じっくり読み直してみると・・・
いつも急いで投稿するので、ブログの投稿後に日本語の用法が間違っていること気づく。ビジネスの場合は、自分の恥ならずとも会社の恥になるので、文章の推敲とともに一字一句丁寧に読み直しをしていた。
が、ブログの場合は、気楽に安易な考えで手ばやに書いてしまっていることから、投稿後にじっくり読み直してみると、誤字脱字、修正漏れに気づき直ちに修正をする。酷いときは数日後に赤っ恥をかいた後に冷や汗タラタラ修正をすることもある。コメントの場合は特に多い気がする。
そんなことから、残りの人生も少ないがいま一度、日本語を見直し研究してみることにした。
ブログのあちこちで乱れた日本語とともに、用法の間違いが目立つ。
「人の振り見て我が振り直せ」を教訓に、技術内容のものは許容範囲として多少のことは大目に見てもらうことにし、内容に重きを置きたいと思っている。
文明の利器に助けられ・・・
現代はパソコンやスマホなど文明の利器に助けられ、読めても書けない忘れた漢字も難なく書ける。しかし、用法の間違いは学歴に関係なく本人の能力の問題である。
ビジネスにおいては、書類も図面も製品同様に商品の一部である。会話の場合は同音異義もあり間違っていてもバレない。それに日本語に限らず、外国語も先ずは話すことが主体であり、余程単語を間違わない限り相手が理解してくれる。
最近の若い方は、短縮形や造語が多く私たち老人はとてもついて行けない。一例をあげると、前出の「私たち」にしても「公用文の書き表し方の基準」では、「複数の人を表す接尾語は仮名で書くことを原則」が国の定めである。一方、戦前の国語辞典では「友達」であったが、「当用漢字音訓表」の付表(附表)に新たに「友達」が加えられ、漢字も許容されることになった。
ちなみに、現在は「常用漢字表」の方が「当用漢字表」に代わって利用されている。
公用文とは、法令、公⽤⽂書、新聞、雑誌、放送など、⼀般の社会⽣活における公的に表す文章を指す。
反省しても遅いが・・・
highdy の親父の学生時代の成績表を見ると「甲」(昔は「甲乙丙丁戊 」、現在の「54321」または「A B C D E」に相当)ばかりで、常に首席に次いでいたそうである。次いでいたとは、「素行」のみが「乙」でトップにしてもらえなかったとか。大学こそ行っていないが海軍兵学校に入り「高等電機」では多くの大学生に交じって猛勉強したらしい。
大変な勉強家で家庭では生き字引的な存在だった。学校の先生よりも漢字をよく知っていた。90歳近くになっても、何処に手紙を書くわけでもないのに、字を忘れてはいけないと、広辞苑の1ページ目から大学ノートに漢字をびっしり書いていたことを思い出す。
highdy が棺桶に近づいて、もっと勉強すべきだったと反省しても遅いが、親父より10年以上若いし頭の老化防止にはなるかも知れないと企画したものである。
大昔に勉強した「知的生産技術」(岩波新書: 梅棹 忠夫 著)では、平仮名をすすめる内容もあったと記憶するが、現代の若人の多過ぎも読みづらいものである。
highdy が棺桶に近づいて、もっと勉強すべきだったと反省しても遅いが、親父より10年以上若いし頭の老化防止にはなるかも知れないと企画したものである。
大昔に勉強した「知的生産技術」(岩波新書: 梅棹 忠夫 著)では、平仮名をすすめる内容もあったと記憶するが、現代の若人の多過ぎも読みづらいものである。
ブロ友の fumiel-shima 氏ら程の多くの語彙は使えないが、平易な間違いの少ない書き方に留意してみたいと思う。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
でも、ブログは訂正がすぐできるので、まだましですね。印刷物だと大変です。本の場合、何回推敲を重ねてもダメで、他の人にチェックを入れてもらっていました(^.^)
いやあ、朝から勉強になりました。
私など間違いだらけで恥ずかしい限りです。やはり文章は最低1回だけは読み直して提出、掲載すべきですね。でないと人に笑われちゃいます。それにしても御父上は物凄い頭の良い方、勉強家だったのですね。見習いたいものですが、もう遅いです(笑)highdyさんは意気軒昂、素晴らしいです。
いつもご訪問ありがとうございます。
私も現役時代、会社のカタログや本への投稿ではカンプ刷り(校正刷り)で初校と二校をし、後は業者の責了(責任校了)にしていましたが、それでも出来上がってみると、校閲やフォントや色彩指示に不備があったり、悔しい思いをしたことがあります。
社内報などはゲラ刷り1回だけだったのですが、語句に一生懸命になっていて後でデータのミスを見つけたりしました。
特に、仰るように本のような印刷物は、見映えをみてくれる人と内容をみてくれる両方に頼まないとオチが出ますね。
親父の場合は、技術屋(潜水艦の電気・機関中心)で電気工事にはプロ並みの技術を持っていましたが、海軍退役後は会社の総務関係に在籍、連日文書作成に携わっていたため、私なんぞが到底及ばぬ知識を持っていました。
いやはや、もう遅いのですが余生の宿題として、少しでも勉強してみようと思い立ちました。
いつも素晴らしい短歌の数々、何処をひねっても私の頭からは出てこない表現力にただただ感心するばかりです。
私も自分の Blog のコメント欄で、コメント返しをした後でよく間違いを見つけます。
仰るように、もっと簡単に投稿後の修正ができるシステムなっているといいですね。
これまで何度か改善提案もしたのですが、バグの改善は愚か、返事ももらえないのでもう提案はやめました。
第二次大戦の前の年に日本に引き揚げた帰国
子女だったので・・ほぼ文網に近い人でした
ひらがなとカタカナは書けましたが漢字は
殆ど書けませんでした。早口になるときや
私が叱られるときなどは、ポルトガル語で
叱られたり褒められたり・・なので 言葉に
関しては 今でも私は苦手です。そして
恥ずかしながら、いつも間違えばかりです。
言葉は難しいですね。外国語も先ずは聞くことから始まりますが、聞いて意味が解ってはじめて話せるようになるものです。
意味が解れば、例え自分の持つ語彙が少なくても、適切な単語が思い出せなくても、何とか知っている単語を駆使して相手に意思を伝えることができます。
その意味で、小さいときの環境も大いに影響があると思います。
しかし、その環境が変わって必要性が生ずれば、人は順応性が高い動物ですので努力して学ぶものだと思います。
ところで、文網は「分盲」が正しいですよ!