小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(10/22)

2019-10-29 10:25:26 | クラシック音楽
セミヨン・ビシュコフ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のサントリーホールでのチャイコフスキー・プロを聴いた(10/22)。冒頭にスメタナ『わが祖国』より「モルダウ」が演奏され、耳慣れた名曲が鮮烈な細部と、ダイナミックな呼吸感によって磨きこまれた表現になっているのにはっとした。主旋律には強い感情が込められ、印象的なアクセントがいくつもつけられている。弦の響きが、地声交じりの混声合唱にも聴こえた。ビシュコフが本気で曲と向き合い、オーケストラを導いていることが伺えた序章だった。

「私は60歳になったとき、音楽と自分との間に邪魔者を置かないことにしたのです」
サントリーでの公演前日に行われた記者懇親会でビシュコフはこう言った。率直で温かい人柄で、一時間ほどの会の中でいくつもの心に響く言葉が飛び出した。世の中は決してシンプルではないが、その混沌に呑み込まれず、明るい道を開こうとしている音楽家の生き方を見た。その肯定的な姿勢は、音楽家の哲学の根幹をなしているようだった。
 今回のツアーでプログラムに入っているチャイコフスキー『交響曲第6番《悲愴》』についての解釈をたずねたとき、ビシュコフは神妙な顔で「チャイコフスキーが亡くなったのは53歳のときです。私を見てください。66歳で活力に満ちています。53歳の健康な人間が「ひとりだけ」疫病で亡くなるということは信じられません」と語った。チャイコフスキーの死は強いられたものであり、悲愴の最終楽章は「アダージョではなくアンダンテでもっと速い。絶望と反抗心が描かれている」ということも語った。

チャイコフスキーは悲観的な人間で、生き延びる強靭さをもたなかった…という解釈ではない。音楽が持つ巨大なエネルギーを引き出す指揮者は、本質を理解している。「チャイコフスキーの生きた時代と比べると、我々の時代はだいぶ変わりました。しかし、同じ人間なのです」という言葉も心に残った。共感する、接近する、距離を縮める、という方法からは「熱」が生まれる。冷たい対象化とグロテスクな異化によって正体不明の表現になっていたミンコフスキの悲愴を思い出した。書かれた作品の中に息づいている魂というものが存在する。「悲愴」は遺書であり、言葉にできなかった膨大な無念の言葉の集積なのだ。

前半の『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』では樫本大進さんがソリストを務めた。端正な印象の強い樫本さんがいつもより粘り強い、オケの一途さと響き合うような演奏をされたのが印象的だった。チャイコフスキーのコンチェルトのヴァイオリン・ソロがこんなに過酷だということも、初めて実感した。超絶技巧的などのパッセージも完璧に正確だが、内側から突き破るようなパッションが溢れていて、こちらのハートにダイレクトに響く。オーケストラのエネルギーと一体化した表現で、燃焼度が高い名演だった。

木管のキャラクターが最高だった。フルートもオーボエもクラリネットもファゴットも、チャイコフスキーの求める色彩感を顕し、結束の固いアンサンブルを聴かせた。
低弦の包み込まれるような深い響きも魅力があった。コントラバスはウィーン配置。オケから近い席で聴いたので、バス奏者たちの息遣いが聴こえてくるようだった。

後半の『悲愴』は、今年立て続けに聴いた演奏の中でも格別に強い印象を受けた。一楽章の饒舌さからは、いまわの際に巡ってくる人生のパノラマを幻視した。ビシュコフの指揮は「もっと、もっと曲の悲痛さに入り込む」「その感情と一体化する」もので、真剣で迷いがなかった。とてもストレートで、回り道をしない、直球の表現だ。
「もう、時間がないのです」というチャイコフスキーの声が聞こえるようだった。実際、我々にとっても時間はあまり残されていないのだ。もっと性急にならなくてはいけない。大事なものを見極めなければならない。回り道をして、どうでもいいことを言い、現実の混濁と不安を音楽に投影して、不信を抱きながら音楽を聴く…そういうことはすべて無駄だ。音楽はもっとシンプルでパワフルなものだ。

