古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

福岡の旅③

2023年03月03日 | 旅行・車中泊
福岡の旅の3日目です。この日は梅が見ごろの太宰府天満宮に行くことだけを決めていて、あとは帰りまでの時間との相談と思っていたので、朝の出発はゆっくりでした。ホテルから歩いてすぐの西鉄天神駅から電車に乗り、途中、二日市で乗り換えて40分くらいで到着です。





電車も梅仕様のラッピング。さすが梅の名所、電車から降りる人、太宰府駅周辺にたむろする人、駅からの参道、どこもかしこも人でいっぱい。太宰府天満宮は社会人になってすぐのころ、九州支店に出張で来た際に支店の人に連れてきてもらって以来なので、かれこれ40年ぶり。当時の様子はまったく記憶にないものの、こんなに若者であふれる場所だとは思ってもみなかった。





参道にはいろんなお店があって、これから行く人も、参拝を済ませて戻ってくる人も、誰もが食べ歩き状態。帰りはもっと人が増えるかもしれないと思ってこんなお店に並びました。





そしていよいよ境内へ。そこかしこにある梅の木がほぼ満開です。









残念ながら本殿は修復作業中で見ることができませんでした。






おみくじがピンク色で梅の花と一体化しています。






合格祈願の絵馬がこぼれんばかりに吊られていたので何気なく読んでいると、書いた人の心境が伝わってきて思わず「みんな頑張れ」とつぶやいていました。








梅を堪能しました。帰りには有名な「かさの家」に並んで梅ケ枝餅をお土産に買って、併設のカフェで休憩です。古民家を移築、改装したカフェで、たまたま奥の個室が空いたので通してもらいました。いつまでも座っていたい何とも居心地のいい空間でした。







大宰府を後にして天神に戻ります。地下鉄に乗り換えて中洲川端で下車、そのまま川端通商店街を歩いて櫛田神社に向かいました。途中、川端ぜんざい広場で寄り道です。お店は休みでしたが、山笠が飾られていたので写真を撮りました。





商店街を端まで行くと前々日に晩ご飯を食べた「餃子のたっちゃん」があり、その向かい側が櫛田神社の裏口になります。



こちらの境内にも山笠が。近くで見上げると迫力満点ですね。




境内は広くはないものの、立派な社殿が建っていて、内部もなかなか見応えがありました。








神社を出てすぐのところにある「博多町屋ふるさと館」に入りました。空襲で焼け残った町屋を移築して整備した建物で、かわいいアート作品が展示されていました。





さて、そろそろ陽が暮れようとしています。少し早い時間でしたが、地下鉄で空港に向かうことにしました。最後に心残りのないようにと思って、空港にある「因幡うどん」で晩ご飯。ごぼう天うどんは思っていたのと違って、ほぼ天かすうどんでした。



お土産を買ってJALのラウンジでまったり。



搭乗便は定刻に離陸したものの「伊丹空港混雑のため、しばし関西の夜景をお楽しみ下さい」との機内アナウンス。たしかに楽しめる夜景だったので到着遅れは気になりませんでした。



急ごしらえの2泊3日の旅でしたが、なかなか充実の3日間、福岡を満喫して帰宅しました。

(おわり)







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福岡の旅②

2023年03月02日 | 旅行・車中泊
福岡の旅の2日目です。法華クラブでは期待通りの美味しい朝食でした。チェックアウトを済ませたあと、ホテルのすぐ裏にある住吉神社を参拝しました。住吉三神を祀る筑前国一之宮です。朝の境内は澄んだ空気で満たされて清々しい気持ちになります。通勤途中に手を合わせる人がたくさんいて、地元で大切にされている神社だと思いました。




この日はレンタカーで糸島半島をめぐる予定にしていたのですが、レンタカーの営業所まで少し歩く必要がありました。月曜日の朝、通勤途中の方々を尻目に小一時間ほど散策がてら写真を撮りながらゆったりと歩きました。





さて、手続きを済ませて車に乗り込んで糸島へ向かいます。まずは40分ほど走って、最近よくテレビなどで見かけるヤシの木ブランコに到着です。駐車場は1時間300円。平日で朝の時間が早いこともあって車も人もそれほどいません。海岸にはヘンテコなブランコが並んでいます。順番に乗りながら写真を撮りまくりました。










休日だとブランコの順番待ちがすごいんだろうなあ。幸いにも平日なので、1時間もいれば十分に楽しめます。それでも少しづつ人が増えてきたので退散です。

さて、お次はこれまた映えスポットのパームビーチです。人気のスポットらしく、ビーチの目の前は大きなホテルを建設中でした。砂浜を歩きながら水切りショットをしたり、シーグラスを拾い集めたり、童心にかえって楽しい時間を過ごしました。







パームビーチのすぐ近くに二見ヶ浦というところがあり、砂浜の鳥居の向こうに夫婦岩があります。二見ヶ浦、夫婦岩と言えば伊勢神宮や神話とつながる伊勢志摩が本場ですが、こちらのはいちおう桜井神社の鳥居となっているものの、どうみても観光用な感じです。でも、ここの住所は志摩桜井というのですね。糸島の「島」は実は「志摩」なんです。で、志摩の二見ヶ浦といえば限りなく本場に近くなるのです。写真を撮るのに若者にまじって並んでしまいました。



ここは砂浜から夫婦岩を拝むのもいいですが、丘の上にある二見ヶ浦公園聖地霊園の広場から見下ろす眺めが何とも言えず絶景です。




ここからは糸島半島を西に向かって走ります。途中、これまた映えスポットのロンドンバスカフェに寄ったのですが、ここは写真だけにしました。



さらに走ってトトロの森を目指します。似たような森の小径は四国最東端の蒲生田岬灯台にもありました。かなりな急坂で、一気に上って息が上がりましたが、展望台からの眺めはグッドでした。おすすめです。




この日の最後の行き先は糸島半島の最西端にある「またいちの塩 製塩所 工房とったん」というところ。誰もが塩プリンを片手に思い思いの場所にすわって海を眺めています。ずっとずっと眺めていても飽きないです。薪が燃える匂いがして、煙突から煙が上がると塩作りが始まったサインです。何とも言えない風情のある場所。この日に訪ねたところはどこも楽しい場所でしたが、ここが一番でした。絶対に訪ねてみてください。










さて、レンタカーの返却時刻は18時です。平日の夕方は渋滞が予想されるので少し早い目に出たのですが、営業所に到着したのが18時10分前。営業所は18時に閉まるので、社員の方が総出で迎えてくれました。

車を返してこの日の宿泊場所「カンデオホテルズ福岡天神」まで天神地下街を歩きました。最近になって各地にできてきたカンデオホテルは屋上の露天風呂と朝ご飯が評判なので今回使ってみることにしました。結果、露天風呂は良かったものの、朝ご飯は法華クラブのほうが絶対にいいです。おススメは法華クラブです。

チェックインを済ませて晩ご飯に出かけます。お目当ての「焼きとりの八兵衛」が残念ながらいっぱいだったので、あたりをウロウロして決めたのが路地裏にあった「雄屋わさび」というお店。一見、敷居が高そうなお店でしたが、リーズナブルな価格で味も良かった。ただ、メニューの品数が少なかったのがちょっと残念。



これにて2日目が終了です。最終日の明日は梅が見ごろの太宰府天満宮に行くことにしています。

(つづく)










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福岡の旅①

2023年03月01日 | 旅行・車中泊
2023年2月26日〜28日、今年初めての旅行は福岡へ。ただし、今回は車中泊ではありません。なぜかと言うと、ふるさと納税をした大阪府泉佐野市のキャンペーンに当選してpeachポイントをいただいたのでpeachに乗っていくことにしました。とはいえ、二人だと往復分が取れなくて、帰りはJALのマイルで。それでは2泊3日の様子を紹介します。

まずは最寄り駅の始発電車に乗って関西空港へ向かいます。実はpeachに乗るのは今回が初めてで、関空第2ターミナルの利用も初体験です。出発ターミナルはでっかい倉庫のようで、あまりの簡素さにビックリしました。朝一番とはいえ保安検査場は大行列で、もちろん搭乗する便は満席。結局、20分ほど遅れての出発となりました。



福岡空港を出てすぐ近くのニッポンレンタカーの営業所に向かいます。旅の直前まで行程をいろいろと考えていてレンタカーの予約が遅くなり、前々日にネットで1件だけヒット、というラッキーな予約でした。

車に乗り込んでまずは志賀島へ。福岡には旅行や出張で何度も来たことがあるのだけど志賀島はなかなか機会がなかった。小学生の時に金印が出た場所と知って以来、一度は行ってみたいと思っていたものの、近くて遠い志賀島でした。

