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みんなの幼稚園

ひぶな幼稚園での子どもたちの様子
モンテッソーリ教育について紹介いたします。

子どもの時間

2009年01月21日 | モンテッソーリ教育
  あるお母さんの冬休みの体験談をご紹介いたします。

 【冬休み前のお便りで、お手伝いの大切さを読みました。いざお手伝いと言っても何をさせていいのか分からず初日を過ごし、普段幼稚園に行っている息子は2日もすれば家での生活に飽きてしまいました。
 
 しかし、3日目、私にとっては日常のことである「洗濯」をしていた時のことです。子どもが『おかあさんは、ぼくがようちえんにいっているときにせんたくをしてるの?ぼくもやってみたい。』 そう言い、洗濯物を干すのを手伝ってくれました。

 最初はもたついた手つきでやっていた息子も、お便りの通り一度見本をゆっくり見せてあげると、その後は上手に出来るようになりました。物干しが高いところにあって届かなかったので、次の日からは低くしてあげると、楽しそうにやっていました。
 
 それからというもの、私も息子もお手伝いの楽しさにとりつかれて、家のことを2人で楽しくやるようになりました。そして、言われないとすることがなかった片付けや歯磨きなど、身の回りことを積極的にやるようになったのです。

 今までは何かと言い争いばかりの親子でしたが、充実した日々を過ごせました。今までは子どもの目線に立って接していなかったと反省しています。】

 

 子どもは普段からお母さんのやっていることをよく見ています。そして、自分もやってみたいと思っているのです。

 今回のケースは、いつもと違うお母さんの様子をみて、つい子どもから「やってみたい」と言ってくれましたが、普段、「あれはダメ、これはダメ、あなたがやっても遅いだけ、汚れるだけ」と言われ続けたら・・・ 
 そのうち、子どもは’やりたい’という気持ちを口に出さなくなり、しまいにはやりたいという気持ちさえ芽生えなくなってしまいます。

 日常の慌ただしい生活の中では、ついつい子どもの出来ることを取り上げてしまいがちです。大人の勝手な時間で過ごしてはいませんか?
 子どもが’自分で自分のことを出来る時間’をつくってあげて見守ってあげることが大切です。

 もしかすると、怒ったり・叱ったりでイライラすることが減り、このお母さんの用に以前とは違った親子関係が築けるかもしれませんね。


    今日の園庭の様子

 

モンテッソーリ研修会

2009年01月15日 | モンテッソーリ教育
札幌の宮の沢にある、宮の沢さくら保育園にて2日間、10時から17時までびっちり研修会をして参りました。

講師のさくら保育園の園長先生とは、4年前にモンテッソーリ協会の全国大会で、北海道におけるモンテッソーリ教育について研究発表をして以来。

変わりなくお元気で、午前中の2時間強を休みなくお話。
午後も4時間近く、休みと言えば途中で「皆さんもお疲れでしょうから少し休みましょう」と2分休憩…。

地元札幌の方が多かったのですが、遠くは名寄、そして釧路から来ている受講者もいるので、それもあってか余す所なくお話くださったのではないでしょうか。

先生方も充実した時間を過ごせたようで、終了後の顔つきが少し変わっていました。




約束の統一

2009年01月08日 | モンテッソーリ教育
 親としてしつけなければならないことは山ほどあり、ついつい口やかましくなっていませんでしょうか。 私も親として、我慢と反省の毎日です。

 約束ごとは、言葉に頼るあまり、親が身をもって態度で教えるという側面を忘れがちです。 その約束ごとの決め方も、親の方からの一方的な言い渡しが多く、結局は親の自己満足や気休めだけのものだったりになってはいないでしょうか。
 
 思い通りに動いて欲しいがために、覚えきれないほど沢山の約束をつくってしまいます。 約束を本当に守らせたかったら、数は極力少なく、その代わり例外無しに、徹底して守らせるよう、親の方も努力と忍耐が必要です。

 親のその気分次第で、同じことがある時は許されたり、ある時は禁止されたりでは、子どもは混乱してしまいます。親の一貫しない態度は、子どもに敏感に読み取られてしまい、子どもは、約束それ自体より、親の態度を読むこと方に重さを置くようになってしまいます。

