今、とっても恥ずかしい気持ちで一杯です。
先日の記事で無くしたと書いたコンパクトデジカメ。
出てきました(^^;ゞ
お騒がせして申し訳ございませんでした。m(_._)m
暖かいコメントを頂いた皆さんの仰るとおり、出てきました。
何処にあったか。とても恥ずかしくて言えないようなくらい、すぐ傍にありました。
出張から戻って勤め先で若干の整理を済ませ、改めて回りを探しましたが、ありません。
単身宿に戻って来た時、着替えながら、このまま出てこなかったら、いつかは新しい物を買うことになるだろう。そうなったときに限って無くしたはずの物が出てくるから、困るなぁ等と思っていました。
その後、知人に貸して数日前に戻ってきたある講演の録音MDが目に入りました。
その中では、概ねこんなお話がされていました。
「大好きな万年筆」といったようなモノが大抵の人には、ひとつふたつある。
ところが、それが無くなると血相を変えて探す羽目になる。
見つかるまで大変な騒ぎになったり、心の状態も平常ではいられなくなる。
気に入ったモノには、自分の思いを注ぎ込んでいる。
それはつまり相手に自分の心を渡してしまっているのと同じ。
モノに限らずヒトに対しても同じことで、人生の最大の苦痛である愛別離苦は、ここからやってくる。
使い心地が良かったり、どこか気に入ったモノには、愛着が湧きます。
その愛着が心の自由を奪うというお話でした。
このお話を思い出しながら、ふっとMDの下に転がっている袋に目が留まりました。
2週間前の東京出張の際、展示会で貰ったイベント資料を入れる袋です。
ずっと目に留まるところにあるのですが、放置したままでした。
片付けるつもりで手に取ったところ、重い。
中を見ると…あららぁ~件のデジカメがぁ~(^^;ゞ
普段入れない袋に入ったまま、2週間ほど床に転がっていた「だけ」だったのですか…
心に少し余裕が出てきたのか、今度は優しいコメントを頂いた方のブルーのデジカメが直ると良いなぁと思った瞬間。
とんでも無い発言をしでかしていることに気づきました。
頂いたコメントに、私は「修理費の見積もりをして貰い、高くつくようなら廃棄の依頼を…」などと非情な返信をしていたのです。
なんたることでしょう。
先ほど、帰りの列車の中から訳知り顔で「行儀」なる記事をアップし、人を思いやることの評論を偉そうにしていた自分自身が、ひとの心をまったく判っていない張本人。
壊れてしまったデジカメに対する思いが、そこはかとなく書かれていたブログの言葉が、頭を巡ってゆきます。
申し訳の無いことをしました。反省すべきは、他ならぬ私自身だったのです。
この赤いデジカメには多くのことを教えられました。
・慌てないこと、落ち込まないこと
→ パズルを解くかのような気持ちになって落ち着いて思い返す・探すべし
・忙:心を亡くさないこと
→ 今此処に心あらず、が招くうっかりミス
・執着が心に不自由を招く
→ 本当に自由になりたければ、執着から離れること
・人の心を知らぬ冷たい言葉
→ 判った気になっていること自体に隙がある
ある意味正直な気持ちなのですが、懺悔のような記事になってしまいました。
気分的に落ち込むのではなく、きちんとした反省材料にしたいと思います。
最近、ちょっと反省が多いようですが…(;_;ゞ
先日の記事で無くしたと書いたコンパクトデジカメ。
出てきました(^^;ゞ
お騒がせして申し訳ございませんでした。m(_._)m
暖かいコメントを頂いた皆さんの仰るとおり、出てきました。
何処にあったか。とても恥ずかしくて言えないようなくらい、すぐ傍にありました。
出張から戻って勤め先で若干の整理を済ませ、改めて回りを探しましたが、ありません。
単身宿に戻って来た時、着替えながら、このまま出てこなかったら、いつかは新しい物を買うことになるだろう。そうなったときに限って無くしたはずの物が出てくるから、困るなぁ等と思っていました。
その後、知人に貸して数日前に戻ってきたある講演の録音MDが目に入りました。
その中では、概ねこんなお話がされていました。
「大好きな万年筆」といったようなモノが大抵の人には、ひとつふたつある。