ビシュコフはエリート指揮者で、ロシア出身で早くから西側でのキャリアをスタートさせた人だ。オペラもシンフォニーも何だって出来る。2008年にパリ国立オペラの来日公演で聴いた『トリスタンとイゾルデ』も名演だった。しかし、知的に巧みである、ということを主張するような指揮ではない。クラシック音楽はどんな解釈でも、結果的に高潔で上品であるべきだが、同時に地上との確かなつながりを感じさせる具体的なものであってほしい。天と地を結びつけるのは雨か、雪か…ビシュコフは雷のような鮮烈さですべてをつなげた。第3楽章は、生前に書かれたチャイコフスキー自身の葬送行進曲で、その楽章を振り終えてフィナーレに入る前、ビシュコフは汗と一緒に涙も拭いていた。若いコンサートマスターも涙を浮かべていた。あんな言葉でこの曲をとらえていたのだから当然だ。

悲愴のあとにアンコールがあったのは信じられないことだった。ビシュコフはマイクを持ってこの日に行われた即位礼正殿の儀を祝い、「ニムロッド」を演奏してくれた。その荘厳さと優美さは、崇高な友情の証で、マエストロの音楽が他者への愛とリスペクトから出来ていることを証明するものだった。冒頭の「モルダウ」の意味を咀嚼し、ビシュコフがチェコ・フィルと行おうとしていることの真意を受け取った。




 


 







幸福の音楽 レザール・フロリサン『メサイア』(10/14)

2019-10-17 16:04:45 | クラシック音楽
結成40周年を迎えるレザール・フロリサンの『メサイア』をオペラシティで聴いた。ライヴで聴くのは初めて。74歳のウィリアム・クリスティは朗らかな笑顔で登場し、そのオーラは高貴で神々しかった。大変背が高い人なのに驚く。クリスティ氏をずっとイギリス人だと思っていたのだ。プログラムのプロフィールでNY州バッファロー出身であることを知った。1995年からフランス国籍。

ステージに合唱と管弦楽が並び、合唱の男性にはアフロヘアの人もいる。合唱は女性が10人、男性が13人。序曲のシンフォニアから典雅で明度の高いサウンドが響き渡った。お客さんは皆古楽ファンなのだろうか? ほぼ満席で、集中度が凄かった。テノールのジェームズ・ウェイがレチタティーヴォとアリアを歌い、神聖で力強い歌声がさらに音楽の輪郭を輝かせた。コロナの輪が見えたような気がしたのだ。バスのパドライク・ローワンも深みのある低音で「万事の主はこう歌う」と続け、歌手が次々と交代でセンターに出てくる。カウンターテナーのティム・ミードは写真とは違い髭を生やしていたが、天使の声でアリア「だが彼の到来する前に誰が耐えられるだろうか?」を歌い、親切で心の温かい予言の大天使が立ち現れた心地がした。

オルガンとチェンバロは一人の奏者が兼任しており、ひとつの椅子に座って二つの楽器を器用に演奏していた。オルガンを弾くときは指揮者が楽器と逆方向になるので大変そうだったが、一生懸命にいい音を出していた。センスがいい奏者だと思った。聴いているうちに、どんどんテンションが上がる。ベテランと若者の二人のコントラバス奏者のうち、ベテランの方の奏者が全身全霊を捧げるような弾き方をしている。木管も何だか凄い。男性ファゴット奏者は頭をぐるぐる回して吹いている。コンサート・マスターも、マエストロのすぐ前の女性ヴァイオリン奏者も陶酔的な表情だった。

