はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

恥ずかしながら…

2006-07-28 01:28:14 | つぶやきあれこれ
今、とっても恥ずかしい気持ちで一杯です。

先日の記事で無くしたと書いたコンパクトデジカメ。
出てきました(^^;ゞ

お騒がせして申し訳ございませんでした。m(_._)m

暖かいコメントを頂いた皆さんの仰るとおり、出てきました。

何処にあったか。とても恥ずかしくて言えないようなくらい、すぐ傍にありました。


出張から戻って勤め先で若干の整理を済ませ、改めて回りを探しましたが、ありません。
単身宿に戻って来た時、着替えながら、このまま出てこなかったら、いつかは新しい物を買うことになるだろう。そうなったときに限って無くしたはずの物が出てくるから、困るなぁ等と思っていました。

その後、知人に貸して数日前に戻ってきたある講演の録音MDが目に入りました。


その中では、概ねこんなお話がされていました。

「大好きな万年筆」といったようなモノが大抵の人には、ひとつふたつある。
ところが、それが無くなると血相を変えて探す羽目になる。
見つかるまで大変な騒ぎになったり、心の状態も平常ではいられなくなる。
気に入ったモノには、自分の思いを注ぎ込んでいる。
それはつまり相手に自分の心を渡してしまっているのと同じ。
モノに限らずヒトに対しても同じことで、人生の最大の苦痛である愛別離苦は、ここからやってくる。


使い心地が良かったり、どこか気に入ったモノには、愛着が湧きます。
その愛着が心の自由を奪うというお話でした。

このお話を思い出しながら、ふっとMDの下に転がっている袋に目が留まりました。

2週間前の東京出張の際、展示会で貰ったイベント資料を入れる袋です。
ずっと目に留まるところにあるのですが、放置したままでした。
片付けるつもりで手に取ったところ、重い。
中を見ると…あららぁ~件のデジカメがぁ~(^^;ゞ

普段入れない袋に入ったまま、2週間ほど床に転がっていた「だけ」だったのですか…


心に少し余裕が出てきたのか、今度は優しいコメントを頂いた方のブルーのデジカメが直ると良いなぁと思った瞬間。
とんでも無い発言をしでかしていることに気づきました。

頂いたコメントに、私は「修理費の見積もりをして貰い、高くつくようなら廃棄の依頼を…」などと非情な返信をしていたのです。
なんたることでしょう。

先ほど、帰りの列車の中から訳知り顔で「行儀」なる記事をアップし、人を思いやることの評論を偉そうにしていた自分自身が、ひとの心をまったく判っていない張本人。

壊れてしまったデジカメに対する思いが、そこはかとなく書かれていたブログの言葉が、頭を巡ってゆきます。

申し訳の無いことをしました。反省すべきは、他ならぬ私自身だったのです。


この赤いデジカメには多くのことを教えられました。

・慌てないこと、落ち込まないこと
 → パズルを解くかのような気持ちになって落ち着いて思い返す・探すべし

・忙:心を亡くさないこと
 → 今此処に心あらず、が招くうっかりミス

・執着が心に不自由を招く
 → 本当に自由になりたければ、執着から離れること

・人の心を知らぬ冷たい言葉
 → 判った気になっていること自体に隙がある


ある意味正直な気持ちなのですが、懺悔のような記事になってしまいました。

気分的に落ち込むのではなく、きちんとした反省材料にしたいと思います。

最近、ちょっと反省が多いようですが…(;_;ゞ