∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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B-2 >臨済山 龍禪寺

2006-11-10 14:20:03 | B-2 >水野平蔵系



臨済山 龍禪寺
   岐阜県加茂郡富加町加治田135-1    Visit :2006-10-31 14:35

●臨済山 龍禪寺(りょうふくぜんじ)
 
[寺歴]――当寺ホームページから編集(天正十八年(1590)まで等の西暦を修正)
弘治三年(1557)―――加治田城主佐藤紀伊守の母が龍福寺前身竜福庵を開く
永禄五年(1562)―――佐藤紀伊守が庵を拡張し菩提寺として龍福寺を建てる
              勧請開山:蘭えん玄秀和尚
              創建開山:天猷玄晃禅師
天正十八年(1590)――第二世 夬雲玄孚和尚
元和八年(1622)―――第三世 陽南玄忠和尚、稲荷明神を祀る
寛永十八年(1641)――第四世 一秀玄広和尚
慶安二年(1649)―――第五世 末現祖芸和尚
明暦二年(1656)―――第六世 豊谷祖元和尚、妙心寺派に属する
寛文五年(1665)―――第七世 蘭亭恵春和尚
元禄六年(1693)―――第八世 江雪祖瑞和尚、現在の本堂が造営、開山百年遠忌執行
寶永七年(1710)―――第九世 済宗祖参和尚
享保十年(1725)―――第十世 棟林祖梁和尚
享保十七年(1732)――第十一世 月庵唯一和尚、総門高塀建設・梵鐘鋳造
              (この鐘は太平洋戦争に供出されて戻らず)
享保十八年(1733)――第四代水野平蔵政武作の半鐘を新鋳
寶暦十三年(1763)――第十二世 太獄元素和尚、参道の十王堂に石地蔵を建立
寛政元年(1789)―――第十三世 大衍良和和尚、本堂前埋立石垣工事、長屋建設、開山堂・位牌堂建設、
              山門建立、庫裡建設、玄関・書院建設、開山二百年遠忌執行
文化十三年(1816)――第十四世 万寧玄い和尚、郡上慈恩寺の棠林和尚、当寺へ出張開堂
              雪潭和尚山門楼上で開悟
天保十年(1839)―――第十五世 太休元徴和尚
嘉永二年(1849)―――第十六世雪渓恵舟和尚
明治十年(1877)―――第十七世徹道玄直和尚、開祖佐藤紀伊守三百年遠忌執行
明治二十六年(1893)―第十八世 陽山玄怡和尚、東司・鎮守堂建設
明治三十一年(1898)―第十九世 蓮邦宗郁和尚、開山三百年遠忌執行
              佐藤紀伊守・開祖蘭えん和尚の三百五十年遠忌執行
              土蔵を建築して什器類の保存状況を改善、書院修理・鐘楼新築
昭和二年(1927)―――第二十世 玄庵俊貞和尚、境内に保存会記念碑を建立
昭和二十三年(1948)―第二十一世泰学周仁和尚、開山三百五十年遠忌執行
              佐藤紀伊守・開祖蘭えん和尚の四百遠忌執行
昭和四十一年(1966)―二月八日、当寺宝「景就作雲版」岐阜県重要文化財指定
平成八年(1996)―――第二十二世安弘大安和尚住職就任
                正眼短期大学(岐阜県美濃加茂市伊深町872-2) 
                  准教授・総務部長 後藤安弘氏 http://www.shogen.ac.jp




●享保十八年(1733) 第四代水野平蔵政武作 半鐘

[銘文]
--------------------------------------------------------------------------------
為 桂 林 智 □*1大 姉 菩 提 也
享 保 十 八 癸 丑 □*2□*3七 鳧
濃 州 加 茂 郡 加 治 田 邑
臨 済 宗 龍 福 禅 寺 什 物
--------------------------------------------------------------------------------
名 古 屋 鍋 屋 町
□□*4 師
水 野 平 蔵 藤 原 政 武
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[銘文註]
*1=「昌」の下に「大」
*2=判読不明。
*3=判読不明。
*4=判読不明。「鋳物」または「大鐘」と思われる。



◆当寺には「開基以前の嘉吉三年(1443)十二月 景就」と陰刻された雲版が寺宝として伝わっている。岐阜県重要文化財指定(昭和四十一年(1966)二月八日)非公開。
 雲版は、青銅製、縦55cm、幅50cm、厚さ1cm。撞座は梵鐘によく見られる蓮華形で、その直ぐ上にある蓮台に陽鋳された長方形の札形を載せ、中に「蔵春禅菴」の陰刻がある。さらに、札形の右に「大和國高市郡越智比丘」の陰刻銘、札形の左側には「嘉吉三年十二月 日 景就」の陰刻がある。全体は暗緑色を呈し所々に煤(すす)がついている。
http://www2.pref.gifu.lg.jp/BUNKA/GPR017_001V04?ZAI_NO1=1&ZAI_NO2=258&ZAI_NO3=1



☆旅硯青鷺日記
 当山を訪れたのは、小春日が汗ばむくらいの昼下がりであり、境内は静寂そのものでした。庫裏をお訪ねしましたが生憎ご不在であったので、門前の畠で農作業をなさっておられる方にお尋ねすると直ぐに手を休められ、本堂までお導きいただきました。伺ったところ当寺の御総代長様とのことでご親切に堂内をご案内下さり、半鐘の撮影にもお立ち会い下さいました。ご信仰の深さと人情味の厚さに心が洗われた思いがいたしました。御総代長様に改めて深く感謝申し上げます。



龍禪寺ホームページ:http://www7.ocn.ne.jp/~ryofuku/

水野平蔵家系譜:http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/7551e73084352a9a4d23ed9ccc7f9104


●2006/11/29 御住持様からコメント欄に臨済宗では「喚鐘」とは呼ばず、「半鐘」または「殿鐘」と称されるとの有難いご指摘をいただきましたので、早速訂正いたしました。







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2 コメント

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ご訪問御礼 (龍福寺住持後藤大安)
2006-11-28 23:13:48
折角ご訪問頂いただきながら留守しており失礼致しました。総代長がご案内してくださり助かりました。
喚鐘とのことですが、これは、半鐘または、殿鐘と呼び喚鐘とは臨済宗では申しません。喚鐘は、老師との参禅問答の入室に使う鐘でデザインは同じながら、サイズが口径20センチから30センチくらいのものを言います。
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ご指摘御礼 (∞ヘロン)
2006-11-29 06:07:34
御住持様
 過日は、お留守中にお訪ねいたしまして大変失礼をいたしました。
今般は、「喚鐘」の呼称相違をご親切にご指摘頂きまして、誠にありがとうございました。また御総代と記しましたが、「御総代長」との由、併せて訂正させていただきました。
 またこれからも色々とご指導賜りますようよろしくお願い申し上げます。
取り急ぎ、御礼申し上げます。
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