古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

國學院大學博物館

2019年10月27日 | 博物館
 昨年、学芸員の勉強がてら区立の歴史博物館をいくつか見学したのですが、どこも中途半端な印象がありました。それぞれの区の歴史という限定的な視点になっていて、区を越えた広い範囲で俯瞰できないこと、旧石器時代から近代までを網羅的に展示しているためにどの時代も資料が少ないこと、特に考古遺跡の少ない区では考古資料が少ないこと、などが不満として残りました。それ以来、東京では東京国立博物館を除いて、考古資料を堪能できる博物館はないものだと思っていたのですが、ひょんなことからこの國學院大學博物館のことを知り、大きな期待をもって見学に行ってきました。



この博物館は「校史」「考古」「神道」の3つのゾーンに分かれています。公式サイトによると、校史ゾーンの説明には「國學院の校名に冠する「国学」とは、日本の伝統文化に関する諸現象・事物の成り立ちとその本質の解明を目指した学問であり、古典籍や古器古物などの「モノ」を通じて、日本人の「心」を究明する総合的な日本文化学である。ここでは、國學院およびその設立母体である皇典講究所関連の資料や、本学所蔵の資料・コレクションを通して、本学における伝統文化研究・教育の実態を明らかにし、「モノ」と「心」に関する本学の歴史と学問の展開を追う。」と書かれています。

校史ゾーンの展示スペースです。


國學院大學の前身である皇典講究所の初期の時間割です。

古事記や日本書紀を始めとする古代の歴史書の学習が欠かせないようです。興味深く見ました。

考古ゾーンの展示スペースは想像以上に広くて展示資料も充実していました。








とくに石器や土器の量に圧倒されました。














熊襲の土器とされる熊本の免田式土器です。これを見れたのが一番の収穫でした。


古墳時代の資料も充実しています。










「王権と古墳―倭国統合の象徴―」と題した特集展示が開催されていました。




















神道ゾーンは写真撮影が禁止されていたので一枚も撮れませんでした。神社や祀り(祭り)に関する展示が中心ですが、新天皇の即位というタイミングも手伝ってたいへん興味深く見学しました。

大きな期待を持って見学に訪れ、その期待を裏切られることなく、大きな満足をもって館をあとにしました。館内は熟年夫婦、若い女性など大勢の見学者でにぎわっていました。また機会を作って見学に行きたいと思います。


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小嶋浩毅
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味美古墳群

2019年10月20日 | 遺跡・古墳
2019年9月に訪ねた愛知県春日井市にある味美古墳群は、二子山公園に集まる味美二子山古墳、白山神社古墳、御旅所古墳の3つの古墳と、県道102号を挟んだ西側に位置する味美春日山古墳から構成されています。かつてはドンドン塚と呼ばれた前方後円墳のほか、6基の円墳がありましたが開発によって滅失したとのことです。

春日井市の公式サイトから転載させていただきます。

右下が二子山古墳、その上が白山神社古墳、左側が御旅所古墳です。その真ん中にある小さな青い丸は「ハニワの館」です。

名鉄の味鋺駅で下車、線路沿いに北に歩いていくと数分で到着、国史跡の石碑が建っています。

後ろに見えるのが味美古墳群最大の味美二子山古墳。全長96mで盾型の周濠を持つ前方後円墳です。周濠に沿ってぐるりと一周することができます。



後円部の先端。


南側。前方部から見ると右手。


前方部の右隅。


前方部の縁。


北側。前方部から見ると左手。


後円部に戻ってきました。向こう側が石碑の位置です。


後円部に直径4~5mの窪みが確認されているものの、発掘調査が行われていないので埋葬施設は不明とのこと。ただし、周濠や古墳周辺は何度か調査が行われ、形象埴輪(馬形・人物・水鳥形)や円筒埴輪片、須恵器などが出土しています。これらの出土品などから築造時期は6世紀初頭とみられています。この出土品は公園内の「ハニワの館」に展示されています。

ハニワの館です。










この日は日差しが強く、気温もかなり高かったので冷房の効いた館内は心地よかったです。近所のお年寄りの憩いの場になっていました。

ハニワの館を挟んだ反対側に御旅所古墳があります。直径約31m、高さ約3mの円墳で、あとで見る白山神社(本殿は白山神社古墳の墳丘上)の西南約80メートルにあって、その白山神社から神輿渡御が行なわれる御旅所であったことから御旅所古墳の名になったそうです。

