人間らしく

日記です

街が様変わりしている・・・

2018年01月11日 05時33分26秒 | 日記

 故郷や勤務した懐かしい街を訪れると、街の様変わりした姿に驚く。
どの町にも、スーパー・マーケットなど大型店舗があり、街並は閑散としている。
かつて繁栄を誇っていた商店街は、シャッター通りになってしまっている。
昔は繁栄していた、「本屋さん」「衣料品店」「薬局」等、姿が消えていて「ゲームセンター」や「食べ物屋」等が僅かに残っており、
「老舗」は少なく、街の景観が変わってしまっている。
恐らく大型店舗に吸収されていったのだろう。
地方都市の商店街は、どこまで寂れていくのだろうか。
かつての賑わいを取り戻してほしいのだが、これも世の移り変わりか、と半分諦めざるを得ない。
大型店に吸収されていくのは仕方がない現象なのか、残念でならない。
利便と営利を求め過ぎた結果だろうか。



                備 中 松 山 城


我が青春時代・・・私の音楽行脚(8)

2018年01月10日 05時22分02秒 | 日記

 私の音楽に関する知識は皆無だった。
レコードのジャケットに付いている解説書と、月刊誌「音楽の友」のみが音楽の情報源だった。
「音楽の友」はクラシック音楽に関する知識の宝庫だった。一流の音楽家達の記事で満ちていた。
今でも思い出すのは、ピアニストのヴィーン三羽烏と言われ、日の出の勢いだった、イェルク・デームスだった。
 縁あって約50年後に、広島の地で「演奏会」で、数回生演奏を聴かせていただいた。
大好きだったモーツアルトのピアノ曲「トルコ行進曲」が一番印象的だった。
 今年で88歳になられた最後の「演奏会」が、昨年の12月に開催されたが、病のため、聴き逃したのが、痛恨の極みだった。



                 阿 蘇 眺 望


我が青春・・・私の音楽行脚(7)

2018年01月09日 04時45分37秒 | 日記
 ここ最近は、FMラジオ「クラシック・カフェ」を中心に、録音して、気が向いたときに、好きな曲を選んで聴いている。
あれだけ音楽に飢えていた頃のことを思えば、隔世の感がある。
録音しておいた曲を選んでは、パソコンを使ってCDにして楽しんでいる。
贅沢な世の中になっているものだ。
飢えを知らない世代は、当然のごとく、スマホに嵌り込んでいる。
今、お世話になった「ステレオ」は、寿命が来て、廃棄してしまったが、
残った「LPレコード」はCDに変換して楽しませてもらっている。
LPレコードは、「アナログ」だが、聴いていて抒情豊かで、柔かな音が、しんみりと心に染みる。
CDは美しい音は出るが、機械的で温かみに欠ける。



               ラ ン ( パ フ ィ オ )


我が青春・・・私の音楽行脚(6)

2018年01月08日 05時53分24秒 | 日記
 東京に転勤したころ、夢であった「ステレオ」「ピアノ」をなけなしの給料をはたいて購入した。
「ステレオ」は4つのスピーカがあるCD4だった。
当人は勿論、子供達に聴かせたい一心だったが、子供達にはそんなそぶりが見えなかった。
本人は、一生懸命レコードを買い漁った。チャイコフスキーのバレー音楽、メンデルスゾーンの「ヴィオリン協奏曲」、「世界名曲音楽全集」等。
後々になって気がついたのだが、子供達はちゃんと聴いてくれていたのだ。
音楽は正座して聴くものだと思ってきたが、それは間違いだと知った。
遊びながらしっかり聴いているのだ。まさに「音楽」は自然の声なのだ。
子供達はピアノの道へ進むこととなった。
恐らく、耳だけではなく、身体全体で聴いていたのだと思う。音楽は楽しんで自然にサラリと聴くものだ。
LPレコードが、ドンドン増えて行ったのがその頃だった。



                道 後 温 泉 に て


我が青春・・・私の音楽行脚(5)

2018年01月07日 06時53分55秒 | 日記
 ワルツ一辺倒だった私が、本格的なクラシック音楽に魅せられたのは、
「名曲喫茶」で聴いたベートーヴェンの第5交響曲「運命」との出会いであった。
 ベートーヴェンの男性的な力強さと、これでもか、これでもかと心に迫ってくる迫力に魅せられてしまった。
 以来、ベートーヴェンの名曲「田園」「皇帝」「第九」など名曲の虜になってしまった。
聴いているうちに、「運命」は、フルトヴェングラー、「田園」はブルーノワルター指揮のものが特に好きになった。
 モーツアルトの「三大交響曲」、シューベルトの「未完成」、メンデルスゾーンの「イタリア交響曲」、ブラームスの「交響曲第一番」、ドボルザークの「新世界から」、チャイコフスキーの「バレー音楽」等名曲を次から次へと聴波していった。
 印象に強く残っているのは、やはり「ニックネーム」の付けられた曲が多い。
「ニックネーム」がついていない曲の中でも、特に好きなのがチャイコフスキーの第5交響曲だ。
陰鬱なロシヤの冬の風景と、秘められた底知れぬエネルギーを感じさせてくれる。
様々な曲を聴き親しんできたが、最後はモーツアルトに落ち着いてきたようだ。
モーツアルトの曲は、いずれを採っても、軽快で親しみやすい。
音楽は「自然の声」というが、「自然と調和がとれたもの」が最終的にはベストと言えるかもしれない。
音楽評論は尽きないほどあるが、今もラジオ・CDで楽しく聴かせてもらっている。