島内のどこかで美味しい海鮮を食べようと思っていくつかチェックしていたのですが、あまり深く考えずにとりあえず行ってみた「魚処わき」に決めて、開店まで時間があったので少し戻って金印公園でのんびりと過ごしました。



島の南側の斜面に作られた金印公園からは博多湾の向こうに福岡市内から糸島半島まで見渡すことができます。この日は天気が良かったので陽の光を受けた海面がキラキラしています。なんとも気持ちのいい眺め、心地よい場所でした。








それにしてもこんなところから金印が出たのはどうしてだろう、と考えざるを得ませんでした。出土した場所は現在は海岸沿いを走る道路になっているあたり、平地がほとんどないこの場所は古代にあっても建物があったとは思えないところです。福岡市博物館によるとこれまで「墳墓説」と「隠匿説」で論争があったそうですが、解説を読んでいるとどうやら「墳墓説」に軍配が上がりそうなのかな。そうだとしたら、奴国の王墓と言わざるを得ないけど、こんなところに王墓を造るかな。また別の機会に考えてみたいと思います。



お店に戻るとすぐに開店です。大将に勧められるままにヒラメの刺身をメインにした気まぐれ御膳を注文しました。下の写真は二人前ですが、見た目以上にボリュームがすごくて、ヒラメはもちろんのことマグロも鯛も何もかも新鮮で美味しかったです。値段は少し高い目ですが、それ以上に満足度の高いお料理でした。





食後は志賀島を一周して志賀海神社を参拝しました。古代史仲間の方に教えてもらった綿津見三神が祀られる安曇氏ゆかりの神社で、ここも機会があれば来たいと思っていた神社です。安曇氏も詳しく勉強してみたい氏族のひとつ。












このあとの行き先はいろいろ悩んだ結果、宮地嶽神社を目指すことにしました。事前の調べで、宮地嶽神社参道の階段からのびる光の道の先に太陽が沈む1年に2回しかないタイミングだというのわかっていたので、かなり並ぶ覚悟をしていきました。到着すると整理券をもらう人が並んでいます。係の人に聞くと300人限定で今250番目くらいというので、何とか光の道の夕陽を見れそうです。







境内を参拝したりして時間をつぶそうと思ったものの、結局、寒い中を2時間半くらい並んでいました。時間が来て並んだ順に見学場所(参道の階段)に行くと上の方のいい場所はすでに埋まっていましたが、見れるだけで十分と思っていたので、下の空いているところに座って日没を待ちます。この日の日没時刻は18時11分。20分くらい前から空がオレンジ色になっていき、18時前になると太陽がちょうど光の道の上に。きっと何かいいことがあるぞと思えるほどいいものが見れました。






1時間ほど走って市内に着くころには真っ暗になっていました。レンタカーを返却してホテルまで歩きます。この日のホテルは法華クラブ福岡。大浴場があるのと、以前に広島の法華クラブに泊まった時に地元の食材を使った美味しい朝ご飯がついていたので、今回もそれに期待して決めました。

チェックインを済ませて疲れた身体を奮い立たせて外に出ました。キャナルシティでは噴水ショーを最後の少しだけ見ることができてラッキー。川端通商店街の入口で見つけた「餃子のたっちゃん」という居酒屋で晩ご飯。餃子と焼売が絶品でした。





この日は朝早い始動だったこともあって少し疲れたものの、行きたかった志賀島を巡り、一度は見てみたかった宮地嶽神社の光の道に沈む夕陽を拝み、ランチも晩ご飯も大満足で充実の一日となりました。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(13)

2022年12月31日 | 旅行・車中泊
2022年11月20日、いよいよ最終日です。「道の駅みやま公園」ではぐっすり熟睡したようで、朝の目覚めが少し遅くなりました。ワンコの散歩に出ると駐車場に車がどんどん入ってきています。野菜、お肉、鮮魚などの生鮮品の売り場がたくさんの人で賑わっています。両手に袋を下げた人がお店から次々出てきます。なるほど、そういうことか。この道の駅は地元の人が生鮮品を買い出しにくるところなんだ。



私たちも野菜や果物、焼き立てパンなどを買い込み、車中で買ったばかりのパンやシャインマスカットを朝ご飯にしました。それもあって出発が10時と、この旅で一番遅い出発になってしまった。

最初に向かったのが岡山城です。リニューアルされてオープンしたばかりだというのをネットで知ったので行ってみることにしました。出発前に駐車場を調べた結果、目の前にある県立図書館に停めるのがよいとわかったので行ってみると満車寸前、ギリギリセーフ。




ちょうど「秋のおかやま桃太郎まつり」が開催中で、城内にはたくさんの屋台が出ていて、その隣りでは備州岡山城鉄砲隊の実演が行われようとしていました。初めて見る火縄銃の発砲は迫力抜群。なんといいタイミングで来たことか。





鉄砲隊の実演を堪能した後は城内を散策。ワンコがいるので天守閣に上がることはできませんが、それ以外は自由に歩き回れるのがうれしい。黒い天守閣は通称「烏城(うじょう)」と呼ばれ、その姿はなかなか美しいものでした。

















岡山藩主池田家に伝わる能衣装の図案を模したたくさんの扇が並べられ、夜になるとライトアップされるとのことでしたが、昼間でも十分に烏城を彩っていました。岡山城は思っていた以上に楽しい場所でした。

岡山城を後にして備前国一之宮の吉備津彦神社に向かいます。祭神は第7代孝霊天皇の第3王子である大吉備津日子命で、ヤマト王権が各地に派遣した四道将軍の一人です。吉備国を平定してこの地を治めたということになります。桃太郎のモデルともされています。境内に入るとボランティアガイドのおじさんが説明をしてくれるというのでお願いしました。




青い空と背後の中山の緑の中、金色の千木がピカピカと輝いています。




本殿の手前にある渡殿と祭文殿の間に反対側に通じる地下通路があり、ガイドさんがパワースポットだというのでちょうど真ん中、本殿で神様を祀ってあるあたりでパワーをもらいました。





大きな石灯篭の高さ11mは日本一の高さ、上に乗っかっている傘の部分の広さが8畳もあると聞いて驚きました。



境内周辺の木々が色づいて良い感じでした。




次は備前国一之宮の吉備津神社です。こちらの祭神も吉備津彦神社と同じ大吉備津彦命です。吉備津神社では古事記の表記で書かれていて、こちらの吉備津神社は日本書紀の表記になっています。吉備津彦神社と吉備津神社、ややこしいですね。



先のガイドさんの説明によると、吉備国はもともとはひとつの国で、その時には吉備国一之宮として吉備津神社しかなかったのですが、持統天皇3年(689年)に備前、備中、備後の3つに分国された時に吉備津神社が備中国一之宮になったので、備前国一之宮として吉備津彦神社を建てた、ということです。ちなみに、備後国一之宮も吉備津神社で同じ大吉備津彦命を祀っています。



吉備津造りという二連の屋根をもつ社殿は日本で唯一ここだけのもので国宝に指定されています。この神社はこの社殿のみならず、その横から山の下に延びる廻廊が見どころです。








廻廊の途中には鳴釜神事が行われる御竈殿という建物があります。神事は終わっていましたが、中に入って少し話を聴くことができました。



境内を出て周囲を歩いてみました。普賢院というお寺の庭も素晴らしかったし、駐車場の裏手ののどかな風景も懐かしい雰囲気で心が和みました。




さて、これにて最終日の観光は終了です。お昼を食べていなかったので少し遅いランチにしようと、国道2号線近くにあるイタリアンの「パルマリーナ」というお店に入りました。15時をまわっているのにランチタイムということだったので、ワタリ蟹のパスタとハンバーグをお得な価格でたいへん美味しくいただくことができました。






お店を出たのが16時半。ここからは自宅に向かってひたすら走り続けました。ここまで高速を使っていなかったので、最後もずっと下道を走り、自宅に着いたのが21時。

最終日の走行距離は246.7キロで、この13日間で最も走ったことになります。スタートからゴールまで、中国地方をぐるりと巡った累計走行距離は2,019.1キロでした。


13回にわたる車中泊旅のレポートを最後までご覧いただき、ありがとうございました。今年の車中泊旅はこれが最後となりますが、来年の旅の計画も考えているところなので、またこの場で発信したいと思います。それでは皆さん、良いお年を。


(おわり)







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中国地方周遊の車中泊旅(12)

2022年12月30日 | 旅行・車中泊
2022年11月19日、「道の駅遊YOUさろん東城」で迎えた12日目の朝は霧のせいもあって、どんよりした空模様でかなり冷え込んでいます。