ところが、それが無くなると血相を変えて探す羽目になる。
見つかるまで大変な騒ぎになったり、心の状態も平常ではいられなくなる。
気に入ったモノには、自分の思いを注ぎ込んでいる。
それはつまり相手に自分の心を渡してしまっているのと同じ。
モノに限らずヒトに対しても同じことで、人生の最大の苦痛である愛別離苦は、ここからやってくる。
使い心地が良かったり、どこか気に入ったモノには、愛着が湧きます。
その愛着が心の自由を奪うというお話でした。
このお話を思い出しながら、ふっとMDの下に転がっている袋に目が留まりました。
2週間前の東京出張の際、展示会で貰ったイベント資料を入れる袋です。
ずっと目に留まるところにあるのですが、放置したままでした。
片付けるつもりで手に取ったところ、重い。
中を見ると…あららぁ~件のデジカメがぁ~(^^;ゞ
普段入れない袋に入ったまま、2週間ほど床に転がっていた「だけ」だったのですか…
心に少し余裕が出てきたのか、今度は優しいコメントを頂いた方のブルーのデジカメが直ると良いなぁと思った瞬間。
とんでも無い発言をしでかしていることに気づきました。
頂いたコメントに、私は「修理費の見積もりをして貰い、高くつくようなら廃棄の依頼を…」などと非情な返信をしていたのです。
なんたることでしょう。
先ほど、帰りの列車の中から訳知り顔で「行儀」なる記事をアップし、人を思いやることの評論を偉そうにしていた自分自身が、ひとの心をまったく判っていない張本人。
壊れてしまったデジカメに対する思いが、そこはかとなく書かれていたブログの言葉が、頭を巡ってゆきます。
申し訳の無いことをしました。反省すべきは、他ならぬ私自身だったのです。
この赤いデジカメには多くのことを教えられました。
・慌てないこと、落ち込まないこと
→ パズルを解くかのような気持ちになって落ち着いて思い返す・探すべし
・忙:心を亡くさないこと
→ 今此処に心あらず、が招くうっかりミス
・執着が心に不自由を招く
→ 本当に自由になりたければ、執着から離れること
・人の心を知らぬ冷たい言葉
→ 判った気になっていること自体に隙がある
ある意味正直な気持ちなのですが、懺悔のような記事になってしまいました。
気分的に落ち込むのではなく、きちんとした反省材料にしたいと思います。
最近、ちょっと反省が多いようですが…(;_;ゞ
はれっとさんは真面目に多々反省されており、私も見習わなくては・・・・
なんせ、「笑ってごまかせ!」な性分なんで・・・・(^-^)V・・・・・・
私も、赤いデジカメですがぁ・・・ 冬に故障してから、使っていません。 修理代金の方が新品を買うより高いのでぇ・・・ 昨今の新品ですけど・・・
でも、思い入れがあるのでとってあります。 捨てられない!
同僚にも「普段きちんとしているのに、珍しいですね…」と妙な感心をされてしまいました…(^^;ゞ
僕は見つかったから良かったものの、ブログで交流させていただいている方のことがよぎると、複雑な気がしているのです。
HooPooさんのデジカメも故障中ですか…
昔は修理することが前提でものづくりがされていましたが、昨今のコンパクト化、低価格化の影響で、買い替えさせる方向にものづくりの基本が変わっていますね。
勿体無いが、経済観念ではなく、倫理感になってしまう世の中のようです。
壊れたデジカメさんたち、あまり高額な修理代ではなくて、直るといいなぁ
あるモノが見当たらない時、探されているモノの方は割とと近くで息を潜めているんですよね・・・。
コメントの件ですが、そういう手段もあるよ、という意味だと、普通に理解しました。
どうかどうかあまりお気になさいませんように・・・(汗)
ひたすら…汗…です
お騒がせしました。
コメントの件、痛み入ります
「万年筆」のお話、
なるほど と思いながら読ませてもらいました。
確かに、物でも、人でもなくしてしまうと
平常心ではいられなくなってしまいます。
特に私は強いかも。
無くした後で、如何に早く立ち直ることができるか。
自分の心の状態に早く気づくこと。
ではないかと、今回しみじみ思いました。
かく言う私も、見つからないといって、相当落ち込んでいたようです…