小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京都交響楽団×アラン・ギルバート

2018-12-16 06:58:08 | クラシック音楽
今年4月に首席客演指揮者に就任したアラン・ギルバートと都響の公演をサントリーホールで聴く(12/10.11)。プログラムはメンデルスゾーン『序曲《フィンガルの洞窟》op.26』シューマン『交響曲第1番 変ロ長調《春》Op/38』ストラヴィンスキー『バレエ音楽《春の祭典》』。
大柄なギルバートがオケの前に立つと、なんとも言えない安心感が生まれる。同時に、予測不可能で冒険的なこともたくさん起こる。首席客演指揮者になる以前の客演でも毎回そうだった。
『フィンガルの洞窟』から、サウンドの立ち上がり方がユニークで、都響で初めて聴くタイプの音だった。分離がよく、アクセントが強調され、各パートが明快なキャラクターを際立たせ、全体の残響は少ない。初日は一階席で聴いていたが、サントリーホールで聴いているのに上野の東京文化会館で聴いているようなドライな音響に感じられた。メンデルスゾーンの「水彩画的な」洗練された音楽に、パーカッシヴな野趣というか、雄々しさが加えられている印象。杭打つようなスフォルツァンドが聴き慣れたこの曲を新しいものにしていた。

このサウンドの感触は耳に覚えがあった。ニューヨークを最後に訪れたのは2006年だったが、ニューヨークの街中で聴く交通音がそんなふうだった。車のクラクションやエンジンが、空に向かって放射状に響くのではなく、埋立地であるマンハッタンの地底の基礎部分にいったん届いてから地表に反射する。破裂音のように短く切り込まれたクラクション音は、マンハッタン特有のサウンドスケープだと思う。ギルバートは生粋のニューヨーカーだが、ニューヨーク・フィルのサウンドでも無意識のうちに同じサウンドのテクスチャーを作り上げていたのだろうか?
指揮者が「無意識に」やることなどひとつもないだろうが「ニューヨークからやってきた」ギルバートが、自分の強いアイデンティティを日本のオーケストラに投射していたことは確かだ。それはニューヨークのサウンドとは関係なく「ウィーンの伝統」のようものだったとしても、都響の既に完璧されたアンサンブルに、新しい変化を求めていたことが感じ取れた。文字でいうなら、書体が変わっていた。新しいコンビネーションが本格的に始まっていることを思わせた。

シューマンの『春』は、二日間聴いて、この曲が前後の二つの曲を結び付けるメインの曲のように感じられた。この曲の初演の指揮をしたのはメンデルスゾーンだ。二人の作曲家の性質や思想は違っていても、同じ時代・同じ空気が音楽の精神をつないでいた。ホルンとトランペットによるファンファーレは壮麗で、打楽器は彷徨するようで、弦は小川のように新しい流れを次々と運んでくる。ギルバートは各パートにキューを出しながら、何かを演じているような姿だった。頭の中でひとつのストーリーを作り上げているのだろう。シューマンのタフネスと粘り強さ、曲に結実した異様なまでの生命力の強さにも圧倒される。31歳の「交響曲の年」に完成した曲だが、この2年後には早くも鬱と神経症がシューマンを蝕んでいく。
ラルゲット楽章はロマン派の極致のような可憐な女性美を彷彿させる旋律だが、都響は甘くなりすぎず、音圧を強めながらもストイックで堅牢な表面を創り出していた。3楽章のモルト・ヴィヴァーチェでは必要以上に浮かれたり跳ねたりしない。つねに抑制というものが感じられ、気まぐれや気分によって動じないこの曲の不動のイデアがギルバートの中にはしっかりとあるようだった。それは音楽を思索的にし、同時に華麗にもしていた。
遊戯的な最終楽章は二拍子のダンスのようで、陽気なモティーフが最後まで繰り返される。音が短く「カット」されていく感触があり、シューマン独特のppから急激にffに飛躍する極端さ要所要所で強調された。かすかに、全体が狂気の気配を帯びているのだ。
狂った赤い靴を履かされて死ぬまで踊らされる少女の物語を一瞬思い出した。濃密なギルバート=都響・サウンドによって折りたたまれて終わるこの曲に、どこか不吉な物語の影が感じられるのだ。(スコアはヨアヒム・ドラハイム校訂=ブライトコプフ新原典版で、都響がこの版を使用するのは初めてだという)。

