古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

車中泊の旅(出雲・大山ツアー)後編

2020年07月31日 | 旅行・車中泊
出雲・大山への車中泊ツアーの3日目、最終日です。「道の駅 本庄」での車中泊はあまりの爆睡で目が覚めたのは7時20分、この日も快晴の朝を迎えました。いつも通りにワンコの散歩と歯磨き、着替えを済ませて出発。



目指すは「境港水産物直売センター」です。 目的地までは中海に浮かぶ県道338号線を走る20分ほどの快適なドライブ。境港は初日にも来たので、3日かけて中海と宍道湖を8の字のように周遊したことになります。もう一度ここに来たのは新鮮な魚介や干物をお土産に買って帰ろうと思ったからです。値切り交渉を成立させてアジとサバの干物、マグロを安く手に入れることができました。ここからさらに10分ほど走って「境港さかなセンター」にも寄りました。ここは残念ながらお客さんがほとんどいません。お店の人に聞くと、前日までは賑わっていたのだけど連休最終日だからそのまま帰ってしまう人が多いのだとか。ここではシジミとホタテの干物を買いました。そこそこいい買い物ができたのかな。







そろそろお腹がすいてきたので初日にチェックしていた回転寿司屋さんに行ったのですが、開店まで1時間ほどあります。喫茶店にでも入って時間調整しようと車でグルグルしましたが、最終日の貴重な時間がもったいないと考え直してあきらめました。

そしていよいよ最後の目的地、大山、さらにはその先の蒜山高原に向かうことにしました。何より天気が回復したのがラッキーです。走りながらランチのお店がないか探していると、米子の市街地を抜けたところにあるイオンモールの隣に「新鮮市場」の看板が見えたので入ってみることにしました。市場の中にある海鮮丼のお店は開店30分前なのに三密の行列です。魚屋のほかに八百屋や肉屋も入っていますが、結局、「木村鮮魚店」という魚屋さんで握り(10貫で1,000円)とアジの刺身(390円)を買って車の中で食べることにしました。いやあ、参りました。回転寿司へ行かなくてよかった。これで十分、というよりも大満足です。このあたりは本当に魚が新鮮で美味しい。3日間を通じてそう思いました。

車中でランチを済ませたあとは大山へ直行です。大山は標高1,729mの成層火山でその姿から伯耆富士とも呼ばれる美しい山です。成層火山のために裾野がなだらかに広がり、道路はほぼ直線で登って行きます。登山をする人、冬にスキーをする人、避暑で訪れた人などのために、ちょうど中腹の標高800メートルあたりに大きな駐車場があります。海岸に近い標高わずか10メートルほどのところから800メートルまでアクセルを踏みっぱなしで一気に登りました。車にお疲れさんと言いたい気持ちになります。

目指したのはこの駐車場ではなく、そこから等高線に沿って少し西にまわったところにある「大山ますみず高原」というところです。たぶん冬はスキー場になるのでしょう。さらに上に行くリフトがあって、ペット同伴でもOKというのを調べていたのでやってきました。



リフト往復が大人1,000円、ペット300円で合計2,300円なり。リフトでさらに標高を150メートルほど高めます。そして上から眺めるとこんな景色が広がっていました。



曇り空なので少し視界が遮られますが、弓ヶ浜半島やその先の島根半島、右手には美保湾、左手には中海を眺めることができます。晴れていたらもっと素晴らしい眺望なんだろうな。でも十分です。

屋根つきソファーに寝転がってくつろぎながら眺めを楽しみました。途中でガイドのおばさんがやってきたり、たくさんの子どもが近寄ってきたりして楽しい時間でした。30分くらいのんびりしていると山の西側にあった黒い雲が少しずつ近づいてくるのがわかりました。さらに上からの眺めを眼に収めておこうと階段を上がっているとパラパラと降ってきました。









ほんとに山の天気はあっという間に変わります。すぐに強い雨足になってきたので、いったんリフト乗り場の屋根のあるところで待機です。10分ほどすると小雨になってきたので、いまのうちと思ってリフトに向かうと、なんと傘を貸してくれました。傘をさしてリフトに乗るのは初めてでした。下りる途中に再び雨足が強くなってきて、リフトを降りて駐車場の少し手前で土砂降りに。車まで走って何とか難を逃れましたが、あと30秒ほど遅かったら悲惨な状況になってました。まさに前日の出雲大社の再現でした。

