準備を重ねてきたことが伝わってきた。
それでも、有名な「歌の翼に」では、祈るようにして高音を出しているのが伝わってきた。メンデルスゾーンは少しばかり苦労をしているようで、やや艶に欠けるところがあったと思う。そのことで、この夜の彼女を悪く言う人がいたらどうしよう…とたちまち心配になった。
しかし心配は無用だった。次のラフマニノフは見事に盛り返し「春の奔流」では歌の神様を味方につけて奇跡のハイトーンを響かせた。こんなに素敵な金色の歌声で前半を終えるなんて、なんというグッド・アイデアだろう。ピアニストのジョエル・マーティンもノリノリで本当にうまい。

プログラムには、NY在住のジャーナリスト小林伸太郎さんが22年ぶりにMETにリサイタルで復帰したバトルの評を書かれていた。小林さんとは2006年のネトレプコのMETでの取材を一緒にさせていただいて以来、何度かお話をしたことがある。とても優しい方で、文章も素晴らしく、こうして自分の感想を書いていても小林さんの言葉とともに考えているような気になる。バトルがMETの大スターの座を降ろされたのは、彼女の少しばかりエキセントリックな性格に起因しているらしい。レヴァインはバトルの才能を高く買っていたが、庇い切ることが出来なかったという。
「すごい歌姫」はなぜか全盛期が短い。マリア・カラスは53歳で亡くなったが、彼女の実際の最盛期はとても短かったという人もいる。
素晴らしすぎることは長続きしない…しかしこれは本当に本人のせいだろうか? アンナ・ネトレプコはこのジンクスに全力で抵抗し、バトルもこの罠から解放された。素晴らしい歌手であることは、罪人であることと同じような意味をもつのかも知れない。

後半のリスト「ローレライ」はやや硬い表情だった。メンデルスゾーンとリストは曲の相性がよくないのかも知れない。高音で少しばかりハラハラした。そこに私にも罠が仕掛けられた。バトルの歌声を生で聴くのが初めてなのに、「全盛期と比べて…」という批評家じみた言葉が頭の中にもやついたのだ。年齢が、ブランクが…ということ以上に、もっと大切なことがあるのに、すぐにそれを忘れそうになる。
本質的に、音楽家というのは受難の存在であり、プロの評論家だけでない、素人の評論家(?)までが憎しみを込めて演奏のジャッジメントを行う。判で押したような役割意識であり、未来のない驕慢で吝嗇な態度で、音楽家はそのことに傷ついても反論しない。
それでも私のもとには、音楽家を大切に思う人たちから「あれには、ああいう事情があったのだ」というメッセージが届く。年若い演奏家の親御さんや、アーティストを大切に育ててきたマネジメントの方々からの言葉だ。私はそれを受け入れることに決めた。

バトルが辛そうだったのは「ローレライ」だけで、次のオブラドルス「一番細い髪の毛で」からみるみるうちに声に豊かさを蓄えて、自信にみなぎる歌を聴かせた。語り掛けるような仕草で、ぶどう畑型のホールの全方位に顔を向け、P席のお客さんにも「私は少数派を大切にするの!」と言わんばかりに歌を届ける。そうしているうちに、ピアニストのジョエル・マーティンが見事なイントロを弾き始めた。ガーシュウィンの「サマータイム」。そこからはもう、バトルの天下である。アメリカン・ミュージカルのレパートリーが繰り広げられ、ロジャース&ハマースタインの「マイ・フェイバリット・シングス」では、天にも昇るようなわくわくした気分を味わわせてくれた。歌姫の勝利だった。

プログラム本編の最後は黒人霊歌が続いた。「ハッシュ」にはじまって、プログラムには載っていない「スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット」も歌った。私はこの曲を聴くと即座に涙がでてしまい、大変なことになるのだが…1870年代の黒人たちが、天国について歌った「君がもし先に着いたのなら、僕もすぐに行くよと伝えてくれ」という歌で、黒人のカウンターテナー歌手が歌った素晴らしいヴァージョンを、昔ラジオのパーソナリティをやっていたときによくかけた。
本当に素晴らしいメロディで、黒人歌手は誰一人としてこの歌を同じようには歌わない。一人一人リズムや節回しが違うのだ。「家庭の味」のように、その地域によって別々に歌われてきたのかも知れない。

