さて、書紀における海幸山幸の説話は本編のほかに一書が第1から第4まである。それぞれに内容がしっかりと書かれていて全部合わせるとかなりのボリュームになり、神代巻の中では出雲神話に次ぐ文量である。このことは海幸山幸神話が神代巻の中でも特に重要な意味を含んでいるということだ。
文化人類学者の後藤明氏によると、海幸山幸神話には釣針喪失譚、異境探訪譚、大鰐に乗る話、異類婚のモチーフなどが見られ、これらのモチーフは東南アジアや南太平洋にその源流が認められるという。後藤氏が雑誌「Seven Seas」に投稿された記事をもとに少し確認しておきたい。
海幸山幸神話は弟の山幸彦が兄の海幸彦の釣針を失くしてしまうことが発端になる。これと同じような発端を持つ神話はスラウェン(旧セレベス島)の北端のミナハッサ地方に伝わる話など、インドネシア付近に多く、さらに釣針を失くして探しに行く話は同じくインドネシアのチモール島、ケイ島、メラネシアのソロモン諸島、あるいはミクロネシアのパラウ諸島など南太平洋に連綿と見いだせるという。
次に大鰐に乗る話。海幸山幸神話の一書(第1)や一書(第3)では山幸彦が海神の宮から戻るときに鰐に乗って戻ったとあり、また一書(第4)では海神の宮に行くときに鰐に乗っている。鰐は古事記の因幡の白兎にも登場する。この鰐は鮫であると言われているが、中国の揚子江流域には淡水性の鰐がおり、東南アジアのマレー鰐もかつては中国南部海岸にまで棲息していた可能性があるらしい。鰐が日本に棲息していたかどうかはわからないが、中国から鰐の知識が持ち込まれて鮫のイメージと融合して定着した可能性があるという。そして鰐のような大きな水棲動物に乗って海上を移動する話はマレー半島をはじめとする東南アジアに多く見つけられる。
山幸彦は海神の娘の豊玉姫と結婚したが、この豊玉姫は鰐であった。このように人間と動物との結婚は異類婚と呼ばれる。ベトナム、ミャンマー、カンボジアなど東南アジアの王権起源の神話にはこの異類婚が多く、人間の男が動物の女と結婚して息子を作り、その子が新たな王国をつくるというストーリーが一般的だという。
これに対して、学習院大学の名誉教授で芸能史学者の諏訪春雄氏の説を見てみたい。諏訪氏によると、記紀の天孫降臨神話は朝鮮半島から内陸アジア地域にかけて広く分布する祖神の天降り神話に由来するという定説に対して、南方の長江流域の少数民族社会にも祖先が穀物を持って天から下ったという神話や伝説が流布していることから、天孫降臨神話は北方諸民族の山上降臨型神話によってその骨格が形成され、これに天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる南方農耕民族の神話が融合して誕生した、と唱えた。出雲の根の国神話についてもその由来を長江流域の少数民族の神話や伝説に求めることができるという。さらに諏訪氏は、東南アジアの兄妹始祖洪水伝説の系列に属するとされていた記紀の国生み神話が、実は長江流域に数多く発見される洪水神話に基づくことを論証し、東南アジアで発見される洪水神話もその分布状況から判断して中国から伝播したものである、つまり洪水神話はその源流は長江流域であるとしている。そしてこれと同じ理屈で、海幸山幸神話の原型も長江流域の伝承が取り込まれたのだと主張する。
諏訪氏によると、海幸山幸神話のみならず日本神話の源流を東南アジアに求める傾向があり、その理由を2つ挙げている。第1の理由は、中国神話の調査が不十分だったということ。中国は幾度も王朝が交替したが、そのたびに新しい歴史が作り直され、前王朝の遺制が破壊されて体系的な神話や伝承が後世に残されなかったということ。第二の理由は、それに比べて東南アジアの研究がはるかに進んでいたということ。しかもその研究のほとんどは欧米の学者によるものだという。欧米の研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くために著しく立ち遅れていた。これによって日本神話の原型を東南アジアに求める傾向が強くなったという。
海幸山幸神話は東南アジアから来たものか、それとも中国長江流域からのものか。東南アジアに由来するとする考えが通説のようであるが、私は諏訪氏の主張に一票を投じたい。神話の源流地とはその神話を書かせた当事者の源流地に他ならないと考えるからである。これまで何度も書いてきたように、記紀編纂を命じた天武天皇の源流は中国江南の地である、とするのが私の考えであるから。