車を出して山の南側にまわって大山環状道路を走って下山です。途中、鍵掛峠の駐車場で初めて見る現象に出会いました。白い雲が下から上にすごいスピードで上がっていくのです。下からの風にあおられているのか、上空の気圧が低くて吸い上げられているのか。まるで温泉の湯けむりのようでした。





蒜山大山スカイラインにある鬼女台展望休憩所でも同じ光景を見ました。天気が良ければここからも大山が見えるようです。



ここの売店に安くてうまそうなスイカが並んでいたので900円の大きな玉をひとつ買いました。帰宅後にさっそく食べてみると、瑞々しさは十二分にあったけど少し甘みが少なかったかな。そしてついに最終目的地の蒜山高原です。雨がふっているのでどうしようもありません。ソフトクリームとジェラートを食べてここに来た記念としました。





これにて3日間の予定が終了。蒜山高原インターから高速に乗って自宅まで一気に帰ってきました。参考までに3日間の費用は、高速料金、ガソリン、食事、お風呂、お土産、その他もろもろ全部合わせて約43,000円でした。夫婦二人の二泊三日の旅行と考えれば安くついていると思いますが、私たちが車中泊をするのは費用が安いからではなく、通常の旅行では得られない「時間の贅沢」を手にすることができるから。今回も数か月ぶりに優雅で贅沢な時間を過ごすことができました。







↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車中泊の旅(出雲・大山ツアー)中編

2020年07月29日 | 旅行・車中泊
出雲・大山への車中泊ツアーの2日目です。「道の駅あら・エッサ」で目が覚めたのが6時半頃でした。雨が完全に上がって暑い一日を予感させる朝でした。ワンコの散歩のあと、歯磨き、着替えを済ませて出発です。

最初に目指したのが古代出雲王陵の丘の一画を占める塩津山墳墓群。弥生時代後期に築かれた2基の四隅突出型墳丘墓と、それに続く7基の古墳から構成される墳墓群です。塩津山1号墳を保存するために古墳の下にトンネルを掘って高速道路を通しています。この古墳は弥生時代の四隅突出墓の特徴を残した古墳時代前期の方墳で、出雲東部、意宇地方の王の墓と考えられます。埋葬施設が6基もあることから、家族とともに葬られている可能性がありそうです。ここからほんの100mほどのところに墳丘がなくなって石棺が露出した塩津神社古墳があるのに、すっかり忘れてしまって車を走らせてしまいました。思い出したのはついさっき。最近、ド忘れが激しいかも。











塩津山墳墓群の次は同じく古代出雲王陵の丘に属する仲仙寺墳墓群です。ここは駐車場がないのであきらめていたのですが、奥さんが車を見ておくから行っておいでと言ってくれたので見学することができました。もともと15基からなる墳墓群でしたが宅地開発のために大半が消滅して現在では2基の四隅突出型墳丘墓が残るのみです。残された2基のうち9号墓はきれいに復元整備されて一帯の丘陵が公園になっています。この墳墓群はこの四隅突出型墳丘墓で一躍有名になりました。









半ばあきらめていた仲仙寺墳墓群に来れて大満足です。古代出雲王陵の丘にはまだまだたくさんの古墳群があるのですが、今回はここまでにして、次はこの日のメインイベントにしていた足立美術館へ向かいました。開館の10分ほど前に到着したのですが、広大な駐車場には日陰がまったくありません。ワンコを車に残していくには大きな不安が残る日差しです。おそらくワンコのことが気になって美術鑑賞どころではないだろう、ということで美術館はまた次に来たときにしようとあきらめました。

時間ができたのでまたしても私の希望を聞いてもらって黄泉比良坂に行くことにしました。途中、朝ごはんを食べようと入った喫茶店で面白いメニューを見つけました。モーニングセットの飲み物に「味噌汁」なんて書いてあるのは初めてです。



さて、黄泉比良坂(よもつひらさか)は古事記神話に出てくるあの世とこの世の境い目です。追いかけてくるイザナミを振り払うためにイザナギが置いたとされる千引(ちびき)の岩(千人の力でないと動かせない石)が並んでいます。







