古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

【学芸員】 成績発表!

2018年08月31日 | 学芸員
 学芸員資格の取得を目指して通信制大学で学んでいることは何度もお伝えしている通りですが、このたび、2018年度春期に履修した8科目の成績が発表されました。成績をこの場で報告することを予告していましたので、以下に報告いたします。

■生涯学習論
  第一回課題レポート A
  第二回課題レポート A
  最終成績      優

■博物館概論
  第一回課題レポート A
  第二回課題レポート A
  最終成績      優

■博物館資料論
  第一回課題レポート A
  第二回課題レポート A
  最終成績      優

■博物館展示論
  第一回課題レポート B
  第二回課題レポート B
  最終成績      優

■博物館情報メディア論
  第一回課題レポート A
  第二回課題レポート A
  最終成績      優

■博物館資料保存論
  第一回課題レポート A
  第二回課題レポート A
  最終成績      優

■博物館教育論
  第一回課題レポート A
  第二回課題レポート A
  最終成績      優

■博物館経営論
  最終成績      良


 残念ながら経営論が「良」という結果でしたのでオール優ということになりませんでした。経営論はWebテスト方式で実施され、自分としては8割から9割の出来と思っていたので、うまく行けば「優」をもらえるかなと思っていましたが、なかなか厳しい結果となりました。逆に、展示論は第一回および第二回の課題レポートがともに「B」であったにもかかわらず、課題修得レポートで挽回した結果、最終成績が「優」となったのはよかったと思います。

 いずれにしても無事に8科目16単位を修得できたので、次の秋期は最後の科目である「博物館実習(3単位)」を履修することになります。秋期(10月~3月)に実習を受け入れてくれる博物館をずっと探していたのですが、ようやく見つけることができたので、最終的に受入れが決まった段階でお知らせしたいと思います。兎にも角にも、ゴールに向かって大きく前進することができてホッとしております。

 なお、各科目の履修状況の振り返りについては「【学芸員】博物館学 各科目の履修振り返り」をご覧ください。全9科目のうち、6科目についてレポートを公開しています。


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【学芸員】博物館学 各科目の履修振り返り

2018年08月25日 | 学芸員
 今年の4月から通信制大学の科目等履修生として学芸員資格の取得を目指して勉強中ですが、春期の履修科目(8科目)の科目修得試験および科目修得レポートの提出を終えた現在は8月31日の成績発表を待つ状況です。ここで春期の履修の状況を振り返ってみようと思います。

■生涯学習論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はWebテスト方式
   ※法事のため受験できずレポートで代替(8月4日提出)

生涯学習概論―生涯学習社会への道
浅井経子 編著
理想社

 最近とくに生涯学習と言う言葉をよく使うようになったのですが、その意味や概念を勘違いしていました。そして、家庭教育や学校教育や社会教育は生涯学習を構成する概念なのですが「教育」と「学習」という言葉について考えるきっかけとなりました。
 2回の課題レポートはともにテキストの指定範囲を指定文字数以内で簡潔にまとめること、という課題でした。テキストを何度も何度も読み返してポイントを整理し、文章にまとめていきます。最初はテキストの文章を抜粋しながら意図的に文字数を多くします。そして推敲の過程で余分な文章を削り、言葉の使い方や表現方法を見直しながら文章のスリム化を図りました。
 科目修得試験は法事と日程が重なったためにレポートで代替してもらいました。お題は生涯学習に関する3人の会話の内容を読んで、間違っているところを指摘して理由を簡潔に述べよ、というものでした。Web試験よりも採点が厳しくなると言われているので、どうなることやらです。

■博物館概論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  ※テキストは大学のサイトからダウンロード
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はWebテスト方式
   ※法事のため受験できずレポートで代替(8月4日提出)

 2回の課題レポートはともに「実際に博物館を見学して見学者の動線の状況について考察しなさい」というものでした。いずれも博物館の公開領域の見取り図を作成して動線を記入するのが少し面倒でした。
 科目修得試験は生涯学習論と同じ日程だったのでこちらも受験できずにレポートで代替してもらいました。このレポートはかなり難易度の高いものでした。与えらえた課題が5つあり、どれも難しかった。全ての科目の知識と自身の博物館見学の経験を総動員して何とかまとめることができました。

■博物館資料論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はレポート方式(8月4日提出)

博物館資料論 (放送大学教材)
佐々木利和 湯山賢一
放送大学教育振興会

博物館資料論 (新版 博物館学講座)
加藤有次ほか編
雄山閣出版

 2回の課題レポートはともに博物館概論と同様に「実際に博物館を見学して資料がどのような分類に基づいて取扱われていたかを具体的に考察しなさい」というものでした。最初は資料の定義や分類など基本的な知識がないままに書いたので薄っぺらなレポートになってしまいました。というのも、テキストに指定された放送大学教材は事例の紹介が中心で肝心なことが全く書かれていないのです。それで急きょ参考文献を買って基本を学び、何とか読むに堪えるレポートに仕上げることができました。
 科目修得レポートでは「考古資料の取扱いについて」というテーマを選択。あまりに漠然としたテーマなので何を書こうか悩んだ結果、基本的なことをしっかり書き込もうと決めました。ポイントはわかりやすい構成にすること、つまり章立てをどうするか、です。そして最終章に自分の考えを述べて締めくくりとしました。 