こういう演奏家の姿を、オーケストラで頻繁に見ることはない。緊張感や自制心からか、大抵はもっと神妙で緊張した感じになる。指揮者が「そのように音楽に没頭してよい」と心のなりゆきを肯定しているのだろう。音楽はいよいよ輝かしく、合唱が「私たちのために一人の嬰児(みどりご)が生まれた」を歌い始めた瞬間に、天空の虹の橋が見えた。この合奏と合唱が、ただひとつの肉体と心を描くためのものであることに、改めて気づかされ、言いようのない昂揚感が突き上げてきた。

『メサイア』はヘンデルの異色作とも言われる。放恣な神々のオペラを書き続けたヘンデルが、英語のオラトリオを書いた背景には、当時のロンドンでのイタリアオペラの人気衰退などがあったという。しかしヘンデルの手にあっては、聖書の文言も虹色の音楽になるのだ。バッハの『マタイ受難曲』で感じるようなあの息苦しい反抗的な気持ちとは逆に、救世主がこの世界にとうとう現れたことの喜びが真っ先に伝わってきた。カウンターテナーが歌う有名な「彼は蔑まれ、人々に見捨てられ」は悲しく心に突き刺さるが、舞台で繰り広げられるのは祝祭的な何かで、「イエスを見捨てた人類は愚かだが、イエスが顕現したことは喜び以外の何物でもない」と語っているように思われた。

そうしているうちに、唯一の太陽のように完璧なレザール・フロリサンの『メサイア』を、部分に解体して分析し、それぞれのパートの出来栄えや「解釈」に点数をつけるような作業が全く無益でナンセンスに思われた。感動や歓喜を否定し、間違い(!)や演奏上の際立った特徴を数え上げることが全く意味のないことに感じられたのだ。舞台から恩寵を捧げている「彼ら」もそんなことは望んでいないだろう。『メサイア』を演奏することは素晴らしい創造であり、彼らの精神は見事な境地にいた。そこに誘われたいと思い、同化したいと思った。それ以外の何も行いたくはないと実感したのだ。

『ハレルヤ』コーラスではそれまで眠っていた前列のお客さんも飛び起きて合唱に食いついていた。『メサイア』はつくづく名曲である。「贖罪」と一言で言うけれど、イエスを否定し、虐待し、その後長い歴史をかけて改悛を続ける人類とはいったい何者なのか? その精神こそ、まだ完全に解決されていない精神のミステリーだ。至るところで悪は繁栄し、善行は打ちのめされ、正直さは馬鹿にされる。

第3部のトランペットとポストホルンは見事で、復活の音楽を顕すのにこれほど理想的な楽器はないと思われた。宗教的な音楽を受容するのに、聴き手の宗派信条は関係するものだろうか? 音楽はそれさえも突破する。カーテンコールでのウィリアム・クリスティのすごい笑顔を見て、オーケストラも合唱もずっとこの顔を見て演奏していたのか! とすべてに合点がいった。客席にいる自分も、何かが溢れ出し、無限とつながりあったような心地になったのだ。
前半75分後半65分。第二部の26曲のあとに休憩が入った。二日前に巨大台風に見舞われたばかりの東京で、無事上演が果たされたことも奇跡的だった。


読響×テミルカーノフ(10/9)

2019-10-12 23:15:07 | クラシック音楽
読響とテミルカーノフの1年半ぶりの共演。10/9のコンサートではハイドン『交響曲第94番 〈驚愕〉』とショスタコーヴィチ『交響曲第13番〈バビ・ヤール〉』が演奏された。男声合唱とバス独唱と共演する大規模な「バビ・ヤール」を読響が演奏するのは31年ぶりだという。コンサート・マスターは日下紗矢子さん。

前半のハイドンから、80歳のテミルカーノフが以前より若々しく、腕を振り上げてオーケストラを鼓舞するさまが生き生きしているのに驚いた。マエストロは読響にぞっこんなのだ。過去の共演でも感じたが、マエストロはこのオケに全面的な信頼を置いている上に、本質的に目指す部分がとても似ている。音楽する目的が共通していると感じさせる。読響とテミルカーノフが組み合うと青い炎のような「人間の誇り」が浮き彫りになり、優雅さやユーモアも溢れ出す。これがサンクトペテルブルク・フィルだと、もっとシリアスで緊張感が強くなる。ペテルブルクのオーケストラと来日するときは、指揮者と楽員は滞在するホテルも別だという。リーダーとして24時間威厳を保たなければならない自分のオーケストラのときとは違った、少しばかりリラックスした気分も生まれるのかも知れない。

