Jacques Delors(ジャック・ドロール)・・・懐かしい名前です。1985年から94年までの10年間、欧州委員会(la Commission européenne)の委員長でした(1993年11月1日以前は欧州経済共同体、それ以降は欧州共同体)。そのポストに就任する前には、蔵相などを務め、時のミッテラン大統領と国民の人気を二分する政治家でした。
最近では、寡聞にして、マルティーヌ・オブリー(Martine Aubry)社会党第一書記の父親という形で目にしたり、耳にしたりすることがある程度でしたが、政治の場への登場が久しぶりにメディアを通して伝えられました。
1月28日、欧州議会・ドイツ緑の党グループがベルリンで開いたヨーロッパの未来に関する講演会に、昨年に続いて出席し、講演したそうです。この欧州議会・ドイツ緑の党の委員長は、かつて「五月革命」の指導者のひとりであった、「赤毛のダニー」ことダニエル・コーン=ベンディット(Daniel Cohn-Bendit)です。
この講演会でジャック・ドロールが語ったことは・・・1月30日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
前EU競争政策担当委員のマリオ・モンティ(Mario Monti)に続いて、ジャック・ドロールが登壇した(ジャック・ドロール、マリオ・モンティ、ダニエル・コーン=ベンディットは連邦主義をめざすgroup Spinelli(スピネッリ・グループ)を支援する仲です)。
ジャック・ドロールは、現在のヨーロッパ各国首脳たちが欧州の未来に対する明確なビジョンを提示できておらず、新しい欧州の建設者というより問題の火消し役になっていることを残念がった。
この点は会場に集まった聴衆も同意見なのだが、続いてドイツにおいて同意を得られないような意見も述べている。
まずは、メルケル首相とサルコジ大統領が、リスボン条約に基づき、欧州理事会(le Conseil)のファンロンパウ議長(Hermann von Rompuy)を重用し、欧州委員会(la Commission)のバローゾ委員長(Jose Manuel Barroso)を若干ないがしろにしている点であり、ジャック・ドロールはこの欧州委員会委員長への軽視に対し激しく異を唱えた。
ジャック・ドロールは直接的ではないにしろリスボン条約とは距離を置いており、この条約によって欧州理事会と欧州議会(le Parlement)に重要性が移り、欧州委員会は諮問機関的役割になってしまっていることを残念がっている。しかも、ファンロンパウ議長の経験、力量は認めるにせよ、リスボン条約が規定している見えざる指揮者(chef d’orchestre invisible)としてのその役割については批判している。
もう一点は、ドイツ政府への直接的批判だ。メルケル首相が「強化された協力」(coopération renforcée)の積極的運用を受け入れないことについて批判している。「強化された協力」により、EUの全加盟国による全会一致がなくとも、少なくとも9カ国以上の国がまとまれば、施策の導入ができるのだが、ドイツはフランスとは異なり、EUの経済・財政に関する改革はあくまで27カ国が揃う理事会で取り決めるべきだと主張している(この「強化された協力」が初めて適応されたのは、国際結婚した夫婦が離婚する際に、どこの国の法律に従うかを当事者が選択することができるという規則の導入で、14カ国が推進しています)。
ジャック・ドロールは、この「強化された協力」というシステムがなければ、シェンゲン条約も統一通貨「ユーロ」も日の目を見なかっただろう、と指摘している。しかし同時に、加盟国の赤字を分散させるEU救済基金の創設に対するドイツの反対には支持を表明している。ジャック・ドロールは、過去の負債を支払うためではなく、未来への投資のためならEUが財政赤字を増やすことにも賛成だと述べている。
そして最後に、ジャック・ドロールはトルコのEU加入に反対するドイツとフランスの態度を非難した。交渉を始める前からノンと言うべきではない。微妙な問題であることは分かるが、トルコがEUに加入することは文明を破壊する側に過失があることを認めさせることになるのだ。またトルコの加入は、行き詰っているキプロス問題の解決にもつながる。キプロス問題を国連に委ねるなど、ヨーロッパにとってなんと恥ずべきことか。
こうしたジャック・ドロールの発言は、新たなヨーロッパ像を模索する聴衆たちから喝采を浴びた。
・・・ということなのですが、未来へ向けた新たなビジョン。求められているのはヨーロッパだけではありません。日本こそ、それを必要としています。どこへ向かって進めばよいのか。それが見えないから、なかなかはじめの一歩が踏み出せずにいる。失われた10年が、気がつけば、失われた20年になっている。それでも、まだ歩き始められずにいる。ゴールはどこだ。どこへ向かって歩み出せばよいのだ。
新しいビジョンが求められている。しかし、同時に、目の前の問題も解決しなくてはいけない。それが、政治。政治家の務めです。将来像を語っているだけでは、まるで獏。夢、目標がないと、生き生きとした人生を送れない。しかし、夢だけでは、食べていけない。はっきりとゴールを定め、そこへたどり着くために一歩、一歩目の前の障害物を取り除いて行く。そんな政治家の登場が待たれます。平成の坂本龍馬の登場が待たれる所以なのではないでしょうか。失われた30年にならないことを願っています。