 モンテッソーリ実施園ではクラスでの大きな約束は3つあります。
  ①使った教具は必ず元通りにして返す
  ②椅子は必ず机の下に戻して席を立つ
  ③走らない

 3つとも常に他者への心配りを、言葉ではなく行動で表すことを伝えたいからです。この約束は必ず守るように徹底されています。
 クラスのみんなが快適に過ごすためには、一人一人の小さな努力が必要であることを、体でわかって欲しいのです。

 一人はみんなのために、みんなは一人のために。
 
 相互関係の中で調和して生きていける人間になるために、そこにはやはりルールが必要です。

 日本には「子どもの日」という祝日があります。外国に住んでいる方が「日本人は子ども思いですね。私の国では母の日はありますが、子どもの日はありません」と。
 
 確かに、日本人の子を思う情は深いのかもしれません。それはとても良いことでひぶな幼稚園でも教育に熱心な方が多いと感じます。
 しかし、それは往々にして我が子にだけ向けられ、周囲が見えていないということが最近では多く見られます。

 子ども達は幼稚園という社会の中で、’他人との調和’を身に付けていきます。

 この社会的な約束は親も子どもも同じで、’統一’されていなければ、今後の長い人生においてハンデキャップを負うことになります。

 「人間は一人では生きてはいけない」のです。

 自己満足や自己の気休めではなく、’一人の親’と’社会の一員’として両方から、我が子を見ることの出来る親でありたいものです。

 

冬休みの心得

2008年12月24日 | モンテッソーリ教育
 ~お手伝いが大好きな時期~

 子どもたちは、幼稚園生活が楽しくて、「冬休みなんか無い方が良い」と言っているお子さんもおりますが、冬休みは子どもの自立のためには大切な意義があります。

 この時期は自分で考えて行動できる、「一人で何でも出来る!」自信がつく、「行動の主体者」となることを獲得する時期です。
 そのために日常生活の様々な場面を利用すること、特に「お手伝い」をすることは、大切な大切なチャンスです。どんなふうに子どもに任せていくかにはコツがあります。

① 子どもが楽しんでやりたくなるような小さめのサイズ(おもちゃではなく本物)を用意する。
② 初めて見るものは、子どもの前で言葉を少なめに十分に見せてから子どもにさせるようにする。(幼児期は視覚と聴覚の両方が同時に働きにくい)
③ 難しい部分は、後から一つ一つ加えて行くようにする。

「片付けが出来ない」など親が嘆くのは、子どもが「自分でやりたい時期」に「自分で出来るように手伝って」あげなかった結果です。
 
人間は自分の「行動の主人公」でありたいものです。他人に命令されて動く人には誰もなりたくはないはずです。しかし、小学校、中学高…社会人になってまでも「指示待ち」の人が増えています。「自分で考えて行動できる」ようになるには、この幼児期に自分の生活を自分でやりながら、またお手伝いをしながら身に付いていきます。

「いちいち私に聞かないで、自分で考えてしなさい!」お母さんが子どもを叱る時、よく聞く言葉です。そんな子どもになったのは誰の責任でしょうか? 自分でやりたいけれど、うまくできないでいる時に、「どうすればよく出来るのか」分かりやすく分析して教えてくれる人がいたら、自分で考えてやる人間になっていたのに…。
 
最初は時間がかかりますが、一人で出来るように手伝ってやると本当に上手になりますし、上手になったら少しも面倒なことではなくなります。また、興味がある時は上達すのがとても早く、何の苦労もなく身に付きます。(敏感期)
 一人で出来ることは「自信」につながります。「自信」は「自立」に向かう子どもへの大きな贈り物です。
 
 さぁ、楽しんで親子が一緒に出来るのは今しかありませんよ!!

