∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

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 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

C-2 >奥田城跡

2006-06-21 14:45:30 | C-2 >福山結城水野
 奥田城は、北奥田にあって、水野日向守の居城といわれている。また一説には、佐治氏の城ともあり、その妻は小河水野の娘と考えられる。 奥田山王の棟札(*1)を見た人が言うには、水野蔵人貞守、水野牛息丸(後に忠政)、その他身分や地位などの高いお歴々の名が書かれていたが、正確なことは忘れた。その棟札について尋ねたが、当神社の禰宜(*2)が隠したか、または以前から失っているとも云われ、今は見あたらない。 . . . 本文を読む

C-1 >乳竇山 報恩寺≪考証≫

2006-06-03 18:19:32 | C-1 >小河氏系水野
開  基:文治元年(1185)、報恩寺殿乳竇貞哺大禪定尼(鎌田正乳母也)『張州雑志』 中興開基:水野一初全妙禅定門 永正六己巳年(1509)五月廿九日『張州雑志』 大源院殿一初全妙大居士「寺傳」   永正六年(1509)五月二十九日卒の位牌あり。「寺傳」    緒川城主水野蔵人貞守 玄室全通居士之嫡男(水野下野守爲則)也 『張州雑志』『尾張徇行記』 . . . 本文を読む

C-1 >梨渓山 心月齊

2006-06-01 04:44:11 | C-1 >小河氏系水野
創建:天文十五年(1546) 常滑の曹洞宗天澤院に属す 開基:盛龍院殿心得全了大居士 天正六戊寅年(1578)十二月八日卒(1578)     布土城主(寄留地)、本貫は緒川城主 水野藤治郎忠分(藤十郎範方)     徳川家康の生母於大の方の実弟。 開山:大良喜歓大和尚(緒川から招かれた) 元龜二年辛未年(1571)九月廿二日寂 . . . 本文を読む