小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

新国立劇場『リゴレット』(5/18)

2023-05-26 16:54:13 | オペラ
新国『リゴレット』の初日(5/18)を鑑賞。全6回の公演中、既に3回上演が行われたが、時間が経つにつれこれは桁外れのプロダクションなのではないかという認識に至った。新制作の演出はエミリオ・サージによる比較的シンプルなもので、2013年のクリーゲンブルク演出の「回転しまくる大道具」の派手さとはある意味正反対な世界。人間心理の本質的な恐ろしさをジワジワ見せる知的な演出だった。
時代背景に関して大胆な読み替えが行われたり、派手な装置が登場するわけでもないノーマルな上演だったのだが、歌手たちの出来栄え、指揮者の力量、オケのレスポンスなど全ての要素が高水準で、ヴェルディ作品の真髄を浮き彫りにする奇跡的な時間となった。

冒頭のマントヴァ公の宮殿シーンでは、傾斜のある舞台で女たちが土に埋まった野菜のようにうなだれて寝そべっている。照明が当たるとそれぞれがドレスを着た女性たちであることが分かるのだが、そのうちの二人はオペラグラスで見ると女装した男性で、道化のリゴレットをからかったり誘惑したりしている。リゴレットのロベルト・フロンターリはほぼ素の本人もこんなふうなのではないかというほど自然な佇まいで、道化の衣裳も背中の詰め物も大袈裟なところがない。歌手フロンターリその人が舞台にいるという印象で、それはそれで深い演出だと思った。

マントヴァは93年生まれのペルー生まれのテノール歌手、イヴァン・アヨン・リヴァス。志の高い歌手で、最初はこの役を演じるには地味かなとも思ったが、音程も声量も完璧で、勇敢にソロの妙技を聴かせていく。性格的に物凄く真面目で一途な印象。

ジルダ役のハスミック・トロシャンは2019年の『ドン・パスクワーレ』のノリーナ役でユーモラスな美女を演じ、こんな華やかで美しいソプラノがこの世にはいるのだと驚いたが、ジルダ役ではシリアスで悲劇的で、声楽的に極限まで磨き上げている歌手であることを再認識した。ジルダは過酷なパートで、演劇的にもそうだが、小鳥のような高音を自在に操って恋する自分の心の内を表現する。リゴレットとの二重唱も内容があり、ともすれば説明的になってしまうシーンを長く感じさせることなく美しく聴かせた。

指揮のマウリツィオ・ベニーニは、恋するジルダの天にも昇るような心、命より大事な娘を拉致されたリゴレットの怒りと狼狽をドラマティックに引き出し、ピットから東フィルの神業のようなサウンドが溢れ出した。一幕とニ・三幕の間に休憩があり、二幕開始にピットに入ったときから大きな喝采があったが、無理もない。ベニーニはヴェルディに関して、リゴレットに関して抱えきれないくらい膨大なアイデアを持っていて、どうすれば世界中のオケからその音を引き出せるかも知っている。東フィルはオペラを知り尽くしているから、期待以上のものをマエストロに返したのではないか。恐ろしいほど「語るオーケストラ」だった。

ヴェルディでこうした渋い充実感を味わったのは、久しぶりというより初めてかも知れない。リゴレットのフロンターリ、ジルダのトロシャン、マエストロ・ベニーニは個々の人生の中でこのオペラを掘り下げており、それが寄木細工のように東京の劇場で組み合わさって、底力のある名演が実現した。オペラとはつまり、そういうことの凄さだと思う。

リゴレットもブロードウェイを舞台にしたMET演出があったり、色々いじられてきた作品だが、本当に大事なのは表面的な衣裳ではなく、心理であり精神である。エミリオ・サージは演出ノートで、マントヴァの本質は「退屈」であり、リゴレットの本質は「執着心」であるというようなことを書いているが、このような透視するような視点がなければ、演出の意味もないのだと思う。

リゴレットが怒り狂う「鬼め、悪魔め」は何度聴いても心が粉々になるが、フロンターリの極め尽くした歌、東フィルの衝撃的なサウンドで途轍もない場面になった。ピットのベニーニの後ろ姿を見て、これがオペラの本質なのだと打ちのめされる思い。すべての場面が卓越し心理劇で、指揮者としても歌手・オケ・合唱・演出の好条件を得て余すところなくリゴレットを表現しているようだった。

マントヴァのリヴァスの「女心の歌」は素晴らしく、高音のフェルマータはサービス精神旺盛。テノールとして生き、マントヴァとして舞台で生きようとする気概が、ラストの姿が見えない場面での歌からも感じられた。ヴェルディのために集まった芸術家たちが、宝石のような共演を果たした夜だった。

一度だけ取材したレオ・ヌッチに「ヴェルディを演じることは、実人生の自分を成長させてくれる経験ではないのですか」と質問したところ「一番私が言いたいことを言ってくれた」と、その場でノートにダヌンツィオの詩を書いてプレゼントしてくれた。ヴェルディと歌手たちの絆はそれほど深い。フロンターリも、そうした絆を作曲家に感じていると思う。

日本人キャストは安定の名演で、スパラフチーレ妻屋秀和さん、モンテローネ須藤慎吾さん、マッダレーナ清水華澄さんが特に心に残った。須藤さんの躍進は目覚ましく、役ごとに新しい可能性を感じさせてくれ、魅力も大きい。
28日、31日、6月3日にも公演が行われる。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。