時刻はまだ10時半。午後からは出雲大社に行く予定にしていたのでそれまでにもう一カ所、どうしても行きたいところがあったので向かいました。それは神魂(かもす)神社です。なぜここに行きたいと思ったのか、実は自分でもよくわからないのです。神社の由緒はよくわかっていなかったのですが、なぜか古代出雲の重要な場所のような気がするというか、思い込みがあったのです。主祭神はイザナミで、イザナギを配祀しています。本殿は現存する最古の大社造りの建造物。ということは本場の出雲大社よりも旧いということになります。









出雲大社の原風景を見た思いで神魂神社をあとにしました。次はその出雲大社へ向かいます。ナビをセットすると、なんと予想に反して宍道湖の北側を走るルートを出してくれました。松江市内を通過して湖畔を走っておよそ1時間で到着です。さすが出雲大社、4連休とあって思っていた以上の人出です。

出雲大社はワンコを連れて行くことができます。ホームページをみると、ゲージに入れてとか、抱っこして、なんて書いていません。神域であることを理解した上で他の参拝者に迷惑がかからないように、と書いてあるだけです。広い境内をワンコと一緒に散歩できるのはありがたいです。







本殿で参拝してこの写真を撮ったまさにその時、大きな雨粒が落ちてきて、これはマズイと思うくらいに勢いを増してきます。写真にも雨が写っています。ちょうど本殿前にテントが張ってあったのでそこで雨宿りです。わずか20分くらいだったと思うのですが、とんでもない暴雨風でした。ワンコは雨と風とその大きな音にブルブル震えています。これ、参道を歩いている時だったら悲惨なことになってました。

雨が小降りになったのでテントを出て本殿の左から裏側にまわって参拝を続けます。現在の出雲大社の祭神は大国主神ですが、長い歴史の中では素戔嗚尊が祭神であった時期もあったといいます。本殿に祀られるその祭神は参拝者が手を合わせる正面を向いているのではなく、本殿に向かって左側、つまり西側を向いているといいます。西側には神無月(出雲では神在月)に全国の神々を迎える稲佐の浜があり、さらにその先、海の向こうは朝鮮半島で、古代朝鮮の新羅国があるのです。

素戔嗚尊は新羅からやってきて出雲を支配しました。その過程で出雲の先住集団は自らの祭器である銅剣や銅鐸を埋納したのです。それが現代になって発見された荒神谷遺跡であり、加茂岩倉遺跡です。そして素戔嗚尊とその後裔である大国主命が建国した出雲はその後に大和政権の支配下に入ることになり、その国譲りに際して建てられたのが出雲大社です。これが、祭神である大国主命(または素戔嗚尊)が新羅の方を向いている意味になります(これは私のトンデモ説です)。本殿を左にまわると小さな参拝所があるので、そこでも手を合わせました。

さて、参拝後のランチは出雲蕎麦、と思っていたのですがどこの蕎麦屋も行列で三密状態です。ランチをあきらめて稲佐の浜に立ち寄ったあと、島根半島の西端、日御碕灯台へ向かうことにしました。









日御碕灯台は上に登ることができるのですが何と靴を脱いで登るらしく、ワンコは無理なので外から眺めるだけにしました。ここでも急に雨が降り出したので、歩いて行こうと思っていたすぐ近くの日御碕神社へは車で移動です。

日御碕神社には本殿が二つあって、日沈の宮(ひしずみのみや)と呼ばれる下の本社には天照大御神が祀られ、神の宮と呼ばれる上の本社には素盞嗚尊が祀られます。













時刻は3時をまわっています。ランチを抜いたので結構お腹がすいてきました。出雲市内で晩ご飯にしようと思い、またしても「バナナマンのせっかくグルメ」を頼って決めたのが出雲駅前の「のどぐろ日本海」というお店。到着したのが4時で開店が4時半。コンビニやドラッグストアで買い出しをしながら時間調整。

開店と同時に入店。カウンターの端っこに通されたので三密を回避。入店の時点ではほかにお客さんはいませんでしたが、帰るころには満席になっていました。このお店、過去最高のコスパと思った前日に行った境港の魚山亭を抜いて私の中では断トツになりました。注文したのは、刺盛り(一人前)、イカ刺しとゲソ天、アジフライ、のどぐろ丼(二人前)、宍道湖名物しじみ汁、出雲そば(三段)。