このリサイタルのテーマは「ルーツ」ということだったのだろう。子供の頃から教会や学校で讃美歌を歌ってきたバトルは、自分自身のすべてを日本の聴衆に見せ、アンコールでは「この道」を日本語で歌った。私たちのルーツにも敬意を向けてくれたのだ。
そこからの彼女は本当に素晴らしく、何度も何度もカーテンコールに応じて数えきれないほどのゴスペルを歌った。「スウィング・ロウ…」もアカペラで再び歌った。大いなる神とつながって巨大なパワーを放出している様子は、奇跡のようだった。
歌姫は、素晴らしければ素晴らしいほど罪人のように憎まれる…。人間の心の闇がそうさせる。音楽家の中でも歌手、とりわけ女性は辛い存在で、女性が女性であることが罪だという人もいるからだ。そうすると歌手で、女性で、黒人である人はどうなるのだろうか。あれほど大きな賞賛を得ながら、バトルはずっと闘ってきたのではないか…。
しかし彼女は逆襲を果たした。アンコールの最後でキャスリーン・バトルは「この世はなんとビューティフルな場所か!」と高らかに歌ったのだ。
















メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル

2017-10-17 21:49:20 | クラシック音楽
晩秋のような冷たい雨が降り出した10月のある夜に、メナヘム・プレスラーのピアノリサイタルを聴きに出かけた。サントリーホールはオケ側のR席とL席、P席もみっしり埋まっていて、多くの人たちが93歳のプレスラーから何かを教わりたいと集まってきたことが嬉しかった。金髪でハイヒールを履いた背の高い女性に支えられて、ステージ下手から小柄なプレスラーが現れる。専用のパイプ椅子にちょこんと座った瞬間、ピアニストと彼を囲む客席が素晴らしい一枚の絵になった。
「これはなんと美しい絵か…」自分もその完璧な絵の一部になれたことが嬉しかった。

ヘンデルの「シャコンヌト長調」はエレガントに始まり、プレスラーのタッチは何かに微かに触れているように軽やかで、ホールの空気の粒子が一瞬で変化した。ふるふるしたトリル音がバロックの貴婦人のドレスの裾のようで、厳かな歩みで気持ちのいい景色の中を逍遥しているといった雰囲気だ。朗らかな変奏曲は万華鏡のように次々と新しい模様を見せ、鍵盤の上でぴちぴちとはねるプレスラーの稚魚のような手が可愛らしかった。
モーツァルトの幻想曲は、古い記憶の箱をゆっくり開けるように始まり、そこから夥しい可愛くて綺麗なものたちが姿をあらわした。プレスラーは要所要所で印象的なアクセントをつけ、鍵盤に吸い付いた指は息をするようにクレシェンドした。誰もがそう思っていたかも知れないが「心で弾いている」感じで、指から正しい音がこぼれていっても、ピアニストのイメージしている和声感が正確なので、音楽として瑕はつかない。ひとしきりおしゃべりに物語を語った後、再び宝箱を封じるようにこの曲は終わった。

椅子に座ったままなので、どこで拍手をしたらいいのか悩んでしまったが、モーツァルトは次の『ピアノ・ソナタ第14番』と続けて演奏された(同じハ短調)。「しん」という集中した客席の視線を感じる。とても暖かく親密な空気感だった。サントリーホールでは、ここだけでしか起こらない奇跡の瞬間があり、それは舞台と客席、客席と客席の特別な和解が起こるときである。ピアノソナタは快活さの裏色に静寂をしのばせ、達観していると同時に遊んでいるようにも聴こえた。
打鍵が思わしくなくても、決して音楽は止まらないのがすごい。プレスラーの中で鳴っている音楽は不滅のもので、現実に鳴っている音とともに彼の中の不変のモーツァルトが同時に届いてくる心地がした。アダージョ楽章は永遠のゆりかごのように心地よく、ホール全体がひとつの色彩に包み込まれるようだった。前半が終わったのは何時だったろう。時計を見ていなかったが、結構時間が経っていたと思う。金髪の女性に再び支えられて、子供のような笑顔で客席からの喝采を受けてプレスラーは幕に隠れた。

1923年生まれのプレスラーの若い頃の演奏を私は知らない。1955年から2008年まで続けたボザール・トリオの演奏も一度もライヴで聴いたことがないので、プレスラーといえば2014年に庄司沙矢香さんと共演した可愛いお爺ちゃんのイメージしかないのだ。それでも、年を重ねて純粋さだけを表現に残し、温かい微笑みを絶やさないプレスラーには芸術家としての巨大なインパクトを感じる。ステージに出てくるだけであれだけ大変な思いをしているのに、聴衆のために音楽を奏でてくれるのは何故なのか。
ドイツのマクデブルクに生まれ、ナチスの迫害を逃れて15歳で家族とともにイスラエルに移住したプレスラー。この芸術家の音楽の優しさや寛大さは、破壊行為や残虐行為は何ももたらさず、ただ美だけがそれに打ち克つものだという信念からくるのかも知れない。