 この時期を逃すと、後は「どのようにして手を抜こうか」という時期になります。
 
なぜにこの時期が大切なのかをご理解いただいて、子どもの心を理解できる親でいたいものです。


指示待ち人間

2008年12月12日 | モンテッソーリ教育
11日の黄組の様子

ハサミで紙を切るのに夢中になっている子、そのわきの机で真剣にパズルあそぴをしている子、色の濃淡に興味をもって綺麗に並べている子、文字に興味を持って真剣に取り組む子、絵本を読んでいる子、足し算・引き算遊びをしている子etc・・・。






幼稚園を見学に来られた方が驚かれるのは、子ども達がそれぞれの作業にじつに熱心に取り組んでいる姿のようです。

モンテッソーリ教育では、一人一人のこどもが、自分のやりたいことを自主的に夢中で行うことをとても大切にしています。

現代は、小学校、中学校・・・社会人になっても自分で行動できない「指示待ち人間」が増えていると言われますが、これは幼児期に要因があるとも考えられています。

幼いうちから大人の指示にしたがってばかりいたため、自分からはなにも出来なくなってしまうのかもしれません。

モンテッソーリ園では、教師が中心となって活動させるのではありません。
あくまでも主人公は子ども達です。そのため指示や命令、もしくは禁止するような言葉はできるかぎり使いません。

朝、こどもたちは園にきて「さて、今日はなにをしようかな」と考えます。したいことが決まったら、それぞれの作業に集中します。興味のあることを納得するまで行うことで、どんどん能力を伸ばしてゆくのです。

一度、達成感を味わうと自分に自信がつき、より貪欲に吸収しようとするのがこどものすばらしい点です。

これがみずからの学習意欲をかきたてる根源となり、こどもの資質をかぎりなく発展させてゆくことにつながるのです。生活のなかで自分を確立するための努力を自発的に行っています。

一言で[自由」というと、「放任主義」と思われるかもしれませんが、モンテッソーリ教育は単なる「のぴのぴ教育」ではありません。

子どもはは自分で選ぴ取った活動の週程のなかで、活動そのものがもっている秩序とであい、その秩序に対する理解を要求されます。活動を行うことによって集中力を養い、試行錯誤を繰り返しながら、こどもはものごとの成り立ちに気づいていかなくてはなりません。これは発見の喜びであると同時に、きぴしい規律とのであいでもあるのです。

モンテッソーリ女史は著書のなかでこう語っています。

「規律は自発的な仕事の展開によって達せられる。・・・子ども達は秩序と規律と自発性の共存である」一方、そうしたこころの規律が末熟なうちは、「こどもの自由は限界として共同の福祉をもつものとし、ほかの人を傷つけたり迷惑をかけるようなことがある場合には、どんな厳格さをもってしても禁止する必要がある」とも言っています。


言語・名称は三段階で教える。

2008年12月11日 | モンテッソーリ教育
お母さんは、色々なことを教えたい思うあまり、つい絵本を見ると、①「これは象だよ、キリンだよ・・・」と教えた後に ”③”「これは何? これは?」と急ぎ結果を求めます。

子どもは幼くても「わからない」や「知らない」と答えることには抵抗があり、自尊心を傷つけられます。

モンテッソーリ教育では、物の名称は’三段階のレッスン’で教えます。

 ① 「これは象です。」「これはキリンです。」・・・と何度か発音を繰り返す。
”②”「象はどれですか?」「キリンはどれですか?」・・・
   「象のカードを先生にください。」・・・など、同じく発音を繰り返しながら
   認識できているか確認をする。認識できていない場合は自然に①に戻る。
 ③ 「これは何ですか?」・・・もし違っていても訂正したり叱ったりせず、自然に②に戻る。

三段階のうち、②段階目はほとんど飛ばされることが多いですが、この②の繰り返しによって、③段階目で答えられるようになり、正しい発音も身に付けることが出来ます。

言語は’一生の最初の二年間が残りの全生涯に影響’します。

この重要な時期に、故意に、あるいは、偶然に、言語的環境が閉ざされてしまうと一生言語は獲得できないことは「アマロとカマロ」の例はあまりにも有名です。

二歳以降も七歳ころまで、言語は発達し続けますが、モンテッソーリ教育では、絵合わせカードや言語遊び、絵本を通して、正しい発音やアクセントを身に付け、語彙を豊富にし、想像力や思考力を養います。