一人前の刺盛りがこの量で680円、イカは美味いと思った魚山亭よりも甘みがあってさらに上を行く美味さ、アジフライもサクサクでフワフワ、しじみ汁も出しがよく出ている、極めつけはのどぐろ丼、極上の美味さでした。ランチで食べ損ねた出雲そばもいただいて、料金は6,080円なり。魚山亭よりも高くついたけどコスパという点ではこちらが上です。次に出雲に来たときはまたここに来ると思います。そして何よりも「バナナマンのせっかくグルメ」、なかなかやるやん。



晩ご飯のあとはお風呂です。2日目のお風呂は湯の川温泉にある日帰り専用の「ひかわ美人の湯」です。広い露天風呂は熱くなくぬるくなく、いつまでも浸かっていることができます。源泉かけ流しのほうの露天は少し熱いものの、まさに源泉そのもので、浸かっていると疲れが抜けていく感じがしました。前日の皆生温泉のお湯と違って、ここは温泉感を満喫することができました。



これでこの日の予定はすべて終了。車中泊の場所はいくつかの候補から、翌日の予定を考えて決めたのが中海の北側にある「道の駅 本庄」です。松江市内を抜けて1時間ほどで到着。すでに車中泊の車が何台か停まっていましたが、いい場所を確保できたので前日のようなこともなく、朝まで爆睡でした。



以上、中身の詰まった2日目も無事に終了です。続きはまた次回。










↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車中泊の旅(出雲・大山ツアー)前編

2020年07月27日 | 旅行・車中泊
2020年7月24日~26日、4連休を利用して2泊3日で出雲方面へ車中泊ツアーに出かけました。この4連休は西日本の各地に大雨の予報が出ていました。2日前には日本海側が大雨の予報だったので出雲をあきらめて紀伊半島縦断のコースを組んだのですが、前日になると紀伊半島南部が大雨の予報で逆に出雲のあたりはそれほどひどくない予報に変わっていたので、当初予定通りに出雲へ向かうことにしました。

コロナの状況があまりよくない中での県をまたぐ移動でしたが、移動はすべてマイカーで、宿泊も車中泊であることから、他人様に迷惑をかけないよう、マスク・手洗い・うがい・ソーシャルディスタンスに十分な注意を払えば大丈夫と考えて出かけました。

いつものとおり、当日の朝に準備をしたので富田林の自宅を出発したのは11時過ぎとなりました。今回は遠くまで走るために最寄りの美原北インターからすぐに高速に乗りました。途中の行程は臨機応変に行くとして、この日に目指したのは島根半島の東端の美保関です。ずっと雨が降っていましたが、中国自動車道から米子自動車道に入って中国山地を越えた途端に雨がやみました。蒜山高原SAで休憩をとって、次の蒜山インターで高速を降りて蒜山高原から大山を経由して美保関へ向かうか、それとも美保関まで直行するか。雨はほぼ止んでいるものの、大山を覆う黒い雲を見て美保関へ直行することにしました。大山は帰りに期待しよう。



米子インターで高速を降りてそのまま弓ヶ浜半島に入り、晩ご飯のお店を探しながら半島を突き抜け、境水道大橋を渡って島根半島へ。厚い雲に覆われて時折パラパラと雨が降ってくるものの気にするほどでもない。少し走って小さな漁港に入ってすぐに「美保神社0.1km」の標示。美保関の前に美保神社を参拝しました。







神門をくぐって拝殿を前にしたときに雲間から太陽が顔を出しました。





本殿は大社造りの左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」といわれています。立派な神社です。







注連縄も立派です。美保神社の祭神は造化三神の一柱である高皇産霊尊の娘で大国主神の后である三穂津姫命とその子である事代主神(えびす様)です。奈良県の葛城には事代主神を祀る鴨都波神社があり、賀茂氏(鴨氏)が祖先神を祀ったとされています。この神は出雲の神か、それとも大和の神か。

参拝を終えて美保関へ向かいました。出雲国風土記の国引き神話に登場する場所で、この岬は能登半島から引っ張ってきた土地です。



もともと三保之碕と呼ばれていたのですが、この海域は遭難事故が多くて航海の安全祈願のためにお地蔵さんが奉納されるようになって地蔵崎と呼ばれれるようになったそうです。現代の安全祈願はこの断崖に建つ灯台です。