帝釈峡の駐車場での車中泊をあきらめた代わりに、駐車場係員よりも先に行こうと思って7時40分に出発。到着すると駐車場には車も人もいません。車を降りて遊歩道に向かいました。



あまりに冷え込んでいるからか、神龍湖の湖面から水蒸気が立ち上っています。






このあたりは紅葉がほぼ終わりで、小径が落ち葉で埋もれています。それをサクサクと踏みしめて歩くのが心地いい。








駐車場に戻ると係員が出勤していましたが、何も言われることなく脱出できました。お巡りさんの言う通り。

さあ、次はどこに行こうか。もともとは東に走って津山あたりで1泊、その後は姫路に出て大阪に戻ろうと考えていたのですが、津山に行っても今ひとつ面白くなさそうだったので、南に走って一気に瀬戸内海へ出て福山の鞆の浦へ行ってみようと方針を変更しました。

朝ご飯を食べていなかったので鞆の浦ではまずはランチ、と思ってググって決めたお店が「魚処 鯛亭」。1時間半ほどで到着、お昼のピークを過ぎていたこともあって20分ほど待って入ることができました。





食後はこの小さな港町をゆるりと散策です。万葉集の歌に詠まれ、おそらくはそれ以前から潮待ち港として栄えていたと思われ、現在では江戸時代の町並みが保存される風情ある港町です。








細い路地や坂道にネコ、少し尾道の雰囲気に似ています。





ところどころに出てくる森下博という聞いたことのある名前。森下仁丹の創業者で、鞆の浦出身だと初めて知りました。そういえば高校で剣道をしていた時に剣道連盟の要職に就かれていた「森下」さんも森下仁丹の社長さんだと聞いた記憶がある。

港の方へ出てみるとこれぞ鞆の浦という景色が広がっています。路地を歩いて、いろんなお店に入って、お店の人と会話して。時間が止まったように感じる場所です。














夕方までのんびり過ごしたあと「鯛工房」で天ぷらや鯛かまぼこのお土産をまとめ買い。この日のお風呂を目指します。翌日は岡山市内で過ごそうと決めていたのでお風呂は手前の倉敷にある「瀬戸大橋温泉やま幸」というところに決定。夕方の時刻、倉敷までの道はけっこう渋滞して、到着したころには真っ暗になっていました。

車を停めて入口に向かって歩いているときにラーメン屋さんが目に留まったので先に腹ごしらえをすることに。





お風呂は土曜の夜とあってけっこうなお客さんがいましたが、ゆっくり浸かることができました。入浴後、一番近い道の駅「みやま公園」まで30分ほど走ります。車中泊の車がたくさん停まっていましたが、そこそこいい場所を確保できたので朝までぐっすり。翌朝、この道の駅の素晴らしさを知ることになります。

12日目のこの日の走行距離は178.0キロで、出発してからの累計は1,772.4キロ。いよいよ残すところあと1日となりました。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(11)

2022年12月29日 | 旅行・車中泊
2022年11月18日、11日目、「道の駅来夢とごうち」での朝はかなり冷え込みました。夜中に着いたときは小さな道の駅で寂しいところと思ったものの、ワンコと散歩していると道路を挟んだ向かい側に大きな駐車場がありました。




朝ご飯は前日にお風呂で買った弁当です。冷たくなっていたけど美味しかった。



朝ご飯を済ませて8時40分に出発。来た道を少し戻って「筒賀の大銀杏」を見に行きます。標高の高い山の中なので、見頃は終わっているだろうと思いながらも、とりあえず行ってみることに。




案の定、ほとんどの葉っぱが落ちてしまって、ほぼ丸裸のイチョウになっていたのですが、逆にそのおかげで一面に黄色のじゅうたんを敷いたような素晴らしい光景が見れました。




次は安芸高田市まで走って「清神社(すがじんじゃ)」へ向かいます。清神社がある場所は、『日本書紀』に見られる素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した「安芸国可愛之川上(えのかわかみ)」の地とされ、その素盞嗚尊を主祭神として祀っています。また、神社名は素盞嗚尊が退治後に「吾が心清清(すがすが)し」と発した言葉に因むとされます。近くを江の川(ごうのかわ)が流れており、これが『日本書紀』にある「可愛之川(えのかわ)」と考えられるわけです。






この神社はJリーグのサンフレッチェ広島が毎年必勝祈願をする神社として地元では有名ですが、古代史マニアにはむしろ素戔嗚尊が祀られていることに興味がありますね。



古代出雲の勢力範囲が意外に広くて、もしかすると瀬戸内海にまで達していたのかも、なんて思いながら参拝しました。次に行った三次市もその出雲勢力圏を考えるにあたって外せない場所です。三次市は出雲特有の墳墓である四隅突出型墳丘墓(通称「ヨスミ」)の発祥地と考えられているからです。その三次市で訪ねたのが、古墳時代の初期に造られた四隅突出型の古墳「矢谷古墳」です。




三次市では各地に先駆けてヨスミを造り始め、古墳時代に入るまで造り続けたということになります。これは三次市がヨスミ勢力の拠点であったことを表しているのではないかな。清神社とは江の川でつながり、わずか25キロしか離れていないこともあわせて考えると、素戔嗚尊の勢力拠点がここにあったのではないかと思うのです。ここまで古代史シリーズに付き合ってくれた奥さんに感謝。





さあ、次はいよいよ本日のメインイベント「国営備北丘陵公園」です。国兼池の周囲に造られた広大な公園で、最初はすべてを周るのは無理だろうと思っていたのだけど、夜になるとイルミネーションがあるのがわかったので、夜まで公園でゆっくり過ごそうと決め、池を巡ることにしました。












園内の職員さん曰く、今年は雨が少なかったので紅葉に艶がない、と。なるほど、そういうことがあるのか、と。それでもなかなか素晴らしい紅葉が見れました。夕暮れになって一度車に戻り、ワンコは留守番です。イルミネーション点灯までの間に腹ごしらえのかき揚げそば。あったかくて美味しかった。



時刻は17時半、いよいよ点灯。













平日なのに続々とお客さんがやってきますが、私たちはお昼から夜まで公園での時間を堪能したのでこれにて終了です。この日のお風呂は翌日に行くことにしていた帝釈峡の近くにある「休暇村帝釈峡」の日帰り入浴。30キロ先と少し遠いのだけど遅くまでやっているのがここしかなかったのです。ところが、この温泉に行く途中に驚きの景色を見ることに。

星のよく見える夜空の下、まっくらな山道を走っていると「コスモドーム」の表示板が。星がよく見えるから、きっと星空を観測するドームがあるのだろう、ちょっと寄ってみよう、と言って駐車場に入ったのだけど、真っ暗すぎて車のヘッドライトが照らすところしか見えません。さらに上にのぼる細い道があったので、たぶんこの上にドームがあるのだろう、と言いながら車を降りてビックリ。こぼれ落ちそうな星、星、星、無数の星。







これは周防大島で見た星空を凌駕するものでした。周囲は真っ暗で、雲ひとつなく、標高が高い、という好条件が重なったのだろうけど、それにしても感動の星空でした。

あとで調べてみると、ここに星空観測のドームはなくて、ドーム型の体育館やテニスコート、グランドなどがあるスポーツ施設でした。でも、勘違いしたおかげで感動を味わうことができたので結果オーライ。

休暇村帝釈峡へ到着すると駐車場には車がいっぱいでしたが、お風呂はほとんど人がいなくて、ゆっくりと浸かることができました。



車中泊場所はさらに10分ほど走った「道の駅遊YOUさろん東城」。いい場所を選んで寝る準備をしていると隣にパトカーが停まった。もしやと思っていると、やっぱり。車中泊あるあるの職質、初体験です。ふたりのお巡りさんが、優しい振る舞いで丁寧な言葉使いながらも、主な荷物をしっかりとチェックしていました。

明日は帝釈峡へ行くと伝えると、車中泊するなら今晩のうちに帝釈峡へ行って駐車場で泊まれば駐車料金をとられないからその方がいいよ、と親切に教えてくれました。素直に言うことを聞いて帝釈峡へ行ってみると明かりがまったくなくて真っ暗、車どころか人っ子一人いません。さすがにここで寝るのは怖いと思って道の駅にトンボ返り。充実の一日でしたが、最後の最後に嫌な感じになりました。
 
11日目のこの日の走行距離は178.5キロ。最後の道の駅と帝釈峡の往復は無駄足でした。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(10)