墳丘の登り口に鳥居が建っています。


墳丘上は平らに削られ、小さな祠が建っています。


墳丘の周囲、墳丘への登り道、そして墳丘上を取り囲むように石柱が建っています。


ご近所の町内会のお年寄りの皆さんが「還暦記念」や「初老記念」と称して個人名で建てられたものです。

この古墳の主体部も発掘調査が行なわれていませんが、公園整備が行なわれた際の調査で円筒埴輪や高坏形器台脚部などが検出されています。

二子山古墳、御旅所古墳と見て、最後に白山神社古墳を見学しました。公園に隣接する白山神社の境内にある全長86mの前方後円墳で前述の通り、社殿が墳丘上に建てられています。2007年に発掘調査が行われ、墳丘北西部のテラス面で円筒埴輪5〜6基おきに朝顔型埴輪を挟んだ埴輪列が検出されたそうです。また、周濠から形象埴輪(家型・人物)や須恵器が出土しました。これらの出土品や墳丘の形状から、5世紀末から6世紀初頭にかけての築造と考えられています。ただし、この古墳も主体部は調査されていません。特にここは主体部があると考えられる後円部には神社の社殿が建っているので、そもそも発掘することはできないでしょう。

白山神社。




鳥居をくぐって進むと古墳の前方部に突き当たります。

この階段を上がると社殿があります。つまりこの階段は墳丘へ登る階段でもあります。

階段右手にある説明板。


墳丘に登る前に古墳をぐるりと一周しました。古墳の南側、前方部から見て右側の周濠跡です。奥が前方部です。


奥は後円部です。


後円部の裏側。木々の間から墳丘上の社殿が見えます。


一周まわって正面にもどると、階段の両側が池になっています。周濠の名残りです。




墳丘へ登ると立派な拝殿と本殿がありました。




古墳の上に神社があるケースはこれまでも何度も見てきました。出雲の神原神社古墳、尾張の尾張戸神社古墳など、神社の祭神と古墳の被葬者に何らかの関係を見いだせることが多いのですが、今回の白山神社はその由緒によると、1659年に尾張国春部郡味鋺村白山薮(現在の名古屋市北区楠町5丁目)にあった白山神社が現在地に遷座した、とあります。また、もともとの祭神である菊理媛命は白山神社の総本社、石川県の白山比咩神社に祀られる白山比咩神と同一神と考えられているため、どうやらこの古墳群と関係がなさそうです。

もう少し時間があれば500mほど西にある味美春日山古墳も見たかったのですが、残念ながら3つの古墳に時間をかけ過ぎたので行けませんでした。


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琵琶湖一周 車中泊の旅(No.7 近江八幡)

2019年10月01日 | 旅行・車中泊
 稲部遺跡のあとは近江八幡の八幡堀の散策です。事前にGoogleMapで駐車場を調べたところ、すぐ近くに市営駐車場があって510円で停められるのがわかったのでそこへ向かいました。そこから徒歩ですぐの新町通りは昔ながらの近江商人の商家の街並みが残されています。街並みを抜けると八幡堀へ出ます。あまり人がいなくてゆったりとした時間が流れる堀沿いをワンコと一緒に散策です。





 Wikipediaによると、八幡堀は安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際に市街地と琵琶湖を連結するために造られました。城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えたことから、船や人の往来が増えて商業が発達し、江戸時代には近江商人による町の発展に大きな役割を果たしたとのことです。その結果、堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並ぶようになったようです。





 このあたり(町の西側)はあまり観光客がいないのでのんびりと過ごすことができました。銅製品を製作、販売するお店があったので奥さんと交代でお店にはいってみたところ、なかなか趣のあるインテリア製品が並んでいました。



 町の東側に歩いていくとだんだん人が増えてきます。お堀に沿っていろんなお店が立ち並んでいます。そうか、こちらの方がメインなんだ、とこのとき初めてわかりました。そして日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)という神社があって、その奥には八幡山に登るロープウェイがあります。

 日牟禮八幡宮は公式サイトによると「131年、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に、武内宿禰に命じ、現在のこの地に大嶋大神(地主神)を祀られたのが、社の鎮座の始め」となっています。八幡宮なので祭神はもちろん誉田別尊(応神天皇)息長足姫尊(神功皇后)比賣神(宗像三女神)の三柱です。



 そして、この鳥居をくぐって橋を渡ると八幡さんの境内に入り、参道の両側が広い駐車場になっていてしかも無料でした。どうりで市営駐車場がガラガラだったわけだ。駐車場は失敗したかな。すぐ近くにはクラブハリエの豪華なお店があり、お店に入るならここの駐車場も使えるのでした。これから近江八幡に車で行かれる方がおられたら、このあたりの駐車場を使うことをお勧めします。



 このあともお堀に沿って散策を続けて車に戻りました。なかなか風情のある心地よい場所でした。









 まだまだ行きたいところはあるのですが別の機会にまわすことにして、あとは残った琵琶湖の湖岸を走るのみです。さざなみ街道を南下して琵琶湖大橋をすぎたあたりで綺麗な夕陽を見ることができました。さらに湖岸に沿って南下を続け、最後は近江大橋を渡って大津市へ入ったところで琵琶湖一周の完了です。
 今回の目的はこれで完遂したことになるわけですが、当初の予定通りに最後まで一般道を走ることにしたため、ここからさらに3時間かけて戻ってきました。 

 以上、琵琶湖一周の車中泊の旅を7回にわたってレポートしました。ご覧いただき、ありがとうございました。



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