ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

9・12は原発の日か・・・「事故終結」を強調するフランス。

2011-09-13 21:43:30 | 社会
9・11。アメリカではテロから10年。心の区切りをつけようとする遺族がグランド・ゼロに集まりました。日本では、東日本大震災から半年。追悼の集い、復興を支援する集まりが全国各地で行われました。

その翌日、日本では「放射能、付けちゃうぞ」発言で辞任した経済産業相の後任が決まりました。原子力行政の舵取りがどうなるのか、注目です。

そして、イランでは、中東初の原発が稼働しました。

 イラン南部のブシェール原発が12日、稼働し、電力供給を始めた。中東地域で初めての原発稼働で、トルコやヨルダンなど周辺国の原発建設も加速するとみられる。福島第1原発事故で原発の安全性が問われる中、情勢不安定な中東での原発稼働には懸念も高まる。
 原発は加圧水型軽水炉で、出力100万キロワット。イラン国営テレビによると、12日はまだ低出力による運転だが、年内には最大出力での運転が可能になるという。現地であった稼働式典で、イランのアッバシ原子力庁長官は「イランの科学者は福島原発の惨事から教訓を学んだ」と安全性を強調した。
(9月13日:毎日)

あくまで平和利用であってほしい、安全に稼働させてほしいと願っています。

原子力関連のニュースが多いこの日、9・12、もうひとつのニュースが飛び込んできました。フランスの原子力施設で爆発が起き、死者一人、四人が負傷・・・使用電力の約8割を原子力に依存しているフランス。原発だけでなく、核廃棄物のリサイクルや貯蔵を行う施設は、それこそ、全国各地に散らばっているのではないでしょうか。その一つ、南仏・ガール県(Gard:県庁所在地は、ニーム・Nîmes)にあるマルクール核施設(le site nucléaire de Marcoule)で、事故は起きました。どのような状況で、放射能漏れなど、周囲への影響はどうなっているのでしょうか。また、フランス政府の対応は・・・12日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

12日正午ごろ、ガール県にあるマルクール核施設で、低レベル放射能廃棄物処理施設にある炉が爆発した。この事故で、一人が死亡、四人が負傷した。

午後4時、原子力安全機関(l’Autorité de sûreté nucléaire:ASN)は、「事故は終結し、いかなる核汚染も発見されなかった」と、発表した。また、放射能調査情報独立委員会(la Commission de recherche et d’information indépendantes sur la radioactivité:Criirad)は、「ローヌ渓谷(la vallée du Rhône)に設置した6台の無線観測機はいかなる放射能漏れも観測しなかった」とホームページで公表した。エネルギー担当大臣のエリック・ベソン(Eric Besson)は、「放射能や化学品によるリスクはない」と述べており、処理施設を運営する会社を傘下に持つフランス電力公社(EDF)も、「将来にわたって、放射能漏れのリスクはない」と発表している。

「住民保護が必要になるような事故ではない。ASNは危機対応の組織を立ち上げるのも見合わせている」と、ASNは追加説明している。内務省は、「負傷者が放射能に汚染されておらず、施設で働いている社員の隔離も避難も必要とはなっていない」と公表した。しかも、死亡した社員の死因は、爆発に巻き込まれたことであり、放射能汚染によるものではないという。重傷を負った社員一人は、モンペリエ(Montpellier)の病院へ緊急搬送されたが、他の三人は軽傷で、近くのバニョル・シュール・セーズ(Bagnols-sur-Cèze)の病院へ運ばれた。

爆発はEDFの子会社であるSocodeiがコドレ村(Codolet:2008年の人口691人)で事業展開しているCentraco(le Centre de traitement et de conditionnement des déchets de faible activité:低レベル放射能廃棄物処理センター)で起きたのだが、その原因となった火災は13時頃鎮火した。この施設は放射能レベルが低い、あるいは非常に低い核廃棄物の処理を行っている。

激しい爆発は、電気炉に関係しているのだが、この炉は1999年から使用されており、手袋、作業着、マスクといった繊維類は焼却し、水門やポンプなどの金属は溶融して放射能処理を行っている。

爆発が起きた際には、炉に4トンの金属が入っており、その全放射能は67,000ベクレルで、1kg当たりでは17ベクレルになる。「とても低いレベルの放射能で、原子炉の放射能とは比較のしようもないレベルだ」と、放射線防護原子力安全研究所(l’Institut de radioprotection et de sûreté nucléaire:IRSN)の安全部長、ティエリ・シャルル(Thierry Charles)は語っている。

「炉は建物内の部屋にあり、その部屋は影響を受けたが、建物自体は無傷のままだ。従って、放射能が外部に漏れ出す恐れはない」と、ティエリ・シャルルは続ける。IRSNは現場に対応チームを派遣し、周辺の雑草、土、クルマのボンネット上の埃などを採取して、12日中に分析することになっている。

爆発の原因はまだ明らかになっていないが、政府関係者によると、人的ミスがあったと思われる、ということだ。「どこからか漏れ出した水が溶融中の金属と反応を起こした可能性や、金属に含まれている核廃棄物が引き起こした可能性も考えうる」と、ティエリ・シャルルは語っている。

IAEA(仏語では、AIEA:l'Agence internationale de l'énergie atomique)の事務局長は、爆発に関する情報の提供を通常の手続き通りフランス政府に依頼したと語った。一方、EUは、事故は欧州委員会がフランス政府と協力しながら仔細に調査することになると、発表している。

多くの環境団体と同じく、グリーンピースも、事故に関する迅速で透明性のある情報公開を求めている。「地元住民に現状と将来的な放射能漏れについて十分な情報を提供することが不可欠だ」と、グリーンピース・フランスの原子力担当者、ヤニック・ルスレ(Yannick Rousselet)は述べている。

エコロジー相のナタリーコシウスコ=モリゼ(Nathalie Kosciuscko-Morizet)は現場に赴き、「事故の後、不安に陥るような理由はまったく見当たらない。これは産業事故だ。ただし場所が原子力関連施設なので、さまざまな感情や警戒が呼び起こされるのだが」と語った。エコロジー相は、こう語る前に、死亡した社員の家族に直接会い、また重症の大やけどを負った社員の父にもコンタクトを取っている。

・・・ということで、フランス政府は、発生したのが核廃棄物処理施設ではあるが、あくまでも産業事故であり、決して原発事故ではなく、しかも事故はすでに終結している、と強調しています。

原発の輸出国でもあるフランスは、原発の危険性に繋がるようなことは、どうしても言及しなくてはならない状況に追い込まれない限り、なかなか言わないでしょうが、今回の事故は、今後の推移を見守らなければ断言はできませんが、どうも放射能汚染につながるような事故ではなさそうです。

しかし、フクシマから半年。その危険性がフランス国民の記憶にも残っている状況下での事故だけに、周辺住民はパニックに。しかも、『ル・モンド』の記事では、エコロジー相が現地に飛んだり、多くの機関がさまざまなコメントを出していますが、現地住民にはうまく伝わらなかったようで、子どもたちを避難させるとか、いろいろな混乱も生じたようです。

原発のない社会へ――。しかし、今すぐ、すべての原発を廃止するわけにはいかない。原発のない日本社会の実現へ向けた工程表を、ぜひとも公表してほしいと思います。洋上風力発電にも力を入れるという報道がありました。太陽光発電もあります。どのようなスケジュールで、いつまでに自然エネルギー社会に移行できるのでしょうか。その実現に、協力を惜しむ国民はいないと思います。ぜひ、一日も、早く!

「シラクとド・ヴィルパンが受け取った、アフリカからの闇資金」疑惑。

2011-09-12 22:02:29 | 政治
ジャック・シラク(Jacques Chirac)とドミニク・ド・ヴィルパン(Dominique de Villepin)対ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)の構図を象徴するかのようなクリアストリーム事件(Affaire Clearstream:発端は、ルクセンブルクの銀行・クリアストリームにフランス政財界の要人が、資金洗浄用の隠し口座を持っているとされた疑惑。後に公開されたニコラ・サルコジの名も含む口座リストが、実は偽造されたものであることが判明。この事件を利用して、ド・ヴィルパンとジャック・シラクがサルコジ追い落としをはかったのではないかという嫌疑をかけられました。一審ではド・ヴィルパンに対し無罪判決が出されましたが、検察側が控訴しています)の控訴審判決が14日に出されるのを前に、新たな疑惑がフランス・マスコミを賑わせています。

「アフリカの国々から、ジャック・シラク宛てに毎年かなりの資金が送られていた。その運び屋役を自分も一部担った」、という告発が、ド・ヴィルパンの元側近からなされました。

パリ市長、首相、大統領とフランス政治の中枢に長年君臨していたジャック・シラクだけに、疑惑もいくつか指摘されています。身近なところでは、日本に隠し口座がある! 確か東京スター銀行(旧東京相和銀行)にあるのではないかと言われていました。また、公判の始まった、市長時代の職員架空雇用疑惑では、大統領経験者として初めて刑事被告人になっています。

そうした、まるで輝かしいキャリアの勲章でもあるかのような「疑惑」に、新たな1ページが加えられようとしています。アフリカ諸国からの闇資金提供疑惑・・・11日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

シラク前大統領は、弁護士のロベール・ブルジ(Robert Bourgi)を名誉棄損で訴えることにした。ブルジ弁護士は、シラク前大統領とド・ヴィルパン前首相をアフリカから闇資金を受け取っていたとして非難している。「今日の話し合いの結果、シラク前大統領は、名誉棄損で訴えてほしいと私に依頼した」と、11日の午後、ジャック・シラクの弁護人であるヴェイユ(Veil)弁護士が明言した。

