姫路は今、来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」で盛り上がっていますが… 官兵衛ゆかりの地と言われる各地でもそれぞれ盛り上がっているようですね。
官兵衛のルーツ
★黒田官兵衛と言えば…昨年行った滋賀の木之本でも盛り上がっていました。官兵衛の先祖、黒田家のルーツが滋賀県長浜市木之本町にあるらしい。
戦国大河きのもと館でもらったファイルの官兵衛イラスト
★そして、備前福岡へ(現在の岡山県邑久郡)。
官兵衛の先祖(曾祖父)高政が近江を追われて落ち着いた地で、この地で高政は黒田家伝承の目薬(玲珠膏)を販売し、財産を蓄えたといわれているそうです。
姫路から天下へと翔ける
★姫路市と兵庫県各地(加古川市、三木市、宍粟市山崎町、佐用郡佐用町、伊丹市、有馬温泉など)詳しくはこちら⇒ゆかりの地マップ
姫路で生まれ姫路で育った官兵衛。姫路とその周辺には官兵衛ゆかりの地が数多くあります。
★大阪…黒田官兵衛は軍師として戦場で華々しい活躍をしていますが、大阪城築城にも才能を発揮したといわれています。
★京都…官兵衛の邸宅は聚楽第の東北部、現在の上京区一条通にありました。それを今に伝える石碑が立っています。またこの地を如水(官兵衛が隠居後に名乗った名前)町というのは、これにちなんでいるのだそうです。
★備中高松城…岡山県高梁市
官兵衛は、織田軍の中国攻めに、直属の主君である羽柴(豊臣)秀吉とともに出陣しています。
★四国…
四国攻めでは長宗我部元親と対峙した官兵衛。四国には、本丸(物見台)跡・二の丸跡・三の丸跡・隠し砦跡・外郭・石塁・堀切・井戸などが残る「天霧城跡」をはじめ、四国攻めにまつわる場所が残されています。
姫路から豊前、そして筑前へ
★大分・熊本…
官兵衛は、豊臣秀吉による九州平定の先発隊として活躍。各地での戦勝に貢献しました。九州平定後の翌年、この功績が認められた官兵衛は豊前六郡を与えられ、統治の拠点となる「中津城」の築城を開始。初代中津城主になっています。
播磨から九州に移り住んだ官兵衛は、関ヶ原の戦いにおいて、加藤清正と共に、西軍の武将たちを次々と陥落させていきます。その清正が築城したのが「熊本城」です。
★福岡…官兵衛の隠居所があった黒田藩のゆかりの地「福岡城」と「太宰府天満宮」
関ヶ原合戦で戦功を挙げた官兵衛の嫡男長政に対し、徳川家康が筑前52万3千石を与えたことにより黒田家は筑前・福岡(現・福岡県福岡市)に移り、明治維新まで続くことになります。
軍師・官兵衛の生涯を描いた
司馬遼太郎著『播磨灘物語』
黒田官兵衛(孝高、如水)の生涯は司馬遼太郎の歴史小説に詳しく描かれています。黒田家のルーツ、長浜を追われ岡山の福岡での祖先の暮らしぶり、そして姫路へ…官兵衛の誕生から軍師としての数々の活躍。秀吉の中国攻め、四国攻め、朝鮮出兵、そして関ヶ原の戦いなどに軍師・官兵衛がどのようにかかわったか、など。
私は今年の春、ドラマが始まる前にと頑張って読みましたが、なかなか面白かったです。予備知識もバッチリ!来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」が楽しみです。
講談社単行本「播磨灘物語」(上)(中)(下)
初版単行本は、1975年に講談社で刊行。現行判は講談社文庫全4巻(改版2004年)。『司馬遼太郎全集 33・34』(文藝春秋、初版1983年、全集第2期・最初の巻)に収録。
現在は文庫本1~4しか発売されてないようですね。
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官兵衛のルーツ
★黒田官兵衛と言えば…昨年行った滋賀の木之本でも盛り上がっていました。官兵衛の先祖、黒田家のルーツが滋賀県長浜市木之本町にあるらしい。
戦国大河きのもと館でもらったファイルの官兵衛イラスト
★そして、備前福岡へ(現在の岡山県邑久郡)。
官兵衛の先祖(曾祖父)高政が近江を追われて落ち着いた地で、この地で高政は黒田家伝承の目薬(玲珠膏)を販売し、財産を蓄えたといわれているそうです。
姫路から天下へと翔ける
★姫路市と兵庫県各地(加古川市、三木市、宍粟市山崎町、佐用郡佐用町、伊丹市、有馬温泉など)詳しくはこちら⇒ゆかりの地マップ
姫路で生まれ姫路で育った官兵衛。姫路とその周辺には官兵衛ゆかりの地が数多くあります。
★大阪…黒田官兵衛は軍師として戦場で華々しい活躍をしていますが、大阪城築城にも才能を発揮したといわれています。
★京都…官兵衛の邸宅は聚楽第の東北部、現在の上京区一条通にありました。それを今に伝える石碑が立っています。またこの地を如水(官兵衛が隠居後に名乗った名前)町というのは、これにちなんでいるのだそうです。
★備中高松城…岡山県高梁市
官兵衛は、織田軍の中国攻めに、直属の主君である羽柴(豊臣)秀吉とともに出陣しています。
★四国…
四国攻めでは長宗我部元親と対峙した官兵衛。四国には、本丸(物見台)跡・二の丸跡・三の丸跡・隠し砦跡・外郭・石塁・堀切・井戸などが残る「天霧城跡」をはじめ、四国攻めにまつわる場所が残されています。
姫路から豊前、そして筑前へ
★大分・熊本…
官兵衛は、豊臣秀吉による九州平定の先発隊として活躍。各地での戦勝に貢献しました。九州平定後の翌年、この功績が認められた官兵衛は豊前六郡を与えられ、統治の拠点となる「中津城」の築城を開始。初代中津城主になっています。
播磨から九州に移り住んだ官兵衛は、関ヶ原の戦いにおいて、加藤清正と共に、西軍の武将たちを次々と陥落させていきます。その清正が築城したのが「熊本城」です。
★福岡…官兵衛の隠居所があった黒田藩のゆかりの地「福岡城」と「太宰府天満宮」
関ヶ原合戦で戦功を挙げた官兵衛の嫡男長政に対し、徳川家康が筑前52万3千石を与えたことにより黒田家は筑前・福岡(現・福岡県福岡市)に移り、明治維新まで続くことになります。
軍師・官兵衛の生涯を描いた
司馬遼太郎著『播磨灘物語』
黒田官兵衛(孝高、如水)の生涯は司馬遼太郎の歴史小説に詳しく描かれています。黒田家のルーツ、長浜を追われ岡山の福岡での祖先の暮らしぶり、そして姫路へ…官兵衛の誕生から軍師としての数々の活躍。秀吉の中国攻め、四国攻め、朝鮮出兵、そして関ヶ原の戦いなどに軍師・官兵衛がどのようにかかわったか、など。
私は今年の春、ドラマが始まる前にと頑張って読みましたが、なかなか面白かったです。予備知識もバッチリ!来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」が楽しみです。
講談社単行本「播磨灘物語」(上)(中)(下)
初版単行本は、1975年に講談社で刊行。現行判は講談社文庫全4巻(改版2004年)。『司馬遼太郎全集 33・34』(文藝春秋、初版1983年、全集第2期・最初の巻)に収録。
現在は文庫本1~4しか発売されてないようですね。
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