最近では、寡聞にして、マルティーヌ・オブリー(Martine Aubry)社会党第一書記の父親という形で目にしたり、耳にしたりすることがある程度でしたが、政治の場への登場が久しぶりにメディアを通して伝えられました。
1月28日、欧州議会・ドイツ緑の党グループがベルリンで開いたヨーロッパの未来に関する講演会に、昨年に続いて出席し、講演したそうです。この欧州議会・ドイツ緑の党の委員長は、かつて「五月革命」の指導者のひとりであった、「赤毛のダニー」ことダニエル・コーン=ベンディット(Daniel Cohn-Bendit)です。
この講演会でジャック・ドロールが語ったことは・・・1月30日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
前EU競争政策担当委員のマリオ・モンティ(Mario Monti)に続いて、ジャック・ドロールが登壇した(ジャック・ドロール、マリオ・モンティ、ダニエル・コーン=ベンディットは連邦主義をめざすgroup Spinelli(スピネッリ・グループ)を支援する仲です)。
ジャック・ドロールは、現在のヨーロッパ各国首脳たちが欧州の未来に対する明確なビジョンを提示できておらず、新しい欧州の建設者というより問題の火消し役になっていることを残念がった。
この点は会場に集まった聴衆も同意見なのだが、続いてドイツにおいて同意を得られないような意見も述べている。
まずは、メルケル首相とサルコジ大統領が、リスボン条約に基づき、欧州理事会(le Conseil)のファンロンパウ議長(Hermann von Rompuy)を重用し、欧州委員会(la Commission)のバローゾ委員長(Jose Manuel Barroso)を若干ないがしろにしている点であり、ジャック・ドロールはこの欧州委員会委員長への軽視に対し激しく異を唱えた。
ジャック・ドロールは直接的ではないにしろリスボン条約とは距離を置いており、この条約によって欧州理事会と欧州議会(le Parlement)に重要性が移り、欧州委員会は諮問機関的役割になってしまっていることを残念がっている。しかも、ファンロンパウ議長の経験、力量は認めるにせよ、リスボン条約が規定している見えざる指揮者(chef d’orchestre invisible)としてのその役割については批判している。
もう一点は、ドイツ政府への直接的批判だ。メルケル首相が「強化された協力」(coopération renforcée)の積極的運用を受け入れないことについて批判している。「強化された協力」により、EUの全加盟国による全会一致がなくとも、少なくとも9カ国以上の国がまとまれば、施策の導入ができるのだが、ドイツはフランスとは異なり、EUの経済・財政に関する改革はあくまで27カ国が揃う理事会で取り決めるべきだと主張している(この「強化された協力」が初めて適応されたのは、国際結婚した夫婦が離婚する際に、どこの国の法律に従うかを当事者が選択することができるという規則の導入で、14カ国が推進しています)。
ジャック・ドロールは、この「強化された協力」というシステムがなければ、シェンゲン条約も統一通貨「ユーロ」も日の目を見なかっただろう、と指摘している。しかし同時に、加盟国の赤字を分散させるEU救済基金の創設に対するドイツの反対には支持を表明している。ジャック・ドロールは、過去の負債を支払うためではなく、未来への投資のためならEUが財政赤字を増やすことにも賛成だと述べている。
そして最後に、ジャック・ドロールはトルコのEU加入に反対するドイツとフランスの態度を非難した。交渉を始める前からノンと言うべきではない。微妙な問題であることは分かるが、トルコがEUに加入することは文明を破壊する側に過失があることを認めさせることになるのだ。またトルコの加入は、行き詰っているキプロス問題の解決にもつながる。キプロス問題を国連に委ねるなど、ヨーロッパにとってなんと恥ずべきことか。
こうしたジャック・ドロールの発言は、新たなヨーロッパ像を模索する聴衆たちから喝采を浴びた。
・・・ということなのですが、未来へ向けた新たなビジョン。求められているのはヨーロッパだけではありません。日本こそ、それを必要としています。どこへ向かって進めばよいのか。それが見えないから、なかなかはじめの一歩が踏み出せずにいる。失われた10年が、気がつけば、失われた20年になっている。それでも、まだ歩き始められずにいる。ゴールはどこだ。どこへ向かって歩み出せばよいのだ。
新しいビジョンが求められている。しかし、同時に、目の前の問題も解決しなくてはいけない。それが、政治。政治家の務めです。将来像を語っているだけでは、まるで獏。夢、目標がないと、生き生きとした人生を送れない。しかし、夢だけでは、食べていけない。はっきりとゴールを定め、そこへたどり着くために一歩、一歩目の前の障害物を取り除いて行く。そんな政治家の登場が待たれます。平成の坂本龍馬の登場が待たれる所以なのではないでしょうか。失われた30年にならないことを願っています。