言語を獲得することは、考え・想像し・学び・自分を正しく表現出来るようになる第一歩です。

2歳児保育 子どもの家 21年度募集

2008年12月05日 | モンテッソーリ教育
 

成長過程にある子どもは、自分の成長にもっとも必要なものを内面の感受性でキャッチし、関わり始めるや やがてそれに集中没頭してしまうほどに、エネルギーを燃え上がらせます。

 この時期を敏感期といいます。

 2歳児は運動の敏感期で、自分の意志通り、体を 動かしたいと願っています。それで、日常生活訓練で、 『貼る』『切る』『通す』『あけうつし』・・・等の活動の中で、指先を使ったり、手首を使ったりして自分の筋賑を コントロールする力を身につけ、これによって神経網の発達を促進します。

 その結果として、自分のことが自分 でできるようになり、「自立」への 第一歩を踏み出します。

 2歳児は言語の敏感期でもあります。教具の中でも 、名称を正確に伝えたり、絵本の読み聞かせや、会話 を楽しみながら大切にしています。

 この『敏感期』を逃さないようにするためにも、2歳からモンテッソーリ教育に触れることを勧めしています。

 「子どもの家」在籍の方は優先的に幼稚園に進級いただけます。



子どものサイクル

2008年11月19日 | モンテッソーリ教育
ある日のこと

幼稚園見学に3歳の男の子とお母さんがやってきました。

お部屋を案内すると男の子は案の定お仕事に夢中になりました。
その教具は「砂文字板」
以前にも紹介しましたが、板の上にザラザラとした触感の文字が書かれています。

文字に興味を持ち始めた子が最初に出会う教具です。

男の子は夢中でした。

しかし、お母さんは他のお部屋やホールなども見てみたいので、子どもの活動をやめさせ片付け始めました。

勿論子どもは大騒ぎ、お母さんも困惑して手の付けようがありません。

そこで私は子どもにたずねました。
「まだやりたいんだよね。じゃぁあと何枚やったら終わりにする?」
しばらくして、その子は両手を広げました。
「そっか、10枚だね。 せっかくだから○○君のお名前の板を探してやってみようか」

男の子は自分の名前の文字を見つける度に嬉しそうにしていました。

そして最後の文字を終えると、さっと片づけて教室の出口に向かい、次のお部屋へお母さんと移動し始めました。


子どもの活動にはサイクルがあるので「自分で納得して終わるまで活動させる」ことが大切です。

そんなことをしたら、いつまでも勝手にやって、けじめのない子になってしまうと感じるかもしれませんが、実際は「納得して終わる」ことを尊重してもらった子どもは、周囲の状況が読めるようになって必要だと判断したら自分でやめることが出来るようになります。

お部屋では、「長い針が○○に来たらお片付けね。」と事前に言っておくと、子ども達はそれに合わせて活動をします。

もし、それまでに終わらなくても、「ここまできたら終わり」を子どもと相談し決めると、いつまでもダラダラとすることはありません。
(逆に終わり方を決めてあげないと、終わり方が分からなくて途中で投げ出してしまう場合もあるので先生が決めてあげる場合もあるのです。)


大人の意志で’動かされる’のではなく、自分の意志で’動く’ことが尊重された子どもは、状況を自分で判断し、責任ある行動をするようになります。

子どもは、自由選択→繰り返し→集中→完了感(満足感)という「子どものサイクル」を踏みしめて、人格ごと成長していくのだという信頼を込めて、子どもをじっくり見る人でありたいものです。


おゆうぎ会の練習や衣装合わせする合間に自主的にお仕事をする子ども達
『何したらいいの?どうすればいいの?』という声はそこにはありません。




お仕事って?

