highdy の気まぐれブログ

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旅の記録(三陸旅行)(その1)

2021年10月14日 | 旅行



とても有意義な楽しい旅ではありましたが・・・
 この4日間先日発表した旅行計画の通り、東北(三陸方面)を旅してきました。
 旅行コースの1/3以上は水中走行(?)でした。つまり、数多くの津波の被害で水中にあったであろう道を走り、時々峠や山越えをしながらの移動です。心の痛む、人を悼(いた)む旅でした。



何も無い所です」は、陸前高田市だけではない
 世間や人の話では、陸前高田市は「何も無い所です」と言われるが、至る所で何もかも流され、昔の賑わいが失われた状態です。

陸前高田市観光案内資料より

泊ったホテルの海側法(のり)面も補修工事の跡が見られました。
何処へ行っても、痛々しい爪痕を消すための工事中またはその完了跡が見られます。

避難方向の標識が増えたのは教訓かも
 震災の被害が自治体に危機管理を考えるキッカケにはなったようです。歩いても車で走っても、避難誘導のための非常に多くの標識がこれでもかと目に止まります。

   

復興とは名ばかり、政府の無能を知る旅
 目立ったのは堤防かさ上げ工事水門建設工事道路補修工事と広大な被災地見学用大駐車場スポーツ広場、その他各種利用頻度の少ない建物道の駅避難所津波伝承館記念または祈念施設などいわゆる箱物)が多く、大手のゼネコンと政治家の懐を潤しただけで、産業誘致など働く場所の創生・提供は殆どないようです。広大な無数の土地は売ることもできず、虚しく区割りがあるだけです。
東北地方には都会ほどスーパーは多くないので、道の駅がかなりその代用になっているように感じました。


遥か彼方に見渡す限り高い堤防が・・・(被災写真はネット上に沢山あるので割愛)

賑わう商店街を作ろうにも住民が集まらない、集まる前に住む場所や家がないのです。家を入手するに被災者無視のオリンピック工事で、工事業者に職人が集まらず、施工にも時間がかかり高い工賃でしか施工できないそうです。
本当に困っている人達にコロナが追い打ちをかけ、復興中の店まで倒産する羽目に陥ったり、医療施設や老人介護など住民に寄り添った復興支援は不十分です。
国道45号線を下って行くと、各地の山間(やまあい)に何か所も明らかに築後10年未満の民家が多数あります。近くは山だけで高台もなく、安全な土地を選ぶこともできず、恐らく仕方なく元の土地に再建されたのでしょう。何処を見ても辛い風景ばかりです。
以前は郵便局からの現金支援ばかりでしたが、現地を訪問して地域の産物を買ってあげたり、ネット通販で購入するなど直接支援の方が効果的だと感じました。


世界遺産を巡る旅
 highdy の旅は、日本の産業・風景・歴史的建造物・世界遺産を尋ねたりする旅が多いのですが、今回も「橋野鉄鉱山」という世界遺産を訪問しました。
この鉄鉱山の価値は、従来の日本では砂鉄を原料とし「たたら製鉄」という方法で鉄を造っていましたが、西洋と同じように高炉を使用した鉄鉱石を還元して鉄を取り出す、日本で初めて連続製銑技術にあります。 
国や地方自治体も遺産指定までは一生懸命頑張るのですが、その後が大変お粗末で遺産の管理どころか次々に壊す自治体には呆れてしまいます。
私達夫婦だけのために有料ボランティアの説明も、(聞き上手であれば説明にも熱が入るようで、専門的なこともいろいろ尋ねたのが良かったのか? 本人の説明によると)通常の倍近くの時間をかけ丁寧に細かく余談も交えて教えてくださいました。



世界遺産の指定を受けた後に市の担当者も勉強不足ですが、市長はもっとおバカさんのようで、樹齢何百年の昔から「御神木」と呼ばれている木をはじめ、多くの木々を伐採したり、新しいコンクリート構造の排水溝や階段を勝手に造るなど、メチャメチャな管理をしています。
ボランティアからこっそりお土産まで貰っちゃいました。磁石が強力にくっつく鉄鉱石(昔、火山の噴火で飛んだと思われる原石・・・一般の原石は丸みがないので、丸みを帯びた形状から判断できる)です。(微小の寄付が効いた?)