時刻は17時すぎ。この日は朝からドーナツ1個と蒜山高原SAで買ったクリームパンしか食べていなかったのでお腹ペコペコ。美保関へ向かう途中に奥さんが探してくれた晩ご飯のお店、境港にある「魚山亭」へ行くことにしました。18時開店のところ、17時半に到着。入口で名前を書いて車で待ちます。



このお店、夫婦ふたりが好きな番組「バナナマンのせっかくグルメ」の公式サイトで奥さんが見つけました。地元の人が美味しいという店にハズレはない、との確信で。特上魚山丼(刺身10種盛丼)をふたつ、いか姿造り、アジフライ、あら炊きの5品を注文。新鮮で美味い。しかも、税込み4,130円はメチャ安! 大正解でした。













大満足の晩ご飯となりました。次はカニの季節に来ようと思います。

さて、今晩のお風呂は皆生温泉。弓ヶ浜半島の付け根にある山陰最大級の温泉街です。途中、ワンコの散歩を兼ねて弓ヶ浜の海岸を歩きました。大山が雲に覆われています。麓には弥生時代の大集落、妻木晩田遺跡が広がっています。







選んだ日帰り温泉は温泉街のど真ん中にある「おーゆ・ランド」。皆生温泉の泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉。匂いも味もない素直なお湯。素直すぎて温泉らしくないのがちょっと物足りない。それでもゆっくりお湯に浸かって疲れを癒しました。

そしてこの日の宿泊は安来市にある「道の駅 あらエッサ」。事前の調べで裏手の駐車場が静かだとわかっていたので裏に回って車を停めました。昼間は雨のせいもあって寒いくらいだったのに、雨が上がって夜になると蒸し暑くなってきました。おまけに夜中のうちに隣に停まった車、エアコンをつけているのでしょう、エンジンをかけっぱなしでうるさくて目が覚めた。車中泊マナー違反です。駐車場の一番奥が開いていたので車を移動させることにしました。でも、端っこにきたおかげで窓を開けて寝ることができました。こんなときのためにウインドーネットを買っておいたのです。USB扇風機も役に立ちました。大正解。実は夏の車中泊は初めてだったのですが、翌日もふくめてなんとか乗り切ることができました。



そんなこんなで無事に初日が終わりました。続きはまた次回に。










↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧東海道を歩いて鈴ヶ森刑場跡へ

2020年07月19日 | お出かけ
2020年7月19日、今回の週末遠足は近場で済ませることになりました。どこかの遺跡か博物館へ行こうと思っていたのですが、東京でのコロナの状況がよくないのを考慮して電車に乗ることも人ごみに出ることもやめて、毎朝の散歩コースを延長して少し歩こうと思い、旧東海道を南下して第一京浜と合流するあたりにある鈴ヶ森刑場跡まで1時間ほど歩き続けました。途中の鮫洲駅を過ぎたところで立会川河口の勝島運河へ出ました。今日はスカッとした青空と運河を抜ける風がほんとに心地よかった。









運河の隣にある新浜川公園には「浜川砲台の大砲」が復元されていました。京急の立会川駅のあたりは土佐藩の下屋敷があったところで、1853年のペリー来航の後、アメリカによる江戸侵攻に備えて立会川河口左岸に浜川砲台が設置されました。品川沖に台場が建設されたのと同じ時期です。この砲台建設には坂本龍馬が関わっています。





このあたりに砲台が建設されました。右側に立会川の水質改善のための施設がありますが、壁面に龍馬の絵が描かれています。



私は幕末の歴史は詳しくないのですが、ペリー来航の頃、龍馬は土佐藩下屋敷にいて江戸の警護を担当していたそうです。そのために浜川砲台建設にも関わることになりました。龍馬のマスク、必要かな。





立会川に架かる浜川橋は別名「泪橋」と呼ばれます。江戸府内から鈴ヶ森刑場に運ばれる罪人をひそかに見送る親族がここで涙を流して別れを告げたことが由来だそうです。





泪橋から10分ほどで鈴ヶ森刑場に到着です。















実はここに来るのは3度目なので、あまり長居することなく戻ることにしました。帰りは旧東海道を外れて品川区民公園に向かいました。公園内のグランドでは少年野球の試合をやっていたので1時間ほど観戦しました。なかなか面白かったです。



