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みんなの幼稚園

ひぶな幼稚園での子どもたちの様子
モンテッソーリ教育について紹介いたします。

幼保一元化

2010年02月10日 | モンテッソーリ教育
昨日は帯広で幼保一元化についての研修がありました。
朝30分程、園に顔を出し帯広へ

少子化が進み確実に子どもが減り、そして共働き家庭が増えて、都会では保育園の待機児童が増えている。
他、様々な理由で・・・
近い将来、幼保は一つになるとは思いますが、具体的にどうなるかというのはまだ決まっていません。

今は幼稚園では満3歳にならないと入園は出来ませんが、一元化されると(一部では認定子ども園として一元化が始まっています。)0歳から入園が可能となります。

少し話はずれますが

実はモンテッソーリ教育とは、3歳から始まるといったものではなく、0歳からの教育法です。
現にひぶな幼稚園でも、2歳児保育で実施してますし、釧路では残念ながらありませんが、札幌や東京などでは保育園でも実施されていて、より長い期間と時間、モンテッソーリ教育を受けることが出来ます。

以前に書きましたが、人間には『敏感期』というものがあり、0歳から様々な敏感期に応じた環境と援助を与えることによってより成長していきます。
そして、それを知ると親も『あっ 今はあの敏感期なのかな?』と、子育てが楽しくなります。

昔は0歳から3歳までに訪れる敏感期は、家庭において親の姿を見て真似したり、おじいちゃんおばあちゃんが見せて経験させてあげたりと満たされていました。
しかし、今は核家族が増え、そして家庭のあらゆるものが便利になり、子どもがやりたがり、成長に必要な部分が取り除かれています。

代表的なのが、洗濯や掃除機ですね。
子どもはとにかく洗濯板を使っての洗濯やホウキを使ってのお掃除が大好きです。
モンテッソーリ教育では保育室では日常的にこれが行われています。

これは単に洗濯や掃除の過程を知るだけでなく、幼児期に必要な指先の運動を発達させたり、大人のやっていることを真似し、任せてもらえることの信頼が心の発達を促します。

それが、今ではボタン一つで何でも足りてしまいます。

子どもが楽しくぼっとうする過程が取り除かれてしまっているのです。

確かに便利で助かりますが、食器洗い機もそれですね・・・
食器洗いは「子どものお手伝い」の代名詞みたいなものですが。

生活が便利になり助かることも、実は子どもにとってはいい迷惑で、逆に子どもの成長を不便にしているのかもしれませんね。。。

そんな、子どもの環境の貧困時代だからこそ、0歳からのモンテッソーリ教育が必要なのかもしれません。
0歳からの敏感期を知ると、子育てのイライラも少しは解消されるかもしれません。


話は戻りますが

確かに幼稚園が保育園の設備を身に着けるのは大変なことかもしれませんが(乳児を対応する設備等など)、確実に子ども達は豊かになるでしょうね。
少しでも早く「敏感期」に気が付く親が増えることも期待できます♪

そんなことを感じながら研修会を終え、
帯広と言えば「豚丼」を食べて帰路につきました。



今日の保育室の様子
思い思いにお仕事をする子ども達。
子どもが集中している姿ってやっぱりいいなぁ・・・


満3歳で入園3日目の男の子が、年長さんのお仕事を見つめています。
早くも素敵なお兄さんに憧れちゃったかな?



目隠しをして、手で触って当てようね♪


あれ? 隙間から覗いてる???
とても可愛らしい光景でした。
こちらも満3歳児。自分達で自主的に活動します。





子どもの発達段階を理解しない大人

2009年10月16日 | モンテッソーリ教育
日常生活の一コマ一コマが、子どもにとっては重要な教育内容であり、子どももそれに強い興味をもっているというのに、大人はその事実を正しく理解し、援助できているでしょうか。

