平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

フォトンベルト(8)

2006年07月07日 | フォトンベルト妄想
フォトンベルト説の変化の続きです。

【1万3千年】
さて、ヘッセのそもそもの説では(それを受け売りしたケンプの説も)、太陽系は1万年の闇の時代と2千年の光の時代を出入りするはずでした。それがスタンレーのあたりから、1万1千年と2千年に変更されています。これは地球の歳差運動を考慮に入れたためでしょう。地球の首振り運動である歳差運動は、約2万6千年で1周します。1万1千年+2千年=1万3千年は、その半分です。

しかし、歳差運動とフォトンベルトへの出入りは元来、関係ないはずです。フォトンベルト信者の観念によれば、フォトンベルトへの出入りは、

(1)太陽がプレアデスの周囲をめぐっている
(2)銀河中心部からのエネルギーの放射による

のどちらかのはずです。前者は荒唐無稽であることは前に述べましたし、銀河中心部からの放射がなぜ地球の歳差運動と同じリズムになるのか、まったく説明されていません。要するに、関係のない観念を結びつけたのでしょう。

【2012年とマヤの暦】
フォトンベルト信者は、2012年に地球がフォトンベルトに突入すると信じているようです。これは、フォトンベルトが「マヤの暦」と結びついたところに生じた説であると思われます。

マヤ文明は独特の暦を使っていました。このマヤ暦を現代の甦らせたのはホゼ・アグエイアス夫妻です。

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 アステカ人は、マヤ人と同時に、天界を13層からなるものと考えて、「13」の数字で表わし、同様に冥界を「9」の数字で表わしたのです。
 アステカ帝国をも含め、「新世界」へのヨーロッパ人の侵略が始まった1519年、エルナン・コルテスが第3回の遠征隊の隊長となってベラクルスに上陸しました。この紀元1519年は、アステカ人のあいだで受け継がれてきた預言では、ちょうど「天国の13の周期」が終わり、「地獄の九つの周期」がはじまる年でした。そして、アステカ人はマヤの遺産を引き継ぎ、天国の周期も、地獄の周期も、52年を一単位として数える習慣があったのです。したがって、地獄の九つの周期とは、52年×9=468年間にわたるもので、1519年から数えて、468年経過すると、1519年+468年=1987年。まさに1987年が、この地獄の周期の終わりだったのです。
 このようなマヤの時間に関する周期的な解釈をもとに、アグエイアスは、1987年の8月16日と17日を<ハーモニック・コンバージェンスの日>として、新しい時代の夜明けを提唱しました。そして、それがアメリカの精神的なムーブメントを先導する人々を中心に、世界じゅうに広がったのです。
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http://www2.voice-system.com/voice/mayan1/user/mayandoc/maya03.html

ニューエイジの人々は、いつからニューエイジが始まるかにいつも関心を持っています。それにはいろいろな説があり、1987年もその一つでした。特定の年を決めてそれに合わせてイベントを盛り上げるというのは、現実の世界でもよく行なわれることです。そういう意味で1987年のハーモニック・コンバージェンスは欧米ではほどほどの成功だったと思われますが、まだインターネットもなく、情報の遅かった日本ではハーモニック・コンバージェンスについては、ほどんど問題になりませんでした。

次に盛り上がったのが、例のノストラダムスの大予言の1999年です。この年をめがけて様々な予言解読本が出ましたが、そのすべてが外れました。

次に選ばれているのが2012年です。マヤ人の作った暦がたまたま2012年の冬至で終わっているので、この日に何かが起こるのではないか、という期待を集めているのです。

マヤの暦は、1カ月は28日で、1年は13カ月(28日×13カ月=364日)から成り立つとします。これは月の動きを元にした太陰暦の一種であると考えられます。月の動きは地球の海の干満や女性の生理に大きな影響を与えることが知られています。現在のグレゴリオ暦(太陽暦)よりも自然界や人間の生命の営みに即した暦であるということができます。ですから、私は13の月の暦に基本的に反対するものではありません。

しかしながら、それが何らかの「予言」と結びつくと、それには「?」をつけたくなります。

マヤ人がフォトンベルトを知っていて彼らの暦を作ったという証拠はどこにもありません。フォトンベルトと2012年は、フォトンベルトによる地球の大変動を期待する人々によって結びつけられたにすぎません。フォトンベルト妄想のそもそもの出発点であるヘッセやケンプは当初、1999年ないしは2000年に何事かが起こるはず、と期待していたことを思い出しましょう。1999年が空振りに終わったので、次に選ばれたのが2012年というわけです。

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