後半のストラヴィンスキー『春の祭典』は、初日も良かったが、2日目はさらによくなり(一日目に二階まで音が飛んでこなかったと仰っていた方がいたが、私の感想では2階にもじゅうぶんな響きが広がっていた)、オケが指揮者のもとで完全な自由を手にし、のびのびと解き放たれていた。『春の祭典』はストラヴィンスキーの夢と妄想が濃密に詰まったバレエ音楽で、『ペトルーシュカ』同様、ソースとなっているのは彼の脳裏にひらめいた幻影である。それを台本作家ニコライ・レーリヒの協力を借りてバレエの音楽にした。ストラヴィンスキーがバレエ音楽を書くことと、アラン・ギルバートがオケを指揮することは根本的に似ている。二人とも「物語を語りたい」人なのだ。
フルシャと共演したときの、モダンで洗練された都響のハルサイとは全く違っていた。音楽がひとつの人格となって、巨人の姿で舞台に現れ(指揮者のことではなく)、さまざまなものを破壊し、踏みつけていくような恐ろしさを感じさせた。大地礼賛の序章は、たくさんの無知と、狂暴さと「痴れた」ようなフレーズが飛来してくる。そこから続きは、バレエ・リュスの振付でさまざまなカンパニーが蘇演している映像を観るとよくわかる。初演で喧々囂々となったバレエ・リュス版もいいが、それと同じくらい「踊りそのものに」ブーイングが集中したベジャールの『春の祭典』(1959年)が好きなのだ。ギルバート&都響版は、ベジャール・バレエをすぐさま思い出させた。振り付けのインスピレーションの源になっているのは鹿の交尾だ。冬から目覚めた男女は、身体の中から沸き起こる不思議な衝動に突き動かされて、異性のグループに近づいて「交歓」を行う。
ギルバート&都響のハルサイの音には、最初巨大な戦争画を思い出し、次第にそれが油彩画のマチエールではなく版画的な画像、凝った彫りの木版画に変わっていった。音のイメージから受ける白と黒のコントラストが強烈だったからで、後で思い返すとベジャール・バレエの視覚の記憶が影響していた。ベジャールのバレエでは生贄の男女は全員が白い全身タイツを履き、暗闇の中で照らされて最後は群舞が幾重にも重なった花弁のような、イソギンチャクのような姿になる。この白黒のヴィジュアルは記憶に鮮烈すぎた。

シューマンが狂気を押し隠して精神の明るさを音楽に刻印しようとしたのが交響曲第1番なら、ストラヴィンスキーが人間の本能的な狂気をアートに昇華したのが『春の祭典』で、初演のとき前者は絶賛され、後者は炎上した。どのみち、狂気を扱うには月並みではない精神力が必要で、シューマンは孤独の中で夭折し、ストラヴィンスキーは形式を変えながらサバイバルを果たした。「創作がくじけないように特別な体操を編み出して毎日行っていた」というのは振付家のバランシンが見たストラヴィンスキーだ。
この日のプログラムのテーマは「春」そして裏色に「狂気」…そして「とても高度で難しい」という共通点があった。シューマンの1番や2番は、難しすぎて演奏されなかった時代があったという。都響とのリハーサルは素晴らしく心の通ったものだっただろう。

在京オケの中でも都響ファンはとても耳が肥えていて、高度にクリティックな視点をもつ聴衆も多い。ギルバートとの共演に関しても、一筋縄ではいかない感想をもつファンもいたかもしれない。
にもかかわらず、その場にいた聴衆の一人として、これは本当に楽しいコンサートだったと言わねばなるまい。とてもエキサイティングで、驚きに溢れ、新鮮で、胸躍るコンサートだった。深遠で高度な音楽が、謎解きをするようにシンプルかつストレートに演奏されるので、一周回ってエンターテイメントになっているのだ。オーケストラとは世界一エキサイティングな娯楽である…NYから来たギルバートはそう伝えてくれる。12/18.12/19にも別プログラムで演奏会が行われる。











イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

2018-12-13 14:40:41 | クラシック音楽
イーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタルをサントリーホールで聴く(12/8)。
生のポゴレリッチを初めて聴いたのは2005年で、不調と伝えられていた時期から回復しつつある来日(6年ぶり)だった。最後のラフマニノフのソナタ2番が終わったのは21時40分くらいだったと記憶している。タールのように暗く重い音色で、テンポは別の宇宙にいるかのような遅さだった。その来日からポゴレリッチのすべての東京での公演を聴いているが、明らかにピアニストの中でも変化が起こっている。基底の部分では、恐らく何も変わっていない…彼は常に勇敢で、ポリシーを譲らない演奏家だ。一方で、表現そのものは年々刷新され、活発な新陳代謝を行っている。新しい響きの探究があり、テンポの試みがあり、思想の成熟が感じられる。外から見て憶測する芸術家の人生と、実際とは大いに違うのだろう。聴衆は芸術家の中に神秘を見ようとするあまり、存在しないものまで勝手に想像してしまう。ポゴレリッチは特に、そうした誤解と長年闘ってきた。