2022年12月28日 | 旅行・車中泊
2022年11月17日、いよいよ10日目に突入。この日のスタートは「道の駅サザンセトとうわ」のすぐ近くの真宮島から。この島は干潮のときだけ島に通じる道が姿を現わします。この日の干潮は午前9時。一番乗りかと思いきや誰かの足跡が、、、さっきまで海の底だったとは思えない道を歩いてワンコとともに島へ渡ります。





あたりに転がっている石に小さな岩牡蠣がたくさんついているのを見て奥さんが「食べてみる」と。うそやろー、と思いながら見ているとホントに食べた。しょっぱかったらしい。



帰りは東和町の指定文化財になっている服部屋敷を外から見学しながら車に戻りました。



次はほぼ島の先端にある陸奥記念館を目指します。戦艦陸奥の存在は知っていたものの、その記念館がこの周防大島にあることに興味をもって行ってみたいと思った次第。







戦艦陸奥はこの周防大島沖に停泊中、謎の大爆発が原因で沈没、乗組員や予科練の若者など1000名以上の命が失われた、なんてことは知らなかった。、昭和45年(1970年)に引き揚げられ、当時の写真や遺品の数々が展示されています。大和ミュージアム、知覧特攻平和会館、ひめゆり平和記念資料館、靖国神社遊就館、、、こういう展示を見ると胸が痛む。

引き揚げられた船体の一部が防腐処理されて野外展示されています。予科練生の死を悼む若鷲の碑に線香を供えて手を合わせました。









陸奥記念館の見学のあとは、目の前にある「なぎさ水族館」へ。小さな水族館だけど、ユニークな展示と解説で爆笑の連続でした。










次は周防大島の東の端から一気に西の端を目指します。途中、みかんの販売所がいくつかあったのですが、どこも今ひとつ魅力を感じない(それほど安くない)ので全部パス。周防大橋の手前から山道に入って飯の山展望台に向かって山を上ります。少し上がったところから前日の嵩山の山道がフラッシュバック。同じような細い細いクネクネ山道がもうひとつあったとは、、、

それでも、やっぱり頂上からの絶景は格別でした。大島と本土の間は潮の流れが速くて白波が立っています。








下りも肩が凝るほど緊張しながらの運転でした。周防大島にまた来ることはあっても、この飯の山も前日の嵩山も再び登ることはないと思います。

この日の最後は岩国市の錦帯橋。到着直前にちょっと遅いランチにしようと、ググってみつけたのが天ぷらのお店「あつあつ揚立てっちゃん」。揚げたての天ぷらが次々とやってきて、美味しい天ぷらをいただきました。



錦帯橋では横山河川敷運動広場の駐車場に停めてワンコと一緒に散策です。もともとの予定では前夜にここに到着して車中泊することにしていたので、予定からほぼ一日遅れということになりますが、予定は未定なので全く問題ナシです。




橋を渡るのは有料でワンコもOKでした。そして、対岸に向かって歩いていた橋の上で奇跡が起こったのです。なんと、なんと、奥さんの友人夫妻と橋のてっぺんでバッタリ遭遇。大阪にいてもこんな会い方はないだろうに、ましてや岩国の橋の上で。まさに奇跡でした。





対岸に渡り、ご夫妻と別れを告げて河辺に下りると、橋の向こうにお城が見えてまた違った風景。






再び橋を渡って戻ります。渡った先にある吉香公園は県立岩国高校の跡地にできた公園だそうです。この季節に花を咲かせる十月桜は初めてみました。隣接する吉香神社の境内でも銀杏や紅葉が色づいています。夕暮れが迫る中、ゆったりと散策できました。








時刻は17時を過ぎました。近くでお風呂を探したところ、岩国観光ホテルの日帰り入浴が人気との記事を見つけたのですが、料金がなんと1,500円。これはないわ、と思って決めたのが、30分ほど走って広島県に入ったところにある「天然温泉宮浜べにまんさくの湯」。この日帰り温泉は入浴とお弁当をセットにしたお得なメニューがあったので、それで晩ご飯にしようと決めました。



ランチが遅かったので弁当を食べずにとりあえず車中泊場所に決めた「道の駅来夢とごうち」に向かいます。50キロちょっと、1時間20分ほどで到着。時刻は22時です。寒かった。よく考えれば温暖な瀬戸内海沿岸から一気に中国山地のど真ん中まで上がってきたので寒いはずです。さっさと寝ることにしました。

10日目のこの日の走行距離は154.5キロ。ついに山口県から広島県に入りました。山口県はホントにいい所でした。

(つづく)






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中国地方周遊の車中泊旅(9)

2022年12月27日 | 旅行・車中泊
2022年11月16日、9日目、「道の駅きららあじす」の夜はいたって静かで何事もなく、気持ちの良い朝を迎えました。意外にも早くに目が覚めて朝陽の中をワンコと一緒に散歩しました。




出発の準備を済ませた後、この日どこに行くかの作戦会議をした結果、まずは近くの「阿知須いぐらの館 旧中川家住宅」に行きました。阿知須(あじす)は廻船業で栄えた町で、中川家はその中心となった家だそうです。いぐら(居蔵)とは、瓦葺の屋根、漆喰で塗り固めた大壁、泥戸等、防火機能に優れた建物のことで、白壁の旧家がならぶ町並みをイメージして来ました。




ところが、肝心の中川家は休館日で町並みもおもったほど白壁がならんでいなくて、少し残念な印象。次の行き先を防府天満宮に決めて出発です。この日は雲一つない快晴で、運転が気持ちいい。防府天満宮には30分ほどで到着。







菅原道真を祀った神社は全国に1万2千社あって、この防府天満宮は日本で最初に創建された天神さま(天満宮)だそうです。知らなかったなあ。





円楽坊跡の庭園は紅葉が色づき始めていて、なかなか見応えアリ。






このあと、周防国分寺へ歩いて向かったのですが、日差しが強くて陰がなく、暑い暑い。しかも国分寺境内にワンコは入れません。奥さんだけ入って見学してもらいました。





さらに毛利氏庭園まで歩こうと思っていたのですが、この日差しの下を歩くのは無理。いったん戻って車で行くことにしました。駐車場には大型バスをはじめ、結構な車の数。ここも予想していたことですがワンコNGだったので奥さんひとりで見学。






博物館も併設されているらしく、両方とも見学した奥さんの感想は「庭園はなかなか良かったけど、庭園だけでよかったかな」というものでした。











さて、朝から楽しく過ごした防府市ともお別れして、車をさらに東に走らせます。目指すは周防大島です。この島は記紀の国生み神話に登場する「大島(大洲)」だとされています。私は「そうではない」と考えているので、以前から行ってみたいと思っていたこともあって事前に調べてみると、陸奥記念館とか嵩山からの眺望など、訪ねてみたいところがいくつか見つかったので行くことにしました。




周防大島には大島大橋という橋を渡ります。島の北側、海岸沿いの国道はたいへん走りやすい道で快適なドライブです。しばらく走ったあと右折して、この日の最後の目的地、嵩山の展望台を目指して山を登っていきます。

この山道、いま思い出しても身震いするような細い細いくねくね道でしかもかなり急な登り坂。すれ違いができる場所がほとんどない。たまたま「嵩山やすらぎの丘」という少し広い場所に差し掛かったところで上から車が下りてきた。ほんの少し時間がずれていればとんでもないことになっていたと思う。とにかく、車が来ないことを祈りながら、思いっきり緊張しながらさらに上を目指します。そして何事もなく無事に到着した駐車場は意外にも広くてトイレもあってビックリ。これだけたくさんの車で賑わうことがあるということか。あーこわ。これから行こうと思われる方、心して行ってくださいね。駐車場には2台のバイクが停まっていました。



徒歩で山頂へたどり着くと360度の絶景。2階建ての展望建物とハンググライダーのローンチ台が2基あって、なかなかいい写真が取れました。






夕陽が空を赤く染めようかというタイミングでしたが、このあと残念ながら太陽が雲に隠れてしまったので、ほんの一瞬の輝きでした。



この先をさらに行くと展望台があるようです。先客の若者に聞くと「また違った景色が見れる」というので行ってみました。










たしかにこれも絶景。細い細いクネクネ道をビビりながら山頂まで登ってきて、これを見ない手はないと思わせくれる眺望でした。

さて、そろそろあたりが暗くなり始めます。あの道をまた行くのかと思うとゾッとしますが、やむを得ない。とにかく明るいうちに下りようと思って、山頂では長居しませんでした。

駐車場に戻ると先客のバイクの若者がいました。バイクで日本一周しているというので声をかけて記念写真を撮ってエールを送りました。ここでも宣伝しておきますね。



いよいよクネクネ道を下ります。さすがにこの時間に上ってくる車はないと思うものの、勾配が急なので早い目のブレーキを心がけながら恐る恐る下りました。目指すのは島の南側にある竜崎温泉「潮風の湯」。



