ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

今や、「冨すれば鈍す」・・・富とモラルの関係。

2012-03-01 21:12:02 | 社会
「貧すれば鈍す」という言い回しがあります。『広辞苑』には、「貧乏になると頭のはたらきがにぶくなる、また、品性もさもしくなる」とあります。

はたしてそうなのかどうか、坂の上の雲をいちずに目指していたときには、こうも言えたのかもしれないのですが、今や、どうなのでしょうか。一方、以前には、「清貧」という言葉もありました。同じく『広辞苑』によれば、「行いが清らかで私欲がなく、そのために貧しく暮らしていること」という意味です。

貧しくなると、品格も失うのか、それとも、私欲がないからこそ、結果として貧しいのか・・・どうお考えになりますか。

リーマン・ショック以降、「強欲」というレッテルを張られている業界があります。しかし、給与が良いせいか、学生の就職したい企業の上位に相変わらず名を連ねています。品格よりも、給与が大事、私利私欲が重視されている。清貧など、もはや死語同然、なのでしょうか。

このようなことを考えてしまったきっかけは、2月29日の『ル・モンド』(電子版)の記事。そのタイトルは、“Plus on est riche, moins on a de morale, c’est prouvé”(人は豊かであればある程、モラルを失う。そのことが証明された)・・・どのような内容なのでしょうか。

政界では、「エリート」と「庶民」が対立する問題となっているが、このことはさらに議論を呼ぶべき研究テーマだ。というのも、雑誌“Proceeding of the National Academy of Sciences”(PNAS:アメリカ国立科学アカデミー紀要)の2月27日号に、アメリカとカナダの研究者が論文を発表したが、その論文は、社会階層と行動の倫理観との間に反比例する関係があることを明らかにしているからだ。つまり、端的に言えば、豊かであればある程、情けないモラルで行動する傾向が強い、ということだ。

カリフォルニア州立大学バークレー校のポール・ピッフ(Paul Piff)に率いられたアメリカとカナダの研究者グループは、いくつかの論拠を提示している。研究者たちは7つ以上の異なる実験手法を取ったが、その結果は同じ傾向を示した。

まず、簡単な実験から。交差点に立って、優先道路を無視して現行犯で罰則を受けるクルマを観察することだ。もう一つの観察も似たものだが、通路を塞いで歩行者の邪魔となるクルマを調べることだ。この二つの観察において、研究者たちはクルマを5段階に分類した。廃車寸前のクルマ(グループ1)から高級セダンタイプ(グループ5)までだ。その結果は、グループ5に属するクルマのほぼ30%が優先道路を走っている他のクルマに道を譲らせている。この割合は、グループ1と2に属するクルマの4倍、グループ3と4のクルマの3倍になっている。歩行者優先に関してもほぼ同じような相関関係がみられた。

ここで、高級車に乗っていることが必ずしも富裕であることと一致しないのではないかとおっしゃるかもしれないが、ほぼ一致しているのだ。研究者たちは研究室で別の実験を行って、上記二つの観察結果をより確かなものにしている。それぞれ百人ほどを被験者として集め、まずは異なる状況・行為を説明した。モラルに反しても目的を達しようとする、第三者を犠牲にしても不当な方法で富を得る、交渉において嘘をつく、職業上の過ちを容認する、などだ。その後に、こうしたことを自分でも行うとどの程度思うかという質問に答えてもらった。すると、被験者の属する社会階層とモラルに反する行為を行う可能性の間に明確な相関関係が示された(つまり、社会階層が上の人に、モラルに反する行為を容認する割合が高い、という結果ですね)。

別の実験では、200人ほどの被験者に「さいころ」を振るゲームを行ってもらった。5回さいころを振って、一定以上のスコアになった場合、賞金を出すと事前に説明しておいた。もちろん、細工が施してあり、5回の合計が12以上にならないようになっていた。従って、12以上になったという報告をした被験者は嘘をついたことになる。民族、性別、年齢、宗教、政治思想といったプロフィールを考慮に入れても、共通項は見いだせなかった。だが、社会階級が嘘をついた人たちの共通項として浮かび上がったのだ。では、社会階層の高さとモラルの低さに見られる関係は、何に起因しているのだろうか。研究者たちによれば、部分的にしろ、強欲さを是認する傾向が強いということに起因しているようだ。

・・・ということで、社会的階層が上の人ほど、モラルに反した行為を行う、あるいは容認する傾向が強い。それは、強欲を是認する傾向が強いことが一因となっている。つまり、欲しい物を手にする意思の強さ、行動力が、時として他人に迷惑を掛けたり、ルールを破ったりすることに繋がりかねない、ということなのでしょうね。

まあ、その通りですね。決断力、意思の強さ、行動力、つまり上昇志向があってこそ、階段を上ることができるのでしょう。しかし、時として、目的のためには手段を選ばずになってしまう。そこが問題だ、となるのでしょうね。「貧すれば鈍す」ではなく、「冨すれば鈍す」・・・

一方、他人との競争を否定する人がいます。ひたすら、平和に、共存共栄を。しかし、逆の立場の人からは、ぬるま湯だ、切磋琢磨しないと進歩もない、共存共栄ではなく、共倒れになるだけだ、という批判が出ます。

自分の掲げた目標、あるいは夢に向かって、最大限の努力をする。しかし、人事を尽くして天命を待つ、ルールを破ったり、他人に迷惑を掛けるようなことは一切しない・・・そのような聖人君子が多いほど、その国の「品格」も高くなるのでしょうが、現実には、さて。

皆さんの周りに、こうした立派な人たちは、たくさんいますか。それとも、上記の研究結果を裏付ける人たちが多くいますか。日本の品格は、日本人一人ひとりの品格が形作っている。そう思えば思うほど、頬を染めずにはいられません。鏡を見れば、そこに映っているのは、社会的階層もモラルも高くない50男の姿・・・慙愧に堪えません!

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