後半のドビュッシー『前奏曲集第1集』からの4曲はどれもユニークで、「デルフィの舞姫」ののっそりとしたアルカイックな歩みがユーモラスだった。プレスラーはなぜか「デルフィ…」の最初の数音にまったくペダルをつけない。ダンパーペダルを踏むと、音は水に溶かした絵具のように空間に広がりだす。「沈める寺」は池に映った金閣寺がさざ波によって揺れているようで、プレスラーの描き出す幻想的なイメージと一体化せずにはいられなかった。そのまま「レントより遅く」「夢」へと続いていく。なぜかルドンの描いた油彩画の花を思い出した。パステルカラーなのだが妖しく、凝縮された想念の力を感じる。
後半も前半に負けないボリュームで、このあとショパンのマズルカ3曲のあとに、バラードの3番が続いた。若者が弾いても体力が大変なプログラムだ。あの難しいバラード3番を臆せず完成させたプレスラーには感謝しかなく、曲が終わった瞬間に拍手をした。

その瞬間、隣に座っていらしたご婦人が「あなた! 拍手をしてくれたよかった」「この演奏に拍手をしたあなたには、仕事で辛いことがあっても絶対にいいことがある!」と話しかけてくださったので驚いた。拍手の間にプレスラーがインディアナから時間をかけて乗り継いで東京までやってきたこと、庄司沙矢香さんをとても評価していること、とても優しい紳士であることを教えてくださった。私たちは二人の少女のようにはしゃいでアンコールを聴いた。「月の光」が終わると、そのご婦人は私の肩に触れて「お元気でね!」と席を立たれたのだ。
サントリーホールでは本当にこういうことが起こる…。美しき隣人の美しい心に触れ、多くの人がスタンディングでピア二ストに喝采を送っている景色は、天国のようだった。
美の追究者であるプレスラーは、このコンサートでおこる美のすべてを分かっていたのかも知れない。イメージは現実となり、美は永遠の記憶になる…今からでも彼の生徒になりたいと思ってしまった。




東京二期会『蝶々夫人』(10/9)

2017-10-09 21:15:55 | オペラ
プッチーニの『蝶々夫人』は大好きなオペラだ。6日から東京文化会館で上演されていた二期会の名作オペラ祭は4日間全部観たかったが、色々重なって最終日だけを観た。歌だけでなくオーケストラや合唱すべてがよく出来ている作品なので、これが舞台で上演されるだけでも嬉しい。指揮はあいちトリエンナーレの『魔笛』も振っていた1978年生まれの若手指揮者ガエターノ・デスピノーサ。
冒頭部分、指揮者によってはすさまじい風圧(?)で低弦を鳴らすところを、コントラバスの音がほとんど聞こえなかった(一階席前方)。ピットは深め。一幕を通じて、指揮者はプッチーニを「薄めに」作っていた印象だった。テンポはかなり速く、東響は素晴らしく忠実についていったが、スズキの山下牧子さんの歌い出しがあんなにアクロバティックに感じられたことはなかった。ただでさえ早口言葉のようなスズキの最初のフレーズが、つむじ風のようだった。コンマ一秒もズレずにグッド・タイミングで決めたのは流石スズキのエキスパートの山下さんだ。

ピンカートンの宮里直樹さんはこれが二期会デビューで、若々しく瑞々しいピンカートン。前半は緊張気味だったが、それでも高音の持っていき方に度胸があり、声量もある。ピンカートンは軽率な男だが、嫌味があるかないかは歌手のキャラクターによって決まる。二期会の舞台を初めて踏む宮里さんは、ピンカートンにとって日本のすべてが初めてで、恋をするのも初めて…といった「初めてづくし」の演技に見えた。昔はやきもきしながらこの役を睨んでいたが、最近では危なっかしい自分の息子のように思えてしまうことがある。
蝶々さんに夢中で、せかせかと落ち着きない恋心を歌うピンカートンを諭すように「実は昨日、領事館に彼女がきたのだよ」と歌うシャープレスのメロディはとても美しい。デスピノーサはようやくここでテンポを落としてくれたが、もっともっとゆっくりでもよかった。シャープレスは今井俊輔さんが歌われた。