晩ご飯はホテルの食事とは思えないくらい安くて美味しくて大満足でした。温泉もかけ流しの気持ちのいいお湯で、この旅いちばんのお風呂です。もしかしたら、また来るかもわかりません。



この日の車中泊は島の北側にもどったところにある「道の駅サザンセトとうわ」です。駐車場に車を停めて外に出てみてビックリ。満天の星空です。これだけたくさんの星が散りばめられた夜空を見るのは子供が小さい頃によく行った十津川のキャンプ場以来、20年ぶりくらいかな。ため息をつきながら眺めていました。スマホでも撮れるくらいなので、実際に見るともっとすごいです。





9日目のこの日の走行距離は146.6キロ。山口県に入ってすでに5日目。明日は周防大島をもう少し楽しんだあと、いよいよ広島県に向かいます。それにしても山口県でこれだけ遊べるとは思ってもみませんでした。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(8)

2022年12月26日 | 旅行・車中泊
2022年11月15日、8日目の朝は今ひとつスッキリしない空模様。前夜の就寝が遅かったので朝の目覚めも遅くなり、公園でワンコと散歩したあとに出発したのが9時20分。この日は下関の唐戸市場でご飯を食べて周辺を散策、関門海峡や関門橋の眺望を楽しもうと計画していました。



老の山公園を下って唐戸市場までは15分ほどですが、できるだけ近く、できるだけ安い駐車場と思って周辺を走りながら悩んだ結果、下関グランドホテル横にあるファミリーマートの駐車場になっているタイムズにしました。唐戸市場へ行ってみると時間が遅かったからか、ほとんどのお店が片付けに入ってました。残念。





周辺を少し散策した後、ランチを取ろうと戻りました。ご飯を食べるお店はカモンワーフというショッピングモール内にいくつもあったのですが、どれも決め手に欠け、悩んだ結果「ふぐの河久」という小さなお店に決定。ふぐの雑炊と唐揚げ定食をいただきました。





ランチ前の散策で、このあたりには旧い建築物がいくつかあることがわかっていたので、食後に順に見学して回ることにしました。まず「旧下関英国領事館」のティールームでお茶を飲もうと思っていってみると、なんと休館日。これは残念でした。




次の「旧秋田商会ビル」へ行ってみると、なんとなんと、ここも休館日。なんてこった。





となりのビルは1900年竣工、築120年以上の「下関南部町郵便局」で、現役の郵便局としては最古の局舎とのこと。実際に業務をしている建物に入ってみると、片隅に写真やパネルなどが展示されています。職員の方に許可をもらって見学していると、なんと局長さんがこられて説明をしてくれました。








さらに、建物の裏にまわると中庭があり、扉を開けるとレトロなレストラン風の隠し部屋(?)が。昔は業務で使用していたそうですが、今は改装して中庭も含めてイベントやパーティーなどの用途で貸し出しをしているそうです。








下関市南部町は赤い円筒型の郵便ポストを考案した俵谷高七という人が住んでいた町で、下関が郵便に深いかかわりのある町だということを初めて知りました。ちなみにこの俵谷高七は切手やハガキの自動販売機も発明したとのことです。



局長さんはしゃべくりが上手で、まるで漫談を聞いているように楽しい時間を過ごすことができました。局長の福島さん、ありがとうございました。お礼に局長さんがデザインの一部を担当した切手シートを購入しました。





郵便局の次はすぐ近く、大きなフグの銅像がある亀山八幡宮へ。下関にこんな立派な八幡さんがあるのは何故、と思って由緒を見ると、平安時代に宇佐八幡宮の神様を京都の石清水八幡宮に勧請する途中、この地に停泊した際にご神託があったので、ここに八幡宮を建てたということでした。ということは、石清水八幡宮よりも古い八幡さんということになります。



高台に建つ境内からは関門橋や関門海峡の向こう側の門司の町が見渡せます。





カモンワーフに戻って、波止場の方に行ってみました。小さな灯台があって、その先には唐戸市場、さらには関門橋が見えます。水族館ではイルカショーをやっているようで、出番のないイルカを外から見ることができました。これは画期的な仕掛けです。







この日は始動が遅かったにもかかわらず盛り沢山な一日です。次は関門海峡を上から眺めようと火の山公園に向かいます。ここは明治時代に関門海峡を通過しようとする外国船を砲撃するための砲台が築かれた場所で、砲台跡の見学もなかなか楽しかった。












公園の端っこまで行くと瀬戸内海が広がっていました。思いもよらず長居をしたので太陽が傾き始めています。




山を下りたあとは少し戻って日清講和記念館へ。日清戦争後の講和会議が開かれた春帆楼の隣に建てられた記念館で、当時の資料や写真、再現された会議室などが展示されています。閉館ギリギリだったものの見学できてよかった。




次はすぐとなりにある赤間神宮へ。壇ノ浦の戦いでわずか8歳という年齢にして命を失った第81代安徳天皇を祀る神社です。8歳という年齢もさることながら、平氏滅亡にあたって入水させられたことがあまりに痛ましい。そんな幼い天皇を祀るからか、なんだかかわいい神社でした。すぐとなりにはその安徳天皇の御陵がありました。









この日の最後はその壇ノ浦です。関門橋を見上げる場所に「みもすそ川公園」という小さな公園があり、安徳天皇入水の場所を示す碑のほか、さまざまな碑や像が建てられています。






幕末に長州藩が装備した大砲(長州砲)も並べられていました。それと、真下から見上げる関門橋は迫力抜群でした。






これにて終了。この日は半径数キロメートル圏内を移動しただけでしたが、下関を堪能。また来たいと思わせてくれる町でした。さて、こんなに遅くまで下関に滞在すると思ってなかったので、このあたりのお風呂を考えておらず、急きょ探して見つけたのがすぐ近くの「満珠荘」というホテルの日帰り入浴。夜の関門海峡や関門橋を見ながらお湯に浸かることができるいいお風呂でした。



入浴後は東に向かって走ります。この日はお昼からフルに動いて晩ご飯を食べ損ねていたので、途中、どこかに入ろうと思って探しながら走ったのですが、どこも決め手がなく、スーパーセンターのトライアルでお寿司を買って車中食することにしました。

車中泊場所に決めた「道の駅きららあじす」は事前の調べでは、騒がしい、夜中までうるさいなどの情報があり、あまり評判がよくなかったのですが、時間的にここしかなかったので何もないことを祈りながら車中食と車中泊しました。

8日目のこの日の走行距離は73.3キロ。このうち50キロは最後の道の駅までの走行だったので、ほんとに動かない1日だったということになります。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(7)

2022年12月25日 | 旅行・車中泊
2022年11月14日、昨日とは打って変わって快晴の一日。この日は必ず行くと決めた行き先が2カ所あって、まずは1カ所目の元乃隅神社を目指します。雑誌やテレビ、ネットでよく見る海岸の断崖の上に赤い鳥居が並ぶ神社です。9時過ぎに到着したのに神社の目の前の駐車場は結構埋まっています。しかもこの日は平日。それだけ人気スポットということかな。




いったん駐車場から下まで降りて立ち並ぶ鳥居の入口から登っていくのが本来の参拝ルートと書いてあったのですが、駐車場からそのまま境内に入って参拝しました。そこでは初めての光景を目にすることに。境内入口の大鳥居の上に賽銭箱が置かれていて、何とそこにお賽銭を投げ入れるのです。風が強くてなかなか入りません。私は5回目でようやく入り、奥さんはついにあきらめました。




この神社はいわゆるお稲荷さんにあたりますが、昭和30年に枕元に現れた白狐を祀るために個人が建立した神社で、古い歴史があるわけでなく、由緒ある祭神が祀られているわけでもなく、立派な社殿があるわけではなく、ただただ絶景であることだけで有名になったのだと思います。とはいえ、神社だけでなく、参道入口近くの岩場に打ちつける波のしぶきが岩場を超えて高く吹き上がる「竜宮の潮吹き」もなかなかの迫力があって見ものです。時おり虹がかかって見えるのもいいですね。





元乃隅神社の次は油谷湾の眺望を期待して妙見山展望公園へ。期待したほどでもなかったけど、なんと元乃隅神社のある岬が見えたのと、誰もいない公園でのワンコと過ごす時間はなかなか良いものでした。