前半のリストのロ短調ソナタは、ゆったりとしたテンポで「ドアをノックするように」始まった。自己陶酔的なところがまったくなく、厳密で冷静で、決然としたリストだ。ロマン派的なものの定義がポゴレリッチは独特で、ショパンもリストも、ポゴレリッチを聴いた後ではどの演奏家のテンポも「せわしなく」聴こえてしまうことがある。ポゴレリッチは先を急がず、しかるべき和音を鳴らし、きわめて優雅に音楽を運んでいく。彼をエキセントリックだ、と解釈することが心からナンセンスに思えた。時間をかけて準備された正しい解釈があり、大きな手から放たれる音楽はオーケストラにも比肩するスケールだった。

唐突に聞こえるかもしれないが、ポゴレリッチの音楽には宗教的な精神を感じる。彼の演奏の勇敢なアプローチには、英雄というよりも殉教者の精神を感じるのだ。ショパンコンクール落選時から、独特の「アベレージではない」演奏スタイルが奇矯と誤解され、一部の聴き手からはエゴイスティックとも中傷された。楽譜にはない「ピアニスティックな慣習」をすべて洗い流し、真っ白な素地から音楽を始めるポゴレリッチの方法は、ある種の聴衆や評論家にとっては異質だったのだろう。
しかし、ただでさえ戦いの場であるリサイタルという状況で、なぜそんな危険を背負う必要があったのか? ピアニストの内側に真実の確信があったからで、自分が到達した「正しい音楽」を丸腰で(ピアニストはつねに丸腰だが)伝えることで聴衆に何かを気づかせ、世界をよりよいものにしたかったのだ。あれほどまでの演奏技術があれば、どんなことだって出来る。ポゴレリッチは自分自身とは何者かをつきつめ、本物のアーティストである道を選んだ。その強靭な信念には、神的なものとのつながりを感じる。

リストのロ短調ソナタは、ブルックナーのシンフォニーに似ていると思った。神への日々の問いかけがあり、神からの答えがある。忍耐強い心の作業の繰り返しで、苦痛以外の抜け道がない。苦痛の報酬ではなく、苦痛そのものが美しい…という達観の境地が聴こえる。リストの遺品は、僧服2着とハンカチ7枚だったという話を読んだことがある。ピアニストとしての華々しい前半の人生のあと、リストは真の生き方を渇望していた。ポゴレリッチのリストは、死の危険すれすれまで接近する。芸術は危険な賭けであり、全人類のための冒険なのだ。ポゴレリッチの長年の生き方を思い、みずから十字架にかけられることを予想して、「不動のもの」を表そうとしてきた軌跡を思った。まさしくその姿勢こそが、自分がこのピアニストに魅かれる理由であった。

後半のシューマン『交響的練習曲』は、表題にふさわしいシンフォニックな打鍵で、最初の変奏の始まりから終わりまでひとつの物語が込められていたように思う。シューマンもまた苦痛の中で光をみつけようとし、音楽にその手段を求めた。メランコリックな短調のモティーフは、重い十字架を背負って歩く聖人の足取りを想像させた。メロディアスなラインの中に、前衛的な和声がいくつも透けて見える。ポゴレリッチはオーケストラの中からいくつかの楽器を引き抜くように、二つの象徴的な音を次々と見つけ出していく。暗闇の中で、ネオンのように二つの色彩が浮かび上がるイメージだ。それがどのような魔法によって可能なのか、全く想像がつかなかった。このピアニストは正真正銘の天才なのだ。
遺作変奏付きのヴァージョンは、終わりに向かって解決していこうとするこの曲の性格をよりはっきりと浮き彫りにした。シューマンは、人生の果てに明るい結末を夢見ていたのだ。ベートーヴェンの第九のように、楽想は歓喜に向かって高まっていく。陰湿な夏から、成就の秋へと季節が明るく変わっていく景色が見えた。現実のシューマンが、そのような楽観を夢見ていながら、自ら精神病院に入り、閉ざされた場所で晩年の2年を過ごしたことを思うと胸が掻き毟られる。ポゴレリッチは、作曲家の秘められた心の作業をすべて明るみに出し、「公平化」する。精神の世界の、いかなる不平等も認めないピアニストの高潔な姿勢が伝わってきた。コンサートはほぼ定時に終了し、アンコールはなし。本物の巨匠の演奏に、割れるような喝采が寄せられた。

