緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

都城市議会を傍聴して

2011年12月20日 19時12分00秒 | 都城市政
12月20日(火) 

 忙しい師走の最中に都城市議会十二月議会を午前十時から傍聴に出向きましたが、議案の一つが採決方法で審議が長引いて、午後にづれ混み目処が立つのか判断しにくくなり、本業に戻るために退席しました。重要な議案が軒並みでしたので多数市民の傍聴が望まれるところです。都城市政も現民主党政権と何かしら似たような雰囲気があります。だんだん市議会の雰囲気が傍聴者にも伝わってきます。

 一年毎に首相が替わる日本の政治、政治には国民の監視が必要なのは地方議会でも変わりません。さすがに師走、午後は仕事がびっしり詰まっており、現役は本業へ戻らねばなりません。政治の貧困は元は国民によるもの。おこがましくも、ここでダライ・ラマ十四世の著書「ゆるす言葉」を紐解いてチベット人の現実に近づこうと心が動きます。

 都城市議会も「市民の暮らしが第一」を目指していると信じて、傍聴席から後ろ姿の市議会議員一人一人に目を向けます。背中で本人の表情を想像するわけですから、思い込みや勘違いも有るかもしれませんが、ダライ・ラマ十四世の著書「ゆるす言葉」から拝借しますと第四章・平和、再生への道から、次の言葉が背中へ送るに相応しく思います。

本当の幸福は、自分自身や親しい人々という
限られた対象の幸せを気遣うことから
もたされるのではなく、
全ての生きとし生けるものに対する、
愛と慈悲の心を育むことから
生まれるのです。

写経しながら人様の言葉を議会人へ贈るほど、自分に卓越したものが有るのか?と問われますと、何とも面目なしです。本来この折に「ゆるす言葉」は自分へ向けた戒めの言葉として受け取ります。都城市議会と言う場面を傍聴して、ひらめいたと言えば何方かを傷つける事になるのでしょうか。思い出しますのは、動画で中国国境警備兵が雪の中をインドへ渡ろうとするチベット人集団に向けていとも無造作に銃で殺害する場面がありました。射撃距離はかなりな距離に見えました。雪の山中場面です。

 動画はユーチューブで、かなりの人が閲覧した殺害場面です。とても「怒りは力ではなく、弱さのしるしなのです。」と、殺害されたチベット人集団に恨みを残さない事は至難の業に思えました。指導者とは政治の場でも絶えず試練に出会うもの。市民が国民が託す政治家、それなりの肝っ玉が必要なのは、日常の仕事に携わる一市民でも同じです。何故ならば、無ければ社会に何らかの悪い影響を及ぼします。

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