2008年11月10日 | モンテッソーリ教育
子どもは’自分の自由意思で選んだもの’には一生懸命に関わります。

何度も何度も繰り返したり、来る日も来る日も続けたりします。

こうやって「自分で選んだ」ことを「繰り返し」やっているうちに、次第に自然と「集中」していきます。



よく幼稚園を見学された方が『みんな静かにやっていますけど、子ども達に何をさせているのですか?』と口にします。

先生達は子ども達に何かを’させて’いるわけではありません。
自ら、自らの成長に必要な物を、自然と選んでやっているのです。

見学者が子どもに『何で遊んでいるの?』と聞くと『お仕事をしているんだよ』と言われ目を丸くしている姿も見られます。


モンテッソーリ教育の現場では、人格的にも技術的にも成長していくので、この活動をしている時は『成長の仕事』をしているといいます。

こどもはただ遊ぶ存在だと思われがちですが、ただ遊ぶだけではなく、成長のために働いているという考えを持ったのがモンテソーリです。

『子どもは仕事を通して成長する』と言いました。

子どもは、漠然と遊ぶ活動の他に、自分を成長させる目的を持った活動、すなわち『お仕事』を好みます。

ですから大人は子どもの意志で「自由選択」するのを大切にしてあげる必要があります。

「この方が子どもの将来に役立つから」と不適切な時期に一方的に押しつけ教材を与えたり、お稽古ごとに連れて回ることは慎重にならなければ逆の効果を生む場合があります。

野菜を切る

2008年10月29日 | モンテッソーリ教育



子どもはままごとが大好きですが、でもやはり本物を使うことの方が好みます。

そしてその方が子どもの成長を促します。

モンテッソーリ教具の「日常生活の練習」では偽物のオモチャではなく、’子どもサイズ’の’本物’を使用します。

今日子ども達がおこなった「野菜を切る」でも子どもサイズの包丁・机を使って実際に野菜を切るのです。
切るオイモとニンジンは幼稚園で収穫された物、そして切ったイモ・ニンジンは明日のお楽しみ会で塩煮にして食べます。

子どもは家庭でちゃんとお母さんがお料理をする姿を見ています。

例えば、包丁に切った物を乗せてボールに移したり、まな板を持って包丁でボールに移したり。
「すごいね。よく知ってるね。」と聞くと、「ママがいつもやってるの」と答えてくれます。

お母さんが上手にする姿を見て憧れていたようです。

もし、子どもがマネをしたがったら、子どもサイズの本物を用意してあげて一緒にやらせてあげてください。

その時がまさに’敏感期’

「お母さんは僕にもやらせてくれる」
親子の信頼関係も増しますし、子どものやりたい気持ちを満たすことは、各器官の発達と共に心の成長を促します。

台所は高くて子どもは届かない
→子どもが届くように台を用意してあげてください。

二度手間だ
→子どもの成長と思い余裕を持って接してあげてください。

言語の敏感期③

2008年10月07日 | モンテッソーリ教育
筆順が身に付いていくと、その次の段階の興味は「書く」ことに移っていきます。

しかし、この時に「書くための手」が準備されていなかったら・・・
これは子どもにとって不幸そのものです。

何という字か、何と発音するのか、筆順も分かっているのに、手の動きがぎこちないばかりにその字が書けないとうのは自信喪失につながります。

知育ばかりを重視する英才教育的な保育をするところではこういった不幸な子どもが多数生まれてしまいます。


ではモンテッソーリ教育の環境では「書く」ためにどのような準備がされているのでしょうか。

子どもがモンテッソーリ教育に触れて初めて出会う場は『日常生活の練習』という分野です。
ここで子どもは「水を注いだり」「豆をあけうつしたり」「縫ったり」「貼ったり」「通したり」と様々な指先の動きを獲得していきます。

「豆のあけうつし」

「貼る」


パズルを持つ指も鉛筆の持ち方につながっている。


「色々なフタの開け閉め」



また、『感覚教育』の中では親指・人差し指・中指の鉛筆を持つ時に必要な3本の指で「円柱さし」「桃色の塔」を持ったり、「雑音筒」を振ったり、「触覚板」をなぞることによって柔らかい手首の動きを獲得していきます。

「雑音筒」の直接の目的は聴覚の発達ですが、その他にも筒を振る時の動きは手首の柔軟性を養います。


「円柱さし」
1から10の大小の感覚を養うと共に、3本で持つ指はまさしく鉛筆の持ち方です。
実はこの円柱さしの持つ部分は、小さい子でも持ちやすく興味も持ちやすいように、お母さんの乳房をイメージして作られています。