新国立劇場『カルメン』

2018-12-06 13:26:42 | オペラ
新国の『カルメン』の千秋楽(12/4)を観た。このプロダクションを観るのは3回目くらい。それぞれインパクトのある主役が記憶に残っているが、今回は特に大きな驚きとともに観た。若いイタリア人メゾ・ソプラノのジンジャー・コスタ=ジャクソンが宿命の女を鮮やかに演じ切った。
 指揮はフランス人のジャン=リュック・タンゴーという初めて名前を聞く人で、プロフィールを見るとオペラ・コミックの指揮補を務めていたこともあったらしい。カルメンはまさに得意芸だろう。指揮台に乗ったかと思うとくるりとオケを向いて、凄まじいテンポで前奏曲を振り始めた。木管がハイテンションな叫びをあげ、オケ全体が動物的で興奮したサウンドをピットから放っていた。カルメンはそういえば、決して上品ではない話だったな…としみじみする。東フィルの切り札の多さに驚いた瞬間でもあった。

幕が開いて、美術の美しさと人物の配置の素晴らしさに感心した。鵜山仁さんの演出はひとつの「決定版」なのだと思った。群衆の動きは細やかで、兵隊たち、庶民たち、子供たち、物乞いが同時に色々なことを行っている。千秋楽のせいか、合唱が惜しみないパワーを発揮し、舞台が素晴らしい声で溢れた。一人一人が気を抜かずに真剣に歌っているのがわかる。新国立劇場合唱団の歌声には高貴なトーンがあり、これがイントロのオケの「俗な」感じと鮮やかなコントラストをなしていた。今年は海外招聘のオペラ公演が比較的少ない年だったが、この夜の新国合唱団は海外のどのオペラハウスの合唱より真摯で優れた声を聴かせた。大人だけでなくTOKYO FM少年合唱団がフランス語の歌詞でたくさんの歌を歌ってくれたのも嬉しかった。彼らは三幕でも大活躍した。

歌詞のとおり「青いスカートを履いた」清純なミカエラを砂川涼子さんが演じ、初日から素晴らしいと話題になっていたが、この日もパーフェクトだった。ムラがなく透明で、フランス語も美しい。そんなことより、命懸けの愛を身体中で表現するミカエラそのものをオペラで生きていたことに胸打たれた。舞台では、我々が思うほど簡単に歌手は嘘をつけない。無防備でピュアなミカエラは、砂川さんの生き方だと思った。底なしの優しさと善良さが歌われ、ホセとの二重唱も豊かだった。
ミカエラとホセの二重唱の前にカルメンが登場するのだが…舞台に飛び出してきた琥珀色の肌のジンジャー・コスタ=ジャクソンがあまりに美しいので、この人は本当に歌手なのだろうかと目を疑った。横から見ると首が白鳥のようにすっとしていて、バレリーナのようなのだ。顔立ちはミック・ジャガーの最初の妻ビアンカ・ジャガーに少し似ている。こういう美女の声はどんなものなのか…第一声で衝撃を受けた。
カルメンの最初の声で、ラストの死のシーンが見えた。宿命的な美声で、生まれつきの声に責任をもって歌っている歌手の努力が有難かった。録音で聴くマリア・カラスのドラマティックな低音部分をさらに低くしたスケールの大きな声で、アンティークな厳かさとミステリアスな華やかさがあり、厳粛で高貴で、物語に登場するどんな男性も叶わない「存在」を暗示している。もうスタートラインが違うのだ。
カルメンは自由を愛するギャンブラーで、究極のスリルを満たしてくれる出来事を待っている…ホセ誘惑のシーンも、異性を翻弄しているようで相手など眼中になく、無邪気なゲームにただ興じているようだった。「ハバネラ」でも「セギディーリャ」でも、基本のメロディに彼女のオリジナルな遊びを加えていて、入念な役作りをしていることがうかがえた。演劇的にもオペラ的にも、そうした役の発展のさせ方は正しいと思う。次から次へと魅了の瞬間を展開していくが、そのことでカルメンは果てしない孤独も表現していた。どんな刺激にも満足できない、どうしようもなく危険な女の姿があった。

