今年の「税制改正大綱」が決まったようだ。
人は誰でも、蓄財を望む。
老人は、将来不安に対しての備えを怠らない。
長年貯蓄してきた財産を消費せずに課税対象にされていく。
そのために、有利な投資に食指が動く。そこで詐欺事件が頻発する。
政府の「税制大綱」は、小金を持っている老人をターゲットにする。
老人にとっては、年々住みにくい世の中になっ行くようだ。
ついこの間までは、「老人優遇の税制」だったのが、老人に厳しい税制になってきている。。
愈々人口減少が始まっている現在、老人はいかに処すべきか、それが問題である。
長寿社会も結構だが、長生きも考えものだ。
知 覧 の 武 家 屋 敷 ( 2 )
これまでは企業の評価は、主として「株価」や「財務諸表」が中心となっていた。
「儲け第一主義の企業」にとっては変更を余儀なくされる。
企業活動の評価は「E(環境)・S(社会貢献)・G(ガバナンス)」の3大要素≪ESG≫が国際会議で決定されたそうだ。
「社会貢献」をしょうとしない会社や「地球環境」に配慮しない企業は、企業としての存立基盤を失すことになる。当然のことだろう。
企業とは、そもそも「人のために存在する」はずだから、当然の帰結だろう。
それとは別に「人材育成」大切に扱う会社を付け加えておきたい。日本でも早く定着してほしいものだ。
知 覧 の 武 家 屋 敷 通 り
被爆地広島・長崎を訪問されて、被爆者をはじめ多くの若者たちと懇談された。
「ICAN」は「核禁止条約」を推進する立場で、現地視察となったようだ。
被爆地広島では、彼女(事務局長)は積極的に行動され、現地ならではの理解が深まったようだ。
その説明も説得力があって、被爆者の心に響いたものと思われる。
連日その活動ぶりが報道されたが、日本にはどのような印象を持たれただろうか。
政府要人とのコミュニケーションは無く、国会議員諸氏との対談のみであった。
日本政府の対応には冷淡で、些か失望した。
被爆者や若者たちとの対話は、詳しく報じられた。
広島では、NHKを筆頭に民放各社とも詳しく報じていたが、
他の地域では、あまり報じられてなかったと聞くが、いかがだったでしょうか。
唯一の被爆国である日本政府は、もっともっと積極的な姿勢になれないものだろうか。
アメリカの鼻息ばかり、窺がっているようでは、世界平和は実現できないように思う。
知 覧 の 武 家 屋 敷
この世には、いろんな「肩書」があって、それぞれの「肩書」に従って活躍している。
「肩書」はその人の評価の結果、得られる「役割」を示す。
「肩書」は、人を成長させ、立派にするといわれているが、本当だろうか。
人それぞれであるが「自覚」する効果はあるようだ。
その肩書に恥じる行為は、しにくくなり、相応しく振る舞うようになるだろう。
昨今の不祥事の多いのを見るとき、本当はどうなのだろうか。
確かに、それ相応の人格・識見が求められるが、「肩書」に相応しくない人達も多く見受けられる。
地位や名誉の象徴である「肩書」もそれ相応の人格・人物であってほしいものだ。。
権力者になるほど、その地位にふさわしく、誰からも認められる、立派な「肩書」であってほしい。
寒 さ に も 負 け ず に
若かった頃、「年功序列賃金」について、疑問に思うことがあった。
当然のこととして、「能力給」に魅力を感じた。
年とともに、前者に慣らされてきて、不平を云わなくなってきた。
「年功序列賃金」は物作りを主とした仕事には適している。
その他の仕事には、若年層から不平が出ることが予想される。
高齢者になってから考えると、「年功序列の賃金制」は、
一生涯のこととして考えれば、妥当だったのかもしれない。
年とともに、「年功序列賃金」も、捨てたものではないかもしれない。
元 気 し っ ぱ い
人それぞれに人生があり、それを記録したものが「日記」であり「アルバム」である。