もうひとつ、必ず行くと決めていた場所が角島大橋です。この日が快晴で本当に良かったと思わせてくれる眺望が待っていました。






大橋の脇にある展望台から撮ったあと、丘の上の道路からも撮影。青い空と青い海原、白い波、そして島へ渡る大橋、すべてがマッチしてどこから見ても美しい。このあと橋を渡って角島灯台へ向かう途中、灯台の近くにあるグランビスタ角島でランチ。すぐ目の前の海岸でキムタクのHEROのロケをしたようです。





珍しい石造りの角島灯台は日本海側で一番最初に建てられた大型灯台だそうです。



灯台の周辺は公園になっていて岬の先端まで歩いていくことができます。右から寄せる波と左からの波が岬の沖でぶつかる様子は見てて面白かった。







灯台には登りませんでしたが、灯台の下にある記念館に入って灯台の勉強をしてきました。




島の反対側にある牧崎風の公園まで行ってみたのですが、牧場には牛が一頭いるだけで、公園もさっきの灯台公園と同じような場所だろうと思って車から降りることなく戻りました。帰りは再び角島大橋を渡るのですが、手前の瀬崎陽の公園からの眺めも良かったです。



角島をあとにして国道を走っていると、この日は予定が盛りだくさんで時間的に厳しかったので次の機会にしようと思っていた土井ガ浜遺跡の案内標示。いったん通過したものの奥さんが寄っていいよと言ってくれたのでUターン。





この遺跡は弥生時代前期から中期にかけての墓地で、約300体の人骨が発見されました。最も多くの人骨がでた所の出土状況を復元してドームで覆って保存しています。残念ながら併設する人類学ミュージアムとも休館日なっていましたが、時間がなかったので休館でちょうどよかったです。また機会を作って行こうと思います。

さらに南下して下関を目指す途中、二見夫婦岩というスポットがあります。二見とか夫婦岩とかいうと伊勢の二見浦だろうと思いながら立ち寄ってみると、太陽が傾いてちょうど二つの岩の間に沈もうとする時間だったので、いい写真が撮れました。





この日は、山口出身のお隣さんが教えてくれた瓦そばの「たかせ」で晩ご飯と考えていたので先を急ぎます。たかせに着いたのが17時前で晩ご飯には少し早い時間だったことと、お昼にお腹いっぱいに食べたこともあって、あまりお腹がすいておらず、名物の瓦そば、うなめしを1人分ずつ注文してシェアしました。お腹をすかせてくればよかったなあ。





このあと、予定では本州最西端の毘沙ノ鼻へ行こうと思っていたのですが、お腹がいっぱいですっかり頭から抜けていました。でも、日が暮れてしまって暗くなっていたので仮に行っても何も見れなかったと思うと、忘れていたことが幸いしたかな。

この日のお風呂「和楽の湯 下関せいりゅう」まで30分ほど走ります。お風呂は大きなショッピングモールの中にあって、平日にもかかわらず結構混んでいました。ゆっくりと入浴した後は近くのコインランドリーで洗濯です。

下関のこの辺りは近くに道の駅がなく、ネットでいろいろ調べて老の山のふもとにある彦島ナイスビューパークか、山を上がったところにある老の山公園の駐車場、のどちらかに決めていたのですが、ビューパークは行ってみるとトイレが閉鎖されていたので山を上りました。

洗濯をしたので到着が23時をすぎてしまい、零時をまわってからも若者のグループが公園の遊具で騒いでいたので、彼らが帰るまでは落ち着いて寝ることができず、就寝は深夜1時をまわっていました。でも、関門海峡の向こうに見える工場地帯の夜景が綺麗でした。



7日目のこの日の走行距離は133.2キロ。いよいよ折り返し点に近づいてきました。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(6)

2022年12月24日 | 旅行・車中泊
2022年11月13日、「道の駅阿武町」での目覚め。ここまで快晴の朝を迎えていたのに、この日はどんよりした空模様です。




ワンコの散歩を済ませて8時40分頃に出発、目的地の萩までは20分ほどですが、途中で雨が降り始めました。この日は萩の町を散策する予定にしていたのに予定変更かな、と思いながらとりあえず萩城まで行き、駐車場に停めると少し小降りになったのでワンコを連れて萩城へ向かいました。




入口まで来たところで再び雨足が強くなってきたので、いったん車に戻ってワンコを留守番させることしました。ところが、城内を歩いているうちに雨があがり、陽が差して来て、雨があがるのを車で少し待てばよかった、とちょっとだけ後悔。







城内を歩いていて、もう少しきれいに整備したらいいのにと少し残念な気持ちになりましたが、驚いたのがこのお城は海岸に面していて、海から出入りできることでした。最後にいい景色を見ることができたようです。





すっかり雨があがりました。萩城跡との共通入場券を買っていたので駐車場に戻ってすぐ目の前にある厚狭毛利家の武家屋敷に行きました。ここの受付のおばさんと話をしていて、城下町までは歩いて20~30分かかること、この日は「萩時代まつり」の日で大名行列があるということ、を教えてもらいました。歩くと往復で1時間近くかかるので車で移動するかどうか悩んだ結果、駐車場代節約のためにワンコと一緒に歩くことにしました。




城下町すぐ近くの博物館まで歩いてショックなことが。なんと博物館の駐車場が無料開放中となっています。その先の中央公園駐車場も同じく。「萩時代まつり」のために周辺の公共駐車場はどこも無料になっていたのです。城下町の散策は楽しかったのですが、ここまで歩いてきたことを少し後悔しました。











けっこうな距離を歩いて疲労感が増して来たので「萩ぷりん亭」というお店で休憩です。プリンも美味しかったけど、このプリンソフトは絶品でした。




休憩後も頑張って歩いたものの、大名行列の場所まではまだ距離があったのであきらめて車に戻ります。途中、休憩がてら博物館に寄りました。




車に戻ったのが13時過ぎ。次は秋芳洞へ行くことにしていたのですが、大名行列に未練があったので、もしかしたら車でその場所まで行くと見れるかなと思って少し回り道をしたところ、ちょうどいい具合にスーパーの駐車場が見つかり、そこに車を停めて行ってみました。なんと、ちょうど行列が始まったところで、ちゃんと見ることができました。




いろいろあった萩の町をあとにして秋芳洞に向かいました。40分ほどで到着したものの、どこに停めようかとかなり迷いました。公営駐車場は料金が高い目で、事前に調べていた駐車場は入口がわからず、結局1日200円の民間駐車場に停めました。その瞬間です。また雨が降ってきました。まあ、これから洞窟に入るので問題ないものの、傘を持って歩くのはやはり鬱陶しい。





これまでいろんな鍾乳洞へ行った中ではここが一番大きくて迫力がある。岩手の龍泉洞は地底湖が神秘的で少し恐怖を感じたのだけど、ここにはそれがなくて、ただただ大きくて悠久の歴史を感じるところでした。











途中、エレベーターで地上へ出て、展望台からカルスト台地の秋吉台を眺めることができます。残念ながら雨のために石灰岩が白く見えずにあまりいい景色ではなかったですが、地上に上がってから展望台までの道の紅葉が見事でした。














エレベーターでもう一度地下に降りて洞窟の入口まで戻ります。



車に戻ってカルスト台地へ繰り出します。天気がよければ気持ちがいいだろうと思いつつ、ほとんど車の来ない道を走り、草原の途中でUターン、そのまま次の目的地、別府弁天池に向かいましたが、日が暮れて真っ暗になったので弁天池をパス、お風呂に入ろうと長門湯本温泉を目指します。長門湯本温泉では「恩湯」という日帰り温泉で晩ご飯を食べてゆっくりとお湯に浸かりました。



風呂上りに散策したくなるような小さな温泉街でしたが、残念ながら雨が降り続いていたので、宿泊場所まで走ることにしました。




この日のお宿は長門市の「道の駅センザキッチン」です。広い駐車場には車が1台しかおらず少し不安になりましたが、朝からよく歩いて疲れていたので早々に寝ることにしました。

6日目のこの日の走行距離は98.1キロ。出発してからの累計で908.3キロになりました。

(つづく)








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中国地方周遊の車中泊旅(5)

2022年12月23日 | 旅行・車中泊
2022年11月12日、「道の駅ゆうひパーク浜田」での朝ご飯からのスタートです。この道の駅も「ゆうひパーク」というだけあって、日本海に沈む夕陽が素晴らしいようです。





腹ごしらえを済ませて9:20に出発、途中はあまり見る所もないので津和野まで一気に走りました。津和野では駅前の市営駐車場に車を停め、小さな町ながら見どころ満載の山陰の小京都をワンコとともに歩いて巡りました。まずは駅前に展示されているデゴイチです。





機関車を見るといつも思い出すのが中学校の国語で習った俳句「夏草に 機関車の車輪 来て止まる」。誰の句だったか、帰ってからあらためて調べてみると山口誓子でした。駅前をスタートして本町通りを歩いていくと、何とも言えない風情のあるお店、歴史を感じるお店が次から次へと出てきます。