ドン・ホセ役のオレグ・ドルゴフも、エスカミーリョ役のティモシー・レナーも好演で、「花の歌」にしても「闘牛士の歌」にしても、相当な鍛錬と度胸がなければ歌えない歌だと思った。男性歌手は脇役として素晴らしい演技をしたと思う。彼らは恋する人間の男で、カルメンは人間の女というより「運命」そのもので、どうにもこうにも等号でつなぐことが出来ない。ホセよりエスカミーリョが優れているという物語でもないのだ。
フラスキータを演じた日比野幸さん、メルセデスを演じた中島郁子さんはカルメンの存在感に遜色なく、エスカミーリョ登場のシーンでの絡みも愉快で、カルタの歌も華やかだった。一幕ではカルメンとの女同士の愛を思わせる演出もあり、その部分は初めて見た気もする。キャストに合わせたのだろうか。客席から見ると素晴らしいチームワークで、内側から喜びをもって取り組んでいることが伝わってくる。劇場は素晴らしい場所だと思った。

カルメンは謎の女で、メリメの原作とビゼーのオペラに触発されて、バレエでもプティ、アロンソ、マッツ・エックがカルメンを振り付けた。シルヴィ・ギエムが踊ったマッツ・エック版のカルメンは、獰猛な昆虫のような存在で、威嚇的でアニマル的だった。一方、ジジ・ジャンメールが踊るプティのカルメンは小鳥のようだ。カルメンとはブラック・ボックスであり、そこに演劇人は「正解」を求めて挑んでいく。鵜山カルメンの演劇的な正しさを何度も噛みしめ、オペラ演出とは人間の真実の姿をいくつもの数式で表していく仕事だと認識した。性や感情やその他さまざまなものを天秤にかけて、その偏りや傾きがしかるべき重力によって流れていく方向を書き留めていく。その「秤」となるものは、とても厳密で道徳的なものだ。カルメンはろくでなしの男女の話であると同時に、その真逆でもある。それぞれ異なるカルマの持ち主が、摩擦を起こしたり傷つけあったり、魅了したりされたりする。
カルメンがホセに殺されるのは必然で、あんなにも超然とした「宿命」に対して、男は触れることもどうすることも出来ないので息の根を止めるしかないのだった。闘牛士たちのパレードから、すごい勢いでラストシーンに吸引されていく時間があった。もう最初からカルメンが死ぬのが分かっているのだが、早く死を見たい…「あんたがくれた指輪」とカルメンが放り投げるときのジンジャーの声がすごかった。「私も苦しい!」と絶叫していた。息絶えたカルメンを見て、劇場とは本当に正しいことしか起こらない神聖な場所なのだと思った。

ジンジャー・コスタ=ジャクソンは思い返せばMETライブビューイングの『カヴァレリア・ルスティカーナ』でローラを演じていた歌手で、ヴェストブルック演じるサントゥッツァに対して意地悪ばかりをする悪役だったが(マクヴィカー演出はそういう内容だった)このカルメンでどういう歌手なのか知らしめてくれた。国際的なキャリアを歩み始めた若い逸材をキャスティングした劇場には「グッドタイミング!」と感謝するしかない。千秋楽でなければ、もう一度観たい舞台だった。









ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(12/1.12/2)

2018-12-04 15:26:09 | クラシック音楽
ミュンヘン・フィルのサントリーホールでの来日公演を二日間聴いた。一日目はブラームスの『ピアノ協奏曲第2番』『マーラー交響曲第1番《巨人》』二日目はプロコフィエフ『ピアノ協奏曲第3番』ブルックナー『交響曲第9番(ノーヴァク版)』。指揮は2015年から音楽監督を務めるワレリー・ゲルギエフでこの組み合わせでは二度目の来日となる。
二日間ともピアニストのユジャ・ワンが登場したが、卓越したソロだった。一日目のブラームスでは長尺のコンチェルトの中で作曲家のさまざまな内省的な声を聴かせ、二日目のプロコフィエフはつむじ風のような速さだった。コスチュームは二日間ともゴージャスで、ひざから下がシースルーのイブニングドレスと、水着のようなミニドレスで、どちらも輝くゴールド。こうした一見「挑発的」に見える毎回の登場の仕方も、自分を譲らない強い生き方が感じられて頼もしい。何より、演奏には深い洞察と研究の跡が感じられた。
ブラームスの饒舌さは、なぜこれだけ言うことがたくさんあるのに作曲家がピアノ協奏曲をたった2曲しか…それも長いブランクを経て…書かなかったのか不思議に思われた。孤独の中でのたくさんの感情、秘められた本心、書斎の壁一面の膨大な書籍がブラームスに与えた霊感を思った。ピアニストは、遺された遺書=譜面から、生きた人間の男の言葉として解き放たれなかった言葉を掬い取り、ところどころ怒りを込めて鍵盤を叩き、ところどころ水の中に沈められた船のような静けさをピアニシモで表した。一楽章のラストで、解読不可能な宇宙語のようなパッセージを聴かせたが、あれはどういうテクニックなのだろう? ドアを隔てて聴こえてくるような「面」的なピアニシモも新しく聴く表現だった。

