ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

フランスの「ジェネレーションY」は、マイ・ウェイだ!

2012-01-31 21:43:49 | 社会
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

こう始まる詩は中原中也の『サーカス』ですが、「時代」があれば、そこに生きる人々がいる。異なる時代に生きれば、価値観や行動様式などに、どうしても違いが出てきてしまいます。そこで、注目されるのが、「世代」。

世代・・・さまざまな世代がありました。アメリカでの命名に従うと、古くは、ロスト・ジェネレーション。1920年代・30年代に活躍した作家や芸術家がこう呼ばれており、生まれは1883年から1899年頃。20世紀に入ると、1950年代・60年代に活躍した作家たち。ビート・ジェネレーションと呼ばれ、生まれは1914年から29年ごろに当たります。

戦後になれば、ベビー・ブーマー世代。圧倒的人口の多さで、常に時代を作ってきました。広義では1946年から59年生まれを言うそうですが、日本では、1947年から49年生まれを団塊の世代と言っていますね。その次に登場したのが、ジェネレーションX。1960年から74年に生まれた世代で、日本では、しらけ世代、新人類とも呼ばれています。

そして、ベビー・ブーマーの子どもたち。ベビー・ブーマー・ジュニアとも呼ばれるのが今日のテーマ、「ジェネレーションY」です。1975年から89年に生まれた世代。つまり、ベトナム戦争終結からベルリンの壁崩壊までの間に生まれた世代で、子どもの頃からデジタル製品に囲まれて育ち、ネットや携帯を使いこなす世代と言われています。

このジェネレーションY、フランスでは1980年から99年生まれを指すそうで、今日の20代、10代を占めています。その内、20代は社会に出て働き始めています。社会には、当然、他の世代もいて、新たに労働の場に加わった世代をさまざまに評価しています。どのように判断されているかと言うと・・・16日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

30歳以下の「ジェネレーションY」(la génération Y)は、先輩社員たちにあまり良くは思われていない。他の世代よりも野心的、個人主義的ではあるが、効率的、意欲的ではないと見做されている。日刊紙『ル・フィガロ』(Le Figaro)とテレビ局“BFM”とともに教育訓練機関“CESI”が調査会社“Ipsos”に依頼して行った調査によると、30歳以上のサラリーマンの55%が20代の同僚を野心的、58%が個人主義的と見做しており、同時に48%が効率的でない、46%があまり意欲的でない、44%が熱意が感じられない、器用ではないと判断している。

一方、ジェネレーションY自身は(このYは英語のwhyに由来しているのだが)、先輩社員よりも器用で、意欲的、効率的で熱意もあると自己評価しているが、同時に個人主義的で野心的であることも認めている。このように世代間には大きな相違があるが、それでも仕事の維持、給与のレベル、労働条件を常に気にかけている点では、先輩世代と何ら変わりがない。

調査は経済状況についても聞いている。その結果によると、企業経営者の29%が、この先6カ月、企業活動は悪化すると考えているが、2010年の下半期には19%しかいなかった。一方、働く側も24%が企業業績は悪化すると考えており、2010年の14%より大きく増加している。経営者たちは、一般に、ここ2年以内に経済状況が改善するとは思っていないようだ。

こうした状況にもかかわらず、経営者、労働者併せて70%の人がこの先6カ月の雇用に関しては楽観的である。しかし、労働者側の53%は、もし自分が働く企業で労働運動が起きたなら参加すると答えている。

実査は昨年11月18日から12月6日にかけて行われ、408社の経営者には電話で、サラリーマン1,014人にはネット上で、それぞれ質問に答えてもらった。

・・・ということで、フランスの「ジェネレーションY」は野心的だが、個人主義的なんだそうです。よく、個人主義的だと言われるフランス人。その中でも、いっそう個人主義的な訳ですから、究極の個人主義者、なのかもしれないですね。常に、“going my way”なのでしょうか。

“going my way”と言えば、あの有名な『マイ・ウェイ』。カタカナ表記されると、布施明や尾崎紀世彦の熱唱を思い出しますが、“My Way”と英語になれば、やはり、フランク・シナトラでしょうか。

♪♪信じたこの道を私は行くだけ
  すべては心の決めたままに

死が近づいた男が自分の過去を肯定して、朗々と歌い上げる歌ですね。作詞は『ダイアナ』などで有名な歌手、ポール・アンカ(Paul Anka)ですが、この曲のオリジナルは、実はフランスの曲。ご存知の方も多いと思います。浅学の身も、そのことは知っていたのですが、遅ればせながら、はじめてオリジナルを聞きました。歌っているのは、作曲も手がけたクロード・フランソワ(Claude François)。タイトルは“Comme d’habitude”で、その歌詞はポール・アンカの作詞とはまったく異なっています。どこをどう転んでも、似たところはまったくありません。それでいて、後半の熱唱ぶりは似てくるから、不思議です。

Je me lève
Et je te bouscule
Tu ne te réveilles pas
Comme d’habitude
Sur toi je remonte le drap
J’ai peur que tu aies froid
Comme d’habitude
Ma main caresse tes cheveux
Presque malgré moi
Comme d’habitude
Mais toi tu me tournes le dos
Comme d’habitude

Alors je m’habille très vite
Je sors de la chambre
Comme d’habitude
Tout seul je bois mon café
Je suis en retard
Comme d’habitude
Sans bruit je quitte la maison
Tout est gris dehors
Comme d’habitude
J’ai froid je relève mon col
Comme d’habitude

Comme d’habitude
Toute la journée
Je vais jouer à faire semblent
Comme d’habitude
Je vais sourire
Comme d’habitude
Je vais même rire
Comme d’habitude
Enfin je vais vivre
Comme d’habitude

Et puis le jour s’en ira
Moi je reviendrai
Comme d’habitude
Toi tu seras sortie
Pas encore rentrée
Comme d’habitude
Tout seul j’irai me coucher
Dans ce grand lit froid
Comme d’habitude
Mes larmes je les cacherai
Comme d’habitude

Comme d’habitude
Même la nuit
Je vais jouer çfaire semblant
Comme d’habitude
Tu rentreras
Comme d’habitude
Je t’attendrai
Comme d’habitude
Tu me souriras
Comme d’habitude

Comme d’habitude
Tu te déshabilleras
Comme d’habitude
Tu te coucheras
Comme d’habitude
On s’embrassera
Comme d’habitude

Comme d’habitude
On fera semblant
Comme d’habitude
On fera l’amour
Comme d’habitude
On fera semblant
Comme d’habitude

という歌詞なのですが・・・どこか身につまされる、男の哀しさ、なのですが、どうやったら熱唱できるのかと、不思議です。Claude François Comme d’habitudeで文字検索すると、YouTubeにアップされている映像がすぐに見つかります。まずは、一見にしかず・・・

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