ハイドンとの組み合わせにはどのような含意があるのかは推測しかねたが、後半の大曲バビ・ヤールはヘヴィで熱に溢れていた。20世紀のネガティヴィティを凝縮したような曲で、1941年に現ウクライナのバビ・ヤール渓谷でナチス・ドイツによって施行されたユダヤ人の大量虐殺(2日間で33771人)に対する、ロシアの無関心を告発する詩が使用されている。サントリーホールには四つの字幕板が設置され、この重々しい曲を理解するのに大いに役立った。金髪長身のバス歌手ピョートル・ミグノフが、繊細な外見からは意外に思えるほど骨太な表現で、新国立劇場合唱団がロシアのプロの合唱団のような雄大な男声合唱を聴かせた。地声を強調した男声の響きが、濃密な質感でホールを満たした。

ショスタコーヴィチの他の交響曲に通底する不条理や諧謔精神が、先鋭的に伝わる演奏だった。言語というダイレクトな情報をともなうことで、作曲家の最も強い創造の動機が明らかにされた感覚があった。オーケストラは冒頭から不安な不協和音を奏で、分厚い雨雲のような灰色の世界が広がる。ゴングの死の灰じみた不吉な音が終わりのない苦役、誇りを生きられない死んだ時間を連想させる。
 凄まじいネガティヴィティを含んだ音楽に、ロシアを2010年に初めて訪れたときのことを思い出した。サンクトペテルブルクとモスクワを取材したが、そのときに、地面や空気の中に重々しい歴史が息づいているのを感じ、人々の心の中にも癒されないものがわだかまっていると感じられた。日本とは明らかに、地面の中に埋まっている「無念」の量が違う。コミュニケーション不可能な世界で、帰国してからも鬱が続いたのを思い出す。

そうした重々しさは、その後2014年、2015年、2018年と三回ロシアを訪れて、次第に希薄なっていくようにも思われた。テミルカーノフはむしろ、地中に埋まっている不条理や不幸を「忘れるな」と言っているようだった。キリストからアンネ・フランクの名前も出てくる第1楽章は殉教者の輪廻転生の物語を思わせ、第2楽章「ユーモア」ではショスタコーヴィチのオペラ『鼻』を連想した。歌詞は膨大で、字幕に目が釘付けだった。新国立劇場合唱団は本当に膨大なロシア語を歌っていた。

テミルカーノフは好きな指揮者だが、彼が巨匠で神だから崇拝しているのではなく、音楽が奇想天外で面白いから好きになった。80歳となり、それほど奇想天外なことはしなくなったが、今でも揺るぎない気品の中にどこかギャンブラー的なところを感じる。スケールが大きく、切り札が斬新で、「死なんか恐しくもなんともない」と言っている人のように見える。人間にとって貴族精神以上に大切なことがあるだろうか? とマエストロの音楽を聴くたびに思う。共感を失い、エゴを暴走させることがいかに恥ずべき事態かを、ひやりとするような潔さで伝えてくる。

 20世紀のソ連でショスタコーヴィチが持病の神経痛を患いながら病室で書いた虐殺についての曲を、21世紀の東京で演奏することには大きな意味がある。ネガティヴィティというのは時間の経過とともに癒されるものでも、霧消していくものでもなく、世の始まりから存在し、何かの触媒によって疫病のように蔓延するものなのだ。悲観的歴史主義者にはなりたくないが、全5楽章を聴き終わったときに思ったのは「毒とともに生きなければならない」ということだった。飢えや性的な飢渇を動機とした犯罪以上に、正直さや誇り、理念にもとづく営為は攻撃される。そこで「人間性を信じて進む」ことは、愛と知性にとって大きな使命となる。
読響の献身は素晴らしく、指揮者の心の中に入り込んで求める音を探り出しているようだった。59分間、充実した疲労感とともに名演を堪能した。