            初 冬 の 仁 風 閣 ( 鳥 取 )




我が青春・・・私の音楽行脚(4)

2018年01月06日 05時56分08秒 | 日記
 2年間の研修後、配属されたのが岡山の地であった。
配属されるや否や、友人(Mさん)に紹介されて、早速「混声合唱団」に入部した。
合唱団で想い出に残るのは、「全日本合唱コンクール」に出場したことだった。
幸運なことに、中国地区の職場の部で第2位に入賞した。
その時の合唱した曲は、「課題曲」と堀口大学作曲の「秋のピエロ」だったと思う。
先日「You Tube」で聞いてみると、懐かしくて「背筋」がゾクゾクと感動で振えがくるようであった。
これぞ歌う喜びであり、青春時代のプレゼントととなった。



             鳥 取 砂 丘 の 思 い 出




我が青春・・・私の音楽行脚(3)

2018年01月05日 05時27分56秒 | 日記
 職場には、部屋の片隅に、古くなった「電蓄」が置かれていた。
ボーナスをはじめ予期せぬ収入があった時には、よくレコード店へ行ったものだ。
当時は丁度「LPレコード」全盛の時代になったころだ。
私は無知だったために、敢て「SPレコード」から買い求めた。
最初の一曲は、考えた末、「ウィーンの森の物語」を購入することにした。
ワルツは聞いていて楽しいからだ。身体が自然に反応してくれる。
続いて「皇帝円舞曲」などヨハンシュトラウスの作品が主たるものだった。
 その内少し飽きかけた頃、職場の先輩から誘われて、「労音」でクラシックの部に入会することになった。以来、すっかりクラシック・ファンになってしまった。



             湯 村 温 泉 の 風 景

我が青春・・・私の音楽行脚(2)

2018年01月04日 05時19分48秒 | 日記
 社会人になった当初、まず嵌ったのが、街の有志が設立した「コーラスグループ」でった。
その名は「歌の集い」といって、易しい曲を歌ったものだ。
「シュワジュペチカ」という歌を、懐かしく思い出す。
確か歌詞は、「森へゆきましよう、娘さん、ウッフーフ」と歌うワルツだったと記憶している。
コーラスは協調性が求められ、声を合わせることとハーモニーが大切だ。
名も無き小さなコーラスグループであった「歌の集い」は私のスタート台であった。
会社の選抜試験を受験して、程なく東京の学園に2年間入学することになった。
文化と縁のない片田舎から、突然、華の東京の学園で「コーラス部」や「器楽部」に入部することとなった。
器楽部ではクラリネットを選んだが、資質がないと即断して退部した。
その他に「詩吟部」や「演劇部」にも所属したが、スケジュールがハードだったために退部してしまった。
コーラスの指揮者は、東京芸大の声楽科の生徒だったが、素晴らしい指揮者だった。
指揮者は、全員を束ねるとともに、指揮者の思い描く曲を表現する不思議な魔術師のようだったた。



            颯 爽 と 坊 ち ゃ ん 号



我が青春・・・私の音楽行脚(1)

2018年01月03日 05時04分08秒 | 日記
 「音痴」という言葉が、なつかしい。
最近は、カラオケが出来たせいか、誰もが歌うことを苦にしなくなった。
中にはマイクを持って離そうとしない人がいるほどだ。
 私は生来、「音楽」は好きであり、得意でもあった。
多分メロディーにもリズムにも、所謂、並以上の音感があったと思っている。
「音楽」の時間は、楽しみな教科の一つでした。
社会人になったころ、まず「コーラス」を始めた。
その頃、「うたごえ」運動が盛んで、上京した時、憧れの歌声喫茶、新宿の「灯」へ何度も足を運んだ。
「名曲喫茶」も流行っていて、よく名曲のジャケットを読みながら楽しんだものだ。
当時は巷には、ロシヤ民謡がよく歌われており、
ダーク・ダックスやボニージャックス等コーラスグループが数々登場した頃だ。
若い日本の「青春時代」が始まっていた。



               陽 は 昇 る



タダより高いものはない・・・

2018年01月02日 05時34分58秒 | 日記
 近年、お年寄りがよく詐欺にあっている
長い間大事に溜めてきた貯蓄を、「甘い言葉」に騙されて、詐欺にあっているようだ。
「甘い」誘惑のある言葉には、注意が必要だ。
世の中に簡単で有利な話は、ないものだ。
コツコツと辛抱して蓄えた貯金を、甘い囁きの「罠」に嵌ってしまう。何と悲しいことではないか。
世の中に「タダより高くつくものはない」ことを知っておくべきだ。
人間のあくなき「欲望」が招く悲劇だ。
そんじょそこらに、「巧い話」は転がって無いと知るべきだ。



                 赤 い 靴