この鯉の米屋さんはお店の奥の中庭で飼っている鯉を自由に見学させてくれるお店です。お店の方がすごく気さくな方で、ロケや取材の対応でテレビに出演されることがよくあるそうです。





















本町通りから殿町通りに入ると歴史的建造物が並んでいます。通りの両側のいちょう並木はほとんどの葉っぱを落としていましたが、カトリック教会の大銀杏は見事でした。









町並み紹介のガイドさんに連れられた団体ツアーの方がたくさんいました。ガイドさんの解説をそばで聴いてみるとなかなか愉快な話をしていました。殿町通りが津和野川に突き当たるところに鷺舞モニュメント広場があり、その隣にあるモミジの何と美しかったことか。太陽の光を受けて輝いていました。











津和野川にかかる橋の上を見るとカメラを持った人が何人かいて、その向こうには鉄橋が。そういえば、と思って時計を見ると、やっぱり。事前に調べて記憶していた時刻です。JR山口線は1日に1回、新山口駅から「SLやまぐち号」を走らせていて、それがちょうど津和野駅に到着する時刻です。ただし、機関車は故障中で、この日はディーゼル車で代替運転ということもわかっていました。カメラ小僧たちはその列車を撮るために待ち構えているのです。もちろん私たちも参戦しましたが、これがSLだったらよかったのに、と思う写真になりました。




ここで折り返して高岡通りを歩いて、団子を買ったり、踏切で写真を撮ったりしながら車まで戻りました。




車に戻って団子と鯛焼きを食べたあと、奥さんが安野美術館を見学に行ってる間に私とワンコは車で留守番して作戦タイムです。





時間があれば紅葉で有名な堀氏庭園に行こうと思っていたのだけど、ゆっくり見学する時間が取れなかったので、車で横を通るときに車窓から眺めるだけにして、もうひとつ行ってみようと考えていた畳ヶ淵に向かいました。



ワインディングロードを走って県境を越えて山口県に入ります。思っていた以上に広い駐車場に車を停めて階段を降りていくと、六角形の岩石が整然と敷き詰められた様子が見えてきました。小さな橋を渡ると河原でたくさんの若い人がにぎやかにしています。何だろう、バーベキューでもしていたのか、それとも学生さんたちが地質学のフィールドワークをしていたのだろうか、なんて言いながらその中に混じって写真を撮り続けました。









実はこの若者たちが何をやっていたのかが翌日に行った秋芳洞のお土産屋さんで判明したのです。それがこちら。



日が暮れてきたのでこの日はこれにて予定終了とし、この日の宿泊場所「道の駅 阿武町」に向かいました。この道の駅は平成3年からの社会実験時から道の駅事業に参加し、平成5年に正式に第一回登録の道の駅の一つとして認定を受けた道の駅発祥の地です。最近リニューアルされたようで、施設の充実ぶりはこれまで車中泊した道の駅ではトップクラスです。温泉、温水プール、キャンプ場、RVパークなどを併設し、レストランも充実、土日は21時まで食べることができるので、お風呂も晩ご飯もここで済ませることにしました。

5日目のこの日の走行距離は124.7キロ。山口県に入ったので、そろそろ折り返しが近づいてきました

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(4)

2022年12月21日 | 旅行・車中泊
2022年11月11日、雲一つない快晴の朝は充実の一日を予感させてくれます。朝からワンコの散歩で歩いてみてビックリ。この「道の駅キララ多伎」は日本海に面した丘の上にあって、裏の階段を降りると海水浴場がすぐそこで、夏場は一日遊べそうな場所です。日本海に沈む夕陽が素晴らしいのが容易に想像できます。ひとしきり散歩した後、パン屋さんが開いていたのでパンを買ってテラス席で朝食をとったので出発が10時になってしまいました。








この日は当初は石見銀山に行こうかと考えていたのですが、ワンコを連れて行くにはなんだか中途半端なところで、下手をするとバスに乗ることになりそうなのでやめました。それで、前日から島根出身の後輩がFacebookを見てアドバイスをくれていた三瓶山に行くことに決定し、行く途中には以前から行ってみたかった物部神社があるので、そこにも寄ることにしました。まずは掛戸松島へ行ったのですが、ここは写真を撮るだけにして先を急ぎます。




ここからは南下して海岸としばしのお別れです。物部神社は島根県大田市にある石見国一之宮で、祭神は物部氏の祖神「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」。大阪の河内を本拠地とし、大和の石上神宮を奉斎する物部氏に由来の神社がなぜこの石見にあるのか。只今その物部氏を勉強中です。







物部神社から東に10分ほど走ると三瓶山が見えてきます。と同時にふもとに広がる大きな広場が目に飛び込んできたので、駐車場に車を停めてワンコと一緒に草原を散策しました。紅葉で色づき始めた山の上に広がる青い空のもと、歩いているだけで気持ちがいい。三瓶山の「西の原」といいます。




三瓶山の南麓をぐるっと回って「東の原」に向かいます。こちらはスキー場になっていてリフトがあったので、ワンコを抱っこして一緒に上まで登りました。太陽の光を受けてススキがキラキラと輝いています。




青空のもとでの山の上からの眺めは何とも心地よくて気持ちを晴れ晴れとさせてくれました。








いつまでもここにいたいと思わせてくれる場所でしたが、そうもいかないので山を下りて、リフト乗り場の前にある「星空のレストラン」のテラス席でコーヒータイムにしました。





いいところを教えてもらったと後輩に感謝しながら三瓶山をあとにして再び日本海に向かって走り、琴ケ浜を目指します。今回の行き先を調べる中で初めて知った場所で、鳴き砂で有名みたいです。浜への入り方を間違ったのか、車を停める場所が無くて不安になりましたが、堤防沿いの細い道を恐る恐る走っているとトイレがあって、隣の空き地に駐車することができました。



浜に足を踏み入れてビックリしました。歩くとキュッ、キュッと音が鳴ります。こんなにきれいな音が出るとは思っていなかったので何だか嬉しくなって歩き回りました。ワンコが走るだけでもキュキュキュキュキュキュ・・・・・。時刻はいつの間にか16時を過ぎて日暮れが近づいてきたとき、少し離れたところに白いドアがポツンと立っていることに気がつきました。





どこでもドアです。ここでもひとしきり遊んでいると、いよいよ日没が迫ってきたので車に戻り、先に見つけていた展望台に向かいました。展望台への階段は草木に覆われて登ることができませんでしたが、目の前の道路から沈む夕陽を眺めました。これぞ車中泊旅の醍醐味です。赤い太陽が海に沈んで見えなくなるまで眺めていました。





この日の予定はこれにて終了。お昼を食べていなかったので腹ペコ。晩ご飯は中華をお腹いっぱい食べました。



食後に30分ほど走って入浴場所の湯屋温泉「リフレパークきんたの里」に到着。この日に行った物部神社、三瓶山、琴ケ浜でのひと時を振り返りながらゆっくりお湯に浸かりました。この日の車中泊場所「道の駅ゆうひパーク浜田」にはナビに頼った結果、少し道に迷いましたが何とかたどりつくことができました。

4日目のこの日の走行距離は151.4キロ。知らない道を走ることがどんどん楽しくなってきました。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(3)

2022年12月20日 | 旅行・車中泊
2022年11月10日、この日の最大の目的は足立美術館。一昨年の夏に来た時、広大な駐車場には日陰がまったくなく、この炎天下にワンコを車で待たせるわけにはいかないとあきらめた美術館。今回は11月なので大丈夫だろうと思っていたのですが、夏場ほどではないにせよ、快晴続きの陽気は少し心配。とにかく行ってみて考えようと8時半頃に「道の駅あらエッサ」を出発して美術館に到着。まだ太陽が低い位置にあったので、隣の安木節園芸館にある木立ちのおかげで駐車場の端っこに少しだけ陰ができていました。そこに車を停め、風通しのために窓を少し開けて、銀マットをフロントに置き、暑さ対策をした上でワンコに留守番をしてもらって見学に向かいました。



足立美術館は展示もさることながら、庭園の素晴らしさで有名ですが、実際に見てみると確かに素晴らしい。何が素晴らしいかと言うと、周囲の山並みを借景にしたり、館内から大きな窓を通して見たときに窓枠を額縁に見立てたり、果ては付近の山を購入してそこに人工の滝を作ってみたり。全てがアートでした。もちろん、展示も見応えがあり、魯山人について学ぶことができました。