ドミニク・ド・ヴィルパンも同じく、11日の夜、テレビ局・France2のニュース番組で、ロベール・ブルジを訴えることにすると語った。ド・ヴィルパンによれば、ブルジ弁護士の非難はやたらと深刻で、スキャンダラス、詳細に語られているが、どれも出来の悪い推理小説のようなものだそうだ。

ブルジ弁護士の非難は、11日発行の週刊紙“le Journal du Dimanche”(JDD)の記事に出ており、ロベール・ブルジは、かれ自身、数年にわたって、アフリカ諸国の首脳から託された、紙幣が詰まったアタッシュケースを大統領府(l’Elysée)に運んでいたと、詳細を語っている。同じく11日、ブルジ弁護士はラジオ局・RTLの番組で、記事の内容を認めた上で、法廷で証言する用意があるとも述べている。さらには、テレビ局・TF1の夜8時のニュースでも、同じ見解を語っている。

ロベール・ブルジの語っている闇資金については、14日に出版されるピエール・ペアン(Pierre Péan:ミッテラン元大統領とユダヤ人を一斉検挙し強制収容所へ送ったパリ警察事務局長・ブスケとの親密な関係を暴き、ベストセラーとなった“Une jeunesse française-François Mitterrand, 1934-1947”などで有名な、追跡調査に基づく著作を得意とするジャーナリスト、仏語ではun journaliste d’investigation)の作品“La République des mallettes”(アタッシュケースの共和国)の中でも裏付けられている。

ジャック・シラクとアフリカの首脳たちとの仲立ちを務めたジャック・フォカール(Jacques Foccart:フランスと旧植民地を中心としたアフリカ諸国との関係強化を図る“Françafrique”を提唱した中心人物)の後任であったブルジ弁護士は、JDDとの長いインタビューの中で、「ジャック・フォカールは30年にわたって、アフリカの首脳たちとジャック・シラクとの間の資金の引き渡しの任にあたっていた。私も、数回、パリ市庁舎にいるジャック・シラクにアタッシュケースを届けたことがある」と、説明している。

さらに続けて、「長年にわたってドミンク・ド・ヴィルパンとは一緒に働いてきた。親愛の情を持つ友人同士のような関係だったが、2005年末、彼は突然私を追い払ったのだ。ド・ヴィルパンは、サッス(Denis Sassou-Nguesso:1979年から1992年までと1997年以降、コンゴ共和国大統領)やボンゴ(Omar Bongo:1967年から2009年まで、ガボン共和国大統領)など、アフリカからの資金は、どうもきな臭い。もう止めにする。予審判事に追及されるようなことになれば、良い結果は期待できないぞ、と私に語っていた」とも、述べている(余計なことはしゃべらない方がいいぞ、ということですね)。

引き渡した資金の金額については、「500万フラン(約7,950万円:1ユーロ=6.55957フラン)以下ということはなかった。1,500万フランにまで達していたかもしれない。ド・ヴィルパンの前で、初めて資金を引き渡したことをよく覚えている。1995年のことで、ザイールのモブツ大統領(Mobutu Sese Seko:1965年から1997年まで、現在のコンゴ民主共和国大統領)からのものだった。私は1,000万フランを運び、それをジャック・フォカールがジャック・シラクに渡しに行った。ただし、総額については、分からない。私の知る限り、帳簿はなかった。年間数千万フランだったと思う。選挙の年はその額も増えた」と、語っている。

ド・ヴィルパンは、今回の非難はクリアストリーム事件と関係があると見えるようだ(控訴審での判決に影響するよう、大統領府がこのタイミングでしゃべらせた、と見ているようです)。その控訴審の判決は14日に出されることになっている。パリ控訴院は、ニコラ・サルコジに嫌疑をかけたこの事件において、ド・ヴィルパンの無罪を再確認するか、一転有罪にするかを判断するのだが、その決定は大統領選まで7カ月となった今、ド・ヴィルパンの政治家としての将来に決定的な影響を与えることになる。

「ロベール・ブルジの非難はくだらない話に過ぎず、そのうち消えてしまうようなものだ。1993年以降、私はジャック・シラクによって示された政治家としてのモラルを実現すべく、モラルに反するようなこととの戦いに精力を傾けてきた」と、ド・ヴィルパンはJDDの質問に答えたが、ブルジの非難に大統領府からの一撃を見ている。ドミニク・ド・ヴィルパンは、9日、ラジオ局・RTLの番組で、ピエール・ペアンの最新作を、空想の産物だと決めつけている。その作品は、ド・ヴィルパンの友人(Alexandre Djouhri)に焦点を当てた作品で、その友人を“Prince des ténèbres”(闇の王子)と呼んでいる。

・・・ということで、ジャック・シラクとアフリカの関係。かなり親密でした。ですから、ニコラ・サルコジが大統領に就任した直後は、アメリカにばかりすり寄って、アフリカ諸国との関係を軽視し過ぎだという批判もあったほどです。しかし、今回の疑惑が本当なら、シラク前大統領がアフリカの首脳たちと親密だったのも頷けますね。

旧植民地を中心に、アフリカ諸国へさまざまな援助を行う。しかし、その多くが現地の支配層の手に残り、その一部がフランスに、特に一部の政治家の手に還元される・・・こうしたお金の動きは、実は世界中で見られるのかもしれません。日本でも、東南アジアなどいくつかの国々との間で、ときどき疑惑が浮かんでは消えています。

政治家の錬金術、考えることは国の違いを問わないのかもしれません。

君よ知るや、自分の国を「くそったれの国」と呼ぶ首相のいる国を。

2011-09-10 21:28:29 | 政治
『50歳のフランス滞在記』で何度か書いたと思いますが、小学校時代の愛読書は、「少年少女世界の文学」シリーズ。その中でも、特に好きだった本の中に、『クオレ』と『君よ知るや南の国』の2冊があります。ともに、イタリアに関係した本で、前者はエドモンド・デ・アミーチス(Edomondo De Amicis:1846-1908)の“Cuore”で、舞台がイタリア。後者はご存知ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe:1749-1832)の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(Wilhelm Meisters Lehrjahre)のミニョン登場部分。南の国とは、アルプスの南、イタリアのことですね。

君や知る、レモン花咲く国
暗き葉かげに黄金(こがね)のオレンジの輝き
なごやかなる風、青空より吹き
テンニン花は静かに、月桂樹は高くそびゆ
君や知る、かしこ。
かなたへ、かなたへ、
君と共に行かまし、あわれ、わがいとしき人よ。
(高橋健二訳)

イタリア大好き、という方も多いのではないでしょうか。イタリア料理、サッカー、映画、デザイン、カンツォーネ・・・世界遺産もたくさんありますし、訪れたい街は、それこそ枚挙にいとまがありません。

そのイタリアで、長年、政界・メディアのトップに君臨しているのが、言わずと知れたベルルスコーニ。しかし、芳しくない風聞ばかりが伝わってきます。首相がこれで、イタリアのイメージに悪影響はないのだろうかと思ってしまいますが、政治とは関係なく観光客も多いままのようですし、何しろ、ベルルスコーニは「イタリア人」を体現している、とも言われますので、イタリア人はやっぱりそうなんだと、変に納得してしまう向きも多いのかもしれません。

「イタリア人の幸福とは、愛人とパスタを食べながらサッカーを見ている時。」(『世界の日本人ジョーク集』)こうしたイメージが広く伝わっているのでしょうね。 因みに、「日本人の幸福とは、食事をさっさと終えて再び働き始めた時。」だそうですが、変わってきているような気もしますが、さて、どうでしょう。

そのイタリア、ベルルスコーニ首相に関する記事が、9月1日の『ル・モンド』(電子版)に出ていました。「ベルルスコーニがイタリアを『くそったれの国』と呼ぶ時」(Quand Berlusconi qualifie l’Italie de “pays de merde”)・・・

イタリア首相のシルヴィオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)がイタリアを「くそったれの国」と呼んだことが、1日、通信社ANSA(Agenzia Nazionale Stampa Associata)によって公表された。首相が7月に側近との電話でそう話していたそうだ。

「私は隠し立てをしない性分で、行動も清廉そのものなので、何事にも心配する必要はない。犯罪だと見做されるようなことは何もやっていない。だから、私が誰と寝たとか、そんなことしか人は言えないのだ。自分の仕事に集中するために、しばらく消えるつもりだ、さもなければ、吐き気を催すような、このくそったれの国から出ていくしかない」と、7月13日、ベルルスコーニは、ヴァルテール・ラヴィトーラ(Valter Lavitola)との電話での会話中、力を込めてそう語ったそうだ。

新聞の編集者で、現在は外国に滞在中のラヴィトーラには逮捕状が出され、イタリア警察が行き先を追っている。1日朝にすでに逮捕された実業家のジャンパオロ・タランティーニ(Giampaolo Trantini)とともに、ベルルスコーニをゆすったのではないかという嫌疑がかけられているのだ。

ベルルスコーニとの一夜を録音し、公開したことで有名な高級売春婦、パトリツィア・ダッダリオ(Patrizia D’Addario)とのスキャンダルに関わっていたタランティーニは、2009年当時、2008年の9月から2009年の1月にかけて、ローマとサルデーニャ島にあるベルルスコーニの家で行われたパーティに性的サービスを行う女性30人ほどを送り込んだことを認めていた。しかし、「彼女たちを自分のガールフレンドだと紹介した。自分が彼女たちに支払っていることをベルルスコーニには伝えなかった」と語っている。