(今後の内容予告)
無料の三陸道はガラガラ
 復興のために大部分を無料にしていると聞くが・・・
 一般道へのICと道の駅連結はあるが・・・
 SA無し。PA殆どなし、PAあってもトイレ無し。もちろん、給油所もない。
 追い越し車線は処所(ところどころ)あるが、一車線が多い・長い。
 寧ろ一般道の方が走りやすいかも?
 お蔭で旅行費用は浮いたが・・・

美しい景色を楽しむ
 晴れ男なので雨が上がって・・・
 美しい浄土ヶ浜が曇りで残念!
 リアス式海岸はどこも美しい
 潮吹き穴は波が穏やかで

三陸鉄道でも景色を楽しむ
 用もないのに普代~久慈(終点)間を往復
 道の駅の店員が慌てて切符売り場へ
 列車が来るとホームに駆け上がり駅員さんに
 観光客のために要所要所で徐行または停車して
 紫陽花は、記念に琥珀のネックレスを購入
 往きも帰りも同じ女性運転士
 昔勤めた会社の子会社製造のディーゼル列車
 
 
どの宿も部屋と景色と食事に恵まれて
 どの宿も海側、景色は最高
 舌鼓(つづみ)で喉を喜ばす美味しい旅
 新鮮な海産物で大歓迎(魚と海藻料理)
 謀(はから)らずも天皇家と同じ宿に





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7 コメント

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kencyanです、 (knsw0805)
2021-10-15 06:50:54
おはようございます。
「復興とは名ばかり、政府の無能を知る旅」
を読んで胸が痛くなりました。
結局池田隼人ではないですが「貧乏人は麦を食え」ですよね。復興においても一部ゼネコンと手を組んだ政治家、金持ちが潤うだけで災害被害者は一家離散、倒産等々痛い目に遭うわけです。今更ながら「自分は自分で守る」ことの重要性を感じます。
それにしてもhighdyさんは偉い、尊敬に値する人です。私が思うのはパソコン等の技術的な側面でなく、人間としての心の問題、日々の歩み方等の精神的な部分です。
それに比べて私なんぞは恥ずかし限りです。こうしてブログでお知り合いになれて嬉しいです、そしておまけに郷土の先輩ですもの。
返信する
正に仰る通り、自分の身は自分で・・・ (highdy)
2021-10-15 09:09:38
knsw0805 さん

いつもご訪問やコメントをありがとうございます。
日本の政治家に限らず、世界の政治家は名誉欲・金銭欲の虜のような方が殆どで、一見庶民のためにと選挙の時だけは平身低頭ですが、当選してしてしまえば私利私欲に走り始めます。
正に仰る通り、自分の身は自分で護るという基本姿勢で、生活しないと政府はアテにはなりません。電話とネット回線は別会社、オール電化などもっての他、災害が発生すると大変なことになります。我が家はポータブルガスコンロ、太陽光の利用、汚水のろ過装置など多数の備えがあります。
私はまだまだ勉強不足ですが親父に似て知識欲はあり、パソコン技術と交換に皆様から多くの様々な知識をいただいています。パソコンを無料で教えるのは人生へのお礼と、知識をいただいた授業料の代わりです。ボランティアは、お金や財産が無くても誰でもできるものです。
ペットを連れた観光客を多く見かけますが、犬が人に吠えかけたり、ペットの排泄物を放置していくような全く飼う資格の無い方を1回の旅行で数回見かけます。
いまの教育制度が変わらない限り、そのような精神的な教育はできないし、不登校者も減らないでしょう。
返信する
お疲れさまでした (屋根裏人のワイコマです)
2021-10-15 09:44:52
東北への旅・・まさしくこれが一番の支援です
私も釜石、宮古へ復興ボランティア・・5日間
汗を流して泥を掻き出し水洗いした老舗旅館も
翌年行ったら、跡形もなく壊されていた。
なんとも悲しい現実に打ちひしがれた昔も
もう10年も経って、今はあの元気に泥を運んだ
力はありません。今の東北がまさに私のような
高齢化してきて、これからまた借金をしてまで
事業や地域貢献は無理です。そし少子高齢化が
重なって、国や県は前のにぎわい通りに復興
と思っているでしょうが・・無理な話。
少子高齢化と、分散した人口若者は、子供の
為に東北に戻ることはしません。私の街にも
福島からの人がいますが、こちらで家を新築
あの一家5人は東北から離散です。
もっと東北の人たちに寄り添った政策が必要
復興予算も・・何処かの誰かが太っただけです
続きを期待しております
返信する
highdy様今晩は (けんすけ)
2021-10-15 17:44:31
見ずして語るべからずだと思います