この公園も羽田空港への着陸ルートにあたっていて、3時を過ぎた途端にひっきりなしに上空を飛行機が通り過ぎていきます。



午後1時過ぎに自宅を出て、鈴ヶ森にタッチして、少年野球観戦を経て、帰りに買い物を済ませて、帰宅したのが5時過ぎでした。4時間ほどで約13,000歩の遠足となりましたが、天気が良くて気持ちのいい1日を過ごしました。


↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。

古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~
小嶋浩毅
日比谷出版社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

印象に残る歴史博物館ベスト10

2020年07月18日 | 博物館
私はこれまでに全国各地にある歴史博物館や資料館、遺跡に併設されたいわゆるサイトミュージアムや遺構保存館など、100カ所以上の古代史にまつわる展示施設を見学してきました。その中でも特に印象に残っている博物館ベスト10を紹介したいと思います。印象に残っている理由はさまざまです。


①登呂博物館(静岡県)
 言わずと知れた弥生時代を代表する登呂遺跡に併設する博物館。登呂遺跡から出た木製農具などの豊富な遺物が展示されていますが、とにかくその展示が美しい。まるで立体図鑑を見ているような美しさで感動しました。

 ※この記事を書くにあたって振り返って見ると、登呂遺跡・登呂博物館を訪ねたときの記事を書いていないことがわかりました。なぜ書かなかったのだろう。

古代出雲歴史博物館(島根県)
 出雲大社の隣に建つ出雲を代表する博物館。記紀神話に登場する出雲を感じることができる場所ですが、この博物館の売りは何と言っても考古学史上最大の発見といっても過言ではない荒神谷遺跡出土の358本の銅剣と加茂岩倉遺跡出土の39個の銅鐸です。さほど広くない展示室にこれらがまとめて展示されている様は圧巻でした。

貝殻山貝塚資料館(愛知県)
 もともと貝殻山貝塚を紹介する博物館だったと思うのですが、すぐ近くで出た東海地方最大の弥生環濠集落跡の朝日遺跡の紹介がメインになっています。小さな施設ですが、学習コーナーで休憩中にお話を聞いた職員の方に特別に収蔵庫へ案内いただき、尾張地方特有のS字甕を手に取らせていただきました。他ではできない経験でした。2020年11月 開館を目指して新しい施設「あいち朝日遺跡ミュージアム」が建設中です。

加茂岩倉遺跡ガイダンス(島根県) 
 銅鐸39個が発見された加茂岩倉遺跡に併設するガイダンス施設。朝早くに訪ねて先に遺跡を見学した後に施設に入ろうとすると鍵がしまっていました。すると、あたりを掃除していたお爺さんが鍵を開けてくれ、中に入るとお茶まで出してくれました。極めつけは、展示の説明までしてくれたのです。掃除のお爺さんと思っていたのが、ここの管理者の方でした。

さきたま史跡の博物館(埼玉県) 
 雄略天皇による全国支配を示す稲荷山古墳から出た国宝の金錯銘鉄剣の実物が展示されています。展示の素晴らしさと裏腹に、映像室で見た画像の粗さには辟易しました。 それに、古代史に詳しいと思われる見学者のおじさんが学生グループ相手に首をかしげるような自説を尤もらしく演説しているのを見て笑ってしまいました。

上野原縄文の森展示館(鹿児島県) 
 縄文時代を代表する上野原遺跡にある展示館。遺跡の学術的価値を伝えようとする意志を感じる博物館です。展示も登呂博物館に負けないくらい美しくて素晴らしい。博物館勤務を希望し続けた結果、定年後に嘱託職員としてそれが実現したという種子島出身の職員の方が印象的でした。

生目の森遊古館(宮崎県) 
 生目古墳群に隣接する宮崎市の埋蔵文化財センター。展示室が収蔵室の中にすっぽり収まっている感じで、三方のガラス張の壁を通して収蔵室に保管されている資料が丸見えになっています。遺物の整理などをしている部屋もオープンになっていて作業している様子も見ることができます。