ベルルスコーニ一族が経営権を握っている週刊誌『パノラマ』(“Panorama”)が伝えるには、ベルルスコーニ首相は一時金として50万ユーロ(約5,400万円)を、そして毎月、それよりは少ない額をタランティーニに支払い、若い女性たちが売春行為の対価として支払いを受けていたことをベルルスコーニは知らなかったと言い続けるように、またベルルスコーニにとって都合の悪くなる電話での内容を公表しないようにと、金の力でタランティーニに圧力をかけているに違いないと、ナポリ検察は睨んでいるそうだ。

ラヴィトーラに対し、イタリアの司法は、ベルルスコーニからタランティーニへの支払いの仲介を務め、しかもその一部を個人的に着服していた容疑をかけている。

・・・ということで、「レモン花咲く国」は、21世紀の今日、金とセックスにまみれているようです。ただし、横並びの国ではないのでしょうから、全員が、というわけではないと思います。ただ、誰もが、多少は、その傾向を持っているのかもしれないですが。

日本にいて、今、身近に感じるイタリア人と言えば、サッカーの日本代表を預るザッケローニ監督とコーチ陣。Jリーグと海外で活躍する日本人選手の試合は、すべて見ているそうです。また、毎週、どこかのスタジアムに足を運んで、直接、選手の動きを確かめてもいます。日本人監督よりも、勤勉なのではないかと思えてしまいますが、それだけカルチョ(サッカー)が好きだということなのでしょうし、監督やコーチに対する要求がそれだけ厳しいということなのでしょう。

また、新たな選手を見出すと、試合で使うことに躊躇せず。代表チームの監督はフランス語で“selectionneur”、つまり「選ぶ人」であって、各クラブ・チームの監督“entraîneur”、「鍛える人」とは当然仕事が異なります。試合のために、いかにベストのメンバーを選ぶか、いかにその時点でチーム・コンセプトに最もフィットする選手を選出するかが、代表監督の仕事。過去の実績や貢献度よりも、その時点で最も優れたプレーができる選手を見出す眼力が必要なのでしょうね。この点でも、さすが、カルチョの国の監督です。

財政赤字にもかかわらず、遊び呆けているイタリア本国の政治家は無視して、ザッケローニとコーチたちをぜひ応援したいものです。君と共に行かまし、2014年のブラジルへ!

「フランス」対「コカコーラ」、1サンチームをめぐるバトル。

2011-09-09 21:22:41 | 経済・ビジネス
フランスの伝統的文化を守ろうとする人々と、フランス社会へ侵入するアメリカ文明。両者の、『文明の衝突』とも言えるような戦いが、フランス国内において行われてきたことは、改めて紹介するまでもないですね。

例えば、対「マクドナルド」の戦い。

「1999年8月12日、農民同盟と市民のデモが「欧州が米国のホルモン肥育牛肉の輸入を禁止したことへの報復として、米国がフランス産のロックフォールチーズに対する制裁関税を課したことへの抗議」として、マクドナルドを「多国籍企業による文化破壊の象徴」に見立てて、ミヨー(Millau)に建設中だった店舗を破壊する。」(「ウィキペディア」)

主導したのは、ジョゼ・ボヴェ(José Bové)。1953年生まれの58歳。遺伝子組み換え作物への反対運動で注目を浴びるようになり、その後、マクドナルドの店舗破壊で、世界的に有名になりました。両親は、国立農業研究センター(INRA:Institut national de la recherche agronomique)の研究員で、ジョゼが3歳の時から3年間、カリフォルニア州立大学バークレー校に研究員として招聘されたため、ジョゼもアメリカに暮らしています。その影響か、英語は今でも流暢。バカロレアに優秀な成績で合格すると、グランゼコール進学クラスへ。しかし、アナーキズムに傾倒し、良心的兵役拒否の運動にかかわり、その後、農業の道へ。そこでは、農民組合活動に加わり、アメリカの遺伝子組み換え作物(OGM:organisme génétiquement modifié)に反対するようになりました。2007年の大統領選挙に立候補し、2009年からはヨーロッパ・エコロジー所属の欧州議会議員です。

ジョゼ・ボヴェ本人は反アメリカという気持ちはないのかもしれませんが、アメリカ企業がリードする遺伝子組み換え作物に反対し、アメリカ文化のシンボルの一つとも言えるマクドナルドを襲撃したことで、反米的な立場を取っているとどうしても見られてしまうことが多いようです。

他にもフランスでは、「英語」の侵略に対する戦い、アメリカ音楽や映画に対する戦いなど、さまざまな抵抗運動が行われてきました。結果は、言うまでもありませんが・・・

そして、今、「食」の分野で再び、対アメリカの戦いが行われています。

アメリカの「食」と言えば、マクドナルド以上にシンボリックな存在かもしれないのが、コカコーラ。アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の作品に描かれている、あの赤いカン、そしてペットボトルが世界中に行き渡っていますね。そのコカコーラとフランスの戦い・・・どのようなバトルが展開されているのでしょうか。8日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

8日、コカコーラの1,700万ユーロ(約18億5,000万円)の投資を停止するという決定に対し、労働組合のCGT、国会議員に続き、予算省が反対の声をあげた。コカコーラの決定は、フランス政府が発表した財政赤字対策の一環としての加糖飲料(boissons à sucres ajoutés)への増税に対する反発によるものだ。

8日午後、予算省は「コカコーラの決定は、経済的に残念なものであるが、加糖飲料1本当たり1サンチーム(約1.1円)の増税に伴う決定ではなく、国民の健康に資するために下されたものであろう。1サンチームの増税が飲料業界を危機に陥れるはずがない」と判断している。

フィヨン(François Fillon)首相が8月24日に発表した緊縮財政策の一環として、加糖飲料への新たな課税が含まれているが(アルコール飲料、タバコへの増税も含まれています)、その政策への反対をシンボリックに示そうと、コカコーラは8日、ブーシュ・デュ・ローヌ県(Bouches-du-Rhône:地中海に面した南仏、県庁所在地はマルセイユ)にあるコカコーラの工場における2012年の大規模投資を再検討することになったと、発表した。

1,700万ユーロの投資は、カンの生産ラインの改修に使われる予定で、ブーシュ・デュ・ローヌ県ペヌ・ミラボー(Penne-Mirabeau)市にある工場の40周年式典の行われる9月19日に公式に発表されるはずだった。「投資が取り消されたわけではない。ただ、増税によって不安定となった状況を再検討する必要がある」というコミュニケを、コカコーラは発表している。増税は、ここ数週間のうちに、社会保障の財源を確保する法改正案の一環として議会で検討されることになっている。コカコーラとしては、議会での採決結果を注意深く見守るつもりだ、と広報が語っている。

8日午後、ブーシュ・デュ・ローヌ県選出の二人の下院議員(与党・UMP所属)が、コカコーラの決定に反対する声をあげた。その一人、ヴァレリー・ボワイエ(Valérie Boyer)は、「コカコーラのまるで恫喝するかのような対応にひどいショックを受け、眉をひそめるばかりだ。その決定は、国民の健康問題と混同するべきではない。コカコーラは砂糖を含まない飲料の売り上げを伸ばす努力に集中することだってできるはずだ」と、述べている。

もう一人のベルナール・レイネス(Bernard Reynès)は、この脅しは到底受け入れ難い、と語っている。

労働組合、CGT(Confédération générale du travail)のコカコーラ支部は、不安な面持ちで状況を見つめている。「従業員たちは不安になっている。投資の再検討ということは、工場の将来にとって良いことではない。心配の種になる」と、コカコーラ組合の南仏代表は語っている。

コカコーラの決定は、7日夜、社内の会議で発表された。経営陣は、増税が正式に決定されるかどうか、議会での投票結果を待っているようであり、組合側は、その発表内容について自問自答をしている、「投資は増税案にプレッシャーをかけるために、単に延期されただけなのだろうか、それとも、本気で再検討する気なのだろうか」と。工場の40周年式典にはコカコーラ本社からジョン・ブロック(John Brock)会長が来ることになっていたが、それもキャンセルされており、従業員たちはいっそう不安に駆られている。

コカコーラの経営陣は、投資再検討という決定を次のように正当化している。「わが社を制裁し、わが社の製品を公然と非難するような税に対して象徴的に抗議したいと思っている。加糖飲料への批判、タバコなど他の製品との同一視に対する毅然とした反対を明確に表明したい。」

首相府は、太り過ぎへの戦いに必要不可欠だという理由から、今回の増税を正当化しており、1997年から2009年までに、フランス人の平均体重が3kg以上も増加したと背景を説明している。増税は2012年から実施に移される予定だが、実施されれば国庫にとって1億2,000万ユーロ(約130億円)の増収をもたらすことになるだろう。業界筋によれば、平均して1カン当たり0.01ユーロの値上がりになるだろうということだ。

第一次と第二次の両大戦間にフランスに進出したコカコーラは、フランス国内にある5か所の工場で合計3,000人の従業員を雇用している。ブーシュ・デュ・ローヌ県の工場は生産規模で第2位であり、203人を雇い、3つの生産ラインを稼働させている。コカコーラの発表したコミュニケによれば、向こう5年間で4,500万ユーロ(約49億円)の投資対象になっているとのことだ。