さらに、「鉄製はめ込み」という教具では、実際に鉛筆を使って形を縁取ることで、文字を書く前の鉛筆の正しい使い方を身に付けています。








これらのモンテッソーリ教具の様々な経験が全て「書く」ことへの準備としてもプログラムされています。

つまり、子どもが『書きたい!』という衝動を持った時に書くための手が準備されているように考えられているのです。

このように、モンテッソーリ教具には’直接的の目的`と’間接的な目的’が含まれています。


「はんこ」で言葉つくり


「五十音並べ」


言語の敏感期② 「砂文字」

2008年10月01日 | モンテッソーリ教育
文字に興味を持ち始めた子が出会う教具に「砂文字」というものがあります。

先生は子どもに人差し指と中指の2本の指を使って筆順通りに文字をなぞり、なぞり終わったら文字を発音します。

その後子どもも同じように繰り返します。


ただ「あいうえお表」を見せて、『これが「あ」だよ。』
という伝え方はしません。

①指でなぞって、つまり’触覚’を使って
②目で形・筆順を追ってつまり’視覚’を使って
③発音して、つまり’聴覚’を使って
子どもに伝えるのがこの教具でありモンテッソーリ教育の方法です。

感覚の敏感期でもあるこの時期に感覚をフルに使います。

なぞることによって定着しにくいと言われる筆順も覚えていきます。


言語の敏感期①

2008年09月17日 | モンテッソーリ教育
幼児期の間に子どもが文字に対して爆発的に興味を示す一時期があります。

これはどの子どもにも必ず現れます。

時期は様々ですが、割合として一番多いのは3歳代の終わりから4歳にかけての時期です。

モンテッソーリ教育では文字を早い時期に読んだり、書いたりできるように指導するようなことはしません。
文字に関してだけではなく、他のことに関しても子どもに何かの意識や技術を押しつけようという試みは全く無益と考えています。

表面的にそれらの知識技術が身に付いたように見えても、それらは子どもの側からの要求にあったものでなければすぐにはげ落ちてしまいます。

幼児期の教育は小中学校の教育とは違います。あくまでも子どもが中心となっていかなければなりません。

ですから、文字に関しても子どもの側から興味が出て来た時に、それを十分満足させてあげられるだけの準備が、つまり環境が整っていることが大事です。


このためにモンテッソーリ教育の中では言語教育という分野が系統立って準備されています。

たとえば文字に興味を持ち始めた子どもがまず出会う教具に「砂文字」というものがあります。

 ~つづく~


花の水替え

2008年08月27日 | モンテッソーリ教育
子ども達が植えてくれたダリアが満開です!

これはモンテッソーリ教育の「お仕事」の一つ
「花の水替え」です。

つんできたお花をお部屋に飾ります。

花の活け方、お花の性質(お花の切り口を虫眼鏡で観察♪)、命の大切さ、美的感覚、環境への配慮、指先の運動… 様々なものがこのお仕事から学べます。


集中作業こそ鍵

2008年08月22日 | モンテッソーリ教育
整えた環境の中で子どもは何でも出来る、やりたいだけ出来るという「自由」を与えると、子どもはみるみるうちに変わっていきます。

勿論、「自由」の中には社会的ルール(順番を守る・邪魔をしない・物を大事にする等など)が含まれています。 「放任」とは別次元の話です。

入園当初は何が何だかわからず、教具を次々出してひっくり返したりという光景を目にします。
しかし、数日たつと次第に子ども達は「その時その時の成長に一番必要な物を自ずと選ぶようになります。

そういったものと出会った時、子どもは一生懸命に集中して取り組んで行きます。

子どもの「主体的取り組み・集中作業」こそが子どもをより良い方向へ導いていく鍵となるのです。



日本地図を折り紙切って作成せる子ども、魚のカード種類別により分ける子ども、文字の練習をしている子ども、「自ら選び活動」することで集中します。

教具から学んだ要素の他に、自分で選んだ物への「責任」、やりとげた「自信」、他の子にも教えてあげたいという気持ち「社会性」も育っていきます。