食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

竹内まりや~ 藤田嗣治

2019-03-27 05:55:19 | 日記

昨晩、何げなくNHKをつけると、竹内まりやの「駅」がストックホルムの旧市街をバックに流れておりました。 ド・ド・ドストライク~ 「竹内まりや、40年を振り返る」、久しぶりに心地よい気分をいただけました。 故岡田有希子の歌は、そのほとんどを竹内まりやの作詞・作曲に委ねられていたことを知り、細やかな女心の歌詞が33年前の(自分は、高校2年生)悲しい光景を蘇らせてしまいました。  話代わって、先日の「日曜美術館」は、カズオ・イシグロの小説に登場する主人公画家の心情がテーマでした。 主人公が、浮世の絵(と、番組では表現していましたが、うたかたの絵、と述べたほうがマッチするような気がします)と決別し、現実の絵を描くと決意する場面を、多角度から考察しておりました。 現実の絵とは? 太平洋戦争の戦争画です。 現代新進気鋭の女性画家が、主人公が描いた絵を、想像でキャンバス上に表現したのですが、肉感迫るものがあり、イシグロ氏も絶賛しておりました。 さて、日本人で戦争画というと、あの人を思い起こさずにはいられません。 番組でも当然、取り上げていました。 第二次世界大戦前、世界に認められた唯一の日本人洋画家・藤田嗣治です。画家として評価は言うに及ばず、東洋人のまっすぐな黒髪を際立たせたおかっぱ頭に、丸メガネ、ちょび髭の三点セットで、自らをアイコン化したとでも表現できましょうか~ そのエキゾチックな容姿で夜な夜なパーティーに出没した彼は、パリ・モンパルナスのアイドル的存在でもありました。 そんな藤田でしたが、第二次世界大戦中、日本軍の戦争画を熱心に描いたことで、戦後、戦争責任の矢面に立たされ、結果、日本を捨てて、フランスに永住するのです。 何故、藤田が戦争画を描いたのか? 彼は、20歳そこそこでフランスに渡りました。 誰の口から聞いたわけではないのですが、東洋人であるが故、相当な差別を受けてきたと思います。 上記したパリでの活躍は明の部分でして、暗の部分もそれ以上に執着していたことは、想像するに難くありません。 その反動で、祖国日本に対する強い愛国心が芽生えていた。白人社会に認められながらも、白人に対する恥辱感みたいなものは根底にあった。 そんな理由も一つにあるような気がします。 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