蝶々さんは森谷真理さん。このキャスティングを聞いたとき、ドイツもののイメージが強い森谷さんがドラマティックなイタリアものを歌うことが意外だったが、よく準備をされていて、音程にも隙がなかった。蝶々さん登場のシーンは、オペラの中でも好きな旋律のひとつ。森谷さんは完璧主義者なのだろう。音程やディクションへの細やかな努力が伝わってきたが、演技の面ではラブストーリーには見えなかった。
これは演出に起因しているのかも知れないが、ピンカートンと蝶々さんは愛の二重唱を歌っているときもずっと離れていて、蝶々さんはピンカートンから距離を置き続けているのである。避けているようにも見える。前回の上演もこうであったか…記憶が曖昧なのだが、二人の間に恋が生まれているようには見えず、声楽的に「歌っている」印象しか残らなかった。

この齟齬感は何なのか…ひとつは指揮にもあった。
前半はテンポが速すぎたし、ドラマ作りへの関心も希薄であるように思えた。歌劇場のコンマスの劇場経験もあるデスピノーサだが、「蝶々夫人」に対してはあまり物語に関心がないのか、みんなを怖がらせる叔父ボンゾの登場も、本気で驚かせようとはしておらず「譜面の通りやってる」感じだった。折角のボンゾなのに迫力が半減だったのだ。
もしかしたら、蝶々さんに過剰な愛情を抱いているのは私だけで、指揮者もけったいな物語だと思っているのかも知れない…などという不安が頭をよぎる。

蝶々さんは本当に、異国文化を誤解したオペラで、その罪を誰に問おうとしても詮なきことだが、同時に真実の物語でもある。文化の摩擦や政治的葛藤より大切なのは、男女のラブストーリーであるということだ。物事にはダブルの意味があるが、アメリカと日本の主従関係は、恋物語であるほどには重要ではないと思う。エキゾティシズムという要素は大きい。
男女の間にはつねに誤解が存在するが、この「エキゾティックな誤解」は、宗教的な罪悪感が多くを占めている。ピンカートンはキリスト教徒で、蝶々さんも夫にならって一人で改宗を行うが、ピンカートンから見れば蝶々さんは自分の宗教の埒外にいる存在で、それゆえに性的な罪悪感を感じずに済む快楽の対象なのだ。
若さと勢いで他人の痛みをかえりみず、自分勝手な結婚をするピンカートンだが、基本的にだいたい、男は女を誤解しているし、若い頃は相手のことなどロクに考えないものだ。
ピンカートンは凡庸な男なのだ。それゆえラストの三重唱では懺悔のような歌を歌う。

日本の『蝶々夫人』は、プッチーニの書いたエキゾティシズムに対して防御的であり続けてきたと思う。「本当の日本はこんなふうに正しく着物を着て、こんなふうにおしとやかな所作で…」という「オウム返し」なリアクションで、どのオペラ団体でもそれをやる。二期会の栗山演出が不朽の名作であることを認めつつ、そろそろ変わってもいいのではないかと思う。世界中の歌劇場で蝶々さんは上演され、はみ出した演出はブーイングを浴びているが、そもそも「誤解」がベースにあるオペラなのだから、演出が多少逸脱的であっても、逆に正解なのではないかと思う。
「どうですか。これが正解なのです」という純和風の蝶々さんは、藤原、新国でも上演されているが、未来永劫これが続くことは、オペラ的によいことだとは思えない。日本で蝶々さんを初演した藤原は「お家芸」だからいいとして二期会、新国はそろそろ新しい冒険をしてもいいのではないか。
西洋という「他者」からの視線が結実しているオペラに、冴えた返答を行う…それは「蝶々夫人」という機会しかないのだ(『イリス』や『ミカド』も名作と言えば名作だが、蝶々さんは桁外れな名作だ)。

後半、オーケストラはだいぶ呼吸感が寛いできたが、デスピノーサはドラマティックなヴェリズモ・オペラとしてではなく、淡い語り口の劇付随音楽としてサウンドを作っていたという印象。「ある晴れた日に」は森谷さんの絶唱に会場が湧き、見せ所を完璧に決める歌手のメンタルの強さに驚いた。演劇的には、やはりスズキの山下さんが一人だけずば抜けていて、この役のことも深く愛していた。蝶々さんでは、もっと歌手たちに自分の役を愛して欲しいのだ。狂おしくてたまらないほど役を愛して愛して愛し抜いてほしい…と思うのは、プッチーニのオペラのファンの勝手な言い分だろうか。
蝶々さんの死を予見したかのようなスズキ、ピンカートン、シャープレスの三重唱は、プッチーニがヒロインのために書いた「先取りされたレクイエム」のような曲。ここで、シャープレスは居丈高に直立したままなのが腑に落ちなかった。これはもっといい役で、譜面にもそのことが書かれているのである。