2時間ばかりの見学を終えて車に戻るとワンコが元気に吠えていました。お昼が近くなっていたので米子まで戻って「回転すし北海道」でランチです。このお店も2年前に来た時に時間の都合で行けなかったので今回はリベンジ。わざわざ戻った甲斐がありました。安くて美味しかった。




満腹になったあとは西に走って松江市の田和山遺跡に行きました。ここは高さ36mの小山全体が遺跡になっています。周囲を見渡すことができる頂上に建物跡と思われる遺構、それを取り囲むように斜面に築かれた3重の環壕、北斜面や西斜面に設けられた住居跡などが見つかっており、何らかの祭祀場だとする説が有力です。弥生時代前期末から中期後半の遺跡です。



実際に頂上に登って周囲を眺めてみて感じたのは、祭祀場というよりも単純に戦闘に備えた場所、中世の山城のような施設だったのではないかということでした。敵が攻めてきてもすぐに発見でき、狼煙をあげて味方に知らせることができます。環壕は山頂への攻撃を困難ならしめる防御施設です。つぶて石や石鏃などの武器も見つかっています。もしも祭祀場だとすれば、環壕や武器を備えた目的がわかりませんし、磐座やご神木など何もない山頂で祭祀を行う例を聞いたことがありません。素直に戦闘のためのいわゆる高地性集落と考えるのが妥当ではないでしょうか。







ちなみに、この環壕から墨で文字が書かれた硯石と思われる石片が見つかりましたが、最近になって文字の成分を分析した結果、墨ではなく市販の油性ペンであることがわかり、遺物保存の際にラベルなどの文字が転写したのではないか、と結論づけられました。

さあ、次はどこへ行こうかと考えて決めたのが、宍道湖畔にある「宍道湖ふれあいパーク」です。なかなか良い公園だったのでワンコの散歩を兼ねて夕方までゆったりとした時間を過ごしました。駐車場もそこそこ広くて休みの日は家族連れで賑わうのだろうと思いました。






公園をあとにしてさらに西に走っていると突然に見覚えのある看板が目に飛び込んできました。つい半月まえに奈良の纒向遺跡ツアーで行った「日本一たい焼き」です。こんなとこにもお店があったのかと駐車場に入りました。晩ご飯をパスしようかと思うくらいにお腹がいっぱいだったのですが、たい焼きを一つだけ買ってシェアしました。



さらに西に向かって出雲市を通過します。予定では前回来た時に行ったJR出雲市駅前のお店でのどぐろ丼を食べることにしていたのですが結局パスしました。ちょうど太陽が西の山並みに沈んでいくところで、夕焼け空に向かって車を走らせます。



この日は「多伎いちじく温泉」で入浴して「道の駅キララ多伎」で車中泊することにしました。到着したときには暗くなっていたのでわからなかったのですが、この道の駅の素晴らしさを翌朝に知ることになります。



3日目のこの日の走行距離は122.9キロ。これ以降はだいたいこれくらいのペースで走ることになります。

(つづく)







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中国地方周遊の車中泊旅(2)

2022年12月19日 | 旅行・車中泊
2022年11月8日、仕事を早い目に切り上げ、車を車中泊仕様にセットして荷物を積み込んだあと、入浴をすませて出発準備完了。19時半に自宅を出発し、京都府与謝野郡の「道の駅シルクのまち かや」を目指します。ひたすら走って22時半頃に京丹波町の「道の駅 瑞穂の里さらびき」に到着。無理すれば走れたのだけど「最初から無理する必要ないか」と思って予定を変更、ここで寝ることにしました。この日は皆既月食があったのですが、ずっと運転していたので全く見ることができませんでした。

翌朝、目が覚めると辺り一面が霧に覆われていて幻想的。大きな銀杏の木が色づき始めています。この旅ではあちこちで少し早い紅葉を楽しむことができましたが、そのプロローグです。



準備をすませて8時半頃に出発。与謝野町立古墳公園を目指します。天気は快晴、気持ちのいい朝です。古墳公園に到着すると、柵の中には見たかった古墳が並んでいます。しかし、残念ながらワンコを連れて入ることができません。



しかたなく公園を囲む道路を一周しようと歩きました。半周くらいしたところで金鼇山慈徳院、通称もみじ寺というお寺があって、もみじまつりの準備をしているところでしたが、境内の紅葉はこれから、という感じでした。

公園の裏にまわると大きな古墳が見えます。蛭子山古墳です。神明山古墳網野銚子山古墳とならんで日本海三大古墳のひとつ。残念ながら墳丘に登ることはできませんでしたが、これで三大古墳を制覇したということにしておきます。



駐車場に戻る前に公園のとなりにある日吉ヶ丘遺跡へ。小高い丘の上に弥生時代中期中頃、長辺約32m、短辺約20m、高さ2m余りの方形貼石墓が見つかっています。方形貼石墓は石見・出雲地域と丹後地域で発掘されていますが、丹後では11基が見つかっていて、この日吉ヶ丘は発見された中では最大規模で、間違いなく当時の王墓だと思います。






埋葬施設の位置がわかるように少し土を盛っています。組合せ式木棺1基が確認され、頭部と推定される場所では670点を越える管玉と赤色顔料を検出されたそうです。弥生時代の丹後王国の王墓と言えそうです。



このあたりは加悦谷と呼ばれる盆地で阿蘇海にそそぐ野田川の両岸の丘陵地帯にはたくさんの墳墓や古墳が築かれています。すぐ近くの明石墳墓群では弥生時代後期末から古墳時代前期前半までの28基の墳墓が確認されています。ただ、弥生中期中頃の日吉ヶ丘のあと、明石墳墓群が築かれ始める弥生後期末まで2~300年の空白期間があるのが気になります。

そろそろお昼が近づいてきたのでランチを取ろうと決めた香住に向かう途中、比沼麻奈為神社の案内が見えたので急きょ寄ることにしました。主祭神は豊受大神で、伊勢外宮の元伊勢とされています。由緒ある神社の雰囲気が漂っていました。駐車場についたとき、境内に鹿が何頭かいたのですが、こちらに気がついて山に帰っていきました。







神社を後にして香住まで走ってランチです。実はもともとの計画では余部鉄橋近くにある民宿のかに料理のランチを予約することにしていたのですが、あまりに暖かい陽気が続いていたのでカニの気分にならずに計画変更をしたのでした。よって、香住ではカニではなく、海鮮丼とのどぐろ丼をいただくことにしました。



ランチを済ませて西に向かいます。穴見海岸、浦富海岸、白兎海岸へ立ち寄り、山陰海岸の景色を堪能しました。白兎海岸では若いカップルがサーフボードを抱えて海に入っていくところでした。

穴見海岸


浦富海岸




白兎海岸




「道の駅神話の里・白うさぎ」で見つけたこの説明板で、鳥取県が星取県として売り出していることを初めて知り、今晩は大山で夜空を眺めながら車中泊しようと決めました。



まだ日暮れまで少し時間があったので青谷上寺地遺跡に行くことにしました。数年前に古代史旅でやってきたときに、すぐ近くの遺跡展示館を先に見てから遺跡に行こうと思って予定していたのに、展示館の見学で満足してしまって遺跡見学をすっ飛ばしてしまったところ。遺跡発見のきっかけになった道路に沿って説明板が並んでいるだけでした。






辺りが暗くなってきたのでそろそろ一日の終わりです。寝る場所は大山と決めたのでお風呂は途中にある「はわい温泉」にある「ハワイゆ~たうん」に決めました。市町村合併以前には「羽合町」という地名があったのでアメリカのハワイ州と姉妹都市の提携をした町です。



入浴後は「大山まきば みるくの里」を目指します。大山で星空を眺めて車中泊ができる場所を検索すると、ここの駐車場で車中泊を経験した方の記事が見つかり、トイレもあって駐車場も24時間オープンなので大丈夫、と書かれていました。影絵のようになった大山の山頂がすぐそこに見え、下界の眺めも素晴らしく、月明かりがあっても星がよく見えます。




そして寝る前にトイレと思って行ってみると、なんと男女とも扉に大きな鍵のついたチェーンが巻き付けられているではありませんか。ネット情報を鵜呑みにしたのが失敗でした。トイレが使えないのは致命的なので、山を下りていちばん近い道の駅「あらエッサ」で寝ることにしました。ここは以前にも使ったところなので勝手がよくわかっています。星空のもとで、とはいかずに残念でしたが、思ったほどに混んでいなくて静かに眠ることができました。



自宅を出発した初日、「道の駅瑞穂の里さらびき」までの走行距離は103.5キロ。2日目、「道の駅あらエッサ」までの走行距離が307.7キロ。2日目はよく走りました。

(つづく)







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