「女ごときがブラームスの2番を弾くなんて」とかつて言われていた…と中村紘子さんのインタビューで読んだ記憶がある。そういうことを言われていた時代があったのだ.アルプスの岩山のように壮麗・壮大で深遠な曲なので、まな板の上で野菜を切っている女の手では弾かせたくない、という古い偏見があったのかも知れない。ユジャ・ワンのピアノは男性的で、誰よりも強靭なフォルテシモで、先日のウィーン・フィルのラン・ランのモーツァルトが羽根のように軽くフェミニンだったのと対称的だ。メカニックは恐ろしいほど高水準で少しのミスもないが、彼女の真の目的は「ブラームスはこう考えた」ということを伝えることだった。ピアニストの孤独な準備の時間に、作曲家の魂が語りかけてくる瞬間があったはずだ。

 オーケストラには悲観的でロマンティックな色彩感があり、聴いていると芯から温まるような感触があった。クラシック愛好者たちの間で伝説となっている90年代のチェリビダッケとの2回の来日公演を私は聴いていない。その当時の楽員はどれだけ残っているのか。ゲルギエフはこのオーケストラと好相性で、ハートの部分で引き寄せ合って「呼ばれた」のだと感じた。ゲルギエフもまた、優しい人物だ。ここ数年、以前のギラついたところがなくなり、神聖で透明な音楽を奏でるようになった。ブラームスではピアノの蓋に隠れてゲルギエフの姿がほとんど見えなかったが、ソリストの意志を尊重し、オケから献身的なサウンドを引き出した。コンマスは一度見たら忘れられない風貌だが…この人がまた最高に良かった。ユジャもコンマスを信頼しきっていて、アンコールもコンマスに「弾いていい? 弾くよ」というサインを出してから弾いていた。家族のようなやり取りに見えた。

マーラー巨人は、優美で甘美で「これぞクラシックの中のクラシック」と呼びたい音楽だった。マーラーに対してこういう言葉を使うのは痴呆のようだが…この曲が精神的に深く「癒される曲」だと思ったのだ。30代半ばの天才指揮者マーラーが、歴々たる天才の仕事に敬意を表しながら「その先にあるシンフォニー」として書いた野心作だが、そこに実に正直に自分の性格やエキセントリックな歪みを投影しているのが面白い。何度も聴いたこの曲を、「マーラーの素朴な自画像」と感じられたのは初めてだ。マーラーには男性という性のカテゴリーには収まらない、どうしようもない優しさもあったと思う。病弱な弟を看病して、最期を看取った。消えゆく命に対する、母性のような悲しみも経験していた。他者としての女性とはうまくいかず、そのせいで早死にしたが、最初の交響曲には既に幸福が成就していた。
指揮台なしの素手のゲルギエフは、とても無防備な存在に見えた。無防備であればあるほど、表現は創造的になるのかもしれない。一生懸命な少年の背中に見えた。ミュンヘン・フィルの人たちも、信頼のおける顔をしている。音楽の鳴り方が一途で、レスポンスも誠実で、メンバー一人一人の素晴らしい人柄が想像できた。先日のメータ指揮で聞いたバイエルンの人たちとも雰囲気が似ているが、もっと庶民的な印象もある。このマーラーを始めて聞いた10代の若者にも、何か大きな霊感を与えられる演奏だったと思う。

こうした心からの演奏を与えてくれるオーケストラには、言葉よりも握手とか抱擁とかを返したくなる。面白いことに、今年の秋に聴いたドレスデン、ウィーン、バイエルン、ロシアのサンクトペテルブルク・フィルにも同じことを思った。言葉で切り刻む余地のない、幸福の極み、人生の痛みの極みの音楽で、それを分解して「血の通わない」感想を述べるのは自分の役割でないと思った。
ゲルギエフは、ある意味『エビータ』のエヴァ・ペロンのような一面もある人で、沈没寸前のマリインスキー劇場を建て直し、雇用を作り、芸術家たちの生命をつないだ。人間は衣食住ありきで、それは否定しようがない。ゲルギエフには高度な知性と強い意志があり、使命感をもって大勢の命を救った。今より若い頃の強靭なスタミナが「暑苦しく」感じられたことがないわけではなかったが、今の彼は絵の中の聖人のように見える。とりまく空気が穏やかで、白い光のようなものをまとっている。