東北の大震災で、ボランティアの人達が、アルバムの発見と修復に懸命になっている姿を見た。
被災者にとって1冊のアルバムは、何物にも代えがたい人生の記録なのだ。
他人から見れば、単なる「写真集」に違いないが、当人にとっては、人世の「宝」なのだ。
写真を1枚1枚、丁寧に修復している姿を見て、そんな思いをした。
今、スマートフォンの普及による「インスタ」がブームになっているが、
写真は大切な人生の記録であることを、軽く扱わないで欲しいものだ。
1枚の写真はその人にとっては、一生の宝であり、生きてきた証なのだ。
ほ ん の り 匂 う
いい塩梅にという言葉がある。
この言葉は「塩分」の量が適量を意味し、やはり、昔から「塩分」の採りすぎには注意しろという警告だったのだろう。
最近は「糖分」も同様に云われるようになった。
双方とも、味付けの問題である。
薄味に慣れれば、薄味で済むし、濃い味に馴染むと、「濃い」味になっていく。
特に、「塩分」の舌触りは、「甘さ」を感じることがある。
「美味さ」を求めるときは、注意する必要がある。
私には、薄味で慣れてきたものだから、問題ないが、「甘党」ゆえ、糖分には、格段の注意が必要だ。
食生活も「過ぎたるは及ばざるが如し」のように思われる。
「良い塩梅」の食生活にしていきたいものである。
梅 花 の 香 り
国連は第2次大戦後、世界の平和を目指して設立されて、約200国が加盟している。
設立の趣旨は、世界平和に資するという高邁な理想・理念を掲げてはいるが、果たして期待に堪えられているだろうか。
「中東問題」にしても「北朝鮮問題」も、その役割を果たしたとは言えないのではないか。
世界中で争いごとの種は尽きない。それを中立で公平・公正な立場で、平和裏に解決していくのが、国連の役目だろう。
争い事は、内戦に、さらに戦争へと発展していく。
これを仲裁して和解させていくのが国連の最大の役目ではないか。
調整役には、厳しく公平・公正が求められる。
それを妨げているのが「常任理事国」という5か国の「拒否権」という「エゴ」ではなかろうか。
典型的な例が、アメリカの「パリ協定」からの離脱だろう、「自国・ファースト」ではダメだ。
各国のエゴこそ、国連を機能不能にしている原因ではないか。国連の仕組みに再考を・・・
梅 花 の 綻 び
昨年の暮れには、少し体調を崩した。
クリニックが年末・年始の休みだったので、休み明けの今年になってから、診てもらうことができた。
以前の病歴が再発していた。歳をとると、アッチコッチが悪くなるものだ。
一時の入院を勧められたが、お断りして通院することにした。原因は「油断」であった。
「血糖値」が高くなり過ぎていたようだ。
以前完全に治癒したものだと安心していたのが、再発したのだ。
「油断」は大敵であることを痛感した。
病魔は、一寸した「油断」の隙間を狙ってやって来る。
そんな訳で現在は、脳梗塞と両様の構えで病魔と闘っています。
運動を伴うリハビリは、控えています。
春までには、何とか克服したいと願っています。
岩 国 ・ 錦 帯 橋
高齢化社会がもたらせた現象だろう。
これはもしもの時の備えと思える。
奥様を不幸にして亡くした時の御苦労を察して、そして終活の始動だろう。
子供の頃には、「男子は厨房に入るべからず」と台所に入っては、叱られたものだ。
それゆえに、未だにその習慣が治っていない。家事のことは、すべて妻任せである。
近年になって、その非を悟らされた。数人の友人が奥様を亡くされて困っている現実を知ったからである。
男にとって【料理教室】は楽しく、遣り甲斐があるもののようである。
「自分のことは自分でやる」が根本のポンでしょう。
昨今はそんな思いで観させていただいている。早く自立出来る日が待たれる。
備 中 松 山 城 の 石 段