■博物館展示論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はレポート方式(8月4日提出)

新時代の博物館学
全国大学博物館学講座協議会西日本部会編
芙蓉書房出版

展示論―博物館の展示をつくる
日本展示学会編
雄山閣

 2回の課題レポートはともに博物館概論や博物館資料論と同様に「実際に博物館を見学して資料の形状や種類などに注目しながらどのように展示されていたのかを具体的に考察しなさい」というものでした。こちらはテキストの関連する箇所を熟読することで何とか格好をつけることができました。
 概論、資料論、展示論の3科目とも博物館を見学することが前提となっていますが、いずれの科目も、1回目が品川区立品川歴史館、2回目が大田区立郷土博物館を見学して書きました。品川歴史館では1回目の見学でしっかりメモを取らなかったので再度足を運ぶことになってしまいました。それで大田区郷土博物館ではメモをしっかり取って、写真も撮りまくりました。結果、今でも両館の展示資料のほとんど全てが頭に残っています。
 科目修得レポートはテキストに書かれていることを参考にするだけでは不十分と思い、これまた急きょ参考文献を購入することにしたのですが、これが正解でした。いい感じでレポートを仕上げることができました。

■博物館情報メディア論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はレポート方式(8月4日提出)

博物館情報・メディア論 (放送大学教材)
西岡貞一 篠田謙一
放送大学教育振興会

 2回の課題レポートはともに生涯学習論と同様に、テキストの指定範囲を指定文字数をめどに簡潔にまとめること、という課題でした。基本的に生涯学習論と同じやり方なのですが、指定範囲が広い割に指定文字数が少ないので、思い切って自分の言葉でまとめていく必要がありました。
 科目修得レポートは「博物館業務のために実際に作ってみたいデジタルコンテンツを説明する」というものでしたが、章立てや分析の視点が指定されているため、その枠組みに落し込んでいくのが大変でした。意外に難易度が高かったです。

■博物館資料保存論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  ※テキストは大学のサイトからダウンロード
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はレポート方式(8月4日提出)

 この資料保存論は他の科目と違って明らかに理系の科目です。温度や湿度、光(電磁波)のこと、化学的なことや生物的なことなど、かなり専門的な知識が求められます。典型的な文系人間である私はこの資料保存論に最も手を焼きました。テキストを何度も読んで、それでも理解できないところが残ります。高校で物理や化学を勉強したことを思い出さずにはおれませんでした。
 2回の課題レポートはともに与えられた問題に回答する方式で、いわゆるテストと同じです。そして2回の課題いずれも一発合格と行かず、先生から再提出を促されました。やっぱり私は文系人間なんだと再認識した次第です。
 それでも真面目に勉強した努力が少し報われたのか、科目修得レポートではその勉強したことが十分に活かされました。結果はまだわかりませんが、自分なりによくできたと思います。

■博物館教育論
  テキストによる自学自習(参考文献も利用)
  ※テキストは大学のサイトからダウンロード
  第一回課題レポート(5月15日提出)
  第二回課題レポート(6月23日提出)
  科目修得試験はレポート方式(8月4日提出)

新編 博物館学
倉田公裕 矢島國雄
東京堂出版

 博物館学を構成する科目であるものの、ここでは生涯学習論と同様に「教育」や「学び」というものについて深く考える機会を得ることができました。先生もたいへん熱心で、テキスト履修なのにWebによる交流会を開催してくれたり、履修期間中に様々な情報を提供してくれたり、レポートについても丁寧でわかりやすい評価をフィードバックしてくれました。
 1回目のレポートでは「自ら学ぶをキーワードとして博物館における学びの意義を考察する」、2回目は「博物館教育の実践事例を取り上げ、その特徴と課題を検討する」、そして科目修得レポートでは「私の考える博物館教育」が課題として提示されました。博物館教育論は他の科目と違って最も自分らしさ(社会人としての経験や知識、様々な博物館を見学してきた経験や知識など)を発揮できると思ったので、このレポート執筆は燃えました。どれも自画自賛のレポートに仕上がったと思います。

■博物館経営論
  Webによるスクーリング受講(全16回)
  科目修得試験はWebテスト方式(6月28日)

 春期に履修した8科目のなかで唯一のスクーリング受講です。スクーリング受講というのは学校へ行って講義を聴いてもよし、リアルタイムにWebで受講するのもよし、時間内であればリアルタイムでなくオンデマンドでもよし、というものです。いずれの場合も受講後の一定時間内に受講確認レポートの提出が求められます。講義は週に2回、18時半開始なので仕事が終わってすぐに帰宅してPCに向かいました。宿泊を伴う出張が何度があったので、WiFiがあるホテルを予約し、私物のPCを持参してホテルの部屋で受講したりもしました。
 15回の講義を聴いて16回目がWebによる科目修得試験です。テキストや資料を見て回答ができるので、いわゆる持ち込み有の試験と同じです。とはいえ、問題の数がそこそこあったので、ゆっくりテキストをめくっている余裕はなく、脳みそフル回転となりました。8~9割くらいの出来だと思います。


 以上が8科目の履修の振り返りです。どれもこれも初めて学ぶことばかりでとても新鮮でした。テキストを読んで基本的な知識を獲得することと並行して課題レポートのテーマやシナリオを考え、それを具体化するためのネタを集める。そしてレポートとして仕上げていく。それなりに大変ではあったものの、むしろ楽しい時間でした。最終の結果がどうなるかわかりませんが、ここまでやって、それなりの成果も出したと思うのでまさか不合格はないはず。というよりも8科目とも「優」であって欲しい。結果が出たらここで報告します。
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宮崎神宮(宮崎実地踏査の旅 No.6)

2018年08月17日 | 実地踏査・古代史旅
 2018年7月20日、宮崎実地踏査の旅の最終目的地は宮崎市神宮にある宮崎神宮です。すぐ近くに宮崎県総合博物館や宮崎県埋蔵文化財センターがあるので時間があれば行く予定にしていたのですが、時刻はすでに17時少し前で、いずれも閉館間際だったのであきらめました。

 宮崎神宮の主祭神は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらのみこと)で相殿神として鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀っています。神日本磐余彦天は初代天皇である神武天皇のことで、相殿神の二柱は神武の両親にあたります。社伝によれば、神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が九州の長官に就任した際、祖父の遺徳を称えるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。健磐龍命は熊本の阿蘇神社の祭神です。
 由緒ありそうな神社ですが、この神社が全国的な崇敬神社に成長したのは明治以降のようです。明治維新において「諸事神武創業ノ始二基ツキ」というスローガンのもとで日本国の原点を再確認することから始められたことから、神武天皇を祀ったこの神社が一躍脚光を浴びることとなって、官幣大社へ昇格するとともに宮崎神宮と改称されることになったそうです。

二の鳥居。


参道。


三の鳥居。


由緒。


神門。





社殿近くの境内には昭和天皇をはじめとする多くの皇族が植樹された木々が茂っていました。一番下の写真には奥の拝殿に鏡が小さく写っていますが、こんなに遠い距離なのに拝礼する自分の姿が映し出されているのが見えました。

右側に小さなテーブルとふたつのイスが置かれています。ここで300円を寄進して記帳をするのですが、ボールペンのインクが切れていたので記帳ができず、社務所まで戻ってその旨を伝えると代わりのペンをくれたのですが、申し訳ないですのひと言もなく、少し不愉快な思いをしました。

古代船「おきよ丸」

神武天皇は船団を組んで日向を出発して大和を目指しました。その東征に利用したと考えられる船を再現したものですが、これがなんと西都原古墳群から出土した舟形埴輪をモデルにしているそうです。駐車場わきに常時展示され、神武大祭の御神幸行列を先導する役割りを担っているとのことです。

 立派な神社で天皇家の崇敬が高いことはわかったのですが、残念ながら歴史や由緒を感じることができませんでした。それでも、丸一日かけて天皇家の祖先一族の故郷と考える日向でゆかりの各地を巡った締め括りとして相応しい場所であったのかもわかりません。朝8時にスタートした宮崎実地踏査の旅は17時半にこの宮崎神宮で終了です。レンタカーを宮崎空港で返却し、ランチを抜いて空っぽになったお腹を宮崎の地ビールと鶏天そばで満たしながら出発時刻までひとりで余韻に浸りました。そして次に宮崎に来る機会があれば何としても鵜戸神宮へ行かねば、と心に誓いました。



 以上、6回にわたる宮崎実地踏査の旅のレポートを終わります。
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生目古墳群・生目の杜遊古館(宮崎実地踏査の旅 No.5)

2018年08月16日 | 実地踏査・古代史旅
 2018年7月20日、西都原古墳群をあとにして向かったのが西都原から40分ほど、宮崎市内にある生目古墳群。ここは2回目の訪問となります。目的は西都原と同様に併設する生目の杜遊古館をもう一度見ておきたいと思ったことと、とある古墳をどうしても確認しておきたかったことです。

 生目古墳群は宮崎平野を流れる大淀川右岸に位置する標高25メートルほどの台地上に広がる古墳時代前期から中期の古墳群で、3世紀後半ないし4世紀前半頃から作られ始め、古墳時代前期としては九州地方最大の古墳群とされています。ここも新田原古墳群や西都原古墳群と同様に川沿いの台地の上に造営された古墳群です。前方後円墳7基を含む51基の古墳のほか、地下式横穴墓36基、土坑墓49基、円形周溝墓3基が確認されています。

 生目の杜遊古館は古墳群のある台地の麓に建っていて、宮崎市の埋蔵文化財の調査・研究、整理・保存、公開を行う埋蔵文化財センターと、宿泊学習や古代文化体験・創作活動などを行う体験学習館のふたつの施設が設けられており、埋蔵文化財センターは市内の遺跡から出た遺物を展示、解説する博物館機能をもっています。





入口に日本遺産認定を祝う掲示。


ホールを抜けると右手に展示室、左手に事務所、その奥の廊下には展示コーナーと文化財の修復などを行う作業所があります。


日本遺産認定を記念した展示。


時間の関係で見学をパスした蓮ケ池横穴群の遺物が展示されていました。

作業の様子。

作業員の方に声をかけて話を聴こうかと思ったものの、皆さんお忙しそうにしていたのでやめました。

展示施設を順に紹介します。

ここは収蔵室の中に展示室があるような構造になっていて二つの部屋はガラス壁で仕切られているので、展示室から収蔵室が見えるようになっています。土器などの遺物や解説パネルも収蔵室側に展示しています。

土師器の展示の向こうに収蔵棚にならぶ土器が見えます。

これらは修復されたものの展示に供されていない収蔵資料です。

展示室にある地下式横穴墓の実物大復元模型。

中には出土した遺物が展示されています。

ここも向こう側に収蔵棚が見えます。

まだ修復されていない土器片などが黄色いコンテナに詰まっていると思われます。

展示ケースに展示される壺形埴輪。

生目古墳群からすぐ近くの大淀古墳群から出土したものです。

収蔵室は中二階構造になっていて、ここにもコンテナが積まれています。


 小さな展示施設ですが、収蔵室が丸見えなのがいい。修復された土器がきれいに並べられているのと違って、発掘したままの土器片が山積みになっている様子や、展示されていない修復土器が無造作に棚に置かれているのを見るのはリアリティがあっていい。名残惜しいのですが徐々に時間が無くなってきました。ここに来たもうひとつの目的を果たすために台地の上の古墳を見に行かなくては。

史跡公園になっている古墳群の入口。


駐車場に車を停めて徒歩で見学です。

向こうに見える3号墳は全長143メートル、高さ12.7メートルの前方後円墳。この古墳群で最大、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚、男狭穂塚に次いで3番目の大きさです。

これは7号墳。

後円部の右側からの撮影ですが、この場所を確認したかったのです。前回来たときの写真を下に再掲します。


この7号墳は後円部の埋葬主体が地下式横穴墓になっている全国でも珍しい前方後円墳なのですが、前回訪問時には調査後の横穴部分にかぶせたブルーシートがボロボロになって草木が生えていたので、埋め戻すなどしてきちんと保存をしてほしいと願っていたのですが、今回再訪してガッカリでした。草木が茂り、おそらく太い根を張っているものと思われます。国の史跡に指定されている以上、保存処置を施さずに放置してきたのは大問題だと思います。



ついでに5号墳を確認。

古代の方法によって葺石を復元した前方後円墳。前回訪問から2年近くたっていますが、風雨に耐えてまったく崩れることなく復元時の状態が維持されています。

3号墳です。

前回はここから墳丘上に登って九州で3番目の大きさを実感しました。

古墳群のある台地上の駐車場から撮影。

台地の上というのがわかると思います。右手に見える白い建物は生目の杜運動公園内にあるアイビースタジアム。ソフトバンクホークスのキャンプ地です。

 この古墳群は規模では西都原には及びませんが、九州3番目の規模をもつ3号墳、古代の工法で葺石を復元した5号墳、地下式横穴墓を埋葬主体に持つ7号墳など、非常に特徴ある古墳が揃っているので一見の価値ありです。史跡公園としてもう少し整備されることを切に望みます。

この時点ですでに時刻は16時半を過ぎていたので、最後の目的地である宮崎神宮に急いで向かいました。
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西都原古墳群・西都原考古博物館(宮崎実地踏査の旅 No.4)

2018年08月15日 | 実地踏査・古代史旅
 2018年7月20日、都萬神社をあとにして向かった先が西都原古墳群および西都原考古博物館。ここに来るのは3回目になるのですが、過去2回は古墳群を中心に見て回ったので博物館があまり記憶に残っていませんでした。そして、学芸員の勉強をするようになって機会があれば博物館をきちんと見たいと思ってたところへの今回の宮崎出張。このチャンスを活かさない手はないと思って今回のツアーを企画することになったわけです。

 西都原古墳群は宮崎県西都市にある古墳群で国の特別史跡に指定されています。一ツ瀬川を挟んで新田原古墳群と反対側の洪積台地上に広がる日本最大級の古墳群で、前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基、地下式横穴墓11基、横穴墓12基もの多くの古墳が集まっていて、3世紀前半から7世紀前半にかけての築造と推定されています。その古墳群のいちばん奥まったところに西都原考古博物館が建っています。遺跡に併設する博物館をサイトミュージアムというのですが、ここはその代表的な博物館だと思います。

都萬神社を出て5分とかからず台地を登る坂道に差しかかり、坂を上りきったところにこの石碑。


今にも雨が降りそうな天気の中、左右に古墳を見ながら博物館へまっしぐら。

ついに3回目、やって来たぞ、とワクワクしながら入口へ。

入館料は何と無料。ありがたい。

この雰囲気は古墳の石室に向かう羨道をイメージしているのだろうか。

旧石器時代から順に展示と解説が展開されます。


この西都原でも鹿児島の上野原遺跡と同様に、南九州の古代を理解するための基本知識である霧島火山帯の活動の話から始まります。

西都原や新田原の「原」は「ばる」と読みます。九州には「原」を「ばる」とか「はる」と読む地名がたくさんあります。理由は諸説あるようですが、ここでは火山の噴火による火砕流や火山灰が積もって台地上になったところを「原(はる)」と説明しています。これはわかりやすい。

これまで見た博物館では石器や土器は必ずと言っていいほど展示ケースに展示されていたのですが、ここではほとんどが露出展示です。


触っていいものがどうか迷っていると、隣で団体さんに説明しているボランティア説明員が「どうぞ触ってみてください」と言っている。本当にいいのかな、と半信半疑の気持ちでおそるおそる触ってみた。

展示ケースがないので土器の中まで見ることができる。これも嬉しい。



そして、通常は個々の展示資料ごとに基本情報を記したキャプションがあるのに、ここでは展示コーナーごとにまとめて一覧形式で整理されていて、しかも自由に手に取って見ることができる。露出展示やこの方式のキャプション展示は初めての経験です。


これは宮崎県串間市王之山から出土した玉璧(ぎょくへき)。直径約33センチ、重さ1.6kg。


日向の地に絶大な権力者集団が存在したことの証とされている。この博物館に展示されいるとは知らなかった。

地下式横穴墓の説明。

妻入りと平入りの2つの方式があることを初めて知りました。

現代の研ぎ師が磨き上げた出土鉄剣。

これも初めてです。錆びついた状態で出土した鉄剣からは感じることができないリアリティ。古墳時代に作られた剣が現代の日本刀と変わらない輝きを持っていたことを実感します。当然、切れ味も遜色ないのでしょう。

隼人族の楯。


写真で何度も見ていたけれど、これもこの博物館にあったのか。楯に描かれた渦の模様は、潮の流れや渦潮を表していて、この楯を使っていた隼人族が海洋民族であったことがわかります。中国の江南地方から南九州にやってきた集団が隼人族と結びついて大きな勢力を持つようになり、やがて神武天皇を出現させた、そしてその国が魏志倭人伝に記される狗奴国であった、というのが私の考えです。そしてこの隼人族は瀬戸内海の最大勢力であった吉備一族とつながっていた、とも考えています。

西都原古墳群で最大の男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)の説明のためのセット。

男狭穂塚は全長175メートルで日本最大の帆立貝形古墳。女狭穂塚は全長180メートルで九州最大の前方後円墳。いずれも宮内庁陵墓参考地になっているので柵で囲われて近づくことができません。

西都原古墳群の説明のためのセット。

これだけの規模のセットが2つもあるのは初めて。

収蔵庫を展示室として活用した収蔵展示室。


上の写真の右側が舟型埴輪で左側が子持家型埴輪。いずれも女狭穂塚の陪塚とされる170号墳から出土したもので、実物は東京の国立博物館に展示されています。つまりこちらはレプリカ(複製)ということになります。

実は2年ほど前に東海大学の公開講座でこの西都原考古博物館の研究員の方がこんなことをおっしゃってました。「国立博物館に展示されている舟型埴輪は実は一部が欠けている部分があって、その部分を修復して展示しています。」考古資料は一部が後世の修復であっても他の部分が実物であれば、その資料は実物として扱われます。土器の修復で破片が欠けている部分を白い石膏で修復している場合がありますが、それでも他の破片が実物であればその修復された土器は実物とされるわけです。「実は170号墳を再調査したときに舟型埴輪の欠損部分が出てきたので、これを国立博物館展示の修復部分と取り換えれれば完全な実物ということなるのですが、西都原考古博物館はこの小さな破片をもとに埴輪全体を復元しました。小さな破片であっても実物なので、こちらの修復埴輪も実物ということになり、同じ埴輪の実物資料がふたつ存在することになります。こちらがそれを主張すればどうなるのだろう。話がややこしくなるのであえて言ってませんが、こちらはこちらで実物として扱っています。」 おそらく、そのときに聴いた復元埴輪がここに展示されているものだと思うのです。

展示室内にある学習のためのスペース。


大学の研究室をイメージした学習コーナーです。豊富な蔵書、資料解説、PC環境など、勉強がはかどりそうな場所になっています。入館が無料なので近くに住んでいれば毎日のように来てしまいそう、と思いました。

博物館最上階からの古墳群の眺め。

3時間くらい見学していたと思うのですが、いつのまにか雨が降っていました。このあと、古墳を見て回る時間は無かったものの、博物館の勉強のためにここだけは、というところに行きました。

地下式横穴墓を発掘時のまま保存した西都原古墳群遺構保存覆屋です。



酒元ノ上横穴墓群を保存処理して建屋で覆い、その後の調査や見学に利用するために設けられた施設です。下に降りて横穴を覗いてきました

博物館学ではこのような遺構も考古資料として扱います。ちなみに、遺跡は遺構と遺物から構成され、遺構は動かせないもの、遺物は動かせるもの、と考えればわかりやすいです。遺構を博物館資料として展示するには、このように保存処理して建屋で覆う、あるいは遺構の上に博物館を建ててしまう、という方法があります。福岡県の須玖岡本遺跡や鳥取県の妻木晩田遺跡、鹿児島県の上野原遺跡など、重要な遺跡の多くで同様の施設を見てきました。

以上が西都原考古博物館のレポートとなりますが、この博物館ではたくさんのことを学びました。博物館のあり方、展示や解説の方法、学習支援活動などの学芸員としての学びはもちろんのこと、古代史に関しての学びもありました。3回目にもかかわらず、もう一度、次は丸一日かけて古墳群も含めてゆっくり見学したいと思いました。

さて、次の訪問地はは2回目の訪問となる生目古墳群と併設の博物館「生目の杜遊古館」です。
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都萬神社(宮崎実地踏査の旅 No.3)

2018年08月12日 | 実地踏査・古代史旅
 2018年7月20日、宮崎での3カ所目の踏査地は新田原古墳群から車で10分ほどのところ、宮崎県西都市にある都萬(つま)神社。日向国二之宮で、祭神は木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)。木花開耶姫命が天孫である瓊々杵尊の妻であることから都萬神社と呼ばれていると言われ、本居宣長以来、この地名「つま」を魏志倭人伝に見える「投馬国」に比定する説があるとのことです。近くには先に行った新田原古墳群や次に行く西都原古墳群などがあり、大きな勢力の拠点であったことは間違いないでしょう。私はこの日向の地が天孫降臨から神武東征へと続く神話の舞台になっていることに少なからず史実性を認めている立場で、その大きな勢力というのが天孫族、すなわち中国大陸から南九州に渡って来た天皇家の祖先一族である、と考えています。この地に木花開耶姫命を祀る神社があることもその傍証ということになります。

一の鳥居。

駐車場が境内の裏側から入ったところにあるので、いったん車を停めてからここまで出てきて撮影。

神橋。


参道左手にある駐車場。右手の道から入ってきました。

今回の車はこれです。向こうには土俵が見えます。

二の鳥居。


社殿。


由緒。


日本清酒発祥の地の碑。

日本書紀にある「時神吾田鹿葦津姫、以卜定田、號曰狹名田。以其田稲、釀天甜酒嘗之。又用淳浪田稲、爲飯嘗之」の記述から、この地が日本清酒発祥の地とされています。「神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)は占いで定めた田を狹名田(さなだ)と名付けた。その田で収穫した稲で天甜酒(あめのたむさけ)を醸造し、渟浪田(ぬなた)の稲で飯を炊き、収穫の新嘗祭で奉納しました」という意味で、ここに出てくる神吾田鹿葦津姫は木花開耶姫命のことです。

千年楠の洞洞木(どうどうぼく)。

神社の説明によると「都萬神社の境内に立ち生える大楠の一部で作られた木洞で慎み・畏まる・通るの意から洞洞木と命名 “夢叶う・幸せ招く・願ひが叶う” の通る木洞」となっています。裏側からこちら側に通り抜けるといいようで、願い事を呟きながら通り抜けてきました。

参拝のあと、車に戻って次の目的地へのルートを確認しようと地図を見ると、都萬神社の境内に大楠の樹があることを見つけたので、もう一度車を降りて社殿左手にあるであろう楠を探してみた。そして見つけのがこれ。


さらに境内の外へまわってみると、、、

樹齢1200年という古木がボロボロになりながらもしっかりと根を張って立っていました。

さて、次は今回の踏査ツアーのメインイベントである西都原古墳群へ向かいます。本当の目的地は西都原古墳群にある西都原考古博物館です。

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新田原古墳群(宮崎実地踏査の旅 No.2)

2018年08月11日 | 実地踏査・古代史旅
 後ろ髪を引かれながら江田神社をあとにして次の目的地である新田原(にゅうたばる)古墳群へ向かいました。本当は江田神社の次は蓮ヶ池横穴群へ寄りたかったのですが、時間的に厳しくなるだろうと思ってあきらめました。ちなみにこの蓮ヶ池横穴群は6世紀後半から7世紀前半、つまり古墳時代の終わり頃に造られた横穴群で、これまでに82基の横穴墓が確認されています。敷地内に「みやざき歴史文化館」があり、こちらも見てみたかったのです。

 ※横穴は「おうけつ」ではなく「よこあな」と読みます。「竪穴(たてあな)」に対する「横穴(よこあな)」です。宮崎にはこの地方独特の地下式横穴墓がありますが、これも「ちかしきよこあなぼ」と読みます。

 さて、新田原古墳群は宮崎県児湯群新富町と西都市右松にある4つの古墳群(塚原古墳群、石船古墳群、山之坊古墳群、祇園原古墳群)の総称になります。またまた話は横道にそれますが、児湯郡といえば第12代景行天皇が九州を征討したときに訪れたところです。天皇は熊襲を討つために大分から宮崎に南下し、高島宮を仮宮としてこの地で留まったあとに子湯県に旅しました。そのときに「是の国は真っ直ぐに日の出る方に向いている」と言ったことから、それ以来、この地を「日向」と称するようになった、と日本書紀に書かれています。

 一ツ瀬川左岸にある海抜70mほどの新田原台地の上に円墳、前方後円墳、方墳など大小あわせて207基が確認されており、1944年(昭和19年)に国の史跡に指定されました。国道219号線(春田バイパス)をひた走り、東九州自動車道の西都インターを過ぎたところを右折してバイパスを降ります。 さらに一ツ瀬川にかかる橋を渡って左折、道なりにぐいーんと坂道を上っていくと急に視界が開けて、平地が広がるあちこちにお椀を伏せたような盛土が見えてきます。台地の上に広がる古墳群を実感します。

 田園の中の細い道を走っていると小さい建物と案内板が建っているのが見えたので、そちらにハンドルを切りました。駐車場があり、どうやらここがこの古墳群の中心施設のようです。といっても建物はただのトイレでしたが。それでは順に見て行きましょう。

新田原古墳群の説明板。





4つの古墳群のうち、この説明板の立つ場所が祇園原(ぎおんばる)古墳群で、その説明板が別に立てられていました。


祇園原古墳群の中で4番目に大きい百足塚古墳。

墳長が約80m、後円部の高さが約6mで、出土品の特徴から古墳時代後期前半の築造とされています。


横穴式石室が発見されたのに未踏査となっています。これだけ詳しく調査しているのに、なぜ埋葬主体を発掘しなかったのか不思議です。

前方部左後方から。

墳丘のテラス部と周堤には1,000体にもおよぶ形象埴輪が並んでいたと考えれ、そのうち西側の周堤に確認できた60体が復元されていました。(写真左側に見えます)


百足塚古墳の陪塚。後円部の北西部に2基、前方部の東側に1基が確認されています。



青い空と白い雲に田園と古墳の緑色が映えて爽やかな夏の風景です。


時間があれば他の古墳も見て回りたかったのですが、あたりを車でぐるっと回るだけにして次の目的地である都萬神社へ向かいました。
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江田神社(宮崎実地踏査の旅 No.1)

2018年08月10日 | 実地踏査・古代史旅
 7月20日、前日の宮崎出張の機会を利用して丸一日かけて各地を巡ってきました。もちろん、宿泊は自費で当日は有給休暇です。
 今回行った所は、江田神社、新田原古墳群、都萬神社、西都原古墳群と西都原考古博物館、生目古墳群と生目の杜遊古館、宮崎神宮の6ヶ所で、順に紹介したいと思います。実は西都原古墳群は3回目、生目古墳群も2回目となります。この日は金曜日だったので、次の土曜日も使ってもう少し足を伸ばして鵜戸神宮などにも行ってみたかったのですが、そろそろ大学のレポートの仕上げにかからないと、という気持ちから今回は1日だけにしました。
 前日の夕方に宮崎での業務を終え、その夜は宮崎駅近くのビジネスホテルに宿泊。地方へ行くと駅近のホテルでも安いので助かります。

チェックインを済ませて夕食に出かけた際のショット。宮崎は南国です。


 翌朝は8時に予約していたレンタカー屋さんに到着し、軽四を借りて実地踏査をスタートさせました。前回の薩摩半島実地踏査では普通車で大変な目に合ったので今回は軽四です。最初の目的地はシーガイアのすぐ近くにある江田神社。

一の鳥居から二の鳥居。




 江田神社は 宮崎市阿波岐原町産母に位置し、祭神として伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)を祀ります。「阿波岐原(あわきはら)」という地名は古事記、日本書紀に登場します。古事記では「火の神を生んで亡くなったイザナミに会うために黄泉の国を訪れたイザナギは、見てはならぬと言われたイザナミの変わり果てた姿を見て、恐れおののいて命からがら逃げて帰ってきたときに、穢れを祓おうと『筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原』へ行って禊ぎをした」とあります。日本書紀でも同様の記述があるのですが、本文ではなく一書(あるふみ)に「筑紫日向小戸橘之檍原」と出てきます。阿波岐原=檍原です。その阿波岐原に伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る江田神社が鎮座するのです。

由緒。


社殿。


社殿に向かって左側に植えられているご神木の招霊木(おがたまのき)。


こちらは社殿に向かう参道の途中にある楠。江原啓之氏が「とてもパワーがある木」だと言ったことから注目を集め最近になってご神木となったそう。

木の下にある大きなコブを撫でると強力なパワーが得られるらしい。

本殿左手から森へ入っていく小道。江田神社から歩いて数分のところにある「御池」、別名「みそぎ池」に向かう道です。


これが御池。



雰囲気はある。ただ、江田神社や御池があるのは古代には樹海が広がっていたと思われる市民の森の中、すぐ近くにはバブルの象徴とも言えるシーガイア、ダンロップフェニックスが行われるフェニックスカントリーがあって、古代と現代のギャップが大きい。