万国共通で子どもとその親(発達段階を理解しない親)には、四つの傾向があります。

 ○水を扱いたがる。→「あら、きたない!」「ほら、よごれる!」「ベチャベチャになる!」

 ○持って行ったり。持って来たりする。→「持って行っちゃダメ!」「落ちたら壊れる!」「ほら、落とした!」

 ○開ける。 閉める。→「それは子どもが開けたらダメ!」「何回繰り返すの!壊れるでしょ!」

 ○切る(ハサミ)。破る。→「あぶない!」「あなたにはまだ早い! 大きくなったらね!」「それは切れるから、オモチャを使いなさい!」





子どもは、このようなことをやりたがり、子どもの発達段階を理解しない大人は、それを妨げようとします。

子どもは人間形成をするという自分の目的に向かって活動します。子どもの仕事は活動なのです。
 
 子どもは「やりたい!」のです。

ところが子どもの周囲はすべて大人に都合のよいように出来ている。大人サイズの物ばかり、そして、大人の目的のためだけに設定されています。おまけに、子どもが触ってはいけないことになっています。

子どもためにあったとしても、それは壊れても良いオモチャで、本物ではないケースが多いです。子どもは本物を求めているのに・・・
 
子どもは、やりながらしか成長しないのに、子どもがやるチャンスはすべて奪われてしまうのです。でも好き勝手やらせたら大変なことに・・・?

例えば…
テーブルを拭く時に水浸しになってしまうなら、子どもサイズの布巾を用意し、水を絞りやすくしてあげる。バケツが大きくて運びにくくこぼしてしまうなら、子どもサイズの小さい物に。ちょっとした配慮や工夫が活動をしやすくし、成長へと導きます。

モンテッソーリ園での保育室はそのように、子ども中心の教具がならべられ環境が整備されているのです。










日常生活の練習を園で行う意義

2009年10月15日 | モンテッソーリ教育
 以前に『筋肉運動の敏感期・・・模倣期』について紹介をし、「日常生活の練習」の重要性について書かせていただきました。

 今回は、その「日常生活の練習」を幼稚園で行う意義について書きたいと思います。

 その一つは、家庭での教育を再現しているということです。
現在のように家庭内の仕事が便利になる以前は、家庭で洗濯・掃除・裁縫などの手作業を子どもの目の前でやっていました。

 家事の合理化が進んだ現代では、なかなか直接体験することが少なくなった活動が、モンテッソーリ教育の「日常生活の練習」で再現されています。

 また、核家族化や少子化で家庭内活動が減り、更に直接体験の機会が少なくなって来ているのでその重要性は増しています。
 
 次に、先生が子ども達に教える手順は、①正確に、②精密に、③順序正しく、④段階をつけて、⑤規律良く示されます。

 子どもサイズで、子どものペースで示されます。秩序の敏感期にいる子どもは、完璧さを求めるので、私たちもそれに応えなければなりません。
 
 三番目は、日常生活の練習の繰り返しで、子ども達が身に付けていく「自立心」や生活具術の習得が、今後の人生に大きく影響する点です。自立することで周囲への気配りが出来て、「社会性」を身に付けていくのです。

