古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆天孫降臨(日向の高千穂峯)

2016年10月23日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 さて、出雲神話のあとはいよいよ天孫降臨である。書紀本編によると天孫である瓊々杵尊は「日向の襲の高千穂の峯に降った」となっている。この高千穂の場所についての議論が盛んである。古事記に「筑紫の日向」と書かれており、筑紫とあるから宮崎の日向ではなく福岡の日向(ひなた)であるという論が出されているが、「筑紫」の文字が入っていない書紀本編を素直に読めば、現在の宮崎・鹿児島の県境、霧島連峰にある高千穂峯と考えるのが妥当であろう。「襲」は熊襲の襲である。また、古事記には「韓国に向かい」という記述があるが、これは「唐国」として中国であると解することができる。また「空国」として人々の住んでいない土地、あるいは自分たちが逃れてきたため空になった土地、すなわち大陸江南の地、と解することも可能である。稗田阿礼が「カラクニ」と暗誦するのを太安万侶が「韓国」と記載したのであろう。いずれにしても書紀にない記述なので固執するところではない。
 ちなみに、記紀に記された降臨のシーンは以下のようになっている。「筑紫の日向」としているのは書紀の一書(第1)と古事記の2例のみである。

  
 

 高千穂峯の麓には霧島神宮があり主祭神として瓊々杵尊が祀られ、相殿神として木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)、盧茲草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫尊(たまよりひめのみこと)、神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が祀られている。日向三代とそれぞれの配偶神、さらに神武天皇を加えた計7柱が祭神となっている。記紀編纂の前、6世紀の欽明天皇の時代に慶胤(けいいん)という名の僧侶に命じて高千穂峰と御鉢(おはち)の間に社殿が造られたのが始まりとされているので、古くからの神奈備信仰に天孫降臨説話が結びついたものと考えられる。あるいは記紀編者が意図的にこの神奈備信仰に天孫降臨を合わせたのかもしれない。
 しかし、瓊々杵尊が高天原から高千穂の峯に降り立ったということは、天皇家の祖先が日本列島の外からやってきたことを比喩的に表しているのは明らかである。まさか正史に「天皇家は中国大陸から船に乗ってやってきた」とは書けないのでこのように表したまでのことだ。そう考えると降り立った場所は阿蘇山や桜島、薩摩半島の開聞岳でもよかったが、南九州でもっとも霊験ありそうな山である高千穂峯を選んだということだ。ちなみに「峯」は「峰」と同じであり、神域とみなした山に対して用いる文字である。「高千穂峯」は「山」でもなく「岳」でもなく「峯」の字が使われ、しかも現在でも呼称として続いていることに重要な意味を認めたい。



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