愛媛県に伝わる行事で、その年に亡くなった人の「お正月」をする「みんま」という行事があります。
愛媛でも東中南予によって内容は違うようですが、ウチのやり方は中予地域(松山地域)の行事です。
今年の12月には「巳午」が3回ありますが、12月1日、昨日その「みんま」をしました。
ウチは弟が4月に永眠したので、実家の座敷には法事と同じように祭壇を出しました。
しかし、しめ縄は逆になわれ、一般に行う慶事の正月飾りとは「逆」のことをするのです。
代表的な行事として、一升餅をつき、墓で参列者で食べきるという変わったならわしがあります。
写真はお餅をまるめる孫(弟の初孫)Hちゃんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0b/861cc7ca53a23d32c9748352b8450a55.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ea/f98eea85d88ce3ac3c549763397e76f4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/eb/aa5ea84bd4f26630b052c3b5b1c3333d.jpg)
肉親などの親い親族のみが参列し、お墓で餅を焼いて、それを包丁に突き刺し、
肩越しに餅を1人ずつ取って食べます。残さずこの場で食べきるというのが大切とのこと。
昔から伝わることなので、聞いた話としてしか知りませんが、
あえて「してはいけないことをする」ことのようです。
死を汚れとしていた時代に それらをたち切り、新年は良い年にしましょうといういわれと聞きました。
が、諸説あるようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2f/4e8044eae1012c331ba53ceccc6cdb9e.jpg)
父が藁に火を付けて、母と叔母が餅を焼き(少し焼くだけ)参列者10名で食べました。
昨日は勤務している家族は参加できませんでした。
昔は、真夜中の「巳から午刻に変わる時間帯」におこなっていたようです。
今でも真夜中にお墓へ向かっておこなう地域もあるらしいですが、
多くは真昼の12時ジャストにするようになったようです。
私は今まで、祖父母のときに体験したので今回で3回目の体験。
だんだんとこういう「儀式」もなくなってしまうことと思います。
お墓から戻り、弟の祭壇の前で直会をしました。
弟の死はとても悲しいけど、戴くお料理は美味しいです。
まだ今でも涙しない日はありませんが、残った人たちが健康で楽しく暮らしていけたら弟も喜ぶはずです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/68/a7f77778d2143875533a6f2c5624d7a9.jpg)
ウチから東温市の平野方面遠望。
これは昔昔、大正末期から昭和書初期の東温市上林の写真です。フジグランで見つけました。
背景は皿ケ嶺です。雪があるので2月頃かしら。上林小学校の上あたりから撮ったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c3/59cf6b2c464efce39dd46cdff2bea5be.jpg)
父はものすごく感動して見ていました。
と同時に、「100年前とほぼ同じ」と皆で言いました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
来年は楽しい年にするぞ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
愛媛でも東中南予によって内容は違うようですが、ウチのやり方は中予地域(松山地域)の行事です。
今年の12月には「巳午」が3回ありますが、12月1日、昨日その「みんま」をしました。
ウチは弟が4月に永眠したので、実家の座敷には法事と同じように祭壇を出しました。
しかし、しめ縄は逆になわれ、一般に行う慶事の正月飾りとは「逆」のことをするのです。
代表的な行事として、一升餅をつき、墓で参列者で食べきるという変わったならわしがあります。
写真はお餅をまるめる孫(弟の初孫)Hちゃんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0b/861cc7ca53a23d32c9748352b8450a55.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ea/f98eea85d88ce3ac3c549763397e76f4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/eb/aa5ea84bd4f26630b052c3b5b1c3333d.jpg)
肉親などの親い親族のみが参列し、お墓で餅を焼いて、それを包丁に突き刺し、
肩越しに餅を1人ずつ取って食べます。残さずこの場で食べきるというのが大切とのこと。
昔から伝わることなので、聞いた話としてしか知りませんが、
あえて「してはいけないことをする」ことのようです。
死を汚れとしていた時代に それらをたち切り、新年は良い年にしましょうといういわれと聞きました。
が、諸説あるようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/04/7699d101dacab7cd63c8014fde646733.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2f/4e8044eae1012c331ba53ceccc6cdb9e.jpg)
父が藁に火を付けて、母と叔母が餅を焼き(少し焼くだけ)参列者10名で食べました。
昨日は勤務している家族は参加できませんでした。
昔は、真夜中の「巳から午刻に変わる時間帯」におこなっていたようです。
今でも真夜中にお墓へ向かっておこなう地域もあるらしいですが、
多くは真昼の12時ジャストにするようになったようです。
私は今まで、祖父母のときに体験したので今回で3回目の体験。
だんだんとこういう「儀式」もなくなってしまうことと思います。
お墓から戻り、弟の祭壇の前で直会をしました。
弟の死はとても悲しいけど、戴くお料理は美味しいです。
まだ今でも涙しない日はありませんが、残った人たちが健康で楽しく暮らしていけたら弟も喜ぶはずです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/68/a7f77778d2143875533a6f2c5624d7a9.jpg)
ウチから東温市の平野方面遠望。
これは昔昔、大正末期から昭和書初期の東温市上林の写真です。フジグランで見つけました。
背景は皿ケ嶺です。雪があるので2月頃かしら。上林小学校の上あたりから撮ったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c3/59cf6b2c464efce39dd46cdff2bea5be.jpg)
父はものすごく感動して見ていました。
と同時に、「100年前とほぼ同じ」と皆で言いました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
「巳午・・みんま」は愛媛県特有の古式行事のようで、四国でも愛媛に近い地域で行われているみたいです。
ポイントは「今年亡くなった人」を対象にした弔い
ですね~。
大阪でもお餅を使ったことがおこなわれていたんですね!
日本中を調べてみたらいろいろ違った形の行事がみられるかも。
そういうの調べてみたいなぁ~(^_^)b
ではは本日も良き一日でありますように\(^O^)/
幼稚園へ行ってきまあす
弟さんの「巳午」という儀式が行われたんですね。
初めて見ました。
主人の実家の法事でおもちを人の形に切ってお供えし、後でみんなでいただいたことはありました。
地方によっていろんな儀式があるんですね。
来年はみなさんに良いことがありますように!
いよいよみんなと会う日が近づいてきましたね。
楽しい一日にしましょうね♪
やっぱり「巳午」の行事はだんだんなくなってるんですね。
昔は真夜中の12時だったそうで、ちょっと怖いよね
来年は楽しいことが沢山の年になりますように
そういえば、30年ほど前の父の時は、ちゃんとこのような事をしましたが、4年前の母と兄の時は、昼の12時にお墓参りしただけだった気がします。