板付遺跡弥生館(福岡県) 
 板付遺跡に併設する小さな施設ですが、この遺跡を特徴づける縄文晩期の土器と弥生早期の土器がともに展示されています。よくできたジオラマが遺跡の理解に効果的でした。学芸員の方が懇切丁寧に説明してくれたおかげで楽しい時間を過ごすことができ、生まれて初めて学芸員という職業や資格の存在を認識し、学芸員の資格を取ろうと思い立った場所です。

西都原考古博物館(宮崎県) 
 西都原古墳群の中に建つ立派な博物館。古墳群のことだけでなく、豊富な展示資料をもとに南九州の歴史を学ぶことができる場所で、資料の質、量、展示、立地などを総合的に見て、これまでに見てきた博物館の中ではベスト3に入ります。これまでに3回訪ねていますが、何度でも行きたくなる博物館で、近くに住んでいると入り浸ること間違いなし。

歴史交流館金峰(鹿児島県) 
 土砂降りの朝一番に訪問。ほかに見学者がいないのをいいことに学芸員さんにお願いしてマンツーマンでの案内をしてもらいました。整理中の資料なども特別に見せてもらってみっちり2時間、おかげで鹿児島県(南薩摩)の古代史の理解が深まりました。


以上、私の印象に残っている博物館を紹介しましたが、この10館は思いついた順に並べただけで、印象深いという点でそれぞれに優劣はなく順位はありません。また、見学者の視点や学芸員の視点で評価するとしたら違ったベスト10になると思いますが、それはまた別の機会に。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加曽利貝塚縄文遺跡公園

2020年07月04日 | 遺跡・古墳
2020年7月4日、恒例の週末遠足の行き先は千葉県千葉市の加曽利貝塚。東京に住むようになってからずっと気になっていた縄文時代の遺跡です。私の古代史の勉強は弥生時代と古墳時代が中心になっていますが、それは古代の日本が国家として成立していく過程を自分なりに解き明かしたいと考えていることに起因しており、その学習目的からすると縄文時代は少し遠いのでなかなか深入りする機会がないだけのことです。縄文時代の遺跡はこれまでにも、青森県の三内丸山遺跡や鹿児島県の上野原遺跡、愛媛県の上黒岩岩陰遺跡、福井県の鳥浜貝塚、東京の大森貝塚など、著名なところは機会を見つけて行っており、これらの遺跡のことを知るだけでも縄文時代は面白いと思えます。加曽利貝塚もきっと面白いだろうと思っていたので、遠足の目的地として選んでみました。

自宅のある北品川を11時20分に出発して徒歩でJR品川駅へ。品川から横須賀線、総武快速と乗り継いで千葉へ、さらにモノレールに乗り換えて桜木駅で下車、そこから徒歩で15分、12時40分頃に到着しました。





ふたつの碑がありますが、左側が1971年および1977年に国の史跡に指定されたことを記念したもので、右側が2017年に国の特別史跡に指定されたことを記念したものです。ちなみに、縄文時代の特別史跡はほかに三内丸山遺跡(青森県)、大湯環状列石(秋田県)、尖石石器時代遺跡(長野県)の3カ所のみです。



加曽利貝塚は直径約130メートルの北貝塚と長径約170メートルの南貝塚が連結した8の字形をしていて、その面積は約13.4ヘクタールで世界でも最大規模の貝塚です。地図のグレーの部分、左側の円形部分が北貝塚で右側の馬蹄形部分が南貝塚です。

遺跡内には加曽利貝塚博物館があるのですが、まず手近なところからと思って入口に近い北貝塚の貝層断面観覧施設に入りました。









貝が小さい。これまでにあちこちの博物館で見てきた貝塚の貝層剥ぎ取り標本の貝はハマグリとかアサリとか、もっと大きな貝殻なのに、ここのはハマグリも小さいし、とにかくゴチャゴチャとした感じ。その答えは博物館でわかりました。

次は竪穴住居群観覧施設に入りました。貝殻層の下から出てきた住居跡で、つまり使わなくなった住居の上に貝殻を捨てていったということです。住居跡の奥に見える1メートル幅くらいの白い層が貝層です。これが住居の上に覆いかぶさっていたのです。







こういう保存の仕方が好きです。施設を出て、この貝塚が台地の縁にあるのを確認しようと建物の裏へまわってみると、急な斜面がありました。この先が坂月川です。加曽利の縄文人は坂月川を利用して東京湾に貝を採りに行っていました。