 「社会性」は、ただ人ごみに入れれば育つ、というものではないのです。


洗濯バサミで指先の洗練
実際に「洗濯板」を使って洗濯し、干す作業もします。


ドライバーや指を使ってねじ回し。


針と糸を使って縫いさし。


教室に飾られている花瓶の水替え









心を育てる。

2009年08月25日 | モンテッソーリ教育


早くもピカチューバスが大人気です。

順番で各コースを回りますのでお待ち下さい♪

今日は2歳児保育の子ども達がピカチューバスでドライブに出かけました。



さて、保育室での微笑ましい一枚。

下の写真は、年長の子が年少の子の製作のお手伝いをしているところです。
ひぶなではこのような光景は日常の姿です。縦割り保育ならではですね。

我々が「面倒をみて!」なんて一言も言わなくても、自然と優しくできる。
そもそも、子ども達にとってそれは‘面倒’ではなく‘当たり前’の姿。

モンテッソーリの縦割りの中ではそれが当たり前の光景で、ずっと繰り返されて来ていることです。

「何でも出来て優しい、素敵なお姉さんみたいになりたいなぁ…」年少の子はきっとそんなことを思っているでしょう。この子が年長になった時の姿が想像できますね♪



今、幼稚園には実習生が3名来ています。
今日はその先生達の出し物で大盛り上がりでした。


こちらは、春に子ども達が植えてくれたダリア。
このお花を摘んでお部屋に飾る「お仕事」もあります。
情緒が豊になります♪





筋肉運動の敏感期と模倣期

2009年08月03日 | モンテッソーリ教育

1学期大掃除の風景から
 
 2歳から4歳にかけての子どもは、すでにある程度の筋肉の力をつけており、その力を使いたくてたまらないものです。

 また、模倣期でもあるので、自分の身近にいる人たち、特に母親や先生のやっていることを真似したがります。

 その中で、子どもが一番真似をしたいのは(特に母親)がやっている身近な活動です。そしてその中には、2歳から4歳の子どもが身に付けなければならない動作が全て含まれていて、筋肉をどんどん発達させてくれます。

 それはまさにたわいもない日常での活動で、モンテッソーリ教育では「日常生活の練習」と言われているものです。

 3歳から6歳の頃の子どもは、筋肉運動の調整の時期にいるので「どう動けばよいか」ということに非常に興味を持っています。「こうしたい」と思ったことを、思った通りに出来るようになっていく子どもは、自分の行動の主人公になっていく、また、自分の意志通りに、自由に行動できるようになっていくことは、人格者として、目覚めていくことでもあります。

 「日常生活の練習」とは、ちょうどこのような子どもの関心事を最大に満たす場です。そして大人が何気なくやっている日常生活の一つ一つの行動は、実はこの時期の子どもにとっては、一つ一つ挑戦し、乗り越え、身に付けていくべき課題なのです。

秩序の敏感期

2009年06月02日 | モンテッソーリ教育
 一歳頃から三歳頃をピークとし五歳頃に消えていく感受性を「秩序感」と言います。この時期は、順序や場所・習慣などがいつもと決まっていなければ気がすみません。 

 いつもと同じ場所・順序・やり方・同じ人のものetc…
 
 いつもと順序が違ったり、違った場所にあったり、いつもと違うやり方だったりするとぐずったり大泣きをする。でもふとしたことでご機嫌になったり… 子を持つ親なら幾度と経験されたことと思います。

「あ~ そんなことどうでもいいのに」
「どうしてそんなことにこだわるの いじっぱり」etc… 
 イライラ…
 
 でもこれは子どもの脳の発達と深く関係していることなのです。一歳を過ぎると、脳の「距離感や上下左右」の位置感覚を認識する部分が発達する時期が来て、二足歩行により自由になった手と目からの情報を組み合わせて、自分と周囲を認識していきます。ですから、場所・位置・順序などが変わってしまうとその認識が壊れてしまい「不安」になってしまうのです。

 この一歳頃から現れる秩序感を「見る目」をもち、怒りせき立てずにちょっと様子を見たり笑いかけたりしてみてください。子どもがせっかく発達しているのにそれを喜ばずにイライラするのは損ですよね

お仕事って?

