ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

時代の針は、再びアンシャン・レジームへ。

2010-10-14 19:48:40 | 社会
アンシャン・レジーム(l'Ancien Régime)・・・世界史の授業で習いましたよね。フランス革命以前、ブルボン王朝時代のフランスの政治社会制度。旧体制とも訳されていますね。21世紀の今、フランスの社会が再び旧体制のようになってきている、という意見を紹介する記事が、9日の『ル・モンド』(電子版)に出ていました。

今日のフランス社会は、一握りの特権階級とそれを支える一部の人々、そして社会の底辺に暮らす大多数の人々で構成されており、これは国王を頂点としたアンシャン・レジームそっくりだ・・・今月13日に出版された“Réinventer l’occident. Essai sur une crise économique et culturelle”(西洋再考、経済および文化の危機に関するエッセイ)という著書の中でこのように語っているのは、Hakim El Karoui(アキム・エル=カルイ)氏。

1971年生まれの39歳。チュニジア出身の父親はソルボンヌの教授、フランス人の母親は理工科大学校の教授という、知的エリート階級の出身。ラファラン内閣では、ラファラン(Jean-Pierre Raffarin)首相のスピーチ・ライターを務め、今日では、エッセイストとして活躍するとともに、ロスチャイルド財閥の投資銀行の経営にも携わっている。

エル=カルイ氏は、今日の世界、そしてその潮流の中にあるフランス社会について、『ル・モンド』とのインタビューで次のように語っています。

グローバリゼーションの世界では、中産階級はとても不安定な状態に置かれている。ここ20年に亘って、富の集中が行われてきた結果、富める者はより豊かに、そうでないものはいっそう貧しくなってきた。中流意識は薄まり、貧しさを実感する層が増えてきている。グローバリゼーションの世界では、その時代を生き抜く能力を持つ一部の勝者と、社会に自らの立つ位置を見出しにくくなっている敗者がいる。

しかも、経済危機が状況を一層悪化させている。今回の危機は、欧米の人々が給与以上の消費によって過度の借金を作って来たことに起因する。所得以上の消費をカードやローンで賄うシステムは破綻し、結果として、欧米の中産階級はかつてない生活レベルの低下を余儀なくされている。こうした状況下、各国の政府は、経済を改善する術を見出せず、右派政権であろうと、左派政権であろうと、ポピュリズムに頼って自らの存在を維持しようとしている。つまり、右派は外国人排斥に、左派は自分勝手な企業経営者への憎悪に国民の不満の矛先を向けさせようとしている。

私たちの社会は、新興国ほどには明確なピラミッド状ではないが、次第にアンシャン・レジームに似てきている。つまり、底辺に暮らす多くの人々、そして頂点に君臨する少数のエリートとそれを支える人々(弁護士、医師、レジャー産業従事者など)という構図になってきている。大多数の人々は、資格や能力を求められることがないかわりに、給与が製造業に働く人々よりも40%も低いサービス業に従事することになる。どういう人たちがその職に就くかというと、女性、若者、移民の子供たちといった社会的弱者だ。

移民問題については、フランス社会は現在抱えている多くの問題にもかかわらず、明るい未来を持っている。なぜなら、移民を社会に組み込もというよりは、同化させようとしてきたからだ。移民もやがてフランス人として社会に溶け込み、移民問題はその色彩が薄くなっていく。高等教育をうける移民やその子供たち、異人種間の結婚、人口動態、社会的階段を昇る移民やその子孫を見れば、新たな社会を予想することも容易だ・・・

ということで、フランス革命以前のような社会構成になってきているという今日のフランス。であれば、革命が起きるのでしょうか。21世紀の革命、どのようなものになるのでしょうか。

ところで、フランスには、グローバリゼーションに異を唱える人が少なくありません。グローバリゼーションという名のアメリカナイズ、あるいはアングロ=サクソン流価値観の押しつけに警鐘を鳴らしているようです。例えば、“altermondialiste”(改グローバリゼーション主義者)のジョゼ・ボヴェ(José Bové)氏。弱肉強食の新自由主義に反対する立場から、アメリカのイメージを代表するマクドナルドの店舗を解体したことでも有名ですね。今は、欧州議会議員になっています。

みんなが同じ方向へ向かおうとすると敢えて異を唱える、あるいは逆方向へ歩き始める「へそ曲がり」。でも、そんな人がいるから、あるいは、そんな国があるから、世界の暴走に歯止めがかけられるのではないでしょうか。付和雷同、寄らば大樹の陰、長い物には巻かれよ、という国に住んでいるからこそ、そうしたへそ曲がりの必要さを特に強く感じるのかもしれません。フランスにはいつも、いつまでも、潮流に流されないへそ曲がりでいてほしいものです。

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