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文化人類学者の後藤明氏によると、海幸山幸神話には釣針喪失譚、異境探訪譚、大鰐に乗る話、異類婚のモチーフなどが見られ、これらのモチーフは東南アジアや南太平洋にその源流が認められるという。後藤氏が雑誌「Seven Seas」に投稿された記事をもとに少し確認しておきたい。
海幸山幸神話は弟の山幸彦が兄の海幸彦の釣針を失くしてしまうことが発端になる。これと同じような発端を持つ神話はスラウェン(旧セレベス島)の北端のミナハッサ地方に伝わる話など、インドネシア付近に多く、さらに釣針を失くして探しに行く話は同じくインドネシアのチモール島、ケイ島、メラネシアのソロモン諸島、あるいはミクロネシアのパラウ諸島など南太平洋に連綿と見いだせるという。
次に大鰐に乗る話。海幸山幸神話の一書(第1)や一書(第3)では山幸彦が海神の宮から戻るときに鰐に乗って戻ったとあり、また一書(第4)では海神の宮に行くときに鰐に乗っている。鰐は古事記の因幡の白兎にも登場する。この鰐は鮫であると言われているが、中国の揚子江流域には淡水性の鰐がおり、東南アジアのマレー鰐もかつては中国南部海岸にまで棲息していた可能性があるらしい。鰐が日本に棲息していたかどうかはわからないが、中国から鰐の知識が持ち込まれて鮫のイメージと融合して定着した可能性があるという。そして鰐のような大きな水棲動物に乗って海上を移動する話はマレー半島をはじめとする東南アジアに多く見つけられる。
山幸彦は海神の娘の豊玉姫と結婚したが、この豊玉姫は鰐であった。このように人間と動物との結婚は異類婚と呼ばれる。ベトナム、ミャンマー、カンボジアなど東南アジアの王権起源の神話にはこの異類婚が多く、人間の男が動物の女と結婚して息子を作り、その子が新たな王国をつくるというストーリーが一般的だという。
これに対して、学習院大学の名誉教授で芸能史学者の諏訪春雄氏の説を見てみたい。諏訪氏によると、記紀の天孫降臨神話は朝鮮半島から内陸アジア地域にかけて広く分布する祖神の天降り神話に由来するという定説に対して、南方の長江流域の少数民族社会にも祖先が穀物を持って天から下ったという神話や伝説が流布していることから、天孫降臨神話は北方諸民族の山上降臨型神話によってその骨格が形成され、これに天から穀物をもたらし地上の人類の祖先となる南方農耕民族の神話が融合して誕生した、と唱えた。出雲の根の国神話についてもその由来を長江流域の少数民族の神話や伝説に求めることができるという。さらに諏訪氏は、東南アジアの兄妹始祖洪水伝説の系列に属するとされていた記紀の国生み神話が、実は長江流域に数多く発見される洪水神話に基づくことを論証し、東南アジアで発見される洪水神話もその分布状況から判断して中国から伝播したものである、つまり洪水神話はその源流は長江流域であるとしている。そしてこれと同じ理屈で、海幸山幸神話の原型も長江流域の伝承が取り込まれたのだと主張する。
諏訪氏によると、海幸山幸神話のみならず日本神話の源流を東南アジアに求める傾向があり、その理由を2つ挙げている。第1の理由は、中国神話の調査が不十分だったということ。中国は幾度も王朝が交替したが、そのたびに新しい歴史が作り直され、前王朝の遺制が破壊されて体系的な神話や伝承が後世に残されなかったということ。第二の理由は、それに比べて東南アジアの研究がはるかに進んでいたということ。しかもその研究のほとんどは欧米の学者によるものだという。欧米の研究者による東南アジア研究が先行し、中国少数民族社会の研究は文献資料を欠くために著しく立ち遅れていた。これによって日本神話の原型を東南アジアに求める傾向が強くなったという。
海幸山幸神話は東南アジアから来たものか、それとも中国長江流域からのものか。東南アジアに由来するとする考えが通説のようであるが、私は諏訪氏の主張に一票を投じたい。神話の源流地とはその神話を書かせた当事者の源流地に他ならないと考えるからである。これまで何度も書いてきたように、記紀編纂を命じた天武天皇の源流は中国江南の地である、とするのが私の考えであるから。
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