東京都交響楽団×マルク・ミンコフスキ(10/7)

2019-10-09 14:49:33 | クラシック音楽
楽しみにしていたミンコフスキと都響のシューマン&チャイコフスキー・プロ。シューマンの『交響曲第4番』は初稿をもとにしたクリティカル・エディションが使用されたが、個人的にすべての版のフルスコアを所持しているわけでもないので、原典重視のミンコフスキの視点は尊重しつつも、特にそこに審美的な重点を置くことなく聴いた。指揮者や演奏家を囲む懇親会などでは、熱心な記者が版について質問をすると「君がどれほどのことを知っているのかね? 版に関係なく音楽は音楽だよ」と言うヤノフスキやキュッヒルのような人もいる。彼らの言葉は、ある意味心に突き刺さるものだった。個々の学究的な姿勢は評価されるべきだが、現場で音楽を仕事にしているわけでもない聴き手が、コンサートでどのように音楽を享受すべきかを教えてくれた。

ミンコフスキのシューマンは、淡々としすぎていて呆気にとられた。「端正な」指揮者であることは知っていたが、何かを意図的に排除し、選別している印象だった。そのことで、音楽に積極的な効果が出ていたかどうかは聴き手の受け取り方によると思うが、私は良さが分からなかった。都響がもつ、「音楽の無意識」までを表すような卓越した知性や美意識が、指揮者の不可解な意図によって塗りつぶされ、次々と即物的なフレーズが飛び出していた。ミンコフスキが描いていた「音の画」が分からない。印刷された楽譜が拡大コピーされたような、そんな図が思い浮かんだ。

この演奏会はミンコフスキらしくない、とも思った。2014年の都響初共演のビゼー「アルルの女」のリハーサルを見学したときには、「サバンナを走る動物たちのような…」といった指揮者からの2.3の言葉によって、オーケストラが繊細で色彩感に溢れたサウンドスケープを描き出していく様を見た。ミンコフスキの中で何が変わったのか。何も変わらず、聴き手である私が勝手な誤解をしていたのか。

シューマンの印象がほとんど消えてしまうほど、後半のチャイコフスキー『交響曲第6番《悲愴》』は奇々怪々だった。指揮者の動きは終始せわしなく、音楽とはあまり関係があるとは思えない、不思議な体全体の横揺れが加わる。個人的に最も苦手な「手旗信号タイプ」の棒だった。チャイコフスキーのメロディメーカーとしての魅力が、指揮者の意図によって消され、そのことで特に強調される感動はなかった。もっと言うなら、音楽の最もコアにある魂が死んでいたように感じられた。

都響は、その5日前の東京芸術劇場でのマチネで心奪われるような演奏をした。フィリップ・フォン・シュタイネッカーがスッペの『軽騎兵』序曲や『美しきガラテア』序曲、オッフェンバックの『チェロ協奏曲』『ホフマンの舟歌』『天国と地獄』序曲などを振り、コミカルで賑やかなオペレッタというより、作曲家の人生の奥に秘められた悲哀や真実の言葉がじわじわと聴こえてきた。都響の洗練に脱帽し、涙が溢れた。オペレッタの三拍子には人生の郷愁や無念、後悔が詰まっている。『ホフマン物語』を完成させる前に亡くなったオッフェンバックの魂がそばに降りてきていた。

ミンコフスキのチャイコフスキーは、指揮者の風変りな美学によって喜劇的な音楽になっていた。戦闘音楽のような1楽章、戯画化された2楽章のコン・グラツィア、再び「軽騎兵」のようになる3楽章…4楽章は比較的普通かと思ったら、管楽器が形而上的なるものから最もかけ離れたぎょっとする音を放った(巨匠の「バロック的」解釈なのかも知れない)。これは作曲家に対する何かの報復なのだろうか。
それでも指揮者の理念は尊重されるべきなのかも知れない。まったく都響の奏でる音楽とは思えなかったが、オーケストラは幸福だったのだろうか?

