ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

ロマの人々をトラムに乗せて追放した。思い出すことは・・・

2011-09-04 20:54:29 | 社会
1日の『ル・モンド』(電子版)に、次のような書き出しで始まる記事が出ていました。

≪それはRATP(Régie autonome des transports parisiens:パリ交通公団)が上手く対応すれば巻き込まれずに済んだかもしれない出来事だ。それは思い出したくもない記憶を呼び起こすものだ。8月31日、パリ郊外、サン・ドニに居ついているロマ(Roms)の人々を追放しようとする警察のために、トラム(tramway)一連結が特別に用意されたと、ラジオ局・France Info.が伝えた。RATP側は当初その情報を否定していたが、やがて、駅の管理職が警察の要請を受け入れて一連結のトラムを用立てたことを認めた。警察は、セーヌ・サン・ドニ(Seine-Saint-Denis)の空き地に居ついていた100人ほどのロマを追い出そうとしていたのだ。

100人ほどの人々が警察の同行の下、列車に詰め込まれ、RER(Réseau express régional:地域急行鉄道網)のノワジー・ル・セック駅(Noisy-le-Sec:パリの東郊)へと運ばれた。世界の医師団は、子どもたちは親と引き離された、と語っている。RATPの広報によれば、警官たちは追放される人たちに10人ごとのグループに分かれてトラムに乗り込むよう指示したそうだ。数十人のロマの人々がラッシュアワーの時間帯に、かさばるバッグや、自転車、カートなどとともにトラムの駅に集合した、と県とRATPは説明している。≫

ここまでで、ある映画を思い出された方もいらっしゃることでしょう。最近、日本でも公開された、あるいは地域によっては今後公開予定のフランス映画、『黄色い星の子供たち』(原題は“La Rafle”:一斉検挙)・・・パンフレットは、次のように語っています。

“今、明かされる、フランス政府による史上最大のユダヤ人一斉検挙
 家族と引き裂かれながらも、
 過酷な運命を懸命に生きた子供たちの<真実>の物語

50年もの間、公式に認められなかった事件がある。1942年にフランス政府によって行われた、史上最大のユダヤ人一斉検挙だ。95年にシラク元大統領がフランス政府の責任を認めるまで、事件はナチスドイツによる迫害のひとつだと捉えられていた。歴史の陰に、知られざるもうひとつの暴挙が隠されていたのだ。いったいフランスは、何をしたのか?何と引き換えに、何を目的に、罪のない尊い命を差し出したのか──?”

第二次大戦中のフランスと言えば、レジスタンス。ドイツに抵抗するため、多くの国民が命も惜しまず戦った――そのようなイメージがありますが、実際には、この映画のように多くのユダヤ人を検挙し、フランス国内にあった強制収容所へ送ったり、そこからさらにアウシュヴィッツへ送ったりしました。例えば、モーリス・パポン(Maurice Papon)。ヴィシー政権下、ジロンド県で、1,560人のユダヤ人をドイツ当局に引き渡しました。戦後はパリ警視総監、下院議員、予算担当相などを歴任しましたが、後年、「人道に対する罪」で有罪判決を受けています。

そして、ユダヤ人移送は、列車によるものでした。貨車にぎゅうぎゅう詰めにされ、まるで家畜のように、運ばれて行きました。

長い間認めなかった真実、今でも忘れてしまいたい国民的記憶、それを思わず思い出させてしまうような出来事が行われたわけです。ユダヤ人がロマに、汽車がトラムに代わっただけで、やっていることは同じじゃないか・・・当然、非難の対象となります。

しかも、ロマの人々をトラムに乗せた駅が、ノワジー・ル・セック駅。パリ東郊にあるこの街は、第二次大戦中、レジスタンス活動の最も活発だった地域の一つで、特に1944年4月18日夜の空爆で有名です。ドイツ軍の輸送に利用される鉄道網を破壊しようと、イギリス空軍がこの駅を中心に空爆。その20分におよぶ爆撃で464人の住民が死亡し、370人が重傷を負いました。ただし、爆撃を前にBBC放送を通して暗号が送られていました・・・“les haricots verts sont secs”(サヤインゲンは乾燥している)。