そしてふと足元を見ると、なんと貝殻が散乱しているではないですか。





この小さな貝はイボキサゴ。この貝塚ではこのイボキサゴが9割近くを占めるとのことで、先に見た貝層がゴチャゴチャとしていたのはこの小さな貝のせいです。東京湾の干潟でよく採れた貝で、現代になって干潟がなくなるとともに絶滅寸前までいったものの、木更津沿岸の干潟で復活したそうです。地面に散らばっている貝殻は縄文人が捨てたものです。持って帰りたくなったのですが、ここは国の特別史跡なので我慢しました。



博物館に向かう途中に見つけたのが下の説明板。この加曽利貝塚は縄文時代の標式遺跡になっているので、「加曽利E1式」とか「加曽利B式」とかの土器が様々な博物館で展示されていて、このEとかBの意味がよくわからなかったのですが、ここでそれが解決しました。ここ加曽利貝塚の発掘地点のことだったのです。E地点とかB地点とか。そしてここがE地点。





そしてようやく博物館。小さい施設ですが展示は見応えがありました。千葉県の貝塚の数は648カ所で全国でもっとも貝塚の多い県、そのなかでも千葉市が最多、すなわち千葉市は全国で最も貝塚の多い市町村ということになります。千葉県が多いのは知っていたのですが、千葉市が最多というのは少し意外でした。







ここで出た土器が並んでいます。奥から古い順に加曽利E式土器、堀之内式土器、加曽利B式土器と並んでいて、それぞれ、縄文時代中期後半(約5000年前)、後期前半(約4500年前)、後期中ごろ(約4000年前)となっています。





土器などの遺物とともに発掘当時の写真も展示されていますが、こういうのも見入ってしまいます。









遺物の数々。















このパネルを見て初めて遺跡の全体像が理解できました。





この3枚のパネルは秀逸。加曽利貝塚の立地や生活圏など、たいへんわかりやすい。(赤丸が加曽利貝塚。わかりやすくするために加筆しました)







イボキサゴという小さな貝が9割近いと書きましたが、そもそもどうしてこんな食べにくくて加工しにくい小さな貝をこれだけたくさん採集したのでしょうか。貝層断面を見たときから不思議に思っていました。たまたま居合わせた職員の方に聞いてみたのですが、要領を得ない回答でした。そしてこんなパネルを見つけました。





どうやら博物館や研究者の間でもよくわかっていないようです。

そもそもハマグリやアサリといった大きな貝があまり採れなかったのでしょうね。だからこんな小さな貝を山のように採集して、おそらく干物とか、もしかしたら佃煮にして保存食として、あるいは交易品として利用したのでしょう。今でいうシジミやタニシのようなものと思えば少しは理解ができます。

博物館を出て北貝塚へ戻ってあらためてよく眺めると、数十センチから1メートルほどの高まりに囲まれているのがわかります。この高まりの下に貝層が埋まっています。(写真ではわかりにくいですが)













南貝塚を眺めます。こちらの方が高まりがよくわかります。







南貝塚の外側に竪穴式住居が復元されています。これはおそらく新しく復元したものでしょう。頑丈で立派な造りで新築感が残っています。



一方で、こちらは古い復元です。奥の住居は朽ちてきています。





この朽ちた住居は史跡公園としてスタートしたときに復元されたとしてもまだ数十年です。それなりにメンテナンスされていたと思うのですが、それでもわずか数十年でこの状態です。竪穴住居群観覧施設で見たとおり、あるいは様々な遺跡において住居跡が重なり合うようにして見つかるケースがたくさんあります。この復元住居のように少なくとも数十年に一度の建替えが必要だとすると、そりゃ重なり合うわな、と思いました。

南貝塚にも貝層断面の保存施設がありました。









時刻は16時15分、博物館の見学も含めて3時間半くらいいたことになります。今回も満足度の高い遠足となりました。

最後に、加曽利貝塚博物館学芸員の佐藤氏が書かれたこのレポート、大変わかりやすいので是非読んでみてください。
 ↓
文化遺産の世界 特別史跡 加曽利貝塚 (千葉県千葉市)




↓↓↓↓↓↓↓ 電子出版しました。是非ご覧ください。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする