古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆出雲先住支配集団の敗北

2016年10月02日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 弥生時代後期のある時期、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡で大量の青銅祭器がなぜ埋められたのだろうか。出雲観光協会のサイトによると次のような説が唱えられているとのこと。

 ●祭祀説
  雨乞い、収穫、地鎮などの豊穣の祈りを大地に捧げる祭祀
 ●保管説
  祀りの儀式で取り出して使用するため、普段は土中に保管
 ●隠匿説
  大切な宝である青銅器を奪われないように隠した
 ●廃棄説
  時代の変化により青銅器が不要になったため破棄された
 ●境界埋納説
  共同体間の抗争の緊張から生まれた境界意識の反映

 それぞれの説にはそれなりの理由があり、それが正しいとも間違っているともわからないので紹介に留めておきたい。私は祭器を埋めたということはそれらを用いた祭祀をやめてしまったのだろうと考えている。埋められた場所が辺鄙な山の中であり、しかも斜面中腹であることを考えると、一度埋めたものを再利用するためには次の利用機会まで盗まれないよう、あるいは豪雨などで斜面が崩れて流されないよう、監視を続けなければならないので現実的ではない。また、再利用しないとすれば次の機会に改めて358本もの剣を製作しなければならず、これも現実的でない。だから、次に使うことを考えずに埋めてしまってそれで終わり、二度と同じ祭祀は行わないという意思が現われた行為であろうと思う。この集団は伝統的な祭祀を止めざるを得ない事態に陥ったのだ。それは別の集団によって土地や人民の支配権や祭祀権を奪われたからである。そして神聖な祭器が破壊や破棄される前に、自らの支配が及ぶ各地のリーダーが祀る祭器を荒神谷と加茂岩倉に集め、自らの意思で土中に埋納することにした。あたかも死者を埋葬して弔うように丁寧に埋納したのだ。



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