2009年05月08日 | モンテッソーリ教育
子どもは’自分の自由意思で選んだもの’には一生懸命に関わります。

何度も何度も繰り返したり、来る日も来る日も続けたりします。

こうやって「自分で選んだ」ことを「繰り返し」やっているうちに、次第に自然と「集中」していきます。

よく幼稚園を見学された方が『みんな静かにやっていますけど、子ども達に何をさせているのですか?』と口にします。

先生達は子ども達に何かを’させて’いるわけではありません。
自ら、自らの成長に必要な物を、自然と選んでやっているのです。

見学者が子どもに『何で遊んでいるの?』と聞くと『お仕事をしているんだよ』と言われ目を丸くしている姿も見られます。


モンテッソーリ教育の現場では、人格的にも技術的にも成長していくので、この活動をしている時は『成長の仕事』をしているといいます。

こどもはただ遊ぶ存在だと思われがちですが、ただ遊ぶだけではなく、成長のために働いているという考えを持ったのがモンテソーリです。

『子どもは仕事を通して成長する』と言いました。

子どもは、漠然と遊ぶ活動の他に、自分を成長させる目的を持った活動、すなわち『お仕事』を好みます。

ですから大人は子どもの意志で「自由選択」するのを大切にしてあげる必要があります。

「この方が子どもの将来に役立つから」と不適切な時期に一方的に押しつけ教材を与えたり、お稽古ごとに連れて回ることは慎重にならなければ逆の効果を生む場合があります。


お部屋でお仕事をする子ども達







子どもの家の誕生

2009年04月26日 | モンテッソーリ教育


モンテッソーリ教育のモンテッソーリとは人物の名前です。

マリア・モンテッソーリは、イタリア最初の女性医学博士です。ローマ大学卒業後、障害児の治療教育に携わり、実験心理学、教育学にも研究分野を広げました。
 その間、フランスの医師セガンの著書に出会い、その理論に従って治療教育を進め、大きな成果をあげました。

 そして、障害児に用いた教育法を健常児にも適応する機会が訪れました。
貧困層向けのアパートに保育施設を設け、その監督・指導をすることになったのです。やがて、その施設の子ども達がみるみる成長を遂げ、いつしか各地から、そこで教育を受けたいと、人が集まるようになったのです。

 こうして1907年1月「子どもの家」(現在ではモンテッソーリ教育を実践する幼児教育施設をいう)が生まれました。そこでの実践から生まれたのが「モンテッソーリ教育法」です。
 
 マリアはその後、この教育法の普及と教師の養成に精力的に取り組み、ノーベル平和賞の候補にも幾度もあげられましたが、「私は子どもから学ばせてもらっただけです。」と全て辞退しています。


イタリアの紙幣を飾っていたモンテッソーリとその教育法


まずは子どもの観察から

2009年04月24日 | モンテッソーリ教育
幼稚園選びをしている保護者の方に、「うちの子でも大丈夫ですか?ついていけますか?」と質問されることがありますが、ひぶなの子ども達は実際、毎日楽しみながら、各々のペースで思い思いの時を過ごしています。

ですから、周りを見て〃やってみようかなぁ〃という気持ちにはなったとしても、〃ついて行きなさい〃と無意味に焦らされることはありません。

では、なぜモンテッソーリ教育がなぜ子どもにとって自然で無理のない教育法なのでしょうか。それは、この教育が理論からではなく、子どもの観察から出発した教育方法だからです。

よく子どもを観察する中から、その時期その時期の、その年齢その年齢の子どもの特色を見つけ出し、もしくは子どもの側からの要求に見合った教育方法を確立したのが、この教育法の創始者であるマリア・モンテッソーリでした。

ですから、その過程には子どもに対する先入観や偏見は一切さりません。
だからこそモンテッソーリ教育は子どもにとって無理がないのです。

子ども自身が好きな教育方法

2009年04月17日 | モンテッソーリ教育
新入園児さんにとっては長い長い一週間が終わりました。
新入園児さんは全く新しい環境、在園児さんにとっても環境が変わり疲れもあると思います。
土日はゆっくり休んでくださいね。

少し慣れた生活も、土日を挟むとまた振り出しに・・・
場合によっては、土日はお家の方と一緒にいれた安心からか、最初以上に朝、お家の方と離れるのが寂しいと感じることがあります。

焦らず、ゆっくりと新しい生活・環境に慣れていきましょう。
ご心配なことは、何でも幼稚園にご相談ください。


昨日、あるお母さんが、『うちの子が、「もう一人の子がやっていたハサミの作業をやりたくなかったので、違うことをやってしまった。」と言うのですが、ご迷惑をお掛けして申しわけございません。』とのお話しを頂きました。