二日目のユジャ・ワンのプロコ3番は「WOW!」の連続だった。とにかくスピーディで、鍵盤を叩くピアニストの手の動きが見たこともないものだった。ここでもユジャは一気にことの本質に到達していた。プロコフィエフの沸騰する知性が、生きた時代のさまざまな不幸と不公平を見抜いていたこと、国家や「生きること」に巨大なフラストレーションを感じ、同時に果てしない愛を感じていたこと…プロコフィエフがどんなに「大地とつながっていたい人間」であったかは、伝記を読めばわかる。個人的に、先日サンクトペテルブルク・フィルで聴いた『イワン雷帝』もヒントになった。
ユジャ・ワンのエスプレッソのような演奏、本質をわしづかみにして、物理的なリスクを最大限に追いながらも成功させる意志の強さには「WOW!」の一言だった。一楽章は10分くらいで弾き切ったが、ゲルギエフとコンマスはよく支えて、オーケストラも素晴らしい運命共同体だった。

二日間のコンサートでは、4人の作曲家の4つの人生を見た。ゲルギエフとユジャとオーケストラには4人の生身の人間の、ありのままの生きざまを聴かせてもらった。芸術家だけが近づくことのできる「本質」が、シンプルで愛情に溢れた形で客席に届けられた。
ブルックナー9番は、信仰の中で英雄になることを夢見ていた孤独なブルックナーの「そのようにしか生きられない」最期の苦しみが、美しいオーケストラの音で表されていた。子守歌のようで鎮魂歌のようでもある。空腹のときに与えられる温かい食べ物や、寒さから守ってくれる毛布を思い出した。作曲家は全人類の霊的成長のために、知性を総動員して音楽を書くが、そこに貴重な「自己」という概念を介在させないと、表現にはならないのである。「自分がこんなふうなのは、自分では選べなかった」という諦観とプライド、肉体とともにいた時間が作曲家の遺書には描き込まれている。
個性というのは、そういう意味でも「ローカル・ルール」なのだが、最近はローカル・ルールほど豊かなものはないと思う。ミュンヘン・フィルの素朴な雰囲気も、ユジャの「ペコリ」も、ゲルギエフの手のひらぶるぶるも、別人にはなれないことの証で、そこに一番凄いことが潜んでいるように思えた。

































マリインスキー・バレエ『ドン・キホーテ』

2018-12-01 10:44:17 | バレエ
来日中のマリインスキー・バレエの『ドン・キホーテ』が大変素晴らしい。初日と二日目の公演を観たが、どちらもほぼ満員。初日11/28はヴィクトリア・テリョーシキナとキミン・キムのスター・カップルがキトリとバジルを踊ったが、登場からエンジン全開で、見せどころ満載の1幕からテクニックの切れの良さを次から次へと披露した。キミンのジャンプはさらにさらに、高くなっている。テリョーシキナも楽しむように演じていて、リフトもダイブも恐れを知らぬ思い切りの良さ。記者会見では「日本の皆さんはフェッテが大好きなのを知っていますよ!」とお茶目なテリョーシキナだったが、ラスト近くのグランフェッテでは最高の表情を見せた。街の踊り子役で、二日間ともエカテリーナ・コンダウーロワが登場したが、美貌のプリンシパルを脇役で出してくれるカンパニーの太っ腹に感動する。コールド・バレエもアップテンポの音楽にぴったり合わせて様々なダンスを繰り広げ、エスパーダ率いる闘牛士たちのマントの踊りは特に圧巻だった。ライトの光だけでない、電撃的な「明るさ」が舞台から飛び出していて、とても眩しい舞台だった。

バレエ音楽というのは小さな曲がたくさん集まって構成されており、音楽そのものが言葉であり物語を進めていく「台本」の役割を果たしていく。ミンクスの音楽がこんなにいいと思ったのは初めてだった。リズムや雰囲気が場面ごとにくるくる変化し、女性らしさや男性らしさをサウンドで描写していく。指揮のアレクセイ・レブニコフはゲルギエフふうのつまようじ丈のミニ指揮棒で、マリインスキーのオケを完璧にコントロールしていた。バレエ指揮というのはまだまだシャドウワークとして認識されているが、知れば知るほど偉大な仕事で、ダンサーの個性や拍手喝采のタイミング、さまざまな「揺らぎ」に即反応して最適の仕事をしなければならない。ミンクスの音楽はゴージャスで、パートごとの掛け合いや音のミックスも絶妙で、ところどころ胸がいっぱいになるドリーム・ミュージックだった。ドンキはスペインが舞台だが、ロシアの大地を思わせる逞しい音も鳴る。エキゾティックで猥雑なサウンドも彼らはお手のものなのだ。