東北被災地へようこそお出で頂きました
当時私も宮城県内の実情(当時出張で東京にいましたので5日後でしたが)
私の近所は仙台港のそばでして、まだ道路上には流された車等が道路脇に積み重ねられていまして
その近所を通る度に涙を流さずにはいられませんでした
会社関係者の方々が訪れて被災地域を案内しましたが、カメラを持って被災地の写真を撮るつもりだったそうですが
レンズを向けられずにたった一言
「こんなに酷かったのか・・」でしたよ
今でも当時の事を思い出すと眼が潤んできます
復興予算には全く関係の無い九州の道路整備にまで使われまして各省庁が復興の名目で予算のぶんどりあいが行われたのです
しかしお粗末な政府・省庁ですね


コメントありがとうございました
此方でお返事をさせて頂きます
「おわいやさん」は当時子供心にやりたくない職業でしたね
誰かがしなくてはならない仕事なのですが韓国人の方がしているとは分かりませんでした
そうですね御不浄と言っておりましたが
丁寧な言い方だったと思います
それと便所の脇には八つ手が植えられて便所の位置を覆い隠していた思い出があります

有難うございました
此方で失礼いたしました。
返信する
翌年行ったら、跡形もなく・・・とは (highdy)
2021-10-15 21:08:28
屋根裏人のワイコマです さん

私は当時亡き父の介護のため東京の会社を退職、家内を埼玉に残し単身で山口へ帰っていましたので、ボランティアに参加できず家内と相談、それぞれが現金支援でした。
ワイコマ さんも、折角復興ボランティアに参加して、汗を流されたのに翌年行ったら跡形もなくでは、辛い思い出になってしまいましたね。
三陸道を走っていると、空間放射線量観測・表示器が幾つもあり、帰宅困難地域やその周辺は私たちの埼玉に比べ、20 ~40 倍と高い状態にあります。現場からかなり離れた所ですらこんな状況ですから、分散した人口は子供の将来を考えると戻ることもないでしょうね。
住民のためのきめ細かな支援は、高齢化問題とともに種々の問題が複雑に絡み合っていて、本当の意味での救いにならないと思われます。
それに「支援組織」というと政府・自治体は専門家として「学者」の意見を鵜呑みにしますが、学者の先生方は意外に世間知らずの理論派が多く、当事者を沢山入れないと良い解決策は出てきません。
復興は、まだ、スタートしたばかりと言えるでしょう。
返信する
ボランティア活動、お疲れ様でした。 (highdy)
2021-10-15 21:19:54
けんすけ さん

けんすけ さんもボランティア活動をなさったのですね、お疲れ様でした。
私も当時はまだ体力に自信もあったので、すぐにも駆け付けたい気持ちはありましたが、上記のような理由で現金にさせてもらいました。
でも、多くの方のご意見では、やはり実際の「手」が大きな威力を発揮したようです。
復興予算もドサクサに紛れて随分酷い使われ方をしたものです。誰も責任を取らないのも不思議です。与党も自分達に都合の悪いことは、目を瞑り・口を開けず・聞こえても聞こえないフリをします。そんな政治を黙認している方がいる限り、その方はもちろんその方の子孫にとって良い政治にはならないでしょう。
返信する
復興の道はまだかなり先のようですね。 (fumiel-shima)
2021-10-16 10:53:44
「復興とは名ばかり、政府の無能を知る旅」は仰る通りですね。
声高らかに「復興オリンピック」と謳いあげたにも拘らず、どれほど復興のために役に立ったのか・・・

綺麗に整備されたところだけを誇張してアピールし、いまだに苦しい状況に置かれている地域や人々の生活ぶりには目を向けない政府の姿勢は問われて当然だと思います。
私は直接見ていませんが実際に現地を見れば、「未だ復興ならず、道ははるかに遠い・・・」という印象を強く持つのではないかと考えました。
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