・・・ということで、にらみ合ったまま、フランス議会での投票結果を待つことになるものと思えたのですが、上記記事がアップされたのが、8日の17時58分。それから4時間余り、続報が掲出されました。「コカコーラ、投資の停止を否定する」・・・何があったのでしょうか。

「コミュニケーション・ミスだ」と、コカコーラは、財政緊縮案の一環としてフランス政府が計画している加糖飲料に対する増税に抗議するため、フランスにおける投資を再検討するとした8日午前発表の声明を打ち消し、それによって引き起こされた論争に慌てて終止符を打とうとした。テレビ局LCIとのインタビューで、コカコーラ・ヨーロッパのユベール・パトリコ(Hubert Patricot)会長は、コカコーラ・ヨーロッパはフランスにおける投資を計画通り実施する予定でおり、フランス市場に注力していくつもりだと、「コカコーラは社会的責任のある企業であり、フランスでは投資を引き続き行っていく」と述べた。

コカコーラのフランスにおける子会社は、8日朝、2012年にペヌ・ミラボー市の工場に予定していた1,700万ユーロの投資を再検討すると発表していた。

ユベール・パトリコ会長は、フランス政府による増税に感情的になったフランス法人が行った対応だと説明したが、かれ自身、改めて、加糖飲料に対する増税には反対だと語った。しかし、投資計画には何ら影響しないことも強調した。また、午前に発表されたコミュニケとは異なり、工場の40周年セレモニーは9月19日に予定通り行われ、コカコーラ本社のジョン・ブロック会長も出席すると、明言した。

・・・ということで、コカコーラ・フランスが引き起こした騒動は、たった1日でコカコーラ・ヨーロッパによって幕引きがなされました。コカコーラとして増税には反対であることを強調はしていますが、投資計画の再検討などは行わないと明言。企業としての経営判断なのか、裏で何らかの政治的力学が働いたのか・・・いずれにせよ、投資は行われ、工場閉鎖や工場移転といった心配は払拭されたかに見えます。

国内の雇用を守るためには、政・官・組合、一体となった反対運動を繰り広げるフランス。昨年だったでしょうか、ルノーが新工場をトルコに建設すると発表するや、なぜフランス国内ではないのかという批判の嵐。最後は、サルコジ大統領がカルロス・ゴーン会長を呼び付けて、フランス国内に建設することにさせてしまった、ということもあったと記憶しています。

個人主義でありながら、その連帯は強固であります。ここで、思い出すのは、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」という台詞です。わずか1年ほど前に日本の首相によって発せられた言葉ですが、今や紫煙のように消えてしまったようです。

“anosognosie”(病態失認)を理由に、出廷を拒むシラク前大統領。何が起きたのか?

2011-09-07 21:46:36 | 政治
議員に秘書はつきものですが、日本の国会議員の場合、公費で賄われる秘書は、政策秘書、公設第一秘書、公設第二秘書の三人。その給与を巡る公金流用事件が、時々指摘されてきました。実際、何人かの議員の名が取り沙汰され、中には辞職に追い込まれた議員、執行猶予付きの有罪判決を受けた議員もいました。名義貸しとも言われ、活動実態のない人を秘書登録し、その秘書給与を献金として受け取り、自らの活動費に回している議員は、かなりいるのではないかとも言われています。

政治家が考える錬金術は洋の東西を問わないのか、フランス政界でも同じような問題が裁判の場へと持ち込まれています。訴えられているのは、何と、シラク前大統領。パリ市長時代の市職員架空雇用(emplois fictifs)に関する嫌疑です。

シラク氏は1977年から95年までパリ市長を務めていましたが、同時に今日の与党・UMP(国民運動連合)の前身、RPR(共和国連合)の党首も兼ねていました。そこで、党の一部職員をパリ市が雇用した形にして、その給与をパリ市に支払わせていたとされる疑惑です。

架空雇用だとして、公金横領、背任の罪で起訴されているのですが、フランス大統領経験者が刑事事件で裁かれるのは、初めて! 当然のことながら、大きな注目となっています。当時の市長室長ら9人とともに起訴されているのですが、もし有罪になれば、禁錮10年、罰金15万ユーロ(約1,600万円)が科せられることになります。

裁判は今年3月に始まる予定でしたが、いったん延期。今月いよいよ始まったのですが、法廷に、肝心のジャック・シラクが姿を現さない。どうしたのでしょうか・・・3日の『ル・モンド』(電子版)が関係者や政界の反応を中心に伝えています。

ジャック・シラク(78歳)の公判が、9月5日にパリで始まったが、肝心のシラク前大統領は欠席した。そして、公判は今後、前大統領抜きで、継続されることになった。裁判所はジャック・シラクの病気のためという理由を受け入れ、また前大統領の代理を弁護士が務めることも容認した。「ジャック・シラクは今日、20年以上前のことを思い出せる状況にない」と弁護士は語っている。1時間余の討議を経て、第11小法廷の裁判長、ドミニク・ポート(Dominique Pauthe)は、容疑者の一人を欠いたままで公判を継続することを受け入れた。

『ル・モンド』が4日に公表したように、診断書によれば、シラク氏は、過去に関する質問に答えられないほどの脆弱な状態にある(病態失認という聞きなれない病名ですが、病気や麻痺があるにもかかわらず、自分は大丈夫と、その病気や麻痺を認識できない病気で、脳の認知中枢の損傷が原因だそうです。しかし、シラク前大統領の場合、過去を思い出せないということで、認知症の可能性も取り沙汰されています)。診断書を確認した、娘婿であるフレデリック・サラ=バルー(Frédéric Salat-Baroux)は、ジャック・シラクの健康状態はここ数カ月で急激に悪化しているようだ、と説明している。

とは言うものの、弁護士の公表した声明文によると、シラク前大統領は、パリの軽罪裁判所で今月5日から23日まで開かれる予定の公判に、弁護士が自分の代理として出席し、公判を継続してほしいと語っているそうだ(ということは、自分の病気を認識しているからこそ、代理出席を依頼している、と読めます)。しかし、シラク氏の弁護士、ジャン・ヴェイユ(Jean Veil)は8月末、もし裁判所がどうしてもと望むのであれば、シラク氏は出廷することになるかもしれないと述べていたのだが・・・

シラク氏抜きで公判を継続することになった、という事態の急転を受けて、関係者や政界からさまざまな意見が出されている。

・L’association anticorruption Anticor(反汚職団体・アンティコール)
パリ市の職員架空雇用と思われる件に関する裁判の損害賠償請求者である「アンティコール」は、3日、ジャック・シラクを出廷させるよう裁判所に求めた。「またぎりぎりの瞬間に策略がめぐらされた。目的は言うまでもなく、ジャック・シラクが被告として出廷しないで済むように、ということだ。理由は取ってつけたような逃げ口上であり、こんなにも遅くなって提出された理由だという事実が、その代理出席という要求の信頼性を失わせている」と、「アンティコール」の弁護を引き受けているジェローム・カルサンティ(Jérôme Karsenti)弁護士は語っている。

・元市長室長・レミー・シャルドン(Rémy Chardon)の弁護人、ジャン=イヴ・ルボルニュ(Jean-Yves Le Borgne)
ジャック・シラクがパリ市長当時の市長室長・シャルドンの弁護を引き受けているルボルニュ弁護士は、シラク氏抜きで行われる裁判に果たして意味があるのか、公正さが保てるのか自問している。「ジャック・シラク抜きで、他の9人、特に市長室のトップたちを裁けるのだろうか。私の発言する権限はどうなるのだろうか。大統領閣下、あなたが決めていた通りの契約書に私の依頼人がサインしたのはあなたの命令に従ってであることを認めますか、という質問が言えるのだろうか。」

右翼陣営からは、シラク前大統領の健康を気遣う声が多く出されている。

・ベルナール・ドゥブレ(Bernard Debré)
パリ選出の下院議員であり、医師のベルナール・ドゥブレは、民放ラジオ局・Europe1で、「ジャック・シラクとは数分なら話ができるだろうが、彼はいろいろ忘れているし、相手が誰かを必ずしも認識できていない。気泡の中にいるようなもので、さまざまな質問をぶつけることは、拷問に等しい。はたして、そこまでする必要があるのだろうか。これは良識の問題だ。老人が的外れな答えをしたり、質問の意味を理解するのに弁護士の助けが必要であったり、代わりに答えてもらったりするという悲惨なイメージを見せつけることになるだろう」と、語っている。

・ジャン=ピエール・ラファラン(Jean-Pierre Raffarin)
シラク大統領の下で首相を務めたジャン=ピエール・ラファランは、「この事件で、私を個人的に動揺させ、悲しませているのは、シラク大統領の健康状態だ。彼には大きな愛情を抱いており、彼の健康が損なわれているというのは、つらい知らせだ。ジャック・シラクは私に、裁判が結審してほしいと語っていた」と述べている。

・アラン・マルレックス(Alain Marleix)
下院議員であるアラン・マルレックスは、「ジャック・シラクをちょっと見かけたが、疲れているようだった。気の毒だ。大統領を12年も務め、その前に首相を何度か務め、いつも元気いっぱいだった。疲れ、消耗しているのだろう。大統領を務めた人を、裁判の被告席に座らせてはいけない」と語っている。

・ジャン=ミシェル・バイレ(Jean-Michel Baylet)
中道左派の左翼急進党(PRG:Parti Radical de Gauche)のバイレ党首は、「この裁判が欠かせないものなのか、どうしても必要なものなのか、確信が持てない。時代は変わった。ジャック・シラクが病気で、疲れ、これほどの裁判に耐えることができるような状態でないのなら、安寧を与えてあげるべきではないか」と述べている。