 さて、これはあらゆる神事の前に唱える祓詞(はらえことば)。日本人なら誰もが一度は耳にしたことがある、とは言い過ぎかな。「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す」 冒頭の「かけまくもかしこき」と最後の「かしこみぃかしこみぃもおすぅ」は耳に残ってるけど、その間に阿波岐原の話が入っているとは知らなかった。そういう背景があって、ここ江田神社のある阿波岐原は「禊ぎ発祥の地」とか「祝詞発祥の地」と呼ばれているとのことです。


途中にあった古代の駅の跡を示す案内板。


これは参道わきの駐車場にたつ「みそぎの碑」。

伊弉諾尊の禊で生まれたのが、天照大神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、月読尊(つくよみのみこと)の三貴神(みはしらのうずのみこ)。8本の角がはえているように見えるのは私だけかな、これが伊弉諾尊で中に三柱の神が並んでいます。でも、この碑は見たくなかったな。

ついでに紹介。御池の近くにあるみそぎ御殿。これはよくわからない怪しげな神社でした。江田神社とは関係がないらしい。境内は撮影禁止となっていました。




 朝一番に清々しい気持ちで参拝したせいか、本当に伊弉諾尊が禊をしたように感じてしまった。名残惜しい気持ちを抑えて次の目的地、新田原古墳群に向かいました。
 
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JAPAN リベラルアーツ入門 ~ 神話と芸能 ~

2018年08月09日 | 雑感
 来る9月5日(水)、「JAPAN リベラルアーツ入門 ~ 神話と芸能 ~ 」というセミナーに行こうと思います。「リベラルアーツ」という言葉、最近はいろいろなところで聞くようになってきましたが、恥ずかしながら私は最近知ったばかりなのです。

 どこまでも多様化、複雑化する現代的課題に立ち向かわなければならない私たちは、これまでのように深い専門知識、高い技能、長い経験を持っているだけでは対応しきれなくなってきているようです。人文科学、社会科学、自然科学、、、幅広い知識と経験が最適解を導き出すことに大いに役立つはずです。たしかに、ビジネスの世界では従来の経営論や戦略論の教科書に書かれているようなことが効かなくなってきていることを実感します。企業はバカ高いコンサルタントの言うことを鵜呑みにすることはなくなってきました。商品やサービスを生み出す側も、それを買う側もどちらも人間です。ビジネスはまさに人間の営みそのものと言えます。そう考えたときに、人間の感情や行動を本質的に理解しようとするのは自然な流れ。だからこそビジネスマンに哲学や歴史、文学、美術などの学びが求められるようになってきているのだと思います。これはビジネスに限ったことではなく、人生100年を生きていくうえでとても大切なことだと思えるようになってきました。

 博物館学芸員の資格取得を目指す中で「生涯学習論」と「博物館教育論」を学びました。これらを学んだ今だからこそ、リベラルアーツを理解できるようになった気がします。趣味で学んでいる古代史も単なる趣味ではなくて、これからの人生にとって役に立ちそうな気がしてきました。具体的に何が、とは言えませんが。

 リベラルアーツという言葉にも惹かれましたが、それよりも神話という単語に食いついてしまったような気もしますが、以下にあらためて紹介しておきます。


JAPAN リベラルアーツ入門 ~ 神話と芸能 ~
2018年9月5日(水)18:30~20:30 場所:DNPプラザ(市ヶ谷)


 
 
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最終レポートを提出しました

2018年08月07日 | 学芸員
 学芸員資格の取得を目指し、4月から通信制大学の科目等履修生として「生涯学習論」「博物館概論」「博物館経営論」「博物館資料論」「博物館展示論」「博物館情報・メディア論」「博物館資料保存論」「博物館教育論」の8科目16単位を履修しています。すでに5月に第1回課題レポート、6月に第2回課題レポートの提出を終え、博物館経営論についてはWebで最終試験を受けていましたが、他の科目についてもこのたび最終レポート、すなわち科目修得レポートの提出を終えました。これで8科目について実質的に履修が終わったことになります。

 このブログで文章を書くことに慣れていたこともあり、レポートの執筆は全くに苦に感じることはなく、内容についても各地の博物館を見学した経験をもとに説得力あるものが書けたと思います。それよりも何よりも、4月から約4ケ月間の勉強が全く苦にならず、むしろ楽しく取り組むことができました。50年以上生きてきて、学校でも仕事でも自分なりによく勉強してきたと思うのですが、勉強が楽しいと感じたのは初めてかもしれません。まさに生涯学習の醍醐味を味わうことができたのかも。結果は8月末に発表されるので、どんな結果になってもこの場で報告したいと思います。

 もしも8科目とも合格していれば、次は10月から「博物館実習」を履修することになります。ただ、実習を受け入れてくれる博物館はどこも年明けから3月に募集をして、実際に実習を行うのは来年の8月というところばかりです。10月から3月の間に実習を受けることができる博物館を探しているのですがいまだ見つけることができません。このままでは半年間を棒に振って来年4月からの履修ということになりそうです。10月から3月の期間に実習生を受け入れてくれる歴史博物館をご存知の方がいれば是非ともご紹介ください。よろしくお願いします。

 ということで、これから時間の余裕を取り戻せそうなので、また精力的に記事を書いていこうと思います。お楽しみに。 
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