この演奏会の感想としてしばしば散見されたのは「明晰で混じりけのない」「手垢のついていない」という言葉で、手垢とはそもそも何を示すものなのかを知りたいと思う。音楽は人間世界全体の相似形で、膨大な他者の解釈とともに高揚し、進化を遂げていく。8月にミューザで聴いた東フィルとダン・エッティンガーの『悲愴』は、チャイコフスキーの最後の交響曲が行きつく先を示す壮絶なもので、作曲家の脳のシステムが自らの肉体を蝕んでいくという凄味のあるストーリーが浮かんだ。個人的に最も先鋭的で本質的な、アップデイトされた『悲愴』だった。
音楽愛好家…特に教養ある愛好家の中には、文学的な世界を好まないタイプもいる(それは何故だろう?)。東フィルのドストエフスキー文学を思わせる演奏も、ある種の客層には好まれないものだったのかも知れない。
しかしながら、文学は人間にとって疑いようもなく大事なものだ。作家は命懸けで文学を綴り、その苦悩や悲痛さは作曲家と同類のもので、科学実験や数式の合理性とは別のものだ。ミンコフスキのチャイコフスキーは「音学」であり、音楽のパロディであるように思えた。作曲家の存在そのものが否定されたような気持ちになった。

よりによってシューマンとチャイコフスキーで、なぜこのようなことをしたのか全く理解できず、日本の上品な聴衆が、孤独な指揮者にブーイングを送らないよう心から祈っていた。それはとんでもない杞憂で、奇妙な音楽会はスタンディングオベーションと、指揮者単独のカーテンコールによって歓迎されたのだ。
ミンコフスキはオーケストラアンサンブル金沢の芸術監督で、都響ファンにも好評だが、このロマン派の演奏に関する限り、なぜこれほど熱狂するのか理解が及ばなかった。オーケストラも、聴衆と同様この演奏会を祝福していたのだろうか?
後日伝え聞いたところによると、同解釈で振ったフランクフルトとケルン放送響では大ブーイングが起こっていたという。日本の聴衆に歓迎されたミンコフスキは感無量だったろう。








東京二期会『蝶々夫人』(10/3.4)

2019-10-04 23:35:31 | オペラ
宮本亞門演出の二期会『蝶々夫人』の初日(10/3)と二日目(10/4)を東京文化会館で観る。ザクセン州立歌劇場、デンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ歌劇場との共同制作で、東京発信の新制作となる。黙役の「ピンカートンの息子」が、死の床の父親を看取る言葉のない芝居シーンから始まり、老いたスズキ、育ての母ケイト、医師と看護婦がピンカートンを囲む。父が息子に最後の手紙を渡す。「30年前の夏の終わり」に一か月だけ過ごした日本でのことが記され、息子がその内容に驚愕した瞬間に『蝶々夫人』の音楽が始まる。

この黙役の息子(牧田哲也)はずっと舞台にいる。オペラのラストはどうなるか、観客は知っている。「自分はどこから来たのか」を見つめる役として、残された息子を物語の証人にするのは凄いアイデアだ。控えめな照明が当たり、一日目は前方列で観たので「彼」の存在感をずっと間近で感じていたが、二日目は少し舞台から離れたので時々見過ごした。ライトは少し明るくなったりほとんど見えなくなるほど弱くなったりするが、どんな場面でもほとんどいる。ほつれた金髪が根本の黒髪と混じり、真面目そうなメガネをかけた平凡な「ハーフのピンカートン・ジュニア」が、あまりに現実に存在していそうな外見だったので、感情移入せずにはいられなかった。
ずっとアイデンティティを求めていた彼にことの発端を見せるためにオペラは展開されていく。自分の存在の根幹に愛があった、と認めさせ、父親のかつての姿を見せることで、「彼」は衝撃を受けながらも癒されていくのだ。