何の迷惑でもありません。
保育室では、子ども達は自由を与えられ、子ども自身が今必要としている作業をすることが出来るのです。

逆に、この場合、他にやりたい教具があるのに違う作業を押しつけられたとしたら、それこそ子どもにとっては迷惑なのです。

モンテッソーリ教育は何ら特別な教育法ではなく、子どもにとってはごく自然な、子どもがとっても好きな教育法なのです。

中には、『自由にしていたら小学校に行った時に、授業中外に出ていったりしませんか?』と思う方もいます。
しかし、それは嬉しいことに全く逆の結果となって現れます。

なぜなら、幼稚園や家庭で、自分自信の成長に合ったその時々の物(教具など)に出会えた子どもは、身体の各部位の発展成長は当然のこと、情緒面も成長していくからです。

成長に必要な活動・作業を選択し、満足いくまで出来ることによる「集中力」「自信」「満足感」、その身に付けたことを日常で実用したり、それを他人に教えたりすること「社会性」も自然と身に付いていきます。


では、どんなことをするの???

それは、また少しずつ紹介していきたいと思います。

1000の鎖

2009年02月25日 | モンテッソーリ教育

前回の100の鎖に続き、今度は1000の鎖の登場です。

100鎖に興味を持った子は、必ず1000の鎖をやってみたくなります。
写真のように、100の鎖が10個つながったとても長い教具です。
当たり前ですが、10のビーズが100個つながっていて、そして1のビーズが・・・

そうです、大人では気の遠くなるような数を、子ども達は自ら好んで数えます。
「今日は300まで数えるぞ!」と意気込む子。1000めで数えきって満足そうにしている子。 そこには、やる気や自信、満足感が満ちあふれています。

上の写真の様に、小さい子ども達がお兄さんお姉さんのお仕事を見て、「いつかは私が・・・」と憧れの目を持つ姿も素敵です。

数の敏感期は、個人差はありますが3歳から4歳の間に出てきて、5歳後半にピークを迎えます。
このような敏感期が現実に存在する以上、大人はそれを援助する義務があります。

でも、何でもかんでも押しつけて詰め込んだりするようでは逆効果です。

モンテッソーリ教育では、日常生活の練習、感覚教育をその基礎として、無理なく
子どもが数概念を獲得して行けるように展開しています。




10ずつ、100ずつに印がついて・・・ ついに1000!!
1000のビーズは本当に1000あったんだね♪



数えることで満足出来ない子は・・・
書き始めます・・・
それぞれの敏感期にあった教具に出会った子は、まさに水を得た魚のようになります。

600間近の赤組M君





2歳児の意欲

2009年02月18日 | モンテッソーリ教育
2歳児の意欲は早くも人生のピークを迎えています。

大人の環境の中では、いろいろなことを試しては叱られることの連続ではないでしょうか。「危なくて目も離せない」と、子どもの興味のありそうな物は、手の届かない高いところへ隠されてしまったりします。

大人はオモチャを与えているから、と安心します。
しかし、2歳児の意欲を満足させるには至りません。
困った2歳児は、オモチャを分解することで満たそうとしますが、親は、そんな事情を察しようともせず、「何でも壊して!困った子」と思いがちです。

意欲的だった2歳児も、叱られることの繰り返しの中では、何もしないでボーッとしていることが平和なのかもしれないと思うようになり、だんだん意欲が削がれ、無気力な子に育っていく場合があります。

意欲旺盛な2歳児が、その意欲をそのまま伸ばせる環境にいたら、どんなに幸せなことでしょうか。

しかし、2歳児はまだまだ母親のもとで過ごす時間が大切です。
当園では、週3回、2歳児保育を開いております。
21年度は週2回からのスタートです。

ご興味のある方はお気軽に見学にいらしてください。
定員状況は随時ホームページ「2歳児保育 子どもの家」にてお知らせいたします。

百の鎖

2009年02月06日 | モンテッソーリ教育


前回のモンテッソーリの紹介で出てきた上記の写真。

今日、その発展としてある「百の鎖」というお仕事をやっている子がいたので紹介いたします。

上の写真の100のビーズですが、本当にビーズが100個あると思いますか?
実は子ども達はこれ以前に、ビーズ遊びで100のビーズ(一番上の写真参照)を何度となく見てしっています。
でもはたして本当に100個あるのかどうか、確かめてみるのです。

100のビーズを少しずつ伸ばしていくと…
下の写真のようになります。

数えやすくなったところで実際に数えてみよう!

