人間らしく

日記です

グレタさんは平和の使者・・・

2019年12月22日 06時31分08秒 | 日記
平和の使者・少女「グレタ」さんは「COP-25」でも活躍しているようだ。
人類の平和と生存を純粋に求める発言には、説得力とインパクトがある。
世界の指導者達がこれを茶化したり、皮肉ったりすることは、とても許せるものではない。
リーダーは静かに胸に手を当てて、謙虚に反省してみてはいかがか。
純粋な怒りにもっと耳を傾けるべきではないか。
「COP-25」は、成果を生むことなく終了してが、早く纏ってほしいものだ。
「京都議定書」から早くも10年の月日が経過した。地球と自然は待ってはくれない。
地球規模の破壊は、人類の破滅を意味する。
第一次産業(農林・水産業)にも影響が出ているというではないか。自国優先主義には困ったものだ。



                       萩 ・ 笠 山 か ら の 日 の 出



米国の凋落を映画に見る・・・

2019年12月21日 05時13分04秒 | 日記
カッパブックスで「死の商人」という書物を読んだ記憶がある。
死の商人にとっては、利益を上げるには、破壊=戦争=武器の商いが手っ取り早いという。
米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と戦争が続いて歴史的にも疲弊してきた。
映画の世界にも、その凋落ぶりがあるように思う。
1950年代には、第2次世界大戦も終結して、「映画」は大衆の最大の娯楽であった。
サウンドオブミュジック、ローマの休日、シェーン、カサブランカ等夢とロマンに溢れる名作が続いた。
アメリカ社会もその頃が絶頂期だったように思う。
戦争は「死の商人」を潤すが、国は衰退を招く。名画は見終った後に得も言えぬ余韻が残った。
いずれの名作も、そのラスト・シーンが今観ても印象的だった。 



                      平 和 な ト ラ フ ァ ル ガ ー 広 場


自己責任は無責任・・・

2019年12月20日 05時36分33秒 | 日記
小泉内閣の頃、「自己責任論」が盛んに言われた。経済社会の構造改革を進める為のものだった。
過保護となっていた「規制措置」を開放して、社会の自由な競争をより促そうとするものだった。
その際叫ばれたのが「自己責任」だった。
法律の趣旨は良かったが、「自己責任」が独り歩きして、無責任体制を助長してきた感がある。
責任者の責任逃れのための「隠れ蓑」になってきたように思う。
「規制」というタガを外すと、無法地帯となり、ブレーキが利かなくなってくる。
自己責任も大切だが、逆手に取った悪用にも困ったものだ。アフガンで殺害された「中川哲」さんは「自己責任」として扱われたのか。
テロ集団の犯行と見られているが、政府はもっと鄭重な哀悼の意を示すべきではなかったのか。
他国の方が哀悼を示してくれているのを見ると、情けないやら恥ずかしくなってくる。



                         シ ク ラ メ ン の 香 リ



理性と感性は・・・

2019年12月19日 05時20分39秒 | 日記
私は子供の頃から、あまり深く物事を考えずに行動してきたように思う。
つまり、深く考えずに直観的に振舞ってきたようだ。
何時の頃からか、理性的でありたいと願うようになった。少しは大人になろうと、努力したのだろう。
理性を自らに求めるようになると、少々理屈っぽくなりがちだ。
また、理性は定量的かつ論理的思考に走りがちだ。小異に拘り過ぎて、大筋を見誤ることもある。
他方、直観は定性的であり、大発見・発明には不可欠な要素でもある。直観は長年蓄えてきた経験則だから。
漱石の「草枕」に、「智に働けば角が立つ、流れに掉させば流される・・・」とある」が、理屈っぽくなると人から煙たがられる。
「理性」と「感性」のバランスは、人間関係に大きな影響をもたらす。
経験的に言えることは、「感性」は直観力であり、「閃き」でもある。
「直観」は、時に的外れもあるが、自然界は意外に単純なのかもしれない。理性も感性も「バランス」の問題だ。



                         セ ー ヌ の ほ と り で



デジタルは「ルネッサンス」の再来となるか・・・

2019年12月18日 06時20分39秒 | 日記
世界史で、「ルネッサンス」について学んだ。
中世ヨーロッパで、宗教による抑圧から解放され、人間性を回復し、芸術や学問分野に画期的変革を成し遂げたことを「ルネッサンス」という。
デジタル革命は、「現代版・ルネッサンス」に該当しないだろうか。それほどに世の中を変えつつある。
スマホ、SNS、YouTube等々上手く活用すれば、人間性の復興(ルネッサンス)になりうる可能性がある。
巷の名も無き貧しい人でも、ネットを使って世界に向けて発信することができるのだ。
為政者にとっては、時には脅威になるが、悪政には有効な抗議手段となりうる。
有効に活用して、現代社会の改革に役立つ「ルネッサンス」の再来を期待したい。