初日の蝶々夫人は森谷真理さん。ピンカートンは樋口達哉さん。森谷さんの蝶々さんは2017年にも観ており、そのとき「声楽的には素晴らしいがこの話がラブストーリーに見えない」と書いた。自分が書いたことはよく覚えている。亞門版での森谷さんは、世界で今一番この役を「歌える」歌手なのではないかと思わせた。水を得た魚のように、鮮烈で誇り高かった。樋口さんもピンカートン得意役だがいよいよ磨きこまれて、二人の歌唱はヴェリズモ的というより、「プッチーニのオペラが特別に求める」演劇的でドラマティックな声だった。

『蝶々夫人』は「誤解」のオペラだというのが、過去のほとんどの演出で描かれてきたことで、最も好きなアンソニー・ミンゲラのMETのプロダクションでは、「悲しみ」と名付けらた息子を文楽の人形が演じる。あの文楽の人形には不思議なデリカシーがあったが…。名演出家をもってしても、9割9分誤解の話として語られてきたストーリーを、宮本亞門さんはすべてひっくり返し「男にとっても永遠の愛」にした。ピンカートンが日本を離れたのは日清戦争に参戦するためで、負傷して米国に帰国してケイトと結婚するが、彼らの関係は最初から冷えている。男の心の中にずっと別の女性がいたから…こういう筋書きをこのオペラに与えるのは大きな危険でもある。ある種の「前提としての敵対関係」が、ずっとこの物語の芯にあると思われてきたからだ。

演出家は「このような愛があると、自分は思う」ということが出来る人で、男のバイアスも女のバイアスも知り尽くしている。一幕ラストの愛の二重唱は宇宙に包まれた巨大な男女の愛の凱歌で、この二人のつながりは国籍や性をも(!)超えた魂のつながりであると表現した。あの二重唱は、核融合のような世界だった。
神奈川芸術劇場で2012年に上演された『マダムバタフライX』で亞門さんは既にそのアウトラインを強く把握していた。ピアノ伴奏で、プッチーニの音楽の前衛性と国際感覚が素晴らしく浮き彫りになり、物語は「震災後の日本」が舞台だった。嘉目真木子さんが嘉目さんとして登場するのも面白かったが…そこでも既に母と子のつながりがメインテーマになっていた。恋愛の問題はやがて「家族」の問題になる。

スズキは両日とも若いメゾ・ソプラノ(3日/藤井麻美・4日/花房英里子)が演じ、どちらも老けメイクをして樹木希林さんのように見せていた。花の二重唱ではスズキと蝶々さんの女同士の絆のハイライトが描かれることが多いが、亞門版では息子と蝶々さんの幸せな関係をスズキが自分のことのように喜ぶ、「父の帰りを待つ家族の愛の歌」になる。子役はたくさんのことを正確にしなければならず、両日とも小さな子だったが稽古の成果を見せ、立派に演じていた。

二日目の大村博美さんの蝶々さんは、観ていて心が爆発しそうだった。ヒロインの心模様が全身から溢れ出し、声楽的な体裁などどうでもいいというぎりぎりの表現で、涙を流しながら渾身の演技をされていた。それを「正しくない」とは言わせない。「プッチーニは泣かせればいいと思っているから嫌いだ」という意見にも私は大反対なのだ。プッチーニが流させる涙は最高の涙で、他にこんなのはない。「男は泣いてはいけない」という教育、人前で感情は慎むという教育…そんな抑圧を拭い去った素っ裸の心と向きあわせてくれる。スコアを見れば、作曲家がどんな脳外科医よりも精密な知性を持っていたか一目瞭然だ。