この年齢の子ども達は、数えること自体が楽しく、大人なら見ただけで面倒に思ってしまうようなことでも、楽しくて楽しくて、時間を忘れてしまうほど熱中します。

数えたくて仕方がない「数の敏感期」にいる子どもに、遊びながら、楽しく数えることが出来る教具を用意してあげたら、それだけで水を得た魚のように取り組みます。

これらの経験は具体物から感覚を通して脳に記憶されていくので、数式だけを詰め込んでいく英才教育とは全く違います。
前回お話ししたただ’唱える’とは違うと言うことです。
実際に’見て、触って’数えるのです。


さて、この「100の鎖」を終えた子どもは、1000のビーズが果たして本当に1000個あるか、という疑問に出会います。
お部屋で見かけたらまた紹介いたしますね。

数教育

2009年02月02日 | モンテッソーリ教育
モンテッソーリの数教育は「具体量」から入ることが特徴です。
手で触り、実際に数え確かめる。

よく「うちの子はお風呂で百まで数えられますよ」
  「かけ算だって出来ます」
と、言う方がいます。

でも実際子どもに聞いてみると、百とは何なのか、かけ算とは何のか理解はしていないことが多いです。

これは単に数詞のみを唱えているだけで、そこに具大量は存在していません。

他にも、プリントで1+1から始まり、2+1、3+1・・・と延々と+1をやっていくような問題は出来ても、そこには数字のみしか存在せず、頭で唱えていても、具体量が無いことがあります。

モンテッソーリ教育が具大量を重視するのは、それが子どものこの時期の発達に適しているからです。 具体量とは、手で感じることができ、移動したり、集めたり、数えたりすることが出来るもののことです。

日常生活の練習において、十分に手の準備をし、感覚教育で触覚や視覚などを洗練し、分ける、比べる、集めるなどを経験し土台となって、数教育へとつながっていきます。


1から10の数詞と量の一致


~応用~
「全部長い10の棒にしてみよう!」
足し算・引き算・かけ算・割り算の導入にもなります。




数の記憶遊び
カードと同じ量のおはじきを並べます。



位を色分け、実際の大きさ・量で表します。
一番左端は1000。本当にビーズ1000個あります。
子ども達は実際に1000を数えたりしますよ。

他にも沢山の数教具があります。
ホームページのモンテッソーリ教育のページでご覧ください♪


個の確立

2009年01月23日 | モンテッソーリ教育
 ときどき見学者の方から、保育室で子ども達がグループや個人で集中して活動している姿を見て、他の園では先生が中心になって、子ども達が同じ活動が出来ているのに、大勢のなかで遊べなくなりませんか?という声を耳にすることがあります。


 たしかにモンテッソーリ教育は、まず個人を尊重しているため、通常の一斉保育よりも一人での活動が目立ちます。
 しかしこれは決して他から孤立しているわけではありません。
こどもたちは、あくまでも自分自身の意志にしたがって、活動に集中しているのです。

 そして何より、活動の中心は子どもであり、教師ではないということを認識しなければなりません。 教師の言うがままに同じ活動をすることだけが保育ではないのです。
 
 モンテッソーリ教育では、一人一人が自立することを第一に考えます。
そもそもグループ活動とは、成長し自立した個々が集まって初めて、秩序あるものとなるからです。


 ただ、見学者のその疑問は、全体活動であるホール(ひぶなの杜)での活動(リトミックやリズム遊び・ゲーム)を見て、可決されるようです。
 実に子ども達は他との調和を保って、助け合い、活動が出来ているからです。
 他にも、年長の子が年少のお世話をしている姿をみて感心していきます。

 個を確立できたこどもは、自分の能力を生かして他との調和をはかり、より大きな社会での活動も克服していきます。