はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

津を問う

2006-07-15 18:58:12 | つぶやきあれこれ
岩波新書505「陶淵明-虚構の詩人-」一海知義著

「はじめに」から
> 今から千六百年ほど前、中国に陶淵明(とうえんめい)(365-427)という詩人がいたことは、よく知られている。淵明は酒の詩人といわれ、また超俗の詩人とも呼ばれてきた。

> 酒の詩人とは、酒好きの詩人というだけでなく、よく酒を詠じた詩人だったことによる呼称である。
(中略)
> 中国の「酒の詩人」の双璧は、陶淵明と唐の李白(701-762)である。


高校のとき、クラスに中国の人がいました。彼は父親の仕事の関係で札幌で一緒に暮らしていたと記憶しています。
日本語もかなり巧く、成績も上位だったはずです。
漢詩の時間、先生が彼に中国語で詩を詠むように言いました。やや躊躇しながらも詠み始めたとき、教室にため息とも感嘆ともつかない空気が流れたのを今でも覚えています。
漢詩は、日本語で読むよりも、やはり中国語で詠む方が断然、美しい。

それまでは、頭の中でしたか理解していなかった日本語系の脚韻が、中国語による本当(時代・地域による差はあると思いますが)の脚韻の美しさにすっかり魅せられました。
元々読書が好きで森鴎外の影響から漢詩についても興味を持っていましたが、一段と好きになりました。
理系の癖に、国語・漢文・古文が好き(英語はまるで駄目)という変な学生でした。

陶淵明は、好きな詩人のひとりです。


先日、開館したばかりの七尾市立中央図書館で偶然手にした一冊の新書。
それが冒頭にご紹介した「陶淵明」です。

第一章に有名な「桃花源記」について書かれています。

この物語はユートピアである「桃源郷」のお話です。

その最後の文は
「後遂無問津者」後遂に津(しん)を問う者無し。

伊計島この場合の津とは、漁師が偶然発見した桃源郷に通ずる谷川の船着場のことです。

だれも桃源郷を訪ねようとする者が居なくなった(桃源郷は人々から忘れ去られた)ということです。

ところが、同書にはさらに詳しいお話が紹介されています。

やや引用が長くなりますが…
> 「津を問う」という言葉、実は『論語』(微子篇)に見える。孔子は旅の途中、川べりで弟子の子路(しろ)に、渡し場のありかをたずねさせた。「子路をして津を問わしむ-使子路問津焉」。
> たずねた相手は、道ばたで畑を耕していた老人(実は隠者)である。老人は少し離れて待っている孔子を指して、子路に聞いた。「あれは誰かね」「孔丘(こうきゅう)先生です」「魯の孔丘か」「そうです」「彼なら渡し場を知らぬはずはないよ」。
> この暗喩的な言葉はいろいろに解釈できるが、以後「津を問う」とは、学問の道をたずねる、人生の道をたずねる、真実のありかを求める、といった意味で使われるようになる。
> 「桃花源記」の結びの言葉「後遂に津を問う者無し」も、そうした意味を裏に含むだろう。「もはや真実の世界を求めようとする人は、いなくなった」。


沖縄平和祈念公園沖縄に万国津梁館という施設があります。
これは、琉球王国に伝えられていた立国の志ともいえる「万国津梁」という考え方から命名されたと聞いています。

首里城正殿に掛けられていた万国津梁の鐘。(現在は沖縄県立博物館に収蔵)
沖縄県庁第1知事応接室の屏風に、この万国津梁の鐘の碑文が書かれています。

この場合の津とは、港を指しています。
海上交易が主だった時代、「港(津)」を都市や国の代名詞として使ったように感じています。
海を通じた交易で栄えた琉球王国は、世界各地の港(都市)を梁(橋渡)すことで、世の平和と繁栄の梁となる。

「万国津梁」という言葉に込められた琉球の想い。

「非核・平和沖縄県宣言」(1995-06-23県議会可決)の中でも触れられています。


陶淵明の桃花源記末尾の言葉と、万国津梁。
共に通ずる「津」の文字。

「津を問う」の深意にある「学問・人の道・真実」を重ねると「万国津梁」には、
世界のあらゆる国々の人々と文化・学問を橋渡(梁)し、ひいては人の道・世の真実を共に深め理解する
という意味にもなってゆきます。

昨年、沖縄の知人に招かれて沖縄の方々とお話をさせて頂いたとき、事前の下調べで知った万国津梁の思いに感動し、その価値を熱く語ってきました。

かつて香島津と呼ばれた七尾港の港街・七尾の図書館で、陶淵明の桃花源記解説に「津を問う」の意に触れた不思議に、想いを馳せています。

きな臭さが一段と漂い、極めて危うい路を独り歩くかのような、この国の状況を観ると、深意としての「万国津梁」には、今日の日本の進むべき途が指し示されているように思えてなりません。


復元された首里城正殿にレプリカが掛けられているそうです。
今年の2月にうかがった際、時間が無くてゆいレールの駅から眺めただけだった首里城。
今度は必ず訪れたいと思っています。


写真上は、昨年5月に訪れた時の伊計島。
下は、同じく平和祈念公園です。

沖縄県のホームページには何故か無く、松山大学法学部田村研究室のページに掲載されている「非核・平和沖縄県宣言」宣言文。
是非、ご覧いただければと思います。(下記からリンクしています)


明日は、七尾・港祭りです。
夕暮れから市民総踊り。

今の空模様は、かなりの雨。
明日の予報も怪しいようです。


●参考ページ
・特別展を観る:写真で巡る琉球の歴史の響「梵鐘を訪ねて」1:国立九州博物館開館記念特別展「美のシリーズ」第三弾『うるま ちゅら島 琉球』展(2006-04-29~06-25)
 →鐘に刻まれた弾痕が痛々しい
港の歴史:那覇港の歴史:那覇港湾・空港整備事務所
 →当時の沖縄交易の広がり
コザと万国津梁の鐘(2006-06-19):コラム南風(琉球新報)
 →鐘を造らせた王の背景について
「万国津梁──地域文化研究の海へ」(2006-05-03):ブログ村田雄二郎研究室
 →学者が感じた万国津梁
非核・平和沖縄県宣言(1995-06-23県議会可決)