天孫降臨に続いて瓊々杵尊の子の話はさらに続く。いわゆる海幸彦・山幸彦の説話である。瓊々杵尊と鹿葦津姫の間に生まれた三人の子のうち、長男の火闌降命が海幸彦、次男の彦火火出見尊が山幸彦である。
兄の火闌降命には海で魚を採る「海の幸」があり、弟の彦火火出見尊には山で鳥や獣を採る「山の幸」があった。 二人は互いの「幸」を交換してみたが、弟のは兄の「幸」である釣り針を失くしてしまった。弟は困って刀を壊して新しい釣り針を造ってカゴ一杯に盛って渡そうとしたが兄は「いくらたくさんの針であってももとの釣り針でなければ受け取らない」と怒って言った。この場面では弟の彦火火出見尊は製鉄の技術を持っていたということがわかる。刀を作ること、刀を溶融して釣り針に作り替えることができたのだ。大陸から南九州へやってきた一族が製鉄技術を持っていたことはすでに書いたが、この一文からもそのことが読み取れる。
その後、途方に暮れた山幸彦を助けたのが塩土老翁(しおつちのおじ)である。塩土老翁は継ぎ目の無い細かい籠に山幸彦を乗せて海神の宮殿に送り出した。天孫降臨において日向の高千穂の峯に天降った瓊々杵尊が笠狭崎に至った時に事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)が登場し、瓊々杵尊に自分の国を奉っているが、一書(第4)によるとこの事勝因勝長狭神の別名が塩土老翁で、伊弉諾尊の子であるとしている。
山幸彦は海神の宮殿で海神の娘である豊玉姫を娶って3年を過ごすこととなったが、3年後に山幸彦が海神の宮から戻りたいと申し出たとき、海神は山幸彦に潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を持たせた。これは潮の満ち引きを自由にコントロールできる玉で、彦火火出見尊はこの玉を使って兄の火闌降命を平伏させ、火闌降命が「今後、私はお前の俳優(わざおさ)の民となって仕えるので、どうか許してくれ」と言ったので容赦したという。ここから2つのことが読み取れる。1つは彦火火出見尊は潮の干満を操る玉を手にしたことから、潮の干満や潮流を見極める術に長けた海洋族であったのだろうということ。もう1つは大和政権において隼人の舞を踊る民、律令制下での隼人司の起源がここにあり、俳優の民として描かれていることである。海幸彦の苦しむ姿が隼人の舞を表しているとも言われる。書紀には火闌降命は隼人らの始祖であると記されている。
山幸彦の彦火火出見尊は製鉄技術を擁した海洋族であったこと、海幸彦の火闌降命は隼人の始祖であったこと、そしてこの2人が兄弟として描かれていること、などから江南海洋族と九州南部に居住していた隼人の始祖と呼ばれるようになる先住集団が近しい関係にあったということが書紀編纂当時の認識であったことが認められる。さらに、山幸彦が海幸彦を従えたという結末は、海洋族がこの先住集団を取り込んだことを表している。その結果、両者が一体化して隼人族と呼ばれるようになったのだろう。
天孫族直系の系譜は瓊々杵尊、彦火火出見尊、盧茲草葺不合尊と続いたあと、初代天皇の神武天皇に至る。この神武天皇は瓊々杵尊と同様に日向国吾田邑出身の吾平津媛(あひらつひめ)を妃としていることから神武は隼人の地で隼人族を従えたということが言えると思う。隼人に天孫の血が入っていることは当時の誰もが否定できない事実であったと先に書いたが、逆に天皇家が隼人族の出身であることもまた否定の出来ない事実になっていたのではなかろうか。
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兄の火闌降命には海で魚を採る「海の幸」があり、弟の彦火火出見尊には山で鳥や獣を採る「山の幸」があった。 二人は互いの「幸」を交換してみたが、弟のは兄の「幸」である釣り針を失くしてしまった。弟は困って刀を壊して新しい釣り針を造ってカゴ一杯に盛って渡そうとしたが兄は「いくらたくさんの針であってももとの釣り針でなければ受け取らない」と怒って言った。この場面では弟の彦火火出見尊は製鉄の技術を持っていたということがわかる。刀を作ること、刀を溶融して釣り針に作り替えることができたのだ。大陸から南九州へやってきた一族が製鉄技術を持っていたことはすでに書いたが、この一文からもそのことが読み取れる。
その後、途方に暮れた山幸彦を助けたのが塩土老翁(しおつちのおじ)である。塩土老翁は継ぎ目の無い細かい籠に山幸彦を乗せて海神の宮殿に送り出した。天孫降臨において日向の高千穂の峯に天降った瓊々杵尊が笠狭崎に至った時に事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)が登場し、瓊々杵尊に自分の国を奉っているが、一書(第4)によるとこの事勝因勝長狭神の別名が塩土老翁で、伊弉諾尊の子であるとしている。
山幸彦は海神の宮殿で海神の娘である豊玉姫を娶って3年を過ごすこととなったが、3年後に山幸彦が海神の宮から戻りたいと申し出たとき、海神は山幸彦に潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を持たせた。これは潮の満ち引きを自由にコントロールできる玉で、彦火火出見尊はこの玉を使って兄の火闌降命を平伏させ、火闌降命が「今後、私はお前の俳優(わざおさ)の民となって仕えるので、どうか許してくれ」と言ったので容赦したという。ここから2つのことが読み取れる。1つは彦火火出見尊は潮の干満を操る玉を手にしたことから、潮の干満や潮流を見極める術に長けた海洋族であったのだろうということ。もう1つは大和政権において隼人の舞を踊る民、律令制下での隼人司の起源がここにあり、俳優の民として描かれていることである。海幸彦の苦しむ姿が隼人の舞を表しているとも言われる。書紀には火闌降命は隼人らの始祖であると記されている。
山幸彦の彦火火出見尊は製鉄技術を擁した海洋族であったこと、海幸彦の火闌降命は隼人の始祖であったこと、そしてこの2人が兄弟として描かれていること、などから江南海洋族と九州南部に居住していた隼人の始祖と呼ばれるようになる先住集団が近しい関係にあったということが書紀編纂当時の認識であったことが認められる。さらに、山幸彦が海幸彦を従えたという結末は、海洋族がこの先住集団を取り込んだことを表している。その結果、両者が一体化して隼人族と呼ばれるようになったのだろう。
天孫族直系の系譜は瓊々杵尊、彦火火出見尊、盧茲草葺不合尊と続いたあと、初代天皇の神武天皇に至る。この神武天皇は瓊々杵尊と同様に日向国吾田邑出身の吾平津媛(あひらつひめ)を妃としていることから神武は隼人の地で隼人族を従えたということが言えると思う。隼人に天孫の血が入っていることは当時の誰もが否定できない事実であったと先に書いたが、逆に天皇家が隼人族の出身であることもまた否定の出来ない事実になっていたのではなかろうか。
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