では、どのような非難の嵐が巻き起こり、RATPなどの当事者はどのように対応しているのでしょうか。『ル・モンド』の続きを読んでみましょう。

「朝の8時半頃、トラムT1線担当の幹部は現場へ赴き、ロマの移送は難しそうで、またロマと同乗する一般乗客に迷惑がかかるだろうと、状況を把握した。そこで、混乱とダイヤの遅れを最小限に食い止めるため、RATPの現場担当者と警官たちは、追放されるロマを運ぶためにトラム一連結を別に用意することに同意したのだ」と、RATPの報道官は説明している。そして報道官は、「この決定は、運行をほぼ止めかねない緊急事態に直面した現場が行ったことだ」と、RATP自体の弁護に努めている。

こうした対応は、RATPの総裁とセーヌ・サン・ドニ県知事の間に激しいやり取りを引き起こした。「ロマの人々をトラムで移送するということは、警察が決めたことだ」とRATPのピエール・モンジャン(Pierre Mongin)総裁は不満を述べ、「トラムはそのような目的のために使われるものではなく、RATPはこの件に一切関与していない」と弁護に努め、一連の対応をまずいものだったと批判している。

一方、警察出身のセーヌ・サン・ドニ県知事、クリスティアン・ランベール(Christian Lambert)は、「県も警察もトラムを徴用しようとしたことは一切ない」と述べるとともに、「県は追加のトラムを依頼してはいない。トラム一連結を配置しようと決めたのはRATPの方だ。警官たちが移送を急いでいたのは事実だが、それは治安上の理由からだ」と説明している。

今回の対応は左翼の国会議員たちによって批判されている。ヨーロッパ・エコロジー・緑の党の全国書記、セシル・デュフロ(Cécile Duflot)は、「こうした措置は私たちの中にある忌まわしい記憶を思い起こさせる」と述べているが、参照として提示されたのは、1942年7月の一斉検挙だ。その時、13,000人のユダヤ人がバスでパリにある“Vélodrome d’Hiver”(冬の自転車競技場)に集められ、その後ナチの強制収容所に送られた。また、県議会議員のジル・ガルニエ(Gilles Garnier:フランス共産党)は県知事とRATP総裁に宛てた手紙の中で、「今回のような出来事は、学校で習ったことや映画のシーンを思い出させる」と嘆いている。

イル・ド・フランス地方圏(région Ile-de-France)の社会党議員団団長であるジャン=ポール・ユション(Jean-Paul Huchon)は、今回の措置は反人道的で野蛮なものだと批判し、県知事に全貌を明るみに出し、責任者に制裁を加えるよう求めた。そして、「今回の措置は、法の埒外で行われたもので、まさに暴力行為というべきものだ」とコミュニケで発表している。

労働組合“SUD-RATP”(SUDはsolidaire, unitaire et démocratiqueの略)の委員長は、トラムを利用した移送を非難し、ボビニー(Bobigny:パリの北東、ノワジー・ル・セック駅に近い)の駅が第二次大戦中、ユダヤ人の強制収容所移送に使われたことに言及するとともに、RATPが警察のために働く必要はない、「警察の行動は別の方法で行われるべきだ」と述べた。

こうした批判の声に、クロード・ゲアン(Claude Guéant)内相は、「我が国の歴史における最悪の部分と混同している」と反論し、「司法の決定に従い、自ら選んだ新たな場所へ自発的に出発する今回の件は、ショア(Shoah:ホロコースト)とは明らかに異なる」と述べている。内相によれば、ショアを今回のように一般化することは、最終的に、ホロコーストはなかったという否定論(négationnisme)を助長することになる、ということだ。

・・・ということで、保守・強硬派の内相はロマをトラムに乗せて追放することと、第二次大戦中のユダヤ人を列車で強制収容所に送ったことはまったく異なると言っていますが、映画やドキュメンタリーなどでアウシュヴィッツなどへ送られるユダヤ人の姿を見た記憶のある人なら、どうしても関連付けて考えてしまうのではないでしょうか。

パリ滞在中、“Les 11400 enfants juifs deportés de France”(フランスから強制収容所へ送られた11,400人のユダヤの子供たち)という展示会をパリ市庁舎で見ました。収容所で着せられたあの縞模様の服、胸に付けさせられたユダヤの星のワッペン、粗末な食器、連行されるときに手にしていた鞄・・・詳細は『50歳のフランス滞在記』(2007年4月14日)で紹介していますが、あの写真の子供たちと同じように、今、ロマの子供たちが親と引き離されて、トラムに乗せられて行く。最後の行き先は強制収容所ではなく、かつて住んでいた東欧の国だったりするのでしょうが、しかし、ユダヤの子供たちの姿とダブってしまいます。

右傾化、不寛容がヨーロッパを覆い始めているかのようですが、杞憂に終わることを願っています。ヨーロッパの知恵に、期待しています。