バッティストーニは、ずっと前にフィレンツェで代役として振って以来、全幕のバタフライを振るのは初めてだったという。二期会では「バッティはヴェルディ、ルスティオーニはプッチーニ」という暗黙の役割分担が出来ていたが、2014年のバタフライもバッティストーニはとても振りたがっていたという話も聞いていた。東フィルは見事にバッティストーニの夢をかなえ、ダイヤモンドの輝きをピットから放っていた。レスピーギやマーラー、プロコフィエフの断片も感じられた。今年6月のレンツェッティとの共演でもオーケストラはこのオペラについての特別な知性を得ていたのだと思う。世界で一番美しい音楽が、次から次へと聴こえてきた。

シャープレスは脇役のようでいて、このオペラのすべてでもある重要な役で、78歳のドミンゴが今年METでロールデビューを切望していた役だった(降板になってしまったが)。黒田博さんは思慮深さの中に天地をひっくり返すような激しさを忍ばせ、ピンカートンを後悔の渦に落とし込むラスト近くの場面も迫力だった。一幕の再現部の美しいフレーズで、ピンカートンは松葉杖をふっとばして床に倒れこむ。あのシーンはあまりに見事だった。苦悩する役で大きな魅力をみせる小原啓楼さん(4日)のピンカートンも忘れ難い。久保和範さんのシャープレスも心に残る。

髙田賢三さんの衣装はカラフルで華やかで、芸子たちの色とりどりの衣装には特に目を奪われた。その一方で舞台美術は潔いほどシンプルで、可動式の小さな木枠で出来た部屋が色々な表情を見せる。なんとラジコンで動いているらしい。「ある晴れた日に」は、その木枠の部屋のてっぺんに上って歌われる。木枠の大きな円の輪郭は、太陽のようにも日本国旗のマークのようにも見える。間奏曲のあとの、小鳥がちゅんちゅん泣く朝のシーンで、スライドが見事な朝焼けを映し出したときに、木枠の円がもうひとつの太陽に見えた。あの朝日のシーンは素晴らしい。希望に燃える朝の太陽を、最後の日に全身で蝶々は浴びる。西欧の男性を愛すると、今まで意識しなかった「東の女」である自分を意識するものだと思う。太陽が昇るところに生まれたヒロインの「血潮」が空全体に漲っていた。

ラストはどの演出より悲痛だった。小さな「自分」が母親の死を見ないで済むよう、32歳の息子は彼を抱きかかえて目をふさぐ。自決のシーンは隠されていて見えないが、同一人物である息子が母の死を認識するという設定は、心が割れそうになった。最後のピンカートンの「バタフライ!」の一声まで、演劇は諦めない。敵対も誤解もなかった。全く新しく生まれ変わった物語だった。

こんな愛の物語を作り上げてしまえるのは、明らかな天才だが、その直観の源にあるのは、やはりその人の受けてきた愛にあるのではないか。2007年に『週刊朝日』で亞門さんと、お父様の亮佑さんの親子対談をさせていただいたときのことを思い出した。これは『親子論』という単行本にもなっているが…お母さまの須美子さんは松竹歌劇団のレビューガールで、12歳年下の亮佑さんと出会ったときは43歳で前夫との間に二人のお子さんがいた。「お前の母ちゃんは綺麗だったから一目ぼれだった。第一、俺は着物に弱いんだ」と父上。最愛の母君は、亞門さんがパルコ劇場で役者デビューを飾る前日に亡くなった。張り切って、色々なところに電話をかけて、血圧の薬を飲むのを忘れてしまったのだ。風呂場の水が流れっぱなしで、お母さまは亞門さんの洗濯物を握りしめていた。
「お父ちゃんは死んだお母ちゃんに最後、キスしたんだよ」「20年以上たつのにますますお母ちゃんが大好きになる」という会話を聞いた。そのときは、12年後の今日のことは想像しなかった。
東京ではあと2回、これからドレスデン、デンマーク、サンフランシスコで上演が続く。それぞれの国の観衆、そして誰より指揮者、歌手、オーケストラがどのようにこの新しい『蝶々夫人』を受け入れるのか、胸が高鳴る。