「舞台ほど自由でいられる場所はない」とでも言いたげなテリョーシキナとキミン・キムの姿を見て、「yes!」という掛け声が聴こえたような気がした。パワフルな肯定の意志が、ソリストだけでなくコールドからも伝わってきた。現実的には、素人では目が追い付かないほど細かいことをコンマ秒ごとに行っている。マリインスキーのダンサーのリズム感には天才的なものがあり、ワンフレーズの中に詰め込まなければならない幾つもの動きを、てきぱきと正確にこなしている。脳の中では数学的なことも行われているのだ。それと同時に、役には彼らの人間性がそのまま表れていた。キトリはキトリである以上にテリョーシキナだし、キミンも然り。劇場の誰に対しても優しい人気者のテリョーシキナと、監督の期待に応えて青天井にうまくなっていく勇敢なキミンがそのまま舞台にいた。ダンサーとは「約束を守る人」なのだと強く思う。

キュートピッド役の永久メイが登場したときは、あまりの愛らしさと素敵さに会場がどよめいた。18歳の可憐なダンサーはキューピッドそのもので、軽やかな動きと蠱惑的な目線、脚を挙げたままぴたっと空中に張り付くポージングに、観客のすべての目が釘付けになった。ひらひらとひらめく衣装までもが、何だかこの世のものでないような気がする。老騎士ドン・キホーテに「私たちの世界に深入りしてはダメですよ」と注意するようなマイムには、大人っぽさも感じられた。魅惑的な妖精が舞台に現れたことに驚き、いつまでも彼女を見ていたい気持ちになった。

ドン・キホーテ役のソスラン・クラエフは誌的で物悲し気な老騎士を演じ、大きな手が饒舌に感情を語っていた。マリインスキーの名キャラクターで、来日のたびにいい脇役を演じている。サンチョ・パンサのアレクサンドル・フョードロフはコミカルだが過酷な演技を求められ、一幕で毎回力いっぱい転ぶのだが、詰め物の衣装の中の身体は青あざだらけになってるのではないだろうか。もっともマリインスキーのことだから、身体を傷つけないずっこけ方のテクニックがあるのかも知れない。

素晴らしい初日の公演の後、バックステージでは乾杯の席があった。ファテーエフ監督は「このバレエ公演は、ロシアと日本の友情の証」と繰り返し語ったが、うっかり社交辞令として聞き逃してしまいそうなシンプルな言葉が、本当に真実だと思えた。
ロシアと日本では、言語も文化も慣習も違うが、芸術に関してはひとつの共通項がある。おもに音楽に関してだが…ともに「西洋化」に出遅れた国であったことだ。ロシアは今も昔も芸術大国だが、クラシック音楽が根付いたのは西側世界より遥かに遅い。チャイコフスキーはその微妙な「ローカルと西洋」の結節点にいた作曲家だった。西洋文化の「東」の感覚は、色々なところで根深く描かれている。オペレッタでは、ハンガリーは東の蛮族として描かれるし、ロシアや日本は東の果ての国だろう。
ロシアバレエはプティパによって本格的に発展したが、このドンキのオリジナルもプティパによる振付(ゴールスキー改訂)で、マリインスキーがプティパという「西の人」を必要としたそもそもの始まりを考えた。
ロシアも日本も東から西を見る。西に憧れるだけではない。西のものを咀嚼するために、自らを相対化できる。芸術において二倍の視野をもっているのだ。そこには「生まれつき西の文化をもたない」痛みや葛藤もある。「友情」という言葉にはさまざまな含みがあるとも思う。

二日目のマチネでは、日本デビューとなるレナータ・シャキロワが見事なキトリを演じ、長身美麗なティムール・アスケロフが気品に溢れたバジルを踊った、シャキロワはワガノワの優等生というイメージを勝手に抱いていたが、ふたを開けたらとんでもないスーパーバレリーナで、彼女のヴァージョンにはさまざまな超絶技巧がトッピングされていて、音楽もそれに合わせてどんどん速くなる。アスケロフのサポートは完璧で、お互いが高め合い、輝かせあっていた。コールドも昨晩熱演を見せてくれていたダンサーたちとは思えないほど、底なしのパワーを見せてくれた。花売り娘の石井久美子はオペラグラスで見ないと日本人には見えず、ロシア美女そのもの。正確で華麗な演技で、魅惑のときを楽しませてくれた。
すべての芸術の中で、バレエほど継続的な忍耐を要するものはない。美しいバレリーナの足がテーピングだらけであることはざらだし、わずかな失敗にも監督の雷が振ってくる。
マリインスキー・バレエの「Yes!」という肯定のパワーに、感電するような感覚を覚えた二日間のドンキだった。