古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

なら燈花会

2023年08月13日 | お出かけ
2023年8月12日、夕涼みがてら、奈良公園一帯で開催されている「なら燈花会」に行ってきました。14時過ぎに自宅を出て、途中、遅いランチをとって16時半頃に到着。奈良県庁の裏にある登大路駐車場に車を停めました。事前に駐車場をいろいろ調べてみたものの、奈良公園のどこへ行くにも近いこと、時間制限のない1日1,000円という料金、収容台数200台以上なのでおそらく満車にならないだろう、という読みもあって決め打ちで行きました。







まだ日が高い位置にあったので、興福寺周辺を散策しながら日暮れを待つことに。五重塔は修復中のために柵で覆われて近寄れなかったですが、三重塔があることを初めて知って見に行きました。








燈花会の見学は猿沢池からスタートです。日が暮れるとともにろうそくの灯がゆらゆらと輝き始めます。水面に写る五重塔が幻想的。




猿沢池を一周して浮見堂に向かいます。出店が並ぶ通りは大混雑の上に、火を使うお店も多く、気温が一気に上がります。浮見堂が浮かぶ池の周囲も人がいっぱいいますが、ここもまた幻想的。よく見るとたくさんのボートが浮かんでいます。





池を半周して橋を渡ります。ボートに乗ろうとする人が大行列。加えて狭い橋の上は写真を撮ろうとする人で大渋滞。でも、ここで写真を撮らない手はない。





次は浅茅ヶ原へ向かいます。広場一面にろうそく燈が並べられています。







道路を渡って浮雲園地へ。こちらはさらに広いところに敷き詰められたろうそく燈が何とも言えない雰囲気。






続いて春日野園地。ここが一番広くていい場所でした。




最後は東大寺へ行ったのですが、ここは13日・14日限定だったので中に入れませんでした。






日中はとんでもない暑さだったけど、夜になると意外に涼しくて過ごしやすかったです。1万歩以上歩いたけど疲れることもなく、心地よい時間を過ごして帰宅しました。




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前方後円墳について思うこと

2023年08月04日 | 前方後円墳
ただいま物部氏についての妄想レポートを執筆中で、なかなか当ブログに投稿する余裕がないのですが、場つなぎで少しだけ書いてみます。

以前に、前方後円墳は神仙界を表した壺形古墳である、との説に賛同して自分なりに検証した結果を「前方後円墳の考察」として全16回のレポートを投稿しました。その後も現代の土葬墓を実際に見て感じたこととして通説に対する疑問を「周溝墓が古墳に発展したのか」と題して書きました。

そんなことを古代史仲間に話したときに言われたのです。「現代のように空からみることができない古代には誰も壺形だとわからない」と。たしかにその通りで、その時にはすぐに反論ができなかったのですが、その後に閃いたのです。

そもそも壺形古墳は誰かに見せるために壺形にしたのではなく、死者を神仙界に届けるために壺の形の墓を造ったのです。だから、この世にいる人にとって壺形に見える必要はなく、墓の形が壺形になっていることそのものに意味があるのです。

巨大な前方後円墳は見せるための墓である、という考えがありますが果たしてそうなのでしょうか。葺石で装飾された3段築成の威容を誇る巨大な墓が太陽光を反射してキラキラと輝き、墳丘上には円筒埴輪がズラリと並ぶ様子はたしかに見るものに畏敬の念を与えるのかもわかりませんが、上から見た形が前方後円形である必要はないのです。ましてや、多くの古墳は民衆が暮らす平地よりも少し高くなった丘陵や台地上に造られています。あの世界最大の仁徳陵とされる大仙古墳ですら、下から見上げることしかできないのです。見せるための墓なら前方後円形である必要はなく方墳でも円墳でもいいのです。

空から見ることができない古代人は壺形であることがわからないではないか、という理由で壺形古墳説を否定することはできない。壺形古墳は生きている人に見せるために壺形にしたのではない。単にそんなお話でした。


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