                    お伽の国・ノイシュバンシュタイン城
                       




騒音激しく、岩国基地・・・

2019年12月17日 05時44分01秒 | 日記
オスプレイを岩国基地に受け容れた頃から、騒音が激しくなってきた。
テレビやラジオを聴いていて、時には聴き取りにくいことがある。
夜には夜間訓練が行われるのか、低空で凄い轟音が響く。
住民も苦情を申し入れるが、改善の兆しが見えない。
沖縄にある基地も同じだろうと推測される。独立国としてこれで良しとするのか、甚だ疑問だ。
米国の核の傘にあるとはいえ情けないことだ。
日米安保に地位協定、抜本的に見直す時期に来ている。沖縄県民の心労がよく理解できる。
岩国基地の騒音は拡大して、その内に反対運動が巻き起こるのではないかと案ずる。



                               ス エ ズ を 航 く



生命はいまだ解明されず…

2019年12月16日 06時03分35秒 | 日記
人間は、自然の営みの中で生まれ、やがては死に至る。権力者であろうとも金満家になろうとも死は確実に平等に訪れる。
最近になって、私は二度の大病を患った。退院に際して「よくぞ生きて帰れましたね」と、主治医から言われた。
「脳幹梗塞」とはそれほど重篤な病だったんだと知らされた。恐らくは現代医療を駆使しての生還だったのだろう。
重病の患者さんは、「あと余命✖✖か月」と宣告されても、生き永らえている人がいる。
私の場合は、即死に近い状態だったと思うが、今なお生かされている。
人間の生命力は不思議なもので、医学では説明できない何かがあるようだ。
精神力や気力が作用しているのかもしれない。
生命の不思議と神秘さは、未だ、解明されていない。
頂いた命は、余禄の人生として残された日々を生き抜きたい。



                      太 古 か ら ピ ラ ミ ッ ド は 泰 然 と




「YouTube」畏るべし・・・

2019年12月15日 17時24分25秒 | 日記
情報化時代を迎え、メディアの進化は止まるところを知らない。まさに第4次産業革命の感がある。
スマホの普及とともに、一億総カメラマン時代になった。5Gの時代を迎え、ますます進展を続けるだろう。
スマホには「連写する機能」がある、「YOUTube」で簡単に動画をネットに乗せることができる。
事件・事故に遭遇すれば、直ちにアップロードすることができる。一億総報道官時代の到来である。
監視カメラ・ドライブレコーダーとともに、常に、お天道様に見られている状況で、凄い世の中になったものだ。
悪用されると困る事態も予想される。使い方には慎重であって欲しい。
犯罪や不祥事の証拠として活用すれば、嘘や誤魔化しは通用しなくなる。
監視社会にならぬようにも願いたい。



                                銀 座 の 夜




良心は心の神殿か・・・

2019年12月14日 06時03分58秒 | 日記
如何なる境遇にあろうとも、人は心身一体となって初めて存在する。心の在り方は肉体をも左右する。
心の構造は階層を成し、その表面は感性と理性があり、最も深層の部分に良心があるのではなかろうか。
肉体が魂を包む外套とすれば、良心は魂=霊と共に存在すると思う。
魂は「霊」であり、正義に反する言動を厳しく見張っているのではないか。
正義に反すれば良心=魂が敏感に反応する。
魂=霊は肉体が滅びても、永遠に不滅というが、「心」の奥には神殿があるのではないか。
良心とは心の奥の奥にある「神殿」のように思う。
嘘には良心が疼き、悪を働けば良心の呵責が待っている。これは、魂=霊=良心の世界ではなかろうか。
「魂」という言葉は軽々に使ってはならない、良心は人間の心に備わった「核心」なのだ。
香典に「御霊前」と書くのには、深い意味がある。良心に恥じない言動でありたい。



秋  深  く


功あって、なお、求めめたいものは・・・

2019年12月13日 05時34分24秒 | 日記

地位や名誉や富を築いて、成功した後、なお求めたいものがあるとすれば、それは何だろうか。
それは心の安寧という人がいる。人間の究極的に求めているのは心の「安らぎ」だという。
人は富や名声を求めて、アクセクするが、成功したからといって、なお、達成感は得られないのは何故か。
築いた富も名声もあの世へ持っていかれないからだろう。
達成感がなければ、虚無感だけが残るだけだ。心は空しくなるばかりだろう。
せめて、他人様のために尽くしたならば、満足感は残るのではないか。
そんな心境が解るようになった今、これから何をなすべきかが大きなテーマだ。
未来のある若者に残すものは、経験から学んだ知恵と励ましの言葉ではないだろうか。



                        バ ッ キ ン ガ ム の 衛 兵