・クリスティアン・ジャコブ(Christian Jacob)
与党・UMPの下院幹事長のクリスティアン・ジャコブは、「ジャック・シラクの政治家としての意思は明確だ。裁判は結審まで行ってほしいと、彼はいつも望んでいる。その方針は変わらない。現在の彼の健康状態では、出廷することは難しく、弁護士が代理を務めることになるが、裁判を中止するなどということがあってはならない。代理出廷を依頼することは難しい決断だったが、彼は偉大なる責任感をもって決断した。しかし同時に、裁判が結審するまで続けられるよう、強固なる意思を示している」と述べている。

・・・ということなのですが、テレビのニュースが紹介していた映像によれば、シラク前大統領は、誰かに少し支えてもらわないと、一人ではしっかりと歩けないような状態です。歩幅も短く、よたよたした感じはぬぐえません。肉体的に、かなり齢を取った印象を強く与える映像でした。

また、しばらく前、社会党のフランソワ・オランド(François Hollande)前第一書記と一緒の折、多くの報道陣の前で、突然、選挙ではフランソワ・オランドを支持すると言い出しました。その時も上げた片手を側近でしょうか、脇にいた人に、まるで余計なことを言ったりするなといった感じで、押さえられていました。状況が正しく認識できていないのかもしれません。

78歳。長年、政界を生き抜いてきた・・・蓄積した疲労が、第一線を退いて、一気に出てしまったのかもしれませんし、緊張の糸がぷっつり、切れてしまったのかもしれません。

日本の政界では、かつて、スキャンダルなどの渦中に巻き込まれた政治家は、みな病院に逃げ込んだものです。また、都合の悪いことは、記憶から無くなってしまうものでした(「記憶にございません」)。フランスでは、病態失認になってしまうのかと、一瞬思ったのですが、ジャック・シラクの映像を見ていると、タイミングはあまりに良すぎるのですが、どうも本当に病気のように思えます。

もし、万一、これが芝居だとしたら、それこそ世紀の名演技なのでしょうが、たぶん、日本贔屓の前大統領の健康を素直に心配する方がよさそうです。

子どもは、いっさい公開しない・・・大統領夫人の決断。

2011-09-06 21:17:06 | 政治
サルコジ大統領夫人、カーラ・ブルーニ=サルコジ(Carla Bruni-Sarkozy)が妊娠中であることは、ドミニク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn)が逮捕された直後、大統領の父親の口から、それもドイツの新聞とのインタビューを通して公にされました。出産時期は、サルコジ大統領が再選を目指し、大統領選への出馬表明を行う予定になっている時期と重なり、しかも、当時、世論調査でぶっちぎりのトップを走っていたDSKが逮捕された直後というタイミングであったため、単純におめでたを祝う声とともに、何か裏があるのではないかと勘ぐる声も一部にありました。

少なくとも、子どもの誕生で出馬声明に花を添えよう、あるいは、生まれたばかりの子供を抱く映像で、支持拡大を狙うのではないか、といったことは想像するに難くない状況でした。

ところが、カーラ夫人が生まれてくる子供は、絶対に公の場に出さない、写真すら公表しないと発表しました。勘ぐり過ぎだったのか、勘ぐられていることを察知した大統領側の作戦変更なのか、あるいはカーラ夫人の母親としての純粋な希望なのか・・・

4日の『ル・モンド』(電子版)が、カーラ夫人の声明を伝えています。

サルコジ大統領夫人、カーラ・ブルーニ=サルコジは、生まれてくる子どもを決してメディアの目に触れさせない、その写真も公表しないと、4日夜、テレビ局・TF1の番組で語った。

「子どもを守るためなら、何でもするつもりです。全力で守り抜こうと思っています。子どもの写真は公表しませんし、子ども本人を公の場に出すことは絶対にありません。公の場に出してしまうこと、それは大人の勝手な判断だからです」と述べ、また、生まれてくる子どもが男なのか、女なのかは知らないとも、語った。

歌手で元モデルのカーラ夫人は、この秋、出産予定なのだが、来年4月(第1回投票)、5月(決選投票)の大統領選の数か月前というタイミングだ。サルコジ大統領は現在56歳。大統領職にありながら父親となるのは、フランス共和国の歴史で、初めての出来事になる。

「長男(註)は一度だけ公の場に出しました。それは公式行事ではなく、ペトラ(ヨルダンにある遺跡です)へ家族で出かけたプライヴェートな場でのことだったのですが、大きな過ちでした。いくら素晴らしい遺跡だからと言って、子どもを一緒に連れていくべきでなかった。カメラマンが待ち構えていることを考えておくべきだったのです。まったく迂闊でした」と、彼女は続けた。

(註)長男とは、2001年7月21日に生まれたオーレリアン(Aurélien)のことです。父親は、哲学教授で、ラジオやテレビの司会も務めているラファエル・アントヴァン(Raphaël Enthoven)。カーラ夫人は、当時、ラファエルの父親で文学編集者のジャン=ポール・アントヴァン(Jean-Paule Enthoven)と付き合っていたのですが、2000年頃から、息子のラファエルの方へ。ラファエルは、当時、結婚しており、夫人は作家のジュスティーヌ・レヴィ(Justine Lévy)。ラファエルとジュスティーヌはやがて、離婚。ジュスティーヌの父は、BHLこと、ベルナール=アンリ・レヴィ(Bernard-Henri Lévy)。作家・哲学者・エッセイスト・演出家など多くの顔を持つ著名な文化人で、ジャン=ポール・アントヴァンとは友人同士です。また、ラファエルの母親は、作家・ジャーナリストのカトリーヌ・ダヴィッド(Catherine David)。と、まあ、文化人が次々と出てくる華麗な相関図です。

カーラ夫人は自ら公式には妊娠を公表していないが、それは子どもを守りたいという母親の防衛本能のなせる技なのかもしれない。「子どもは展示するために産むのではないし、大統領夫人という立場から、いっそう防衛的な姿勢を取らざるを得ないのです」と、彼女は強調した。

彼女は、サルコジ大統領が再選へ向けて立候補するかどうかは分からないと語っているが、ニコラ・サルコジが変わったことは確かだと言っている。「大統領の職に就けば、誰でも変わらざるを得ないのでしょう。ニコラは老練になり、成熟し、より穏やかになりました」と、述べている。

DSKの件について尋ねられると、DSKが4日朝にパリへ戻る前に収録されたインタビューなので、「その件の結末がどうなるのかは、分かりません。ちょっとどう対応すべきか迷っています。男性優位主義的反応には単純に反対しました。私は、誰か特定の女性ではなく、女性一般の立場を擁護しています。女性たちが追い詰められ、攻撃される時、連帯の気持ちを強く感じます」と述べている。彼女は、DSK事件の渦中で、フランス政界から出された女性蔑視的発言に対し、性差別に反対するという声明に署名している。

・・・ということで、カーラ・ブルーニ=サルコジは、生まれてくる子どもを一切公の場には出さないと明言しています。ということは、その誕生を選挙に利用することはない、ということですね。この秋に生まれるという、あまりのタイミングの良さに、邪推が過ぎたのかもしれません。

また、サルコジ大統領が出馬するかどうかは分からない、と述べていますが、再選へ向けての出馬は政界・マスコミでは既定の事実。各種世論調査でも、与党・UMP(国民運動連合)の候補者は、常にニコラ・サルコジになっています。

その世論調査、最新のデータを4日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていましたので、概略をご紹介しましょう。

①社会党候補がフランソワ・オランド(François Hollande)の場合
  第1回投票:フランソワ・オランド=29%
        ニコラ・サルコジ=23.5%
        マリーヌ・ルペン=18.5%
  決選投票:フランソワ・オランド=59%
       ニコラ・サルコジ=41%

②社会党候補がマルティーヌ・オブリー(Martine Aubry)の場合
  第1回投票:マルティーヌ・オブリー=25%
        ニコラ・サルコジ=24%
        マリーヌ・ルペン=18.5%
  決選投票:マルティーヌ・オブリー=54%
       ニコラ・サルコジ=46%

③社会党候補がセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)の場合
  第1回投票:ニコラ・サルコジ=25%
        マリーヌ・ルペン=19%
        セゴレーヌ・ロワイヤル=17%

・・・ということで、社会党候補がセゴレーヌ・ロワイヤルなら勝てる、マルティーヌ・オブリーの場合は接戦、しかし、相手がフランソワ・オランドだと勝てそうにない。社会党もこうした世論調査を、どの程度かは分かりませんが、参考にするでしょうから、公認候補は前第一書記のオランドか現第一書記のオブリーになるでしょう。その時、サルコジ大統領は、どう戦うのか。どのような秘策を考えているのでしょうか。

作戦の一つが、生まれたばかりの子供を抱きかかえるニコラ・サルコジの映像だと考えられないこともなかったのですが、子どもは絶対に公の場に出さない、写真も公表しないと夫人が明確に語っていますので、現役大統領に子供が生まれるという共和国の歴史はじまって以来の快挙も追い風にはなりそうもありません。

では、老成し、成熟したというサルコジ大統領が、どのような戦略で再選を目指すのか、注目されますね。

ドキュメンタリー、『DSK、パリへ帰る』。

2011-09-05 21:37:27 | 政治
ソフィテル・ニューヨーク(Sofitel New York)の客室係の女性(Nafissatou Diallo)に対する性的暴行などの罪で起訴されていたドミニク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn:DSK)ですが、ニューヨーク高位裁判所で訴追取り下げが認められたのはご存知の通り(民事はまだ解決していませんが)。晴れて自由の身となり、取り上げられていたパスポートも返還されました。IMF(仏語表記ではFMI)スタッフへの挨拶も済ませ、後はいつフランスへ戻るのかという点に関心が集まっていました。

どのタイミングでフランスへ戻るのか、帰国後、フランス政界へ復帰することはありえるのか、復帰するとしたらどのような形でするのか、大統領選への立候補はあり得るのか、社会党が大統領選で勝利した場合、首相の座に就くことはあるのか・・・さまざまな憶測が飛び交っていました。

そのDSKがついに帰ってくる、という情報に、マスコミは大騒動。空港で待ち構え、帰国後の第一声を取らねば。もちろん、写真や映像も必須。空港だけでなく、パリの自宅でも待ち構えて、コメントをもらわねば・・・と、パパラッチも含めて、多くのジャーナリストが空港へ、自宅へと駆けつけました。

しかし、肝心のどの便で帰ってくるのかが、二転、三転。パリじゃないかもしれないという噂まで流れ、てんやわんや。DSKのご帰還をフランスのメディアはどう追ったのでしょうか・・・4日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

前IMF専務理事のDSKが妻のアンヌ・サンクレール(Anne Sinclair)とともに、4日朝、シャルル・ド・ゴール空港に到着した。

7時
50人ほどの報道陣がターミナル 2Eを埋め尽くした。他の客の出迎えにやってきた人たちとともに、到着便を示すパネルの前にたむろし、ロビーは大混乱。ターミナル・ビルの外にはCRS(Compagnies républicaines de sécurité;共和国保安機動隊)のトラックが10台ほども駐車している。誰もが準備態勢に入っている。DSKの帰国に関しては、数日前から、さまざまな噂が燎原の火のごとく押し寄せてきた。8月30日、社会党のオブリー(Martine Aubry)第一書記はカナル・プリュス(Canal+)のニュース番組で、DSKが数日のうちに戻ってくると語っていた。その3日後、『ル・フィガロ』(Le Figaro)紙がホームページで、DSKは4日、日曜日、朝8時35分着のエールフランス航空AF007便でニューヨークから帰ってくると発表。今月の3日から4日早朝にかけて、さまざまな情報が飛び交った。到着するのはパリではなく、ブリュッセルだという情報やジュネーヴだとする説まで聞こえてきた。4日朝7時の時点で唯一確かなことは、DSKとアンヌ・サンクレールが、土曜の夜、ニューヨークのJFK空港を飛び立ったということだ。

7時10分
新しい情報が入ってきた。DSKはAF007便より前の便に乗ったようだ。パリ到着は7時30分、あと20分後だ。ラジオ・フランス(Radio France)の記者が、誰に言うともなく、「DSKは間違いなく、この便に乗っている。外電が伝えている」と語った。そして、DSKの乗ったエールフランスのボーイング777機は予定より数分早く着陸した。

7時20分
報道陣のいるところから目と鼻の先、非常口の前に金属製の柵が設置され、15人ほどのCRS隊員が見張っている。報道陣は一挙にその柵の前に殺到、カメラマンたちは少しでも良い写真が撮れるようにと、椅子や脚立の上に立ってレンズを覗いている。CRSの中にも、小さなカメラを取り出して、撮影の準備をしている隊員が一人いる。「困った。DSKが出てくる可能性のある出口が2か所あるんだ」と、編集部との電話で叫んでいるジャーナリストもいる。

7時30分
DSKがその非常口から出てくるかどうか、まだ分からない。しかし、透明なガラス越しに、ターンテーブルのところでチェックインした荷物をピックアップしている乗客たちが見えた。その中の数人が、出口のすぐ外に人が集まっているのに気付いて、不思議そうに眺めている。非常口のドアは半開きだ。パリ空港公団(ADP:Aéroports de Paris)の職員が、トランシーバー(talkie walkie)を手に行ったり来たりしている。

7時35分
ガラス戸の後ろを、何かが通った。乗客たちはそれ以上進めなくなり、出口手前で渋滞している。突然、白髪の目立ち始めたDSKの髪が見えた。DSKは前に進み、他の乗客と話をしている。アンヌ・サンクレールは彼らの脇にいる。ロープが非常口まで張られている。

7時40分
カートを押しながら、そして口元に微笑みを絶やさず、DSKはガラス戸を通りぬけた。一斉にフラッシュが焚かれた。DSKは片手をあげて報道陣に挨拶をした。何人かのジャーナリストが呼びかけた。「ストロス=カンさん、コメントを! コメントをお願いします」。しかし、彼は何も答えず、先へ進んだ。そして、報道陣の方を振り返り、もう一度にっこりと微笑んだ。外では、クルマが一台、DSKを待っていた。夫人とともに、クルマに急いで乗り込んだ。何人かがその姿を写真に収めた。あとで語ったところによると、報道陣の中には、朝5時からそこで見張っていた人もいたそうだ。

7時45分
クルマは動き始めたが、大勢の報道陣に取り囲まれ、スムーズには進めない。その時、拍手が響き始めた。クルマの行き先は・・・DSKの自宅のあるヴォージュ広場(place des Vosges)だ。

8時20分
DSK夫妻はヴォージュ広場に到着した。そこでも報道陣が待ち構えていた。さらに、パラボラ・アンテナを取り付けた中継車数台が、DSKのコメントが取れるのではないかと準備万端で待っている。しかし、骨折り損だった。DSKの広報担当が報道陣にもう戻るようにと言った。与えられた唯一の情報は、DSKは必ずや声明を発表するが、それは今ではない。テレビ番組で行う、ということだ。問題は、いつ、どこで行うのか、だ。

多くの報道陣が、DSKの自宅前で長い間彼の帰りを待っていた。騒然とした雰囲気にいらついた近所の人が、「パパラッチは行った、行った。早くどこかへ行ってくれ。ここには何もないぞ」と罵ったが、騒動は始まったばかりだ。

・・・ということで、パリに戻って、DSKはほっとしているのでしょうが、報道陣や近所の人にとっては、これからが大騒動。将来に関する明確なコメントが得られるまでは、マスコミは追跡を続けるでしょうし、これだけスポットが当たっているDSKですから、夫人も含めて、行く先々でパパラッチに狙われることでしょう。

DSKとはまったく関係のない所で面白かったのが、エールフランスもボーイングを機材として採用していることです。すべてがエアバスかと思っていたのですが。ちょっと調べてみたところ、エールフランスが使用している機材、エアバス社製が75%、ボーイング社製が25%だそうです。アメリカに、気を使っているのでしょうか。因みに、JALとANAはほとんどすべての機材がボーイング社製。日米の絆は強固なものがあります。また、当初、DSKが乗るのではないかと言われていたのが、AF007便。まるで、ジェームズ・ボンドですね。

まったくピント外れのところで勝手に面白がってしまいましたが、肝心のDSK。今後、どのような道を歩むのでしょうか。あれだけ高い支持率を誇っていたのですが、今では政界復帰に否定的な世論の方が強くなっています。経済学の教鞭をとるため、教壇へ戻るのでしょうか・・・ただ一つ、確かだと思われるのが、回顧録の出版。民事訴訟の裁判の後で、必ずや回顧録を書いてくれるものと思います。どこまで真実が書かれるかは分かりませんが、首を長くして、忘れずに、待ちたいと思います。

ロマの人々をトラムに乗せて追放した。思い出すことは・・・

2011-09-04 20:54:29 | 社会
1日の『ル・モンド』(電子版)に、次のような書き出しで始まる記事が出ていました。

≪それはRATP(Régie autonome des transports parisiens:パリ交通公団)が上手く対応すれば巻き込まれずに済んだかもしれない出来事だ。それは思い出したくもない記憶を呼び起こすものだ。8月31日、パリ郊外、サン・ドニに居ついているロマ(Roms)の人々を追放しようとする警察のために、トラム(tramway)一連結が特別に用意されたと、ラジオ局・France Info.が伝えた。RATP側は当初その情報を否定していたが、やがて、駅の管理職が警察の要請を受け入れて一連結のトラムを用立てたことを認めた。警察は、セーヌ・サン・ドニ(Seine-Saint-Denis)の空き地に居ついていた100人ほどのロマを追い出そうとしていたのだ。

100人ほどの人々が警察の同行の下、列車に詰め込まれ、RER(Réseau express régional:地域急行鉄道網)のノワジー・ル・セック駅(Noisy-le-Sec:パリの東郊)へと運ばれた。世界の医師団は、子どもたちは親と引き離された、と語っている。RATPの広報によれば、警官たちは追放される人たちに10人ごとのグループに分かれてトラムに乗り込むよう指示したそうだ。数十人のロマの人々がラッシュアワーの時間帯に、かさばるバッグや、自転車、カートなどとともにトラムの駅に集合した、と県とRATPは説明している。≫

ここまでで、ある映画を思い出された方もいらっしゃることでしょう。最近、日本でも公開された、あるいは地域によっては今後公開予定のフランス映画、『黄色い星の子供たち』(原題は“La Rafle”:一斉検挙)・・・パンフレットは、次のように語っています。

“今、明かされる、フランス政府による史上最大のユダヤ人一斉検挙
 家族と引き裂かれながらも、
 過酷な運命を懸命に生きた子供たちの<真実>の物語

50年もの間、公式に認められなかった事件がある。1942年にフランス政府によって行われた、史上最大のユダヤ人一斉検挙だ。95年にシラク元大統領がフランス政府の責任を認めるまで、事件はナチスドイツによる迫害のひとつだと捉えられていた。歴史の陰に、知られざるもうひとつの暴挙が隠されていたのだ。いったいフランスは、何をしたのか?何と引き換えに、何を目的に、罪のない尊い命を差し出したのか──?”

第二次大戦中のフランスと言えば、レジスタンス。ドイツに抵抗するため、多くの国民が命も惜しまず戦った――そのようなイメージがありますが、実際には、この映画のように多くのユダヤ人を検挙し、フランス国内にあった強制収容所へ送ったり、そこからさらにアウシュヴィッツへ送ったりしました。例えば、モーリス・パポン(Maurice Papon)。ヴィシー政権下、ジロンド県で、1,560人のユダヤ人をドイツ当局に引き渡しました。戦後はパリ警視総監、下院議員、予算担当相などを歴任しましたが、後年、「人道に対する罪」で有罪判決を受けています。

そして、ユダヤ人移送は、列車によるものでした。貨車にぎゅうぎゅう詰めにされ、まるで家畜のように、運ばれて行きました。

長い間認めなかった真実、今でも忘れてしまいたい国民的記憶、それを思わず思い出させてしまうような出来事が行われたわけです。ユダヤ人がロマに、汽車がトラムに代わっただけで、やっていることは同じじゃないか・・・当然、非難の対象となります。

しかも、ロマの人々をトラムに乗せた駅が、ノワジー・ル・セック駅。パリ東郊にあるこの街は、第二次大戦中、レジスタンス活動の最も活発だった地域の一つで、特に1944年4月18日夜の空爆で有名です。ドイツ軍の輸送に利用される鉄道網を破壊しようと、イギリス空軍がこの駅を中心に空爆。その20分におよぶ爆撃で464人の住民が死亡し、370人が重傷を負いました。ただし、爆撃を前にBBC放送を通して暗号が送られていました・・・“les haricots verts sont secs”(サヤインゲンは乾燥している)。

では、どのような非難の嵐が巻き起こり、RATPなどの当事者はどのように対応しているのでしょうか。『ル・モンド』の続きを読んでみましょう。

「朝の8時半頃、トラムT1線担当の幹部は現場へ赴き、ロマの移送は難しそうで、またロマと同乗する一般乗客に迷惑がかかるだろうと、状況を把握した。そこで、混乱とダイヤの遅れを最小限に食い止めるため、RATPの現場担当者と警官たちは、追放されるロマを運ぶためにトラム一連結を別に用意することに同意したのだ」と、RATPの報道官は説明している。そして報道官は、「この決定は、運行をほぼ止めかねない緊急事態に直面した現場が行ったことだ」と、RATP自体の弁護に努めている。

こうした対応は、RATPの総裁とセーヌ・サン・ドニ県知事の間に激しいやり取りを引き起こした。「ロマの人々をトラムで移送するということは、警察が決めたことだ」とRATPのピエール・モンジャン(Pierre Mongin)総裁は不満を述べ、「トラムはそのような目的のために使われるものではなく、RATPはこの件に一切関与していない」と弁護に努め、一連の対応をまずいものだったと批判している。

一方、警察出身のセーヌ・サン・ドニ県知事、クリスティアン・ランベール(Christian Lambert)は、「県も警察もトラムを徴用しようとしたことは一切ない」と述べるとともに、「県は追加のトラムを依頼してはいない。トラム一連結を配置しようと決めたのはRATPの方だ。警官たちが移送を急いでいたのは事実だが、それは治安上の理由からだ」と説明している。

今回の対応は左翼の国会議員たちによって批判されている。ヨーロッパ・エコロジー・緑の党の全国書記、セシル・デュフロ(Cécile Duflot)は、「こうした措置は私たちの中にある忌まわしい記憶を思い起こさせる」と述べているが、参照として提示されたのは、1942年7月の一斉検挙だ。その時、13,000人のユダヤ人がバスでパリにある“Vélodrome d’Hiver”(冬の自転車競技場)に集められ、その後ナチの強制収容所に送られた。また、県議会議員のジル・ガルニエ(Gilles Garnier:フランス共産党)は県知事とRATP総裁に宛てた手紙の中で、「今回のような出来事は、学校で習ったことや映画のシーンを思い出させる」と嘆いている。

イル・ド・フランス地方圏(région Ile-de-France)の社会党議員団団長であるジャン=ポール・ユション(Jean-Paul Huchon)は、今回の措置は反人道的で野蛮なものだと批判し、県知事に全貌を明るみに出し、責任者に制裁を加えるよう求めた。そして、「今回の措置は、法の埒外で行われたもので、まさに暴力行為というべきものだ」とコミュニケで発表している。

労働組合“SUD-RATP”(SUDはsolidaire, unitaire et démocratiqueの略)の委員長は、トラムを利用した移送を非難し、ボビニー(Bobigny:パリの北東、ノワジー・ル・セック駅に近い)の駅が第二次大戦中、ユダヤ人の強制収容所移送に使われたことに言及するとともに、RATPが警察のために働く必要はない、「警察の行動は別の方法で行われるべきだ」と述べた。

こうした批判の声に、クロード・ゲアン(Claude Guéant)内相は、「我が国の歴史における最悪の部分と混同している」と反論し、「司法の決定に従い、自ら選んだ新たな場所へ自発的に出発する今回の件は、ショア(Shoah:ホロコースト)とは明らかに異なる」と述べている。内相によれば、ショアを今回のように一般化することは、最終的に、ホロコーストはなかったという否定論(négationnisme)を助長することになる、ということだ。

・・・ということで、保守・強硬派の内相はロマをトラムに乗せて追放することと、第二次大戦中のユダヤ人を列車で強制収容所に送ったことはまったく異なると言っていますが、映画やドキュメンタリーなどでアウシュヴィッツなどへ送られるユダヤ人の姿を見た記憶のある人なら、どうしても関連付けて考えてしまうのではないでしょうか。

パリ滞在中、“Les 11400 enfants juifs deportés de France”(フランスから強制収容所へ送られた11,400人のユダヤの子供たち)という展示会をパリ市庁舎で見ました。収容所で着せられたあの縞模様の服、胸に付けさせられたユダヤの星のワッペン、粗末な食器、連行されるときに手にしていた鞄・・・詳細は『50歳のフランス滞在記』(2007年4月14日)で紹介していますが、あの写真の子供たちと同じように、今、ロマの子供たちが親と引き離されて、トラムに乗せられて行く。最後の行き先は強制収容所ではなく、かつて住んでいた東欧の国だったりするのでしょうが、しかし、ユダヤの子供たちの姿とダブってしまいます。

右傾化、不寛容がヨーロッパを覆い始めているかのようですが、杞憂に終わることを願っています。ヨーロッパの知恵に、期待しています。

教員の削減、道徳教育の復活・・・フランス教育界は、どこへ行く?

2011-09-03 23:12:25 | 社会
「道徳の時間」と言われて、どのようなことを思い出しますか。挨拶をきちんとしましょう、食べる前には、いただきますと言いましょうといったことから、偉人伝に見られる勤勉さ、勇気。そして、校庭に二宮尊徳の像が立っている小学校で学んだ方は、薪を背負いながら本を読んで勉強している金次郎さんのことを思い出すかもしれません。

二宮尊徳。1789-1856、小田原生まれの農政家。報徳思想に基づく農村復興政策を行ったそうですが、働きながらも好きな勉強を続けたその姿が、1900年に「修身教典」に、1904年に「尋常小学修身書」に採用され、その像は1932年から33年にかけて建立されたそうです。しかし、戦後GHQによって否定されましたが、50年代になって、「道徳」の教材として復活したとか。

今、その「道徳」は小・中学校で必須科目になっており、年間35単位時間(小学校は45分、中学校は50分)学ぶことになっているそうです。毎週1単位時間ですね。今は、どのようなことを学んでいるのでしょうか。なお、県立高校でも「道徳」の授業を行っているのは、茨城、埼玉、千葉の3県のみだとか。

こうした「道徳」の授業は、欧米各国には見られず、フランスでも「道徳」の授業はありません。ただし、中学(collège)で歴史・地理(histoire-géographie)の授業の一環として、公民教育(éducation civique)が行われており、高校(lycee)では公民・司法・社会教育(éducation civique, juridique et sociale:ECJS)が行われています。公民教育とは言え、少しは道徳に近いニュアンスもあるのかもしれませんね。

しかし、今日のフランスの教育環境は・・・ドラッグ、ナイフ、暴力。問題山積です。生徒たちにモラルをしっかり植え付ける必要があるのではないか。モラル教育を、教育の現場に。そうした声が出てきているようです。

そこで、国民教育相のリュック・シャテル(Luc Chatel)がモラルの授業を復活させようという通達を出すようです。8月31日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

国民教育相のリュック・シャテルは、31日のAujourd’hui en France / Le Parisien紙とインタビューで、道徳の授業(les leçons de morale)を小学校で復活させたい、そのことを大臣通達で伝えると述べた。

道徳の授業の復活に関する読者の質問に答えて、大臣は、「道徳を学校の授業に復活させようと思っている。9月1日に出される通達は小学校の全てのクラスに適用されるものだ。必ず毎朝というわけではないが、できる限り頻繁に、教師たちはクラスで、朝の数分を使って、哲学的議論や道徳に関する意見交換を行うことになる」と語った。大臣はまた、テーマとして「何が正しく、何が間違っているのか、ルールの尊重、勇気、率直さ、プライバシーの尊重」などを挙げている。この活動によって、教師たちはいくつかの価値観を児童たちに示すことになる。

9月1日に新学年の記者会見を行うことになっている大臣は、1968年以降の公民教育(l’éducation civique)の廃止を大いなる過ちだと見做し、バカロレアに科目の一つとして「公民」を加えることに賛成だと述べている。一方、教員の削減という新学期における大きな論争についてはほとんど質問されなかった。大臣は、今年、幼稚園と小学校の教員16,000人を削減すると発表している。

このテーマに関して、シャテル国民教育相は「今日の教育現場における問題は、量よりも質だ」と反論している。2007年から2010年までに5万人が削減され、今年度は16,000のポストが失われ、来年は14,000人が削減される予定。合計8万人だ。教員組合、PTA、政党に関わらず多くの地方議員がこの政策に関して激しく抗議している。

・・・ということで、荒れる学校を「道徳」教育で正常化しようということのようです。

エミール・デュルケーム(Emile Durkheim)というフランスの社会学者がいました。1858-1917。総合社会学の提唱者、現代社会学の創始者と言われています。この学者に、1902-03年にソルボンヌで行った講義を死後にまとめた『道徳教育論』(“L’éducation morale”)という本があります。世俗教育の進展に伴い、道徳教育の根拠を神から社会に置き換え、中心に義務(devoir)と善(bien)を置きました。

「デュルケームによれば、子供の心理特性には、習慣に固執する、暗示にかかりやすい、といったものがある。子供は、いったん獲得した習慣を容易に放棄しないが、暗示によって新しい習慣を獲得したならば、今度はその新しい習慣に固執し、生活習慣の形成にも役立つという。このような道徳教育は、学童期が最適であるとした。」(ウィキペディア)

そこで、小学校における道徳教育を通して、問題を起こさない、つまり権力者にとって御しやすい人間に育ててしまおうということなのでしょうか。その授業を担当するのは、小学校の教員。しかし、そのポストが毎年大きく削減されている。これで、はたして、充実した道徳教育ができるのでしょうか。他国のこととはいえ、心配になってしまいます。それとも、道徳教育の次には、鞭打ちなどの体罰まで復活させるのでしょうか。

目標人数を決めての不法移民の国外追放、合法移民の削減、ブルカ・ニカブなど全身を覆うベールの公的スペースでの着用禁止など、対外的に強硬な姿勢を取っているフランスの現政権。学校教育の現場でも、強硬な、保守的な政策を押し進めるのでしょうか。それとも、そこまでしないと抑えられないほど、学校が荒れてしまっているのでしょうか・・・

KANからNODAへ。フランス・メディアが伝える、日本の首相交代。

2011-09-02 22:05:42 | 政治
首相の親任式、閣僚の認証式が終わり、野田内閣が正式に発足しました。もともと外交面では影の薄い日本の首相、そこに頻繁な内閣の交代が加わり、名前も覚えてもらえないことさえあるようです。日本の首相はこれで何人目か、という質問に答えられない海外の報道官もおり、また、あなたで何人目よと外国のパートナーに言われた外相も少し前にいました。

「これでは外交にイニシアチブが持てない」と語る『イタル・タス通信』の記者、「日本の政治記事を出稿しても、読者の反応が鈍い」と述べる『タイムズ』誌の記者・・・では、フランスのメディアは日本の首相交代をどのように伝えているのでしょうか。

『ル・モンド』(電子版)の8月26日、29日、30日に出ていた記事を読んでみましょう。それぞれに重なる部分、全く同じ文章も出てきますが、そこがフランス人記者の重視している部分、強調したい点なのかもしれません。

まずは、菅前首相の退陣報道(26日)から。

日本の菅直人首相が26日、政権与党である民主党(PDJ:Parti démocrate du Japon)の代表を辞任することを発表した。その辞任は、同時に、首相の座から降りることも意味している。

「新代表が選出されたなら、速やかに退陣し、内閣も総退陣する」と、民主党の議員たちを前に述べた。岡田幹事長は、後任の代表を選ぶ選挙を29日午前に行うことを確認した。新代表が翌30日、国会で新首相に選ばれることになる。

日本では、現在のように参議院で野党が多数派であっても、衆議院の多数派の党首が首相に選ばれることになっている。

菅氏(64歳)は、2010年6月に首相に就任したが、長期にわたり野党からはもちろん、与党内からも批判を受け続け、ついにタオルを投げたことになる。東日本沿岸に甚大な被害を及ぼすとともに、福島原発の重大な事故を引き起こした3月11日の巨大地震と津波による災害への対応が遅く、効率的でないと批判を受け、世論の支持率は最低水準にまで落ち込んでいた。

菅氏はついに辞任に追い込まれたわけだが、すでに6月、自らの手で成立させたい重要三法案が成立したなら辞任すると約束していた。その三法案、被災地復興のための二次補正予算は7月に成立し、赤字国債の発行を認める特例公債法案と再生可能エネルギー固定価格買い取り法案も26日に成立した。

後継候補としては、世論調査で最も人気の高い前原前外相(49歳)、現在5%の消費税率をアップさせることに賛成の野田財務相(54歳)が挙げられている。

菅首相の辞任発表を受けて、東京証券取引所の株価平均は0.29%変動しただけで、パニックに陥ることはなかった。

二つ目の記事(29日)は、野田氏が民主党の党代表に選ばれたことを伝えています。

財務相の野田佳彦氏が29日、民主党の新代表に選ばれ、30日に国会で首相に選出されることになる。野田氏は財政規律を重視する54歳で、党代表選の決選投票では392票のうち215票を獲得し、177票だった経産相の海江田万里氏を破った。

日本では、下院(衆議院)の第一党党首が首相になる。従って、野田氏が30日に正式に首相に選ばれることになる。野田氏は財政赤字の問題を解決するために痛みを伴う改革を行うことを公約に掲げており、その新代表選出は市場に好感をもって受け止められている。野田氏は演説で、3月11日の地震と津波により大きなダメージを受けた日本の課題を解決するために党内一体となった支援を期待すると述べた。「福島原発の問題を解決し、被災地を再興し、円高とデフレと闘うためには、全員野球で取り組む必要がある」と、語っている。

東北地方の再興は後れをとっており、福島原発の危機はまだ解消されておらず、数万人の被災者は避難施設や仮設住宅でどうにか日々を過ごしている状態だ。今回の災害は、GDPの二倍にも上る債務、行き過ぎた円高、高齢化に伴う社会保障費の増大に苦しむ日本経済を再びリセッションに陥れている。

格付け会社ムーディーズ(Moody’s)は、日本の長期国債格付けのAa3への引き下げの一因が政治の不安定にあることを認めている。この格下げは、永田町から忘れ去られていると思っている被災者たちをも憤慨させている。

そして、最後は、組閣についてです(30日)。

日本の野田佳彦新首相は、財務相に仙谷由人氏または岡田克也氏を指名しようとしているようだと、民主党内の情報源が伝えている。仙谷氏は元官房長官であり、岡田氏は元外相だ。

前財務相である野田氏は、財政規律重視派であり、辞任した菅氏に代わる新首相に国会で指名された。

54歳の野田新首相は、この5年で6人目の首相であり、民主党が第一党である衆議院で475票中308票を獲得して、首相に指名された。

参議院は自民党を中心に野党が多数派を占めているが、憲法の定める衆議院議決優越により、衆議院多数派の党首が首班に示されることになる。野田氏は29日、2年前から権力の座位にある中道左派・民主党の新党首に選ばれており、国会で首相に指名されることは既成の事実であった。

一方、最低の支持率に陥っていた菅内閣は、30日朝、総辞職した。退任した前首相は、東日本で2万人以上の死者・不明者を出し、福島原発の大惨事を引き起こした3月11日の地震と津波への対応を批判されていた。

新首相は、第二次世界大戦以降、最も悲惨な災害に直面し、大きな赤字を抱え、高齢化が社会保障費に大きな負担となっている国の運営を任されたのであり、容易ならざる課題に対応することになる。

野田氏は、課題に取り組むにあたって、民主党全員の支持、野党の協力を求めたいと述べた。「日本は存亡の機にある。原発問題を解決し、震災地を再興する必要があり、しかも重大な経済危機に直面している」と、語っている。世界第三位の経済大国は、再びリセッションに陥り、円高が輸出の足を引っ張っている。

・・・ということで、原発問題、被災地の再興、大きく膨らんだ債務、高齢化による社会保障費の増大、そして円高。こうした問題に野田新首相は取り組まねばならず、その前途は厳しいものがあるようです。しかし、少なくとも党内融和をカタチの上では実現することができたようで、後方から弾を打たれることは、しばらくはないようです。

また、野党側も、公明党など矛を収めつつ党もあり、船出は順調なようです。しかし、ここまでは、腰の低さと、人事の成果で無難な船出となっていますが、先行きには、消費税率、TPP、マニフェスト見直し、円高対策、靖国問題など、対応を誤れば火を噴きかねないテーマが待ち受けています。

一年後、6年で7人目の首相とならないよう、ぜひ慎重に、それでいて果断な政権運営を行っていただきたいと思います、というか、願わずにはいられません。国内の混乱はもちろんですが、外交で日本の影がこれ